GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「オリエンタルゴルフ倶楽部でのラウンドプレー」

2013年11月27日 | Weblog

 明日は一ヶ月ぶりにいつもの阪神メンバーとのゴルフです。場所は吉川にあるオリエンタルゴルフ倶楽部。一年ほど前にプレーしたことがあります。私の勤める施設で、ある企業のコービー豆を注文しているのですが、そちらから頂いた<お得様限定優待券>を、ゴルフをしない施設長からをいただきました。(ありがたいこっちゃ!)
「ゴルフの前日には練習場に行くな!」という鉄則がアベレージゴルファーの間では有名ですが、その禁を久しぶりに破ってしまいました。何故、いけないのか? 翌日、肩や腕、腰の筋肉が張ってしまうこと。もう一つは練習場ではたくさんボールがあるので、力一杯何度も振ります。翌日そのイメージが残っているのです。朝のまだ寝覚めない体にもかかわらず、昨夜のイメージのままに振ってしまうのです。上手く当たればいいですが、失敗すると昨夜のスイングと何が違うのか? 次の一打は、不安だらけとなってしまいもう一日中混乱するからです。
 でもそのなこと百も承知で練習場に行ってしまうのが底なしのゴルフなんです。日曜日に練習したのですが、ミドルアイアンがかつてないくらい調子が良かったので、まだ持続できているのか心配で行ってしまったのです。大丈夫でした。連続性・継続性のあるスイング・スタンス・フェイス・グリップのようでした。ドライバーも同じようなスイングで打ってみました。その結果が、最後の1球、下の写真です。
 せっかく前回OBのないスイングができたにも関わらず、また変更しようとしているのです。こんなことがゴルフの上達を妨げるのです。もう十分わかっているのですが、これを繰り返してしまうのが底のなしのゴルフなんですね。

 この話、わかる人ならよくご理解いただけると思います。つまり、人は同じ過ちを何度も繰り返し、しかもそれを何処かで楽しんでいるような自虐的なところがあるのです。かつて植木等が歌ったあれです!
「わかっちゃいるけどやめられない ~♪ ♪」
でも明日久しぶりにいいスコアがでるような気がしています。天候が… 寝なくちゃ…でも寝られない…当たるだろうか?…

   

  ゴルフにはとてもラッキーな天候でした。少し前まで70%の降水確率だったのですが、雨も風もなく暖かく最高のゴルフ環境でした。ですがスコアはイマイチの95、80台が出そうな予感があったのですが、非常に残念です。出足2連続パーで好調だったのですが、ボギーのあとダボが続いてしまい、結局前半は48という結果になってしまいました。後半、気を持ち直して10番ホール、OBでもないのに5オン、そこから3パットの8これには少し滅入ってしまいました。続く11番ホール、セカンドが右手前のバンカーへ。スライスラインを確認してのバンカーショットはうまく右に転がってピンまで1.5m。それを冷静に沈めてナイスパー。これが非常にうれしかったな。しかし、その後は3パット2回、アイアンのミスも重なり、結局ハーフ47。

    

    

    

    

 またしても80台は遠かったです。でも新スイング・新グリップでのドライバーは非常に好調でした。力の抜き加減や入れ時がわかってきたようです。今までと大きく違うのは少し右手首をコックする点です。トータルスコアは95、パー4つ、3パット4回。OBなし(これが一番うれしかったかな)練習場でのアイアンショットと同じショットはなかなかでなかってけれど、ショートホールのニアピンもゲットできました。もう少し練習してこのスイングをものにしたいと思っています。

 オリエンタルゴルフ倶楽部のコース全体の感想は、少し狭いし落としどころも難しい。ティーショット、190Yの池越えがあったりしてトリッキーなホールもあるが、しばらくしてまた来てもいいと思えるコースでした。グリーンの状況は近くにある美奈木GCと同様に堅くて早い。これも結構楽しめました。(3パット5回もしてしたくせに? はい、負け惜しみでした)
 それにしても紅葉がみごとでした。思わずゴルフを忘れて何度もシャッターを押してしまいました。紅葉写真をお楽しみ下さい。

    

    

    

    

   


「スタンスと直感」

2013年11月25日 | Weblog

 21日の朝、大先輩のK氏から「西岡君は人生を楽しんでいますね」というメールをいただいたのですが、何故かすぐに返信できませんでした。「人生を楽しむ」というスタンスを持ったことがなかったのです。だから「はい、楽しんでいます」とは返信できなかったのです。周囲の人からきっとそのように思われているんだなあとは感じています。
 ではどんなスタンスなのか、「やりたいこと」、「やるべきこと」この2つがいつも念頭にあったように思います。やりたいことをやっていても常に楽しいかといえば決してそうではありません。辛いことや苦しいことにも遭遇します。「やるべきこと」は、決して楽しいことが多くありません。苦痛を伴うこと、ストレスを感じることが多いのですが、そんな中でもやる気が溢れてきたり、喜びが満ちてくることもあるものです。
 うまく表現できなのですが、楽しみもや喜びも、そして幸せというものも目的にするべきものではないように思うのです。楽しみも幸せも、悲しみや苦しみ、不幸もまた人生の一部で、誰もがいずれは平等に遭遇していくのではないか思っています。

   

 大切なことは自分が本当にやりたいことを見誤らないことです。死を目前にして無意味な人生だった悔いるのだけは、ごめんこうむりたいですからね。自分を見失わず、常に自分と向き合いながら自分の生き方を貫きたいと思っています。最後は人がどう思うのかではなく自分がどう思うかが大切だと思っています。
 3枚の写真は新北島西公園の紅葉です。桜の木の葉も色づくと結構美しいと初めて気づきました。桜にはない紅葉(モミジ)の濃淡は、歳を重ねてきた人々が様々な色に染まっていくのと似通っているような気がしています。

  

 23日の夜、我が家のドアに初めてクリスマスリースを飾りました。そして今日、ゴルフの打ちっ放しから帰ってきて、思わずドアの前で立ち止まってしまいました。飾ってみて気づいたのですが、こんなことをする気持ちの余裕のない人生を送ってきたことに気づいたのです。走り続けてきた時代に想いを馳せてしまったのです。
 イトーヨーカドーグループのデニーズに入社して、24時間店の売上を2.6億から3億にした店長時代、次に会社内では1,2番の売上規模、7店で合計18億の売上があった神奈川県の逗子・鎌倉・江ノ島・茅ヶ崎海岸がある湘南地区を任された地区マネジャー時代、膨れあがるバブル経済をまさに現場で感じていた時代でした。
 パブルが頂点を迎えた1990年秋に阪神に入社し、靴下屋1店、喫茶店3店、お好み焼屋店1店の直営部長が私の役職でした。その後直営5店舗を廃業し、新店2店(しゃぶしゃぶ店、割烹料亭)をオープンさせました。そして最後の異動先は西宮市と第3セクター方式で開業したプールと温泉とフィットネスのレジャー施設でした。ここではフレンチ&イタリアン店の支配人兼料飲部長、企画部長も経験しました。バブル崩壊後の飲食店やレジャー産業は非常に厳しいものがありました。

 

 3回目の車検を初めて車を購入したディーラーではない場所で頼みました。南港にあるガソリンスタンドです。チラシを見て電話し、その応対が非常に感じが良く、昼過ぎに実際に見積もりだけのつもりで立ち寄ってみました。電話応対した女性だけでなく、メカニックの方、板金専門の方も非常に誠実な対応だったので、直感で車検の予約を決めてきました。車検予約のクリスマスケーキのプレゼントには驚きました。ATCのダイソーでクリスマスリースを見て購入を決めたのも、飾ってみたいという自分の直感を大切にしてからです。ようやく直感を信じられる年代になったと思っています


SGフレンド会:2013秋のゴルフコンペ IN 美奈木ゴルフ倶楽部

2013年11月20日 | Weblog

 第8回SG(住之江ゴルフ)フレンド会ゴルフコンペは来年女子プロ選手権大会が開かれる名門「美奈木ゴルフ倶楽部」開催となりました。気温は12度とかなり寒い中でのスタートとなりました。愕いたのはグリーンの早さでした。練習グリーンの早さとも違いスタートから3ホール連続3ホール3パットしていまいました。その後1パットも3回、もう1回の3パット、パー2つ、ロスト1つで合計何と50。後半はパット数を17にまとめましたが、パーが2つ、ダボが3つ、トリプル1つ、OBが一つもないのに48、合計98。どこでも相性が非常に悪いダブルペリアで、ハンデは13.2しか付かず、なんと生涯で初の最下位となってしまいました。グロスでも20人中15位ですから納得せざるを得ない状況でしたが… いいニュースは1パターが6回、OBがゼロという結果だけは満足しています。美奈木GCのスタッフはキャディもフロントもレストランスタッフもすべて一級のサービスを心がけていたように感じました。今月はもう一回いつものメンツでラウンドが決まっています。

     

    

    

    

    

    

    

    

 

 ゴルフの帰りにギターが三木楽器から退院できると連絡が入ったので受け取りに行きました。心斎橋筋はルミナリエバージョンのイルミネーションが輝いていました。御堂筋道路のイルミネーションはまだでした。大晦日まであと40日ほどです。時間の過ぎるスピードは、今年も加速度が付き、生涯で最高の速度で過ぎて行こうとしています。この加速度は誰もが防ぎようがないようです。

        


「ポール、史上最高のロック・コンサートだったよ!」

2013年11月14日 | Weblog

   

<OUT PAUL McCARTNEY THERE>
このコンサートを評した世界の新聞記事を集めました。

ウルグアイ「ポールの魔法に屈した。それは端的に言って、ウルグアイ史上最高のロック・コンサートだった。

パラグアイ「忘れられない!スペクタル!歴史に残る、最高に素晴らしいパフォーマンスだった」

イギリス「ポールは年月が経ても曲の力が弱まらないことを輝かしく証明してみせた。ピアノを弾きながら歌う『ヘイジュード』を新しい国歌にするべきである」

    

メキシコ「シーザーの有名な言葉に『来た、見た、勝った』それが昨晩ポールがアステカ・スタジアムにやってきた時に起きたことだ」

ブラジル「信じられないようなエネルギーに満ちたポール。美しい歌を歌い、観客を興奮の渦に巻き込んだ。ファンは完全にノックアウトされた。3時間に及んだショーは最高だった」

オランダ「無類のない、卓越した、圧倒的な、信じがたい、土曜の夜にアボイで行われた忘れがたいソールドアウト公演を評するには、あらゆる褒め言葉が必要だ」

    

スイス「マッカートニーは観客を興奮させ、夢中にさせた。バラードからヘヴィメタルまでを演奏し、ポールはその力を余すところなく見せた。ポールの心の底から沸き上がってくる気持ちが伝わり、今まで以上に今日性のある曲になっていた」

カナダ「ポールを見ることは、死ぬまでにしておきたかったことの一つだったが、本当に素晴らしい思い出の1ページとなった。ありがとうと言いたい」

アメリカ「3時間近いコンサートは休むことなく続けられ、色褪せることのない曲が40曲近く演奏された。見事な、それでいて魔法のようなコンサートだった。多くの観客にとっては、コンサートに行くというよりは、巡礼の旅だった。ロック・コンサートというよりは、世界で一番美しいロックの歴史を扱ったミュージカルかもしれない。バンドの演奏は圧巻だった。涙が溢れ出た。世代を超えた絆がそこにあった。そして、誰もが最高の気分で歌った。いつか実際にコンサートに行った人の倍の人が、私はあそこにいたと自慢するだろう」

    

    

    

 世界のどの紙の評も絶賛している。私が感じたことをすべて語ってくれている。特にカナダの「ポールを見ることは、死ぬまでにしておきたかったことの一つだった」これは、ドンピシャだった。コンサートに行ったすべての観客に全く同じ魔法をかけることができたポール、その最大の要因は歌い継がれてきた素晴らしい名曲の数々にあるだろう。そして、エネルギッシュな演奏とオーディエンスを大切にするポールの誠実なスタンスが、すべての人の心を掴んで揺さぶったからだろう。カーネギーの名言、『大誠意は人を動かす』は、このコンサートでも生きていたのだ。

    


PAUL McCARTNEY IN OSAKA

2013年11月13日 | Weblog
    
    
    
     
    
    
    
 
ポールのナマ声、聞いてきました。自宅に帰ってきて興奮いまだ醒めやらず。
とにかく素晴らしいステージに心から感動しました。
大阪弁を一生懸命しゃべろうとするポール、71歳とは思えない茶目っ気がありました。
歌いっぱなし、弾きっぱなし、バンドが休んでも彼一人、水一滴すら口にせず、休むことは一度もありませんでした。
ベースからピアノ、アコースティックギターからエレキ、そしてウクレレからキーボードへ。
一曲ずつとっ替えひっ替え、まさに目まぐるしくまるで衣装のごとく楽器を替えていく。
この多彩さ、知っていても実際に間近に見ると驚かざるをえませんでした。

    
    
    
    
    
ラスト、一旦ステージを去ってから戻ってきて、アンコール曲をいったい何曲歌ったのだろうか。
6曲は歌ったのではないか、このサービス精神旺盛なポールを惚れ直してしまいました。
もう終わりだと思って帰って行く人がいるのに、まだ歌い続けるポール。
本当にありがとう、ありがとうと感謝の気持ちで一杯になりました。
今まで見たライブの中では最高のステージでした。興奮、まだ醒めやらず、です!

    

     

    

    

     



「11月度堺CC Bクラス月例参加」

2013年11月10日 | Weblog

 堺CC、11月度のBクラス月例、天候は予想以上に良かった。スタート時は小雨が降っていた。その後は晴れ間が見えたり、突然風が吹き出したりしたが、雨のため傘がどうしても必要な状態にはならなかった。しかし、練習不足がたたってか、最初のハーフOBが3つ、でも4連続パーでなんとかスコアを維持できたが、前半最終ホールで9を叩き49になってしまう。自分の下手さが嫌になってしまった。

    

    

 昼食後、なんとか気持ちを取り戻し、後半のハーフ、梅の1番372Yパー4に挑んだ。1番はハンデキャップ1のホール、今まで一度もパーを取って事はない。ティーショットは、ベスト、残り154Yの上りが残った。躊躇なく6Iを手にして、打った感触は最高だった。グリーン右にナイスオン。グリーンに上がってみると、カップまで15m以上の上りが残っていた。この上りをKOの距離まで打てたことがうれしかった。しっかりカップに押し込み、このホール月例に参加して初めてのパーを奪取できた。これが今日一番の収穫だった。パーが取れるんだという経験が今後の糧となる。しかし、ロングホールを2つともダブルボギーにし、これが足を引っ張った。パーは2つしかなかったが、パターは15打と良かったことが45の結果につながった。今年最後12月の月例は、90を切るスコアをものにしたいと思っている。

    


探訪「大阪歴史博物館」

2013年11月08日 | Weblog

 昨日は朝から施設の方を連れて「大阪歴史博物館」を見学して来ました。私も初めての訪問でしたが、とても価値ある時間となりました。常設の展示コンセプトは“都市おおさか”です。観覧者はエレベータで一気に10階まで上がると奈良時代の大阪「難波宮」にタイムスリップし、そして階を降りる毎にわれわれの暮らす現代へと戻ってくる、というものでした。

    

   

・古代フロアでは、難波宮の大極殿、原寸大の直径70cmもある朱塗りの円柱がならび官人たちがきらびやかな衣装を身につけ整列していました。

   

・中世近世フロアでは、信長の時代の本願寺の精密なミニチュア模型、江戸時代の水都大阪を文楽人形「浪速屋」が楽しく案内してくれました。

    

・近代フロアでは、大正末期から昭和初期にひときわにぎわった心斎橋筋、道頓堀などの街角を、大きさ、雰囲気そのままに切りとってリアルに再現されていました。

 大阪城を今までに見たことのない角度から見ることができる大阪歴史博物館、祖父や祖母を連れてファミリーで見学するにはぴったしの場所かもしれません。歴史好きの私の基本スタンスは「温故知新」、ご家族で古きを訪ねるのもたまにはいいと思います。

    


『新・平家物語』を読み終えて

2013年11月03日 | Weblog

 今年初めての旅行が平家一門が滅びた「壇ノ浦」、武蔵と小次郎が決闘した「巌流島」を訪れることになったのは、連れ添いのアイデアですが、私が一年半以上をかけて読んできた『新・平家物語』(全16巻)がきっかけになっているのは間違いありません。また「巌流島」は吉川英治氏の『宮本武蔵』ファンなら一度は訪れたい場所でもありました。

 58歳の吉川英治氏が7年をかけて『新・平家物語』を完成(昭和32年)させました。彼は私が最も敬愛する作家ですが、この作品を書き上げた時期と奇しくも私の年齢が被っているのを初めて知りました。
 さて、16巻もの超大作『新・平家物語』を読み終えて、印象に残っているのは建礼門院(清盛の娘:徳子)が平家一族をすべて失って京都大原の三千院・寂光院に28歳の若さで籠もり、その後20年余りの歳月を過ごしたことです。平家一門の栄華の頂点は、自らが高倉天皇の中宮として安徳天皇を生んだときです。そして、清盛の死後たった4年という歳月で、その栄華の一切を失い、自ら壇ノ浦で身を投げます。しかし、独りだけ助かってしまうのです。その後の20年余りの長い歳月を何を思って寂光院で暮らしたのだろうか、まるで竜宮城のような作りだった赤間神宮を訪れたとき思いました。。このことについて吉川英治氏は多くを語っていません。清盛の永遠のライバルだった後白河法皇が寂光院を尋ねるシーンでは、妻でもあった建礼門院にこう語っています。
『…煩悩、抜け難いは、人みなの相(すがた)、おりには、世への恨みもおわそう。過ぎし日の、あれこれ、ひとり悲しゅう、思い出らるることもあろうに…』と。それはまさしく後白河法皇の気持ちでもあったでしょう。

    

    

 一ノ谷から義経の本格的な平家追討劇が始まります。そして、屋島、壇ノ浦まで、まるで神が乗り移ったかのような快進撃に頼朝まで目を見張ります。しかし、その後頼朝の猜疑心のために義経は一度も鎌倉に入ることなく追われることになります。一旦京都に戻りますが、吉野、奈良、伊勢、伊賀、安宅、そして平泉へと落ちていきます。義経が藤原家を頼ったがために栄華を極めた藤原氏も頼朝に滅ぼされます。山口県の西の果てから東北の平泉まで、こんのような大きな戦いがかつてあったでしょうか。

 頼朝は藤原基成・泰衡に義経追討を命じて、義経が衣川館で自害に追いやられたのは1189年、その後基成は泰衡に殺され、泰衡もまた義経を今まで匿っていたとして頼朝に殺されます。1192年、後白河法皇が亡くなってようや征夷大将軍に任じられて鎌倉幕府が正式に認めらることになります。7年後、頼朝は相模川の橋供養に出かけた帰り、稲村ヶ崎辺りで落馬して17日後、53歳の若さで亡くなっています。
 
 日本全土を巻き込んだこの源平合戦の図式は、その後、天下分け目の戦いと言われた関ヶ原の戦い、そして、江戸幕府末期の戊辰戦争も見方を変えれば東西の戦いと云えなくもありません。現在この日本で生きている私たちは、源平合戦のDNAを内在しているはずです。そして、そのDNAが私たちの生き方に多少の影響を与えているのかもしれません。こんなふうに考えると大きなロマンを感じます。私自身は東西のどちらのDNAを多く内在しているのだろかと。日本史を振り返るとき、それは自らのDNAを振り返るとこと同義ではないかと考えずにはいられません。


「心を汚してはいけない」

2013年11月02日 | Weblog

 4日ぶりの出勤。朝顔の根を抜き、ツルや枝を落として来年まで土を休めようと思ったら、なんと種が自然に弾けて地面に落ちて幾つも発芽していました。どうしたらいいのか、すでに花まで咲かした早熟な子までいるので、とにかく育ててみようと思っています。夕方、今日は宿直日なので、ATCまで夕食の弁当を購入しに行きました。クリスマスの飾り付けをしているのを見かけました。施設に帰り弁当を食べながら日経の夕刊を読んでいると、いい記事があったのでご紹介します。
    

 2010年に「国際中医薬膳師」(初めて聞きました)の資格取得した料理家の青山有紀(39)さんのお話です。実家は京都で料理店を経営していて、2001年に東京で飲食店を開くことになり、当時化粧品メーカーに勤めていた青山は、お姉さんに誘われ「ちょっと手伝うくらいなら」とい軽い気持ちで同行。開店して1カ月後、お姉にガンが見つかり、しかも末期ガンでした。手術と闘病生活に入る姉に変わって青山さんが店を切り盛りすることになりました。調理や接客のすべてに目を配ることは難しく、ストレスでスタッフにつらく当たってしまうこともあったそうです。不満を漏らす青山さんにお姉さんが「食べものを作る人が心を汚してはいけない」と諭したそうです。「自分は悪くない。うまくいかないのは他人のせい」という考え方は心を汚す。そんな気持ちで作る料理がおいしいはずがありません。お姉さんの言葉から「食」をなりわいにするうえで一番大切なことを学んだそうです。

 この言葉を聞いた当時はきっと素直に聞き入れ難かったにちがいありません。そして、青山さんは2005年に会員制の料理店「青家」を中目黒の古い民家を改装してオープンします。京都から取り寄せた伝統京野菜はじめ、こだわりの京素材と旬の食材で作る京おばんざいと韓国家庭料理のお店です。お姉さんの言葉が身に沁みて自分のスタンスになっていったのは、きっとこの店を出してからでしょうね。
 「心を汚してはいけない」本当に背筋が伸びるような鮮烈な言葉です。だからこそ、青山さんの人生を決めた言葉に昇華したのだと思います。