GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「あなたは何を信じ、何を守ろうとしましたか?」

2013年02月28日 | Weblog

「生きていく上で何が大切なのだろうか」今朝、ベッドの中で目を覚まし突然こんなことを考えはじめた。酸素や水や食物は最優先だろうが、本当にそうなのだろうか。それら以外には、本やギターや映画、ゴルフも今の私には大切だが、そんなものを全く必要としない人もたくさんいるだろう。選ばれたものを並べるときっとその人の性格や心情、好みやスタンス、考え方が浮き彫りになるに違いない。

「大切なものを20個選べ」と男女2名に書かせ、その内容を比べて一致しているものがたくさんあるカップルの方が別れにくい、なんてことが判明するのではないか。これはコンピュータが最も得意とする技だ。見ず知らずの二人が大切なものを入力して、一番多く一致しているカップルを選びだす。いや待てよ。女性が大切なものを選ぶ際、女性と答える場合もあるだろう。男性にも…。こんなおバカなことを考えていると目が冴えてきてベットから抜け出した。

 定番のロイヤルミルクティーを飲みながら昨夜観た「ハロー!?ゴースト」という韓国のファンタジーコメディーを思い出した。孤独な独身男性が生きることに何の意味も見いだせず、何度も自殺を試みるがどうしても死にきれない。担ぎ込まれた病院のベッドで目を覚ますとすぐ横にポマード頭で少し太った中年男がいた。しかし、周囲の医師や看護師には見えない。病院では精神に異常があると判定を下すが、ゴーストの数がどんどん増えてくる。アロハシャツを着た元気なエロ老人、ハンカチを持っていつも泣いている主婦、周囲を走り回っているやんちゃざかりの少年ゴーストだ。
カウチで横になって観ていた私はゴルフ帰りということもあって睡魔に襲われ、知らず知らずのうちに寝入ってしまった。気がつくとすぐ横で見ていた連れ添いがクシュクシュと音を立てながら涙を流して映画に見入っていた。画面ではラスト間近のシリアスなシーンだった。ゴーストたちが誰だったのか、主人公が理解するシーンだった。

    

 私はDVDを止めて連れ添いに頼んだ。「少し戻って観てもいいかな?」「うん!」泣いていた彼女は笑顔になって立ち上がり、食事の準備をするためにキッチンに向かっていった。私は大急ぎでDVDを記憶があるシーンまで巻き戻し、再び映画を見始めた。飛んでもなく良くできた脚本だった。主演は大ヒットした「猟奇的な彼女」「僕の彼女を紹介します」で、とぼけた演技を見せてくれたチョン・ジヒョン。彼の上記の3本はお薦めできる映画だ。思いっきりバタバタコメディーを見せながら最後は涙と共に予想もしないところに落とす爽快な内容は、まさしく韓国コメディーの王道だ。

  

私は朝、ベッドの中で妙なことを考えたのはあの映画が原因だったと気がついた。

そして、私の大切なものが何であるかも。優先順位の一番にくるのが何であるのかも。

「人は何を信じ、何を守ろうとしたのか」
これが長いようで短い人生を集約した言葉になると改めて思った。

 


アカデミー賞最有力!「世界でひとつのプレイブック」

2013年02月24日 | Weblog

    

     

 昨日は<アリオ鳳>にあるTOHO CINEMASで、アカデミー賞主要8部門にノミネートされている映画「世界にひとつのプレイブック」を鑑賞。今最も売れっ子のブラッドリー・クーパー(主演男優賞にノミネート)主演のラブコメディーなのでハチャメチャ映画だろうと想像していたら、トンデモハップンだった。オスカーで6部門にノミネートされた「ザ・ファイター」のデヴィッド・O・ラッセル監督は、今作ではそれぞれに愛する人を失い心に傷を負った男女が、人生の再起にもがく姿をハートフルに描いてヒューマン・コメディーに仕立て上げていた。共演のジェニファー・ローレンスは「ハンガー・ゲーム」 (2012)、「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」 (2011)、「ウィンターズ・ボーン」 (2010) で超売れっ子に成長し、今までにない演技を魅せてくれた。

 映画の展開は少し前に観た山田洋次監督の「東京家族」「おとうと」っぽいかな。原題の「Silver Linings Playbook」を辞書で調べてみると、Silver Liningとは(不幸中などでの)明るい希望、光明の意味、Playbookはフットボールのプレーと作戦・戦術をファイルした極秘資料ブック。私的に直訳すると「再起のための秘策」となる。

  

 精神病院から出てきた躁鬱息子の両親を演じるのが、ロバート・デ・ニーロ(助演男優賞にノミネート)と、ジャッキー・ウィーヴァー(助演女優賞にノミネート)。二人が息子の奇行にうろたえる演技がとてもいい。(アカデミー賞助演女優賞をジャッキー・ウィーバーとアン・ハサウェイのどちらが獲るか、非常に楽しみ。私はアンに獲って欲しいかな)「ザ・ファイター」を見た人ならよく似た展開だと言えばだいたい想像がつくだろう。

 ジェニファー・ローレンスは出演した映画すべてで全く違う人格を演じているのが凄い。きっと一杯オファーがあっても脚本を選んでいるのだろう。宮崎あおいや蒼井優を彷彿させる演技派だ。今後も大いに期待できる若手NO.1の女優という位置どころか。ブラッドリー・クーパーは「ハング・オーバー!」で大ブレークしたが、「リミットレス」やリーアム・ニーソンと共演した「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」でも多彩で面白い演技を見せてくれている。デ・ニーロに憧れてアクターズ・スタジオの門下生になった彼が、「リミットレス」で彼と初共演を果たし、この映画ではお互いにアカデミー賞にノミネートされて、感慨深いものを感じているに違いない。

 誰の人生も周囲から見ればきっと喜劇や悲劇が織り混ざって見えるのではないか。しかし、本人は決してそんなふうには受け止められない。主演を演じる自分自身は幾つかの人格を演じようと必死にもがくが、結局本来の自分自身から抜け出すことはできない。だからそんな自分を否定せずに受け止めることができるかどうか、単なる開き直りではなく、自分の中に潜んでいる光明を見いだすことができるかどうかで、自分の人生が喜劇になるか、悲劇になるかが決まってくるのではないか。この映画を見終えてそんなことを考えてしまった。

    


「もうじきアカデミー賞の発表だ!」

2013年02月23日 | Weblog

 もうじき今年のアカデミー賞が発表されるが、今まで観たすべての映画の中で「最高の脚本を挙げよ」と問われたら、間違いなくこの作品を挙げるだろう。昨日、突然観たくなって観始めたら一気に最後まで見入ってしまった。もう10回以上観たかな。

・「恋におちたシェイクスピア」のあらすじ
 1595年頃、芝居熱が過熱するエリザベス朝のロンドン。ローズ座は人気作家シエイクスピアのコメディが頼みの綱だったが、彼はスランプに陥っていた。なんとか書き出した新作コメディのオーディションにトマス・ケントと名乗る青年がやってくる。実はトマスが裕福な商人の娘ヴァイオラの男装した姿だった。商人の館にもぐり込んだシェイクスピアは、ヴァイオラと運命の恋に落ちる。その日から堰を切ったように劇作を書き始めたが、親が決めた結婚のためもう会えないというヴァイオラから別れの手紙を受け取る。納得できずまた館へ。そこでトマスがヴァイオラの仮の姿だと知る。心のままに結ばれたふたりはその後も忍び逢いを続け、この恋が次第に運命の悲恋物語『ロミオとジュリエット』を形づくっていく……

・第71回アカデミー賞:作品賞/脚本賞/主演女優賞/助演女優賞/音楽賞/美術賞/衣装デザイン賞
・第56回ゴールデングローブ賞:作品賞(ミュージカル・コメディ部門)/脚本賞/主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)

    

原作の『ロミオとジュリエット』は悲劇だが、この映画の脚本は見事に喜劇仕立てに生まれ変わっている。こんな事が可能なのか。しかも原作者のシエイクスピアが主人公で、次作の「12夜」の主人公ヴァイオラがジュリエットを演じるという神業まで見せてくれる。シエイクスピアファンにはたまらない作品だろう。

 ジュリエットが仮死状態になっているのを見たロミオは、彼女が死んでしまったと勘違いし、毒薬を飲んで自殺する。その後仮死状態から目覚めたジュリエットは横たわるロミオに気づき、短剣で胸を刺し、後追い自殺を計る。(高校1年生時、オリビア・ハッセー主演の「ロミオとジュリエット」を映画館で見たとき、観客の若い女性が画面のロミオに向かって「飲まないでぇー!」と叫んだのを今でも忘れられない)
 この有名な映画を観て、1595年前後の作品で、仮死状態を作り出す薬を発想することが信じられず、この映画の特別な脚色ではないかと一時的にそうに信じていた。その後シエイクスピアの原作に忠実に作られた作品と知り、豊かな発想力に心から驚いた。『ハムレット』『リヤ王』『ベニスの商人』を読んで深い人間洞察力に驚き、いまだにベストセラー作家であるシエクスピアに心から畏敬の念を抱いてしまった。森が動くシーンと矢が壁に突き刺さるシーンが忘れられない黒澤映画の「蜘蛛巣城」は、『マクベス』が原作と知ったのもその頃だった。
 
 映画『恋におちたシェイクスピア』の脚本は素晴らしい発想の基に作られている。まるでアクション映画のようなスピーディーな展開と、しかも巧妙にしけられた脚本に誰もがワクワクしてしまう映画には滅多に出会えない。まだ観ていない方は是非一度鑑賞して欲しい。これぞ、アカデミー脚本賞だと間違いなく感嘆するに違いない。
 


「一身独立」

2013年02月21日 | Weblog

 格闘技大国のフランス、柔道の競技人口は日本の3倍の60万人もいる。しかし、日本女子柔道界のような暴力問題は皆無という。
 日本には1,734の少年団、警察や企業チームを含む道場が2,322ある。フランス国内には約4,500の柔道クラブがあり、元金メダル選手が教えているクラブの会費は、年間では270ユーロ(約3,3万円)。私が通うフィットネスクラブは年間108,000円。器具やプール、風呂が付随しているとはいえ、比較するとかなりの高額だ。(今月末で退会)

 さて、暴力問題がないフランスのクラブは、すべて会費を支払う入会システムだ。日本柔道の指導の土台は学校や警察だ。選んでそのクラブに入るが、フランスのように会費で賄っているわけではない。つまりフランスでは義務化されておらず、気に入らなければすぐに辞められる環境にある。そして、勝利至上主義がない自由な気風があるという。こうした環境が日本の競技人口を遙かに凌ぐ原因となっているのだろう。

 私は上記の新聞記事を読んで、ふと中学時代のクマというあだ名が付いていた国語教師を思い出した。氏は市立中学の教師でありながら、有名受験塾の講師もしていたと噂されていた。その真偽は不明だが、とにかく国語の授業は今までにないものだった。

「が、の、を、に、へ、と、から、より、で、や…」(まだ続くが忘れてしまった)
 これがわかる人? 
 
 これはすべて格助詞で、これを強制的に丸暗記させられた。覚えていると確かに文法問題は容易く解けた。しかし、「これはないだろう」と幼い私は思ったものだ。授業中突然「これを言え!」、と指され、答えられないと教室の席の縦・横の一列に座っている仲間まで立たされることになる。斜めの席の場合もあって、これが<ゼット・クロス>と呼ばれていた。確かにゲーム方式を多用した楽しい授業だった。私は何故かこのクマに可愛がられ、初めて書いた詩集を見せて赤字でチェックまでしてもらう仲だった。しかし、心の何処かでこんな受験至上主義授業に反発を感じていた。

       

 22年後、名作映画「いまを生きる」を観たとき、その不信感の意味がようやく理解できた。アカデミー賞のオリジナル脚本賞を獲得した映画のあらすじを紹介しておこう。
 ニューイングランドのバーモントの全寮制学院ウェルトン・アカデミーの新学期に、同校のOBという英語教師ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムス)が赴任してきた。厳格な規則に縛られている学生たちは、大学受験のための効率のいい授業に埋没していた。新任教師のキーティングの風変わりな授業(教科書を捨てろ!)に、最初は戸惑うものの、次第に刺激されていった。一部の学生たちは「教育の目的は自立」というキーティングの新鮮な考えに目覚めてゆくのだったが……
 邦題の「いまを生きる」は劇中でキーティングが発するラテン語「Carpe Diem」の日本語訳。厳密には「いまを生きろ」ないしは「いまを掴め」といった意味になる。

「が、の、を、に、へ、と、から、より、で、は…」これを単に覚えただけでは受験には成功しても本当の意味や考える能力を構築することにはつながらない。自立への道とはつながらない。私の不信感の原因が22年を経て明確なものとなった。
 
 フランスの柔道界の話から逸脱し過ぎたかもしれないが、海外では学生時代、医者や弁護士の勉学と両立させてオリンピックでメダル獲得し、その後目指す職業についた人が多数いる。私は彼等を心から尊敬する。スポーツを糧にして自立できた人たちだからだ。福沢諭吉の「一身独立一国独立す」は私の座右の銘の一つとなっている。  


「善き生」

2013年02月19日 | Weblog

『善き生は、人並み優れた業績を残す生ではない。芸術作品の価値もその創造の過程にこそある。我々はむしろ「善く生きる」ことを目指すべきである。尊厳なき生は、一瞬にして消える。しかし、他者を尊敬し、自らも善く生きるならば、「我々の生を宇宙の膨大な砂粒の中の小さなダイヤモンドとすることができる』
 先日亡くなった現代の法哲学者・政治哲学者で英米圏でリベラルな思想を主導したロナルド・ドウォーキン氏の言葉を東京大学教授長谷部恭男氏が紹介していた。最後に東欧から移民の子として母子家庭で育った彼は輝いている、と長谷部教授は締めくくっていた。

 こんな記事を読むと単純な私はすぐに自分の<生の過程>と比べてしまう。
 1977年、外食産業に身を投じ、既存店が50店舗の中、年間50店舗の新規オープンという異常とも云える大展開期に店長となった。その後、年間で3店舗の店をオープンさせた。保健所に開業届け提出し、銀行でパート・アルバイトスタッフの給与振り込み口座を作らせることを約束して、その銀行で採用面接ができるよう支店長と交渉した。タバコの販売のため自販機での出張販売許可申請ができるよう最寄りの販売店に交渉にもいった。25歳の夏だった。18歳から60歳くらいまでの人たちと面接し採用を決めた。栃木県1号店のオープン面接では、朝9時に銀行に行き、研修室を借りて一人で準備していたら何と4、50名の応募者が集まってきた。ただもくもくと面接をこなし、終了時間の17時には応募書類が80枚を超えていた。群馬県1号店では店長見習いの2名と共に面接会場で待ったが、初日は15名にも満たなかった苦い思い出も残っている。

 スタッフ一人一人に給与明細書を手渡すとき、「日本外食産業の最先端にいる」と本当に誇りを感じていた。サラダのドレッシングの話をすれば良く分かる。当時ほとんどの家庭の食卓にはマヨネーズしかなかった。当時のDレストランではフレンチやサウザンアイランドなど4種類のドレッシングがあり、それを紹介してチョイスしていただいた。4種類すべてを試食したいお客さまには必ず、すべて持って行くようにとマニアルにはない独自の指導を徹底した。「タバコの自販機どこにあるの?」と尋ねられても銘柄を聞き、忙しくても買いに行くようにとこれもまた独自の指導をした。これは他店にない独自の戦略という位置づけだった。新規オープンだったのでスタッフは何も考えず、私の指導に従ってくれた。数年後数種類のドレッシングがスーパーに棚に並びだしたとき、「俺は日本の食卓を少しは豊かにしたかもしれない」とおバカな感動を覚えた。

     

 また、当時の北関東には家のローンや教育費を稼ぎたい主婦たちのアルバイト先が多くはなかった。外食産業はその最たる職場だ。社員はすぐに異動するが、主婦たちには異動がない。だからこそ主婦たちを心から大切にした。この指導方針を貫いた。そして、地区マネジャーに昇格する頃(1985年)、主婦の契約社員制度が生まれた。7:00-18:00の時間帯の中で、時間帯責任者として就業してもらう新しい制度だ。若い副店長たちよりも苦情も少なく仕事も素早く正確だった。しかも、他のスタッフの信頼度が高かった。どこまで仕事を委譲させるか、私はレポートを本社に送った。阪神に来てからも契約社員制度を作り、一人の主婦を契約社員にした。私の考えに賛同したN社長は期間中の総労働時間に100円を乗じて賞与額と決めてくれた。N社長に深く感謝していたのは云うまでもない。
 常に現場からの発想だった。そして人との信頼関係が基となっていた。社員の人件費を削減でき、しかも現場のスタッフや登用した主婦にはとても喜ばれた。一石二鳥と云うと軽々しく聞こえるが、常に考慮に入れて仕事を組み立てた。

 ロナルド・ドウォーキン氏の云う「善き生」にはほど遠いかもしれないが、私なりの「善き生」を貫いてきたと思う。しかし、それが貫けなくなって退職を決意した。現在、細々と就活を開始したが、たとえどんな仕事に就こうが「善き生」は続けたいと思っている。人との信頼関係を構築することが私ができる唯一の「善き生」だからだ。


「英国人のユーモア」

2013年02月16日 | Weblog

 大学2年生の頃、英国のスコットランドで2泊3日でホームステイしたことがある。たった一人だけで老夫婦宅に泊まった。最初は私の拙い英語が伝わるだろうか、と心配したが取り越し苦労に終わった。こちらの意志はちゃんと伝わることに私は自信をつけ、レストランチェーンに就職してからも外人が来店された時一度も困ったことはなかった。自分でマニアル化した英語で、すべて事足りたのだ。スコットランドでの2泊3日は私にとって生涯の宝物となった。

 最初の海外旅行先は以前から歴史とユーモアがある英国と決めていた。「Like a rolling stone」は米ビルボード誌では2位にもランクされたボブ・ディランの名曲だ。ことわざに「転がる石はコケをつけない」とあるが、米国と英国では意味が反対になる。米国では「コケをつけないからいつも新鮮」、英国では「コケがつかない金もたまらない」この差が私が英国を選んだ理由だ。ユーモアがあるかないか、この差は国家としての年齢の差といえる。

米国の「コケが付かない=新鮮」は、青春時代の17歳の発想。
英国の「コケ=金」は、人生が何たるかがわかっている60歳の知恵。

 私の英国好きは高校生の頃沢山読んだ英国小説に起因している。吉川英治、司馬遼太郎、山本周五が私の大教授陣なら、コナン・ドイル、アガサ・クリスティから始まり、エラリー・クイーンとモーリス・ルブランと続いた推理作家陣は中高生の先生陣と言える。(エラリーは米国人、モールスはフランス人だが、幼い私は二人とも英国人と勘違いしていたように思う。一番のお好みはM・ルブランのルパンシリーズ)

      

   ルパンが住んでいた『奇巌城』

 スコットランドやウエールズには小高い丘の上に商業化されていない城跡が幾つも残っている。そんな城跡を訪れた観光客が帰りがけに地元の人たちを遭遇。観光客は彼等と挨拶をしようとしたとき、つまずいて転びそうになった。すると地元の人が笑顔でこう云った。

「あれ、上のパブ、もう開いてたの?」

これが英国人のユーモアだ。思わず手を叩きたくなる。

 英国社会ではユーモアがとても重要視されているようだ。無論、日本でもユーモアのある人は好まれるが、ユーモアの価値観はまるで違うように思えてならない。英国人にとって気のきいたユーモアを言えるということは、日本人にとって敬語をきちんと使えることと同じくらい重要なことのようだ。無論、なんでもジョークを言えばよいというものではない。アメリカ的なストレートジョークはむしろ蔑まれるし、吉本のようなベタなギャグは禁句と云える。

 英国のユーモアとは、恋や子育て、金稼ぎや金遣いをし尽くし、短い人生で何が大切だったかを達観したような心の余裕から生まれたウィットに富んだ皮肉を含んだ言葉ではないか。

 今年、還暦を迎えるが、こんな素敵なユーモアを持つ人物には辿り着けそうもない。「形決まれば自ずと心決まる」と思い、何とか姿・形からとここまで来たが、まだまだ茨の道が続きそうだ。

 


「独裁政権の危惧」(下)

2013年02月11日 | Weblog

2月7日の朝日朝刊に、元柔道世界王者の山口香氏のオピニオン記事が掲載されていた。
今回の告発事件で悩める選手達の相談役になった「女三四郎」がこのように語っている。

『あなたたちは何のために柔道をやってきたの。私は強い者に立ち向かう気持ちを持てるように、自立した女性になるために柔道をやってきた』『明治の柔道家嘉納師範は強くなるためには<術>が大事だが、それが目的ではない。その術を覚える過程で、自分という人間を磨く大切さを説いた。だから<道>になったのです』

 しかし、マスコミや国、世論はいつのまにかメダル数を賞賛するようになり、すぐには目に見えない人間的成長などは完全に排除され、柔道連は<道>ではなく<術>になり、よってメダル獲得という至上命令を監督達に課してきた。

 私はこの記事を読んでいて「犯罪撲滅を優先するロス市警」「共産党独裁を続けてきた中国政府」そして、「メダル獲得が最優先する全柔連」が同じような組織体型になっていたのではないかと考えてしまった。キーワードは<独裁政権と暴力>だ。(中国政府にとっての暴力は公安組織と軍)暴力を肯定する組織は、桜宮高校を代表とするスポーツ科が有名な高校のクラブにも生まれる。「独裁政権と暴力によって支配する」、この構図は人種や民族を問わず、すべての人間が持つ悪の業と云えるのではないか。その業を断ち切るのは人としての<自立>しかない。私は「教育の最大の目的は自立」だと思っている。だから柔道家の山口香氏の言葉にとても胸を熱くした。
「体罰を受けている選手はその中に入ってしまうと、まひしてしまう。自分のプラスになっているんではないか、先生が自分のことを思いやってくれている。そんな考えに陥りがちなんです」(そんな環境下にも関わらず)「私は選手が自発的に起こした行動(今回の告発)を見守り、自立するのを待っててあげたいという気持ちです。選手の自立を助ける。それがスポーツでしょう」筑波大大学院准教授をしながら後輩たちの育成と自立に尽力している氏に尊敬の念を抱いた。

     

 中国軍艦によるレーダー照射事件の続報記事を読んでいて「似ている?」と感じた。全柔道連は学校での柔道活動、世界選手権やオリンピックを通して独裁政権を維持してきたが、その体制は昔のロス市警や現在の中国、もっと考えれば都道府県の教育委員会、暴力が支配する教室や家庭にも存在するのではないか。
 ハラスメント行為とは「組織や職場において、地位や人間関係で弱い立場の相手に対して、繰り返し精神的又は身体的苦痛を与えることにより、結果として人々の権利を侵害し、環境を悪化させる行為」だ。セクハラも含めたハラスメント行為は近代化と女性の地位向上と共にその実態が明らかになってきたが、周囲に「当たり前」という雰囲気が蔓延していれば教室の虐めと同様に表面化してこない。突然のように尖閣諸島は日本の領土と認めていないと言い張り始めた中国、当然中国海軍にも同じ意識が蔓延してるに違いない。共産主義はもともと人間の自立を認めるような思想ではない。ネットによるグローバール化が進み、しかも資本主義が深耕していく中国、共産党が15億の思想をコントロールしようなどと思い上がる時代ではなくなったということかもしれない。


「独裁政権の危惧」(上)

2013年02月10日 | Weblog

 日銀総裁の白川氏が辞任表明すると言っただけで、日経平均株価が416円も上がる日本の平和さに驚く。隣国の中国は膨張する経済を背景に国防費(公表:10兆円)の増加や兵の増強が続いている。そして軍人達の特権階級意識が高まるにつれて、全国各地で市民に暴力を振るう事件が後を絶たないという。共産党にとって、軍の兵達は国民に支持される存在であるべきだという意識が強い。現場の軍人達はそれを過信して暴力的で横柄な態度をとるのだろう。2011年12.2中国内陸部の省都、蘭州市で、軍ナンバーの車に乗る男がレストランに行くため、路肩に車を駐車しようとして屋台が邪魔になり、屋台の主を殴りつけた。それを周囲の住民が観ていて大騒ぎとなり、結局車の窓を割られ乗っていた6人が引っ張り出された。怒った住民達によって車がひっくり返される暴動事件にまで発展した。市民が軍用車を襲うのは、1989年の天安門事件以来と軍や政府関係者に衝撃が走ったという。
 米国ロサンゼルスの暴動事件も同じような発端だった。ロス市警の20名もの警官が黒人に暴力を振るう現場シーンがテレビで報道されたことも暴動勃発の大きな要因となった。中国でも米国でも暴動になるにはそれなりの理由が数多く存在する。その最も大きなものが、権力(公務員特権)の横暴にある。警官達に暴行を受けた黒人はおとなしく両手をあげて地面に伏せ無抵抗のまま殴打された。医療記録によるとあごを砕かれ、足を骨折、片方の眼球は潰されていたという。それでも警官達に無罪判決が下りている。(陪審員はすべて白人)
 中国での暴動事件は年に3万件を越えるという。それは日本の交通事故死を上回る数だ。政府は「人民に見捨てられたら我が軍は終わりだ」という危機感を持っている。尊法精神が乏しいと言われる国民性が生まれた土壌には行政に対する住民たちの長い不平不満、特権階級への怒りが根底にあるに違いない。ここに、230万人を有する世界最大の軍を管理する中国政府が、世界や近隣世論以上に自国の世論や暴動に神経質にならざるを得ない背景がある。だからこそ、たびたびの排日運動や尖閣問題や今回のレーダー照射事件で、世論の誘導を計っているのではないか。レーダー照射は軍事緊張が続く地域では、一触即発になりかねない非常に危険な行為だ。中国軍艦内の一担当者が、面白半分でスイッチをいれられる行為では決してない。もし、遊びでやったなら大問題で、管理能力を問われ多くの人の首が飛ぶ。しかし、日本から云われてそんな処分をすることなど軍の面子が許さない。照射行為は、上官の命令や政府首脳の指示があったと思われる。しかし、米軍の護衛艦には決してそんな行為はしないだろう。つまり日本の自衛隊は決して先制攻撃してこないのを知っているからだ。

      

何故こんな行為を政府首脳は指示するのか。
「人民に見捨てられたら我が軍は終わりだ」これがその謎を解くキーワードではないかと思えてならない。15億とも云われる人口を有する大経済大国に成長した中国は、屈辱的な1842年の南京条約(清朝から香港をイギリスに割譲)以来、沢山の煮え湯を列強諸国や日本から飲まされてきた。レーダー照射を指示したことを認めれば、更なる強硬措置を求めかねない右派的世論が沸騰しかねない危険性を政府首脳は心配している。権力側にいる人たち(軍人を含めて)は、うろたえる日本を尻目に大いに自らの虚勢に満足しているだろう。しかし、頻繁に暴走を起こしている国民が、暴動を治められない無力な政府と判断してしまう事を一番恐れているのではないか。

 排日運動を煽ったり、軍の威勢を国内外に示して、右派的世論が暴走しかねないようにコントロールしながら内なる暴動を防ごうとしているのではないか。しかし、それはあまりにも危険なコントロールと云える。最近一気に増加してきた自衛隊機のスクランブル発進は尖閣問題が大きく取り上げてからだ。そして、今回のレーダー照射事件は一触即発の事態をも生じかねないあまりにも危険な行為だ。それを敢えて実行した背景には<国民の暴動>への危惧があるのではないか。中国共産党にとって住民の<自立>を最も恐れているのではないか。それは共産党による独裁政権を揺るがす大問題に発展しかねないからだ。(続く)

 

●「中国艦船のレーダー照射を面子から考える」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mutsujishoji/20130209-00023412/


「今年観た6本の映画」

2013年02月05日 | Weblog

今年映画館で見た6本の映画。 どの映画もがっかりすることなく、GOODなチョイス。

お奨め度をマークと、余計な一言を添えてご紹介。

1)「96時間リベンジ」 ★★★★

 前作のハイスピード感は若干薄れましたが、シリーズ2作目としては合格点

 拉致されている最中に集中して、冷静でいられるか。私にはとても無理。

     

2)「東京家族」 ★★★★ (Mさんから頂いた試写会ハガキにて)    

 幼い頃、「東京物語」を見ても退屈なだけだった。でも世界が認める名作。   

 「東京家族」は泣けた。これはただ老いのせいか、はたまた我が成長のせいか。

      

3)「レ・ミゼラブル」 ★★★★   

 戦争とミュージカルが映画の醍醐味と云われるが、この超大作を見ればその意味がわかるはず。    

 他の候補作をまだ観ていないがアカデミー賞、確実かな。

     

4)「ストロベリーナイト」 ★★★★    

 大好きな大沢在昌氏の新宿鮫シリーズを彷彿させる<熱さ>が充満。

 姫川の『殺して!』この一言は胸を焦がした。周囲の脇役陣が成功の鍵。

     

5)「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」 ★★★

 3Dで見たのは「アバター」以来。やはり、3Dはもういいかなって感じ。ドラマ性が乏しく、メッセージが届いて来ない。    

 実際に観に行ったことはないが、グランドキャニオンを観てきた感じ。

6)「アウトロー」 ★★★★ 

 海兵隊と陸軍、軍人の質の差を、大好きな俳優ロバート・デュヴァルが遠巻きに教えてくれた。    

 「ノーハイテク+推理+格闘技+元軍人」→米国中高年層、新たなファンの掘り起こし?

     

 

「映画やTVドラマを観ながら登場人物の人間性を想像するのが好き」と語ったの三谷幸喜氏。

私もこの言葉に共感する。登場人物だけでなく、監督や製作者の人生に対する堅固なスタンスや信念を感じさせてくれる作品が好きだ。

それは胸の奥できっと自らと比較し、自分に足りないもの、欲しいものを身体の何処かで探しているのかもしれない。

三谷氏の想いも、実は私と同じだったりして。でもスターに真逆の役を演じさせ、観客を戸惑わせ笑いでカモフラージュしているが……


「橋下徹 新年懇親パーティー」に出席して

2013年02月03日 | Weblog

    

  2月1日、中之島のリーガロイヤルホテルで開催された橋下徹 後援会主催の「新年懇親パーティー」に出席した。18時5分前に金属探知機をくぐり抜け、広い光琳の間に入ったが、まだまばらな入りだった。18時半を過ぎて、沖縄の街頭で日本維新の会の施政方針演説している橋下徹氏の姿が、正面スクリーンに映し出された。退屈してきた私は沖縄県民にとうとうと語りかける橋下氏の言葉に耳を傾けた。話の内容は米軍基地の県民負担について。街頭演説にしてはシリアス過ぎる話だった。

    

    

 日本の国土面積の1%しかない沖縄に対し、73%の米軍基地が沖縄に存在すること。(沖縄全土の18%が米軍基地)この負担を多くの国民が見て見ぬふりをして、沖縄県民の方々に押しつけていること。米軍兵を一人も見ない平和な大阪で育った私(橋下徹)は、社会人になるまで本当に何も知らなかった。日米同盟のおかげで日本は平和を享受してきた。しかし、その恩恵と基地負担を多くの国民は知ろうとしていない。普天間のような住宅が密集する今の基地ではあまりにも危険で騒音被害も大きい。とりあえず現行案でまず基地の移転を実施し、その上で基地の負担を軽減していく方向で論議を重ねる。その論議に私も参加する用意がある。もっと全国民レベルで考えなければならない。今のままでは何も改善されない。
 震災による原発事故の瓦礫処理とよく似ている。全国の都道府県に瓦礫処理を打診し殆どの県から断られたが、東京と大阪は手を挙げ、ようやく大阪湾での処理が始まったこと。原発がある県では電力会社から多額の金がばらまかれてはいるが、県民の方々には行き渡っていない。沖縄は世界に誇れるようなリゾート地。大阪市で実施しているように沖縄に経済特区を設け、また消費税をなくすようなことをして県民全体に利益の還元と負担軽減案を計る必要を感じる。

  これらの話を街頭で、しかもまるで学校の講堂で講演するかのように、集まった人たちに向かって語りかける橋下氏に少し驚いた。というより感動した。実は今回の新年懇親パーティーで直接聞いた話より私の胸に響いた。これらの話は殆どの政治家は語ろうとしない。それは票につながらないからだ。聞きたくない話にあえて耳を傾けようとしない他府県の国民に伝える仕事こそ、政治家やマスコミの責務のはずだ。

    

    

 政治家の懇親パーティーに参加したのは今回で2回目だが、真摯にしかも熱く語る政治家と間近に接するのは思っていた以上に楽しくてしかも有意義な時間だった。昨年仕事から離れたが、生まれて初めて政治が身近に感じ始めた。選挙の投票日には必ず行っていたし、新聞やテレビの報道番組も好きな方だったが、仕事優先でもう一歩踏み込んだ考えもなければ、何一つ具体的な行動もなかった。まったく恥ずかしい話だが、一人の政治家の後援会に入ることで、自分の意見も明確になり、ようやく本当の大人になったような気がしている。

●<橋下徹後援会「新年懇親パーティー」(最初の挨拶)2013.2.1>(youtubeへ)

●<橋下徹後援会「新年懇親パーティー」(石原氏らの加入について)>(youtubeへ)

●<橋下徹後援会「新年懇親パーティー」(政治は民意で動く)>(youtubeへ)

●<橋下徹後援会「新年懇親パーティー」(松井府知事の乾杯の挨拶)>(youtubeへ)

●<橋下徹後援会「新年懇親パーティー」(日本維新の会衆議院議員登場)>(youtubeへ)


「通天閣&串カツツアー」

2013年02月02日 | Weblog

 昨日の夕方、打ちっぱなしの練習を終えて、二人で新世界に串カツを食べに行きました。選んだ店は「からさき別館」。引き込みのアンチャンの甘い言葉と10%割引チラシにつられて、店までご案内されました。最初に15本セット(1900円)を注文。待つこと10分。その間にテーブルのキャベツを手で掴んでバリバリ。これが結構甘くて美味しかったので、産地を聞くと、愛知産とのこと。2度付け禁止のソースもいける。たっぷりつけても胸焼けしないのは他店と共通。二人で串カツ28本、ドリンク2杯、合計5,000円、10%引きで4,500円也! だるまの串カツより、少し安いかな。ソースはだるまの方が若干甘めかな。 

    

    

    

    

 打ちっぱなし帰りに、串カツを食べることも全くの気まぐれでしたが、気まぐれついでに50年ぶりに通天閣に昇ってきました。これが予想以上に面白かったのです。とにかく興味深い明治時代の写真が数多く展示されており、新世界と通天閣の歴史ビデオが一室で放映されていて、歴史的建造物好きの私の好奇心を大いに楽しませてくれました。皆さん通天閣ツアーはお奨めできますよ。串カツを食べる前後にお立ち寄り下さいませ。大人600円也

    

   

    

    

    

 1943年に初代通天閣が火災で焼け落ち、現在の通天閣は二代目で、1956年(昭和31年)に完成。避雷針を含めた高さは103m(塔自体の高さは100m)。設計者は、ほぼ同時期にできた名古屋テレビ塔、東京タワーなどを手がけた内藤多仲氏。

 新世界は1903年(明治36年)に開かれた第5回内国勧業博覧会(5ヶ月間で入場者530万人という大盛況)の跡地に設けられたもので、当初は、パリにならい、凱旋門中心に八本の放射状道路を設ける予定でしたが、財政難などで予定は変更され、すべて洋風建物のショッピングモールに加え、中心の通天閣一帯に「ルナパーク」という一大遊園地を配置しました。活動写真館(映画館)、動物園、メリーゴーラウンド、飛瀑噴泉(滝・噴水)、演舞場、高塔白塔間の索道飛行船(ロープウェー)などがあって、もっとも尖端的な遊覧場でした。

 9万7千円という巨大な費用をかけて建てられた通天閣は、パリのエッフェル塔を模したもので、台座のビルは凱旋門のコピーでした。当時は高層ビルなどなかったので、高さ73メートルの通天閣から四国まで展望できたと云います。

    

    

    

    

●ビリケンさん

元々は1908年米国のフローレンス・プリッツが制作した像で、彼女が夢の中で見た神秘的な人物の姿がモデルになっているという。足の裏を撫でると幸せになれる、これが「幸福の神様」として世界中に流行した。現在、セントルイス大学のマスコットになっている。

   

 

 


「目指せASEAN! 大志を忘れるな!」

2013年02月01日 | Weblog

 ASEAN(東南アジア諸国連合)への投資が再燃している。人口15億とも云われる中国。年間3万件を越える暴動や社会主義と深耕する資本主義で混迷する政府、沸騰する人件費、そして、元高へ流れを危惧して、日系企業だけでなく地方銀行までもがバンコクに事務所を設立し、現地の大手と手を組み若手行員や社員を研修生として派遣する例が多くなっているという。

 尖閣問題が起きて日中関係が急速に悪化したことが、ASEANへの再投資を活発にしたのだ。中国に投資してきた日本企業では「チャイナ・プラス・ワン」という分散投資スタンスが主流となってきたのだ。

 自由貿易協定(FTA=Free Trade Area)を結んでいるタイには、すでに4,000社の日系企業が進出している。FTAに最も積極的なのは、シンガポールとタイで、ニュージーランド、オーストラリア、インド、チリ、ニュージーランド、ブルネイ、韓国、パナマ、カタールなどとの間で締結済みである。日本のTPP(環太平洋経済連携協定)への参加はまだまだ予断を許さないが、農業製品とは違って、工業製品は世界で最高品質を誇る日本だけに、参加を待つまでもなく、ASEAN諸国へ積極的に投資してドンドン日本製品を広めて欲しいと思う。地銀の支店設立の背景には、世界基準の精密工業製品を作り出す中小企業と手を組み、協力して参加国に紹介するという図式が見えてくる。

 1月31日、朝日朝刊で帝石子会社がアルジェリアでガス開発の許可を得た記事を読んだ。アルジェリア政府は先日のテロ事件で外資離れに歯止めをかけたいのだろう。きっと積極的な日本企業はきっと好条件で手を握ったに違いない。胸の奥で何かが固まって小さな石ころになりそうだが、日本のエネルギーはこのようにして確保していくしかないのだ。

 “Boys be ambitious !”は、明治時代に札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭だったクラーク博士が残した有名な言葉だが、この後に続く言葉がある。

 “Boys be ambitious ! Be ambitious not for money or selfish aggrandizement , not for that evanescent thing which men call fame . Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be .”

少年よ、大志を抱け。しかし、金を求める大志であってはならない。利己心を求める大志であってはならない。名声という、つかの間のものを求める大志であってはならない。人間としてあるべきすべてのものを、求める大志を抱きたまえ。

 個人主義に突入した現代の日本と帝国主義が台頭する明治初頭の日本とでは、あまりにも状況や環境が違い過ぎる。<大志>や<大義>なる言葉は今や死語となったかもしれない。しかし、企業が存続していくためには、<大志>や<大義>は決して欠かせないのではないか。

 

     

今や日本の大半の家庭にはユニクロの衣服が存在する。
今や世界レベルになった企業の理念(スタンス)をチェックしてみた。

(ステートメント) Statement
・服を変え、常識を変え、世界を変えていく

(ファーストリテイリンググループのミッション) Mission
・本当に良い服、今までにない新しい価値を持つ服を創造し、
 世界中のあらゆる人々に、良い服を着る喜び、幸せ、満足を提供します
 独自の企業活動を通じて人々の暮らしの充実に貢献し、
 社会との調和ある発展を目指します

個人主義に突入した今だからこそ、叫びたい。

“ Boys be ambitious ! "