GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「最高の食事会」(2012 3.28)

2012年03月28日 | Weblog
 今日はいつもの仲間と送別ゴルフ。場所は滝野カントリー 迎賓館コース。2週間ほど前から頸椎ヘルニア(7番目の骨)からくる左肩、左腕、左指先のしびれが引かず、OUTでは3回連続OB、INではショートでバンカーの高いアゴのすぐ下に目玉で入り込み、なんと出すのに4打もかかり、5オン2パットで7を叩いてしまいました。52(15)、52(20)の104でしたが、INではほとんど新スイングが定着してきたように感じました。それにしても左上半身のしびれを早急に直したいと思います。



   

 さて夕方からは西宮の地元では有名な鉄板焼き専門店の「いっきゅうさん」で職場仲間のパートさん達が中心になって私のために送別食事会を開いてくれました。平成10年の秋から阪神のグループ会社から異動してきて13年半は、今までの職場では最長となります。それだけに愛着も深い。今日も参加してくれた主婦のSさんは、在籍15年、娘さんと息子さんの若奥さんも私が採用し教育しました。子供が生まれて中断していた若奥さんが再就職をしてくれます。本当にありがたいと思っています。
 みんながお金を出し合って、写真のGrand KAFFE DU0、「ぶちょー」「Good Luck!」と印刷されたゴルフボールの2ダース、おっぱいの形をした入浴剤、そしてとても楽しい寄せ書きをプレゼントしてくれました。最後まで現場主義を貫いたおかげの最高のひとときでした。

 あと2回食事会が控えていますが、こんなに落ち着ける楽しい食事会は滅多にないように思います。

  



   
 
 





「ゴルフ草紙」(タイガースGC 最後の月例会)

2012年03月25日 | Weblog
 
                      タイガースGCの18番ホール   

 今日はタイガースGCで行われた最後の月例会に参加。結果は51​.46.の97で3位でした。新スイングがかなり身についてきました。ベタ足の左膝が左に絶対に流れないように心がけたことも、ナイスショットの数が増えた要因だと思います。強風の中でのバックティ勝負でしたが、心地よい緊張感を楽しめました。
 97はBクラスではグロス最高スコア。Aクラスの最高グロスは87。クラブ​ハウス内にある会員名簿ボードハンデ19の欄に私の名前があるのですが、残念ながら今月末までなので思わず写真を撮っちゃいました。来月からはアコーディアが経営にあたりますが、新名称はまだ決まっていません。セルフプレイを少なくして、キャディ付き中心の少し高ランクのゴルフ場にする予定だと聞きました。来月の月例は堺CCで楽しみたいと思っています。

 
            ハンデ19の一番下に私の名前                


  
            ハンデ1には真弓明信氏の名前

 新スイングはパターの打法をドライバーやアイアンでも出来ないかという発想から生まれました。スタンスはスクエアに構え、重心は左足で左肩をクローズ気味に構え、カップを決して見ないで引っかけ気味にヒットする。
 2.3週間前にこの打法を考案しました。家の絨毯でのパター練習では、写真のゴムカップ(1.5mの距離)に21回連続入るという新記録を樹立しました。それからは本グリーンでもボールの転がりがとても良くなりました。先日、風呂に入っていた時に「この打法はドライバーでも可能なのでは?」と思いつき、急いで風呂を出て近くのゴルフスミノエに飛んで行きました。

       

 結果はボールの捉え方が非常に良く、引っかかることも殆どなくなりました。そして数日前に左膝が流れないようにするために左肩をしっかり回してコックを活かしてヘッドを走らせることに集中しました。そして、大切なのは絶対に強振しないでゆったりした一定のリズムでスイングすることで、ヘッドはかえって走ることを実感できるようになりました。今日はバックからのティショットで、少し力が入ったときはやはりミスがでました。その時はリズムが早いことにすぐに気づきました。

 少し前までは4月からゴルフスミノエのゴルフスクールに入学しようと思っていたのですが、もうそんな迷いはなくなりました。今日のスコアは決して満足できませんが、「このスイングでいい」という確信が持てたので、これからは定着に集中しようと思います。

「またも3万人を越えた自殺者」

2012年03月20日 | Weblog
 毎年この時期になると昨年度の自殺者の数が発表される。2011年の自殺者は30,651人、14年連続で3万人を超えた。前年を1,039人(3.3%)下回り2年連続で減少し、3万人を越えた1998年以降、最も少ないとか。しかし、一日平均で84人も死を選んでいる。気になるのは19歳以下が622人・12.7%増、20代で3,304人・2.0%増、と大幅に昨年を越えたことだ。とくに職業別でも学生・生徒が1,029人(10.9%増)もいる。子供を持つ親にとってこれ以上の不幸はない。
何故、生きることより死を選ぶのか? 他に選択肢はなかったのか?

 先日wowowで放送されていた「タイタニック」の沈没シーンを思い出した。そして、こんなことを考えてしまった。自殺者をタイタニック号の沈没に例えてみよう。タイタニック号の船体は、防水隔壁で16の区画に区分され、そのうちの2区画(船首部では4区画)に浸水しても沈没しない構造になっていて不沈船と呼ばれていた。しかし、巨大氷山は右舷船首におよそ90mにわたって断続的に損傷を与えた。これがいけなかった。結果、右舷船首部の6区画にもたらした浸水は防水隔壁の限界を超えたのだ。

 多くの人は一度くらいは「もう死んでしまいたい」と思った経験があるだろう。しかし、ほとんどの人は死を選ばずに辛くても生きる道を選択する。2,3区画、心への浸水を経験するが、防水隔壁が自らを守るのだ。防水隔壁となるのは、親の温かい愛情であったり、先生やクラブの先輩や友人の励ましの場合もあるだろう。そして、自身の心の強さもあるだろう。もし、16区画だったタイタニック号が4区画以上の浸水で沈没するなら、32区画、48区画もあったなら、6区画の浸水でも決して沈没しなかったのではないだろうか。

 最近の子供たちの心の区画が少なくなってはいないだろうか。仮に16区画のうちの4区画が生死を分けるとするならば、25%以上が心浸水すれば危険となる。沈没する子供たちの心の区画は、1)友人、2)スポーツ・趣味、3)学校、4)家族と考えれば、一つでも心浸水すれば、死を選択する可能性が高くなると考えていいのではないか。

 友人も一人ではなく5,6人も親友がいたなら、スポーツで友人たちとレベルを上げようと競い合っていたなら、趣味も幾つかあって、それぞれに友人がいて楽しい発表の場があったなら、家族でも母や兄弟姉妹や父との絆がもっと堅固なものだったら、、心の区画はもっともっと多くなり、少々の心浸水にも防水隔壁が自動的に閉鎖して沈没を防ぐのではないだろうか。

 心の区画とは、人と絆の数であり、防水隔壁とは絆の厚みと云えるかもしれない。絆は決して時間の長短で生まれるのではなく、いかに人と共感し合う濃密な時間を過ごしたかに尽きる。つまり濃密な時間の共有でしか絆は生まれないと思う。例えば甲子園球児達が大人になった今も、その頃の仲間と関係が続いていたならば、誰か一人は防水隔壁となって浸水を防いでくれるのではないか。
 死を選ぶしかないあまりにも悲しい選択は、心の区画の貧困さが大きな原因に思えてならない。周囲の大人たちにお願いしたい。このことを意識して子供たちと濃密な時間を過ごして欲しいと。 

 

「あの頃」

2012年03月17日 | Weblog
戦国時代 貧しい農民のせがれから天下人に上りつめた豊臣秀吉
世界史をひもといても彼ほどの立身出世した人物は決して数多くはいない
朝鮮半島では、秀吉は極悪人と思われているに違いない
国が変われば英雄も極悪人になる
すべてを手にしたはずの秀吉 こんな辞世の句を詠んでいる

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

  

  
  

貧しかった為に金や地位や権力を追い続けた秀吉
残したものがあまりにも大きかったために
彼は穏やかな最後の旅路ができなかったのかもしれない

未練が残こる それがこの世の常
だったら未練があることを素直に喜ぼうと思う

未練が残るようなことがこの世に残せたのだから
未練が残るような人と出逢えたのだから
未練が残るような想い出を残せたのだから
未練が残るような今を生きているのだから

人やモノは最後の旅路に持っていけない
ただ未練や想い出だけを持っていける

それこそが生きてきた価値ではないか
そのことを素直に喜びたい

これが<今を生きる>の本当の意味ではないか


『あの頃』

人を信ずることは人を救ふ。
かなり不良性のあつたわたくしを
智恵子は頭から信じてかかつた。
いきなり内懐(うちふところ)に飛びこまれて
わたくしは自分の不良性を失つた。
わたくし自身も知らない何ものかが
こんな自分の中にあることを知らされて
わたくしはたじろいだ。
少しめんくらつて立ちなほり、
智恵子のまじめな純粋な
息をもつかない肉薄に
或日はつと気がついた。
わたくしの眼から珍しい涙がながれ、
わたくしはあらためて智恵子に向つた。
智恵子はにこやかにわたくしを迎へ、
その清浄な甘い香りでわたくしを包んだ。
わたくしはその甘美に酔つて一切を忘れた。
わたくしの猛獣性をさへ物ともしない
この天の族なる一女性の不可思議力に
無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた 
                                 
                         (「智恵子抄」より)

3.14食事会

2012年03月16日 | Weblog
 
 西梅田地下(いよいよ春めいてきました)

 3月末の退職を前にして、送別食事会が幾つかあります。ありがたいことです。今日はそのうちの一つ。招待したことは何度もありますが、招かれるのはどうも気が引けます。私の下戸は会社内では周知の事実なので、招待は私の大好きな食事会となります。酒が入ると愚痴や誰かの悪口になることが多く、今まで何度も嫌な思いをしたことがあり、一滴も飲めないわけではないのですが、下戸を通しています。お酒を楽しめないことが、若い頃はとても残念なことだと練習したことがありますが、仕事柄何度も嫌な場面に遭遇し、とうとう練習も止めてしまいました。
 
さて今日はお店の「梅の花 西梅田店」
豆腐懐石の全国チェーンで、私は存じていましたが、一度も来店したことがなく、ワクワク気分ででかけることができました。地下鉄西梅田駅から歩いて7,8分、国道2号線に面したパシフィックマークスビルの2Fにあり、個室と一般席もあるのですが、どちらも全席満席でした。平日なのに驚きました。

◇◇梅の花・ランチ◇◇

・小鉢
・茶碗蒸し
・たぐり湯葉のお造り
・生麩田楽
・湯葉揚げ
・湯豆腐
・煮物
・湯葉吸物
・飯物(和風ドリア・鰻セイロ(私はこれを)・季節御飯の中からチョイス)
・香の物
・デザート
     (全部で801kcalでした。さすが豆腐懐石!

    

   

 男性3名だけの食事会でしたが、気心が知れている集まりなので、昔話に花が咲きました。
 最後の一言として私が学んだ仕事の秘訣を披露しました。

「仕事で大切なのは、小さな改善的、合理的、進歩的オリジナル作りを積み重ねること。
何処でも上司は面倒で、しかも現場の優先順位を無視して言いつけてくるものです。
しかし、オリジナルを目指すことは、やりたいことができ、
しかも会社の利益に貢献できるのです。
やりたいこととやるべきことを同一線上に置くことができれば、ストレスが溜まりません」



「我が人生に悔いなし」2

2012年03月12日 | Weblog
          

今朝 とうとう親友が逝った
一日中胸が張り裂けそうだった
退職を前にしているので仕事もなく
彼のことばかり考える一日だった

震災でなくなった多くの死のように不条理でなかったことが大いなる気休めとなった
余命3ヶ月が8ヶ月も伸びたのだから
先月長崎で私たちと再会できたし
最後まで24時間看護で張り付いていた奥さんや子供達や兄弟親戚に
看取られながら逝ったのだから きっと彼も心安らかだったはず

3月7日 自宅に帰った時「いい人生だった」と奥さんに伝えたという
それを聞いて私は心から安堵した
それでなくちゃ、こんなにみんなから惜しまれたのだから

傾きかけた会社を日本一のブロイラー会社に育て上げた組織人としての人生
3人の子供たちをりっぱに育て上げ 大学まで卒業させた親としての人生
宮崎に豪邸まで作り上げたファミリーの長としての人生
すべて一級品の人生だったように思う





大学の4年間 私と組んだ<おいどん>というDUOグループのライブ活動は
お互いにとってまさに輝くような季節だった

     草の輝くとき
    花美しく咲くとき
    再び戻らずとも嘆くなかれ
    その奥に秘めたりし力を見いだすべし


このワーズワースの詩に出会ったのも輝くような季節の中だった
彼はその秘めたりし力、すなわち生命力を存分に活かして
それからの人生で一番多難な季節を社会人として見事に生き抜いたのだ
見事と云うほかない

58歳まであと1ヶ月足らずの人生 
そんな若さで… という人がいるかもしれない
しかし 人生はより長く生きる伸びるレースではない
『坂の上の雲』の最後で司馬遼太郎氏はこのように語っている

「若い頃何をしようとしたか、そして年老いて何をしたか」が男の人生だと
この意味で親友は素晴らしい人生を送ったと拍手したい

大学4年の夏 二人で10日間もかけて北海道旅行した想い出
彼と輝く季節を過ごしたコンサートのライブ音源も数多く残っている
私のオシジナル曲を日比谷の野外音楽堂で彼がソロで絶唱した想い出
二人の曲をYouTubeにもアップした
宮崎シーガイヤのコテージで過ごした昨年秋の3日間はまるで学生時代の合宿生活のようだった
今年2月に再会を果たした長崎グラバー園の2日間
それらすべての想い出が溢れるように甦ってくる

切なくて切なくて 悲しくて悲しくて 苦しくて苦しくて…胸が張り裂けそうになってくる

でもそんな胸にこんなにも素晴らしい想い出がどんどん沸き上がってくる

 

 

映画「ジョー・ブラックをよろしく」の中で
「運のいい人だけが素晴らしい想い出を胸に天国に行くことができる」というセリフがある
彼も私もきっと運のいい幸福者に違いない

彼は彼なりに今を生きてきたのだ
その生き様を思うとき 私の心はだんだんと穏やかになっていく
彼はどんな時でもきっと一所懸命に生きてきたのだろう
輝く季節を一緒に過ごしたとき 二人でそのスタンスを学んだのだ
その生き方こそが二人にとって最大の宝物だったに違いない

今日 奥さんと春爛漫の頃に再会し
桜島を見ながら私たちと温泉にでも浸かり、彼の想い出話をしよう約束した
彼女は泣きながら「必ず行く」と云ってくれた





私たちは別々の人生を歩んではいるが
「我が人生に悔いなし」という熱い想いを胸に抱いた
そして 親に与えられた人生を生き抜いてきた<戦友>なのだから
これくらいのプレゼントを戴いてもきっと誰も文句は言わないだろう
文句がでるならきっと先に旅立った彼からだろう
「俺も一緒に桜島を見たかった」と

そして私は彼にこう言い返す
「一緒だよ、いつも恭央は俺たちの胸の中にいるから」


           

恭央に捧ぐ<雨に泣いている

「我が人生に悔いなし」

2012年03月10日 | Weblog
東日本大震災から早1年
信じられない数の命が喪失した

あまりにも不条理な死
受け入れる側にも限界を感じる
人の死や幸せはあまりにも不公平だと今更ながら感じてしまう

                
親友の死期も近づいている
もはや医者も私もどうすることもできない
昨日最後のメールを送った
読んだかどうかの確認もできない
残される奥さんが不憫でならない
先月長崎に夫婦二組で旅行したばかりなのに…
この事実もまた受け入れるしかない
昨年7月末、余命3ヶ月と医者に宣告され、8ヶ月も生き抜いた
今はただ「我が人生に悔いなし」と彼に思って欲しいと願うだけだ

脳血栓で倒れた母は、一言もしゃべれないまま一カ月後亡くなった
こんな死も受け入れることはいまだに難しい
あまりにも突然だったからだ

人は様々な重荷を溜め込みながら生きていく
誰もが人に云えない石ころを幾つも心に残していくしかないようだ
これが生きていくということなのか

気持ちの切り替えがとても大切な気がする
ゴルフや映画や読書、音楽やスポーツ観戦やジム通いもその手段でしかない

忘れようとしても、忘れることなどできないことがあるのだ
何かの折りに思い出し立ち止まってしまうもの
しかし時の流れは留まることは決してない
そして自分だけ取り残されたような孤独感が溢れ出す
かといって後ろ向きには歩めない

死が間近になると食べられなくなるのは
「死に時」が来たからに他ならない
結局人は生きてきたように死ぬしかないのだ
無理にチューブで栄養を入れるような医療は間違っているのかもしれない
自然死こそ最上の死に方かもしれない

 

 

死について考えることは決してマイナスではないように思う
それは生きることを真摯に考えることと同意のような気がするからだ

大震災での死はどうのように考えても不条理な死だ
あまりにも受け入れ難い死だが、残された人は結局は受け入れざるをえない
ガンのような病での死はそう言った意味では幸せな死ではないだろうか
「わが人生に悔いなし」という心構えが出来る時間があるからだ

もしかしたら延命治療は穏やかな死(自然死)を邪魔しているのかもしれない
少しでも長く生きて欲しいというのは周囲の願望だけかもしれない
これが哀しくてならない

抗ガン剤治療を敢えて遠ざけた往年の名ゴルファーがいた
死ぬ間際までゴルフクラブを振りたかったそうだ
彼こそ「我が人生の悔いなし」と叫んでいたように感じてならない
そんな死に方をしたいと思うのは私だけだろうか

明日の14:46、黙祷を捧げながら改めて死について考えたいと思っている

「ジム通い」

2012年03月09日 | Weblog
 連れ添いが通っている歩いて7分のスポーツジムにペア会員として4月から一緒に行くことにしました。私が体力が乏しい彼女に行くようにとジム通いを奨めたのですが、この1ヶ月、怠けているのを気づいていたので、一緒に行けばついてくるだろうという目論見もあります。
 昨日彼女を連れて、500円で1日お試し利用しました。付き添って戴いたインストラクターにマシーンを使っての筋力アップ方法を指導してもらいました。最後はプールで平泳ぎ150m、クロールで150m計300m泳いで気持ちいい汗を流しました。約2時間、4月以降の日課にしたいと思っています。

     

 私の背丈だと57kgが基準値だそうです。弱ってきた筋力アップと現在60.5kgなので約3kgの体脂肪を落とせば、アマゾンのインディオ的体型に近づきます。金をかけてシェイプアップや筋力アップする現代人の愚かさをまさに実行しようとしています。ウエスト76cm、胸囲96cmの体型でメタボではありませんが、筋肉を増やし、もう少し代謝がいい身体に改造しなくてはなりません。今まで午後のおやつ的パンと一日一回の食事で4、5kg落とすことができましたが、最近は限界を感じていました。ジムに通うことによって筋力アップとプールで全身運動に努めたいと思います。

「何のためか?」私の場合は少しでも大好きなゴルフを長くしたいからという単純な理由です。目的や希望を持たないインディオ達ですが、私は私なりに少し努力して手の届きそうな小さな目標を目指したいと思います。今更大きな目標ではがっかりしそうなので、手が届きそうな目標を設定して、私のような生き方(小さな目標を持つ)をしてきた人間に適したやり方でチャレンジして行こう思っています。結果としてゴルフのドライバーの飛距離を落とさず、ハーフ40切りができれば幸いです。タイガースGCは遠すぎるので、自宅から高速を使わずに40分で行ける<堺CC>をホームコースに決めました。退職後の生活準備も整いつつあります。

<今を生きる>2

2012年03月05日 | Weblog
春を待ち> (クリックしてみて下さい)
秋を待ち
今私は嫁いでゆく

 YouTubeにアップした私のオリジナル曲です。こんなことができる現在の日本の自由がとても貴重だと思います。そして、どんな職業にも就けて何処へでも行ける自由は、近代国家として、とても大切な仕組みです。お隣の大国や半島の独裁国家、アフリカや南アメリカの多くの国々では、まだまだこんな自由は手にできません。私たちは大戦後、米国から与えられた<自由>を当たり前の自由として享受してきましたが、そんな自由ですら国が違えば遠い遠い自由となります。同じ地球という星に、地球人として生まれながら、この差は何処からくるのでしょうか。

 以前読んだ誉田哲也の警察小説『ジウ』(3部作)では、愛は足枷であって、それは既得権者たちの陰謀だというのです。愛が足枷?今まで考えたこともない発想だっただけに心に残りました。確かに、親や子供を愛し、人と人をつなぐものは愛である、これは現在の秩序を保つために必要な思想・秩序と云えます。しかし、その愛が足枷となっていると『ジウ』の主人公は言い放ちます。自由もまた与えられた自由を錯覚していると云うのです。そして、愛を知らずに育った<ジウ>が犯罪組織「新世界秩序」の中心人物となって、日本の国家権力・警察組織と戦う物語は、今まで日本の警察小説にはないジャンルで、しかも壮大な展開でした。(ドラマ化されたテレビ番組ではこの辺りがほとんど描かれてなかったが…)
 今、親が子供に<愛>をうまく教えられず、そのためにこれまでの秩序が崩壊しつつあると感じるのは私だけでしょうか。小説の原作者誉田哲也氏は私が感じるような不安こそ、実は既得権者の陰謀ではないだろうか、と言いたかったのかもしれません。

 話は少し変わりますが、アマゾンの先住民、インディオの人々の保護を目的に「熱帯森林保護団体」を設立した南研子さんのお話を思い出しました。
「熱帯林って緑がいっぱいあるから、すごく強くて緑が濃いって思いがちですけど、実は、ジャングルの中で地面を削るとすぐ岩盤に突き当たるんですよ。というのは、ジャングルが脆弱で決して肥沃な土地ではないからなんですね。3センチの表土を作るのに100年かかるんです」
「ジャングルの中では、電気・ガス・水道・お金・文字もない。と同時に、差別もない、いじめもない、自殺もいない、犯罪もない、寝たきりもいない、白髪もハゲもいないんですよ。それで、大した食べ物でもないのに、みんな平均にいい体をしているし、『この星で生きていくための理想の体だな』って体つきをしているんですよ。私たちはそういう体になるためにジムに通ったりして、『バカじゃないか』って思えてきますよね(笑)」
「密林に住むインディオに『幸せって何?』って聞くと、『幸せって何?』って返ってくるわけ(笑)。だから、『胸の辺りが温かくなって、ワクワクするようなことさ』って説明をすると、『んー、おいしい芋をお母さんがすっていて、家族に食べさせてあげるときかなぁ』って答えるんですよ」
「私、そこで考えたんだけど、例えば、幸せとか悲しみっていうのは時間的感情の流れじゃないかと思ったんです。ここからここまでに至る、その間のことを表現するには幸せとか悲しみとかあるけれど、彼らは今しかないんですよ。だから泣いたりはしますよ。人間的な喜怒哀楽の怒ったり、わめいたり、泣いたりっていうことはあるけれど、それを引きずらないんですね。だから、部族によっては現在形しか言葉がないところもあるんですよ。過去形も未来もないわけ。彼らと話していても、それが1万5千年前の話なのか、3時間前の話なのか分からなくてすごく困るわけ。だって、1万5千年も脈々と同じ暮らしをしているんだから、昨日も1万5千年前も基本的には同じなんですよね」

 インディオの子供が南さんの後を付いてくるのでポケットのあった一個のキャラメルをあげると、4歳にも持たない子供が、口に入れた小さいキャラメルを3つに分けて、幼い子に分け与えたとか。4歳児ですよ。きっと昔の日本もこんな子供達が沢山いたはずです。
 最近日本では子が親を殺し親が子を殺すような事件がたびたび発生していますが、インディオに話しても理解してもらえず、もしそんな部族が本当にいたらその部族は滅びるといったそうです。インディオの世界では、年寄りが大切にされ、部族で問題が発生すると解決できなときは必ず長老の意見を聞く。文字も本もないわけですから記録など残っていないのです。だから多くの経験と知識を持っている年齢が高い人の記憶に頼るしかないのです。1万5千年前からこの風習は変わっておらず、責任業務が明確で習慣化されていて、しっかりとしたアイデンティーがあり、よってハゲやボケ老人は一人もいないそうです。
 最後に南さんは、こんな話もされていました。インディオと一緒に生活を共にしていて「嫉妬・不安・希望を持たない生活」、<今しかない>という単純な心のあり方を推奨したくなったそうです。「嫉妬・不安」は私も理解できますが、<希望を持たない生活>には驚かされました。希望は未来の妄想でしかなく、満たされなければストレスを感じてしまう、だから最初から希望を持たないのです。

 
    南 研子著『アマゾン、インディオからの伝言』  

 待てよ、デュマのモンテクリスト伯も「待て、そして希望せよ」と教わったではないか。しかし、その後の彼は牢から抜けて復讐に向かった。復讐に意味や価値があるのか。強制収容所に入れられた人は「希望をイメージできた人」だけが生き残ったではないか。しかし、その後生き残ったユダヤ人は経済力で社会を支配するという復讐を続けている。

 今までの自分自身の概念が揺らいでくるの感じました。人は誰もが<幸せになりたい>という気持ちを持っている、と私は思い込んでいました。しかし、この思いもアマゾンのインディオからすれば、首をかしげてしまうのでしょう。多くの人が幸せになれるわけではない。ほとんどの人が幸せを感じるような仕事に就けるわけではない。多くの人が自分の仕事に誇りを持ち、工夫してオリジナルを編み出し、仕事を楽しんでいるわけではない。であるなら、幸せや希望や夢は、「百害あって一利なし」ではないのか…………

 <文明>とはいったいなんなのか? 文明を享受したがために大切なものを見失って来たのではないか。大切なものとは? 南さんが伝えてくれた<今しかない>は、<今を生きる>と同意語なのか。「性悪説」や「性善説」、「愛」や「友情」や「絆」、私が今まで構築してきたスタンスは、正しかったのか。どちらにしても私の信念体系に何らかの影響を与えそうな気配です。
 何がどう変化しそうなのか、まだ明確に自覚できませんが、<今しかない>というスタンスは以前から学び、実行してきたように思います。しかし、インディオの教えを知った今、何かが違っているように感じるのです。ただ、<今しかない>を「もっと自分のものとしなさい」と肩を押してくれているように感じています。

 煩悩を捨て、夢や希望も持たず、過去も振り返らず、未来も想像せず、ただシンプルに<今しかない>を生きる。言葉を並べただけでも、現在の私の生活とは大きな開きがあると感じます。しかし、シンプルライフを押し進めたいを思っているのは事実です。頑張るとか、挑戦したいと云うのもインディオ的ではありません。

 人は吐いて吸う呼吸をほとんど無意識に行っています。しかし、お腹から身体全体で吸い込み、身体全体に溜まっている気をゆっくり吐き出すような呼吸は集中しなければできません。
 もしかするとこんな気持ちかもしれません。生きるとはただゆっくり吐いて、ゆっくり吸うことではないか。入ったものを吐き出す。

『この世のすべてのものは(人も動物も虫も草も)お互いにつながりを持っているからこの世に存在する。お互いにつながっているんだから、むやみに奪ったり、殺したり、壊したりしてはいけない。今の社会や自然との一体感を感じながらゆっくり吐いてゆっくり吸う。<今しかない>は今を生きること。生きることは吸えば吐き出すという生命維持の単なる動作と考えること。生きることに目的や価値など考える必要はない。それは自分を苦しめるだけ。だからこそ今だけを生きなさい』
 
 こんなふうに考えるととても気持ちが軽くなってきました。残された季節をよりシンプルに生きたいと思っています。

<今を生きる>

2012年03月03日 | Weblog
 目の前の長い階段を登るとき、頂上を見ないで足下の階段だけを見つめて登ったことはありませんか? 先を見てしまうとうんざりしてしまうから、私は足下を見つけながら、ゆっくり登ります。

 

 先日、遼君も出場したゴルフ世界マッチプレーで優勝したハンター・メーハン(米)の言葉が心に響いた。「先を考えたら負ける。今だけを見る」は、「階段の頂上を見ない」と共通しているように思ったからだ。
 余計な考えは自分を追い詰めていると気づいたメーハンは、先走る野心を無心に戻し、「今やるべき一つに集中する」と決意したのかもしれません。決勝マッチの相手は若手の代表格ロリー・マキロイ(英)。若いロリーは世界一の座を意識しすぎて負けたのではないか。人は現在を飛び超えて未来に着地することはできない。長くても階段を登らなければ、次のステージにはいけない。ならば階段の一段一段を登ることに集中する。このメイハンのマインド・コントロールが優勝をもぎ取った。
 こんな言葉がある。「夢には無限のエネルギーがある」 しかし、夢は将来ではないのか。夢は余計な考えではないのか。確かに夢は将来だが、勝負の瞬間に考えるべきではない。大切なのは気持ちの切り替えだ。そして、集中力だと思う。集中力がない場合は、すぐに余計なことを考えてしまうからだ。

名作映画「ショーシャンクの空に」の中でこんなセルフがある。

「お前に言っとくが、希望は危険だぞ。正気を失わせる。
 壁の中では禁物だ。よく覚えておけ」

これは長期受刑者の老人が入ってきたばかりの若い終身刑の主人公に語ったセリフ。
大変意味深長なセリフで映画の主題とも云える。


 例えばゴルフの場合なら、(このパットと外してしまえば、このホールを失う。後2ホールしかない。そうすると次のホールがドーミーホールなってしまう…)とか。
 テニスの場合なら、ラリーが続いている時に、決して余計なことを考えてはいけないだろう。返ってくるボールを全身全霊で相手コートにたたき返す。相手のバックを攻める戦略があっても返ってくるボール次第で変わってくる。身体が自然に反応して、まるで条件反射になるまで練習を繰り返し、その身体が覚えているままに相手コートに返す。



 今の勝負に集中できて初めて、明日への道が開かれる。今と云っても決して1日24時間のすべてではないはず。その内の数十分、数時間に全神経を集中する。後に引きずらない気持ちの切り替えが集中力を呼び込む。

 ゴルフやテニスのような勝負の世界と一般社会での生活とは大きな開きがあるかもしれないが、集中力を必要とするのは同じように思う。先輩と後輩、上司と部下、そこには人間対人間の対話が存在する。相手をバカにしたり、余計なことを考えていては得られるものも得られない。聞くべき時はしっかりと聞く姿勢こそ、明日につながる<今を生きる>になると思っている。