GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

<2008年 最後の日記>

2008年12月31日 | Weblog
 北山修氏(医師・元フォーククルセダーズの一員)が、新聞のコラムにこんな話を書いていました。

『どうしたら幸せになれるのだろうか。Doingに関わる幸せとして、腹いっぱい食べることだったり、成績が一番になったり、高い車が手に入ったり、試合に勝ったりする幸せがある。購買欲や食欲、性欲や人を殴りたい攻撃欲は満たされると快感を感じてすかっとするのだ。
 しかし、この快感は一瞬である。どのような欲求充足も長続きしないし、またすぐに不満がつのる。こんなDoingの幸せに対して、Beingの幸せがある。「することを忘れ、何もしないで、ボーッとして、ただ「いる」だけでいい時の幸せというのがある。幼い頃はそういう幸せに溢れていたようだ。泳ぎ疲れてただ波間に浮かんでいた浮袋の中。学校の帰り道、土手に寝ころんで雲の形が人の顔に見えたあの「ながーい時間」。あるときはただアリたちを見つめているだけで幸せだった。
 ネコの語源の一つは「寝る子」だが、ただ寝ているだけで幸せそうだ。寝ることが一番好きという人やいい湯加減の温泉に入る時もそうだ。私たちはそういう「いること」の幸せを求めてあくせく働いているのだ。』

 DoingとBeingとはうまい表現です。これは私が何度も使っている能動的と受動的という表現とまったく同意です。そして五木寛之氏が『人間の覚悟』で語った「生きて在る」ことと同意です。以前も日記で語りましたが、どうしてもあれが欲しい、何処何処へ行きたい、誰かに逢っておきたいという大きな願望がなくなりつつあります。それはわが人生の達成感にかなり満足しているせいかもしれません。これからの人生をおまけと考えるととても残りの時間を感謝せずにはいられません。

 龍馬や将軍家定、西郷さんや大久保さんと比較すると、成してきたことは大きな開きがありますが、生きてきた時間の量では私の方が遥かに凌いでいます。大阪から東京の大学に向かった時が人生で最も野心の量が多かった気がしますが、大学を卒業し就職する頃には達成できる夢や事柄の限界が見えてきました。しかし、そんなことでくよくよしたり、絶望したことは一度もありませんでした。ここが私の天然素材的性格なのでしょう。自分自身で一番気に入っているところかもしれません。

 こんな私ですが北山氏や五木氏の云う「Beingの幸せ」「生きて在る幸せ」が今ひとつ実感できないのは何故だろうかと考えています。もう欲しいものはほとんどないと云いながら、百八つの煩悩がいまだ心の何処かでくすぶっているのかもしれません。私にはそんな人間臭いところに幸せを感じられてしかたがないのです。私には「Beingの幸せ」「生きて在る幸せ」を感じる仙人のような達観はきっとこれからも難しいような気がします。

 でも残された時間がおまけだと思えてきて、この時を楽しむスタンスがより濃厚になってきたようにも思います。小さな欲を意識して作り出し、子供のような好奇心を失わず、残された時間を楽しむ、これが今の私の幸せを感じるスタンスです。百八つの煩悩のうち、八つくらいのささいな煩悩は残しておいた方がいいのではと思っています。

 そんなことを「篤姫」を見ながら考えた2008年が、もう少しで終わろうとしています。篤姫のように理性と感情の狭間が狭い方がいいのだろうを思いながらも私は、無理はせずその狭間をさまよいながら残された時を噛みしめながら、ため息をついたり、誰かと共感できたことを素直に喜び、届かぬ想いを嘆いたり、映画や本や音楽に心ときめかせながら、人間臭く、生きてあることを感謝して生きてゆきたいと思います。


それでは皆様、良い年をお迎え下さい。

今年最後の映画「ワールド・オブ・ライズ」を観て。

2008年12月29日 | Weblog
 昨日映画館で見た映画は「ワールド・オブ・ライズ」。テロの首謀者を追う物語です。原作は中東問題に精通するベテラン・ジャーナリストにして作家のデイヴィッド・イグネイシアスが手掛けただけにポリティカルスリラーとしても見応え十分。監督は今や巨匠と呼ばれるに値するリドリー・スコット(「エイリアン」「ブレードランナー」「グラディエーター」「アメリカン・ギャングスター」etc.)

 かつて弟のトニー・スコット(「トップガン」「ビバリーヒルズ・コップ」)が「スパイ・ゲーム」(2001)を監督しています。ロバート・レッドフォードがベテランCIA局員を演じ、スカウトされて鍛え上げられる新人工作員を演じたのがブラッド・ピットでした。

 この「ワールド・オブ・ライズ」でも安全な所にいる上司と危険な現場で命を削る部下の対比が「スパイ・ゲーム」以上に際だって描かれていました。アメリカと中東という離れた全く違う環境での携帯電話のやり取りが、極めてサスペンス感を盛り上げていました。この映画は「スパイ・ゲーム」「キングダム 見えざる敵」を足して2で割ったような良質の作品です。


この映画の中でこんな印象深いセリフがありました。
「大切なのはどんな仕事をしているかではなく、その人間の本質です」

 今まで多くの映画を観てきましたが、こんなセリフは初めて聞きました。愛の本質とは? というようなセリフはありましたが、このセルフはとても強烈に入ってきました。

セリフの中で<本質>という言葉ができたのは、今までで一作品しか覚えがありません。ブラッド・ピットの映画「ジョー・ブラックをよろしく」です。死神(ピット)に向かって、娘を奪われようとする父(アンソニー・ホプキンス)が説教する場面でのセリフでした。


  『好きなものを、ただ奪うことは愛とは言わない。
   愛の本質とは生涯を懸けて相手への信頼と責任を全うすること、
   そして愛する相手を傷つけぬこと』

忘れられない名セリフなので、ブログでも何度か紹介しています。

<本質>という単語にたぶん他の人以上に私は反応します。それは映画でも本でも人でもいつもこの本質は?と自問自答しているからです。

例えば3度も読んだ愛読書「宮本武蔵」の本質とは?
「信念を持った人間(武蔵)と持たなかった人間(又八、小次郎)の生き様の物語」

映画「ゴッドファーザー」の本質とは?
「イタリアンマフィア家族の愛の物語」

映画「ゴッド・ファーザーpartⅡ」の本質とは?
「二代目の苦悩」

最高の映画「ブラッド・ダイヤモンド」の本質とは?
「父と子の絆の物語」

今年最高の映画「ダークナイト」の本質とは?
「登場人物すべてが良心を問われる。良心とは?」

最近読み終わった「警官の血」の本質とは?
「警官に流れる血とは、父への想い、自分自身への問いに他ならなかった」
この作品は来春、朝日テレビのドラマスペシャルにて放映予定。
http://www.tv-asahi.co.jp/keikan/

こんなふうに自分なりの<本質>探しを心がけています。
上記のように絞り出した答えは、数年して変貌を遂げることが多々あります。これが自分の心の成長を示してくれる場合があります。「ゴッド・ファーザーpartⅡ」はその典型でした。最初見たときはその良さが明確ではなかったのですが、10年ほどして再度見たときの感動は素晴らしいものがありました。

このように常に<本質>探しをしてる私にとって、映画の中の「本質」という単語は特別な意味があるのです。今回の「人間の本質」という言葉は、ディカプリオが想いを寄せる女性の自宅に招かれ、彼女の姉に自分の職業を問われ(CIAの工作員とは云えず)「ポリティカルアドバイザー」と自己紹介した時、看護師の彼女が云うセリフです。

「大切なのはどんな仕事をしているかではなく、その人間の本質です」

私の心は瞬間とときめきました。
「人間の本質!?」

今、あなたの周囲にいる人を思い出して下さい。
上司や仲間や部下や学生時代の友人たち、先輩たち、良く通う店舗の名を知っている従業員、主治医と思っている医師を思いだして下さい。そして彼らの本質を見出して下さい。人の本質など決して容易に見抜けるわけがありませんが、本や映画やテレビドラマの物語の本質を見抜く努力をしてみて下さい。そんな際の会話なら私は大歓迎です。

 こうしたトレーニングはいずれ自分の周囲の人の本質に近づけるものだと信じています。トレーニングによって出される答えは、最初はエッセンスを絞り出すには時間がかかるかもしれませんが、だんだんと自然に自分なりの答えが出てくるようになります。つまり意識的に出していた答えが無意識に出るようになるのです。それが「直感」というものだと思います。

 この人の性格の本質は<善>だと思えたらより絆を深くすることが容易となります。私はより絆を厚く深くすることがとても大切だと思っています。しかし、残念ながらそこにはリスクが伴うことを承知しておかねばなりません。

さて皆さん、
「本質トレーニング」やってみてはいかがですか?

映画の本質探しならいつでもコメント、メッセージをいただきたいと思っています。

『人間の覚悟』

2008年12月28日 | Weblog
「資本主義が断末魔の叫び声をあげ、あらゆることが下降していく中で「命の実感」が薄らいでいる。しかもどこの国でも、いつの時代であっても、誰の内にも棲みつづけている憂鬱、人が生まれながらに抱えた人生の「悲苦」を見つめ直す必要があるような気がします。そして権利とは、何かを保障されることではなく、安心・安全はありえない。下りゆく、現代、自分を見つめる「哲学」も必要ではないか。」
五木寛之氏が『人間の覚悟』の中で語ろうとしていることは、こういった内容のようです。

『蒼ざめた馬を見よ』『男だけの世界』『恋歌』『ソフィアの秋』『内灘夫人』『朱鷺の墓』『デラシネの旗』『ヒットラーの遺産』『青春の門』『風に吹かれて』『大河の一滴』『生きるヒント』

 高校時代に友人のS君に『蒼ざめた馬を見よ』を勧められ、読み終わった時の衝撃を今も良く覚えています。私よりませていたS君は、天然の私を驚かせたかったのでしょう。世間は貴方が思うように単純ではないと。

 読んだ本を挙げればまだまだあるような気がしますが、五木氏の作風を最も表しているのは『朱鷺の墓』だと思います。日露戦争下の城下町金沢を舞台に、身を落とした美貌の芸妓・染乃とロシア貴族出身の青年将校イワーノフとの恋の行方の物語です。住んだことは一度もないですが、ロシアと山陰地方の似通った気候風土が読んでいても染み渡ってくるような語りでした。そして妖しい老人によって染乃は女として生まれ変わり、女の業というべき情に流されていく展開には、たえず彼独特の湿ったうすら寒い雰囲気、心の闇がありました。

さて、『人間の覚悟』に戻りましょう。

 1981年 執筆活動を一時休止した五木寛之氏は、京都の龍谷大学(浄土真宗本願寺派系の大学)の聴講生となり、仏教史を学ぶ。 復帰後に『連如』を書き上げ、ただ今は神戸新聞等に『親鸞』を掲載中です。

 五木寛之氏は紙面で語っていました。「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」は一神教で、その教えは堅固であり排他的である。しかし、「仏教」は「無常」を教え、限りある命を許し合う心があるという。世界を救うのは「仏教」しかないように思えると。

 この本にもその仏教色が色濃く出ています。「他力」についても書かれていますが、ここでは違う本からの文章を紹介します。

「他力という言葉ぐらい誤解され、誤用されている仏教用語はないでしょう。しかし、他力とは人の力をあてにして楽をするという意味ではありません。私たちのいのちをいのちたらしめているハタラキのことを指しているのです。考えてみると、私たちは自分の意志で生まれてきたわけではありません。自分で体や心をつくったわけでもありません。人間の知識とか認識を越えた、私たちがはかり知ることができない大きなハタラキによって私たちはいのちを恵まれ、生きていくのに必要な空気や水をはじめとするあらゆるものを与えられ、それらを活用する知恵までも与えられて、生かされて生きているのです。決して自分に力があるから、自分が偉いから生きているのではないのです。そのことを親鸞聖人は「他力」といわれました。」

「絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい」と、魯迅はいった。
絶望も、希望も、ともに人間の期待感である。
その二つから解き放たれた目だけが、「明らかに究める」力をもつのだ。

しかし、私たち人間は、最後までそのどちらをも捨てきることはできない。
はっきりいえば、「諦めきれぬと諦める」しかないのである。
とはいうものの、ギリギリの点まで、「明らかに究める」努力を捨てたくはない。

希望にも、絶望にもくもらされることのない目で周囲を見わたせば、驚くことばかりだ。
そこで、覚悟する、という決断が必要になってくるのである。」

「アンチ・エイジングはあり得ない。
 だが、老いることは人間が熟成していく過程なのだ。」

「いかに生きるか、ではなく、生きて在ること。そのことにこそ価値がある。
 その思いが、私たちの唯一にして不滅の光明である。」


 以前も彼の文章で「生きているだけで価値がある」という記述を読んだことがありますが、今ひとつ感じ入ることが出来ませんでした。今回も同じだったので、他の人の文章を捜してみました。あるんですね、これが。

「在るというこの刻の間がいとおしくなお生きんとぞ朝粥綴る」 末友 寛

この歌の初句の「在る」ということは、この世の中に生きて在るということで、他の物の存在感、現実感、いわゆる自分の身を抓ってみて痛いぞ、と言うことの実在感である。私の生きられる時間はもう少ししか残っていないんだよね、と自問しながら、我と我が身をいとおしみながらの「なお生きんとぞ」である。ああ、今朝も生きとったわい、と出された粥に口を付けているのである。

  <在る>とは生への妄執などではなく
  生への感謝に他ならない
  その実在感こそが、唯一不滅の光明
  <在る>とはその現実感、実在感


「生きて在ることにこそ価値がある」

ようやく感じ入りました。

「風のガーデン」(最終回)

2008年12月20日 | Weblog
「残された人生があと数ヶ月と宣言された人が、その期間に何をするべきなのか?」
これが「風のガーデン」の主題だと思っていましたが、違っていたようです。
それは貞三のこの一言に集約されていました。「やっと家族が一つになれたのです」
家族の絆が主題だったようです。ガンと宣告された放蕩の父が故郷に舞い戻ることから、
家族の絆が結集する物語でした。。
そこには家族が死を受け止める大切さが双方から描かれており、
臨終における家族のあるべき姿が描かれていました。

最終回、東京でのかつての愛人だった看護婦長が一目会いたくて訪ねてきますが、
貞三は会わせませんでした。
「貞美もやつれた姿を見せたくないでしょう」と云って彼女の心を傷つけないように伝えますが、
それでも会いたいという彼女に「やっと家族が一つになれたのです。逢わすことはできません」という最後通告をします。
あのあと、本当はこう続けたかったのです。
「もうこれ以上邪魔をしないで下さい」
ただ最後に一目逢いたいと思っていた私情でさえ、
一つになろうとしている家族には大きな問題だったのです。
彼の実父から「NO!」と告げられ、婦長は愕然とした表情を見せます。
彼女は冷や水をかけられたような気持ちになり、ようやく大人の冷静さを取り戻します。
婦長はこの言葉を聞いて、貞美との不倫がいかに家族を崩壊させて行ったかを改めて知らされたのです。

人はいつの世も自分の立場でしか物事が見えないようです。
貞三にしても息子の不倫騒動やその妻を自殺に追いやったことで
岳やルイから父親を奪ってしまいました。
そのことで貞美が故郷に帰れずにいたこと、
病気のことまで一人で苦しんでいたことを知り後悔を残します。

この世で一番近いはずの家族が崩壊しています。
教室の崩壊が騒がれ出したのも少し前の話です。
家族の絆が切れてしまったことから起こる<公害>と云えるかもしれません。

貞美は死の床で、中学生の頃テレビが欲しいと父にねだり、
ようやく自分の部屋でテレビを一人で見ていたとき、
大きな孤独を感じたと父に告げていました。あのときから家族と切れていったと。

その後、次々に女を漁っていった貞美が、実は孤独だったのだと父は知ります。
父として息子の孤独を癒せず、わがままを聞いたばかりに、
家族と切れていったなどと大変悲しい告白を受けます。
貞美も麻薬で朦朧となりながら、今まで孤独から逃れる為にもがいていたことに初めて気づきます。
ルイや父や岳と話すことができ、生まれて初めて家族の温かみを痛感した今だからこそ、これまでの孤独に気づいたのです。
人は温かい家庭を知らなければ孤独だという自覚も知識もないのかもしれません。
このことに多くの過ちを犯していく要因があるのかもしれません。

私の母は昨年の4月末に倒れ、そのまま意識が戻らず一ヶ月後に息を引き取りました。
父と兄夫婦と私たち夫婦の5人で24時間体制で看病を続けました。
孫にあたる私の息子や兄の息子二人も何度も看病に顔を見せました。
脳血栓で左脳に血が通わず、仮に意識が戻ったところで今までの人格は戻らないと云われました。
点滴の水分が小水となって排出されず、体中に廻りプクプクになっていきました。膨らんだ手を握りながら何度も話しかけました。
何度か薄目を開けたことがありましたが、一度も言葉を発せずに逝ってしまいました。
私は仕事帰りに寄って深夜2時過ぎまで付き添い、
自営の店を閉めた後一寝入りした兄夫婦にバトンタッチし朝方父にバトンを回し、その後を妻が付き添い私と共に帰るというサイクルでした。

一ヶ月弱という決して長い期間ではありませんでしたが、
残された5人の繋がりは今まで以上に堅固なものとなった気がします。
母はそんな家族の絆を見届けて逝ったように思います。

先日終了した大河ドラマ「篤姫」もまた家族の絆がテーマの一つでしたが、
「風のガーデン」のテーマも同じであったことは決して偶然ではないように思います。
現代を生きる私たちに、二つのドラマが大切なことを啓示してくれました。

「篤姫」(最終回)

2008年12月15日 | Weblog
とうとう「篤姫」が終わりました。とても素晴らしい脚本でした。
田淵久美子さんに心からありがとうと伝えたい。そして感謝したい気持ちで一杯です。
このようなドラマやスペクタルシーンの少ない映画では、特に脚本が命となります。
そして、その命を俳優がどう輝かせるか。
脚本と俳優を共感させるのが演出家(監督)の役目だと思います。
だから演出家には、その二つの微妙な関係を
冷静に観察し続けられる洞察力が必要とされます。

1年の長きに渡って接してきた「篤姫」と決別するために、
「このドラマから私は何を学んだか?」
「何を宝物として心にしまい込めるだろうか?」 
改めて真摯に考えたいと思います。

「いい別れの連続が素晴らしい人生を作り、新たなる再会が心を勇気づけてくれる」

これは私の信念・スタンスですが、
篤姫も帯刀と碁盤を挟んで同じ意味のことを云っていました。

最初はこんな辛い別れがありました。
「女の道は一本道。引返すは恥にございます」の 菊本さん(以下さんを省略)です。
彼女は死を持って、篤姫に役割の大切さと女の誇りを教えました。
当初、自害した菊本の親をも越えた熱い想いを理解できませんでしたが、
金色の菩薩と共に篤姫の心にはいつも菊本の熱い想い(=意志)が存在していました。
心の中で何度も再会を果たします。
何年かしてお互いの成長を確認し合える再会もありますが、
菊本との心の再会によって篤姫は自分の成長を自覚できたでしょうし、
間違いなく勇気を貰えたはずです。

そういった意味では<死は最高の別れ>だとも云えます。
菊本の言葉や姿が永遠に変わらぬものとなるからです。
菊本にはそのことがきっと分かっていたのでしょう。
自分の死によって、篤姫に「不退転の意志」を持って役割をまっとうしなさいと伝えたのです。
何度も挫かれそうになる篤姫の心を菊本の死を持って示した意志が勇気づけました。
「いい別れが人を育てる」これが「篤姫」から学んだ1番目です。


さて2番目。
「何故、龍馬は薩長連合を発想できたか?」
この謎は、私の若い頃からの大きな疑問でした。

人はどうしても自分の立場からしか物事を見ようとしない欠点を持っていると思います。

勝(アメリカに行った経験と多くの知識、一匹オオカミ)や
竜馬のような立場(脱藩者で藩のためではなく、何かをしたい、
純粋で一匹オオカミ、勝に感化→「日本が危ない」)では、
帯刀のように名家で、しかも多くの家臣を持った経歴がないので
合理的思考を受け入れ易い。
これが今までの私の分析でした。

勝や竜馬の師である佐久間象山は、若い頃熱心に数学を学んでおり、
勝は自分の妹を彼の妻にしているくらいですから、かなりの影響を受けたはずです。
「僕の血を継いだ子供は必ず大成する。
そのため、僕の子供をたくさん生めるような、大きな尻の女性を紹介してほしい」
(ウィキペディアより)と龍馬が象山から頼まれたことがあるくらいだから
きっと思想的に感化されているに違いありません。

日産を再建したカルロス・ゴーン氏(アメリカ自動車業界のビッグ3にも
氏の名前が挙がっている)のように、日本のしがらみに捕らわれない
大胆な合理化施策を実践できるのでしょう。
佐久間象山という師の教えである数学的発想が「薩長連合案」を生んだのです。
2番目は、
「にっちもさっちもいかないときの大胆な打開策には、数学的合理主義を用いるべし。」


さて3番目です。

「篤姫」のことを日記に書いたのは今年の2月24日が最初です。
私が登場人物で最も好きなお幸様が、
島津家城主斉彬の元に養子にいく篤姫に向かって
こんなこと言って聞かせたシーンです。

「考えて考えて考え抜いても分からないときは、
 無心になって自分を信じ<感じたこと>を行いなさい」

まさしくこれは「最後は直感を信じなさい」に他なりません。
「考え抜いた後は自分を信じなさい」本当に心暖まる言葉です。

直感は感情の範疇です。決して理性や観念的のものではありません。
感情と理性の間には大きな隔たりや壁があります。
その隔たりや壁とは、一体なんなのかを自分で解明する必要があります。
その解明によって、隔たりや壁が薄くなったり近づいたりなくなったりします。
ですから自分で「隔たりや壁とは、いかなるものか?」を追求する心構えが大切です。

最初は分類するのです。
中には大切な隔たりや壁もあることに気づきます。

この作業が当たり前のようにできるようになると、
人はかなり冷静に出来事を受け止められるようになります。
そして、どう対処して行けばいいのかも見渡せるようになります。

例えば「何故、私にはできない? 他人はできるのに…」

何故、何故、何故、
自分の心に問いただし、
自分が幸せ(=成長)になるために、
必要なこと or 不必要なこと (初めは二つの分類でOK)に分類し
感情的ではなく理性的に答えを出していくのです。

しかし、感情を殺しすぎるのは良くありません。
できるだけ感情と共に理性を働かせ、中道で決断するのがベターと想っています。

大切にしなければいけない壁もあります。
間違いなくその壁が貴方を守っているのです。

しかし、教えや習慣(=壁)が自分の成長を阻害している場合もあるのです。
つまり長所が見方を変えれば短所となることと同じです。

もう一度確認します。
大切なことは必要な壁、不必要な壁の存在をまず明確にすることです。

篤姫は若い頃から多くの書物を読み、
歴史書によって人々の心の移ろいを学んで来ました。

そして母親のお幸様からは、<家族愛><生き様>を教わりました。
何より彼女は、もともと好奇心旺盛でリベラルな心の持ち主でした。
だからこそ男装して塾へも通ったのです。
そうした多くの知識や経験のおかげで、
様々な階級の人達と共感できる能力を身に付けたのでしょう。

私が「篤姫」で新に学んだことは、共感できるためには、
ある程度の知識や経験の量が必要なんだということでした。
そして<共感>が理性と感情の隔たりや壁を無くしていく妙薬だと気づきました。
これが3番目です。

この日記を書き始めたのも<共感>を大切にしたい、そんな想いからでしたが、
「篤姫」を見終わって、
この<共感>の中に多くの問題を解決できる宝物があると確信しました。



大河ドラマ「篤姫」と本日別れることになりましたが、
このように自分なりに心にしまい込めれば、
いつでも菊本のように再会することができます。
菊本の金色の仏像や帯刀と同じお守りがなくても、
篤姫は二人と生涯好きなときに再会できるはずです。
いい別れはそういったうれしい再会ができるのです。

「いい別れの連続が素晴らしい人生を作り、新たなる再会が心を勇気づけてくれる」
                    (By Goodluck)


「篤姫」とのいい別れを惜しみつつ、
素晴らしい想い出を心の中に大切にしまい込むことができました。

過ぎ去って振り返れば「一本の道」に見えようとも、前には道など見えぬもの。

「何を信じ、何を守ろうとしたのか」

道行く人にとって、この生き様(=信念)だけが心の支えとなるのでしょう。

さようなら、篤姫…… ありがとう、篤姫

映画「252 生存者あり」

2008年12月13日 | Weblog
首都圏を襲った直下型地震から数日後の東京に、巨大台風が直撃します。
決死のサバイバルが繰り広げられるスペクタクル・ヒューマン・ドラマです。
地下に閉じこめられた元ハイパーレスキュー隊員の弟と
その救出に奔走するハイパーレスキュー隊長の兄を軸に
双方の行方をリアルに描いています。
主演は「海猿」の伊藤英明と「黒い家」の内野聖陽。
監督は「舞妓 Haaaan!!!」の水田伸生。


かつてこんな感じのフレーズが有名になったことがあります。
「優しいだけでは生きて行けない、強くなくては生き抜けない」
私好みに弱冠変更しましたが…。

人はそれぞれに心の悩みに堪えながら生きています。
その孤独やトラウマに負けて従来の職を辞するもの、
矜持を失うもの、悪に手を染めるものがいる。

しかし、そのプレッシャーに必死に立ち向かおうとするものもいる。
この差は一体どこから来るのでしょうか?

シュークスピアはリア王の中で苦痛の多い人生を嘆いて
「人は泣きながら生まれてくる」と言葉にしましたが、
野性の生き物にはそんな泣き言などなく、
ましてや孤独感やトラウマなど存在しません。
彼らはたとえ孤独であろうと、生き残る為に必死に毎日を戦い抜いているからです。

D・H・ロレンスはこう云っています。
『野性なるものが 自らを憐れむのを
 私はみたことがない。
 小鳥は凍え死んで枝から落ちようとも
 自分を惨めだとは 決して思わないもの』
                    
弱い人間がおのれの弱き心を慰めるために、人を傷つけ陥れようとする。
それはまさに麻薬的マスターべーションという他ありません。
自らを貶めていることに気がつかないからです。

本当に強い人間は、他人を痛めつけようとはしないものです。
我々人間は、元は野性の中を生き抜いていた獣の仲間だったはずです。
知性や言葉を得たがために、野性を押し殺し、そして失ってきたとも云えます。

反対に野性に目覚めた輩(やから)たちが、
人間の皮を被り町中を徘徊し、弱き獲物を狙っています。

彼らは知性や言葉を得られなかったのか? 
いや決してそうではありません。彼らもまた知性や言葉を得たはずです。

しかし、肉親や他人から溢れるような愛を注がれたり、
心を癒す大きな慈悲の心を感じたことがなかったために、
蓄えてきた量の知性や言葉では共感できなかったのではないでしょうか。
そして、親子や家族との熱くて厚い絆がなかったと推測したい。

野性の獣と人との境が極めて曖昧になり、容易に乗り越えてしまうのでしょう。
一旦その境を越えると、人はまるでジキルとハイドのごとく
その境を行き来してしまうに違いありません。
そして、その一線を越えた時の麻薬的快感が習慣化し、
自分が属していた人間界から無意識に離脱していくのでしょう。

そのように人間が半獣と化すかどうかは、
言葉を学び知性を身に付けたかどうか、
そして、父や母からの肉親愛や他人から受ける慈悲深い心を
受けてきたかどうかにかかっています。

親として子をなす時、
どうかこのことを分かっていて欲しいと強く願っています。

映画「252 生存者あり」を見終わってこのようなことを感じてしまいました。
<252>とは、ここに生きているものがいるというレスキュー隊が用いる符号です。
映画の中で言葉を失った主人公の幼い娘が、
必死に父親に助けを求めるシーンで使われます。
2回、5回、2回と、物を叩いて音をたてるのです。

「ここで生きていますよ!」言葉にならない必死の叫びが強く胸を打ちます。
すべての登場人物が深い悩みやトラウマを抱えながらも、
必死に生き延びようともがく姿こそ、野性の獣たちにはない極めて人間的な姿です。
その姿に多くの人が共感し涙を流すことでしょう。

2008年度観た邦画の中では最高の出来映えだと思います。

クッドラック感動のお奨め映画度:85点

「篤姫」(番外編:お幸さまの巻)

2008年12月09日 | Weblog
 私は本来、作者の私的な面で作品の評価を変えることありません。ジョージ・マイケルやマドンナの言動で、彼らの楽曲を嫌いになったりするようなことはありません。ですから作者の私的な不幸が、作品の価値を上げるということはないのですが、今回の「篤姫」は別です。

 文章や脚本を書く場合、実生活での想いや心のあり方が反映されないわけはありません。そう考えると脚本家田淵久美子さんの<生き様>を改めて感じずにはいられません。その<生き様>には強い理性を感じるからです。

<生き様>を日記や言葉にすることは容易ですが、実生活でその<生き様>を貫くことは決して容易ではありません。素晴らしい人物が素晴らしい作品「篤姫」を作ったと思えてなりません。

「愛・生き様・家族」がテーマだったそうですが、私は登場人物のすべてにその<生き様>を強く感じて仕方がありません。

 ブログを書き始めて、絶えず自分の心のあり方を書いてきただけに、登場人物の後ろ姿がとても清々しく思えてなりません。言葉を変えれば嫉妬するくらいです。

 善と悪を間を浮遊する生き物が人間の本質だと思っていますが、「篤姫」に登場する人物にはそういった人間の灰汁は見あたりません。そこに田淵さんの熱いメッセージを強く感じます。


私の一番好きな人は、篤姫の生母お幸様です。

「あの子は帰って来ないと思います!」

 母としての熱い想いが、この言葉には詰まっています。我が娘の安否を気遣いながらも、嫁ぎ先(徳川家)でのやるべき事をしっかりとまっとうして欲しい願う、親としての真摯な生き様。その姿には感情に溺れる人の弱さが、微塵も感じさせません。

「そん環境ならすぐに帰っておいで」という親たちが多い現代、親としていかに子供を育てるべきなのかを教えてくれます。

人が理性的に生きるためには、多くのことを学び、様々な苦難を経験し、信念や生き様の大切さやその価値を知る必要があります。そしてその時、感情と理性の微妙なバランスをコントロールできる能力を身に付けることができると思っています。

「あの子は、帰って来ないと思います!」

この言葉を発したお幸さまの瞳に、涙のような女々しいものではなく、
強い信念と生き様の輝きを感じました。

「お幸さまのような親でいたい」と強く想います。

「篤姫」(明治前夜の再会)

2008年12月08日 | Weblog
脚本家田淵久美子さんは3年をかけて「篤姫」を書きました。
その間に再婚し2人の子供との3人暮らしに、
ご主人が加わった新しい家族ができたそうです。
ドラマを半分ほど書き終えた頃、ご主人が病に罹りました。
しかも末期ガンでした。
苦しい中、それでも仕事を続けるご主人に逆に励まされながら、
「篤姫」を書き続けたそうです。
そしてついに最終話を書き終えてその2カ月後、帰らぬ人となったそうです。

「篤姫」はそんな日々の中から生まれました。
田淵さんは「篤姫」の中で<愛>に、
登場人物たちには<生き様>に、
そして<家族>にこだわって作品を作り上げたそうです。


一年という長きに渡って私たちは「篤姫」から、
すべての人に平等に接する<愛>を、
歴史上有名な人物以外の登場人物からもどのように生きるべきなのか、
その<生き様>を見せつけられ、
すべては温かい<家族>の絆から始まるのだという熱いメッセージを
多くの人が確かに受けとりました。
ガンに冒されたご主人が、まさしく家定公にダブります。



「明治前夜の再会」で碁盤を囲みながら、帯刀が若い頃からの恋心を告白しますが、
篤姫は「知っていました」とさらっと受け流します。
帯刀にすれば、今生の別れと思い
清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで告白したのでしょうが、
肩すかしをくらったようでした。

しかも「斉彬様から養女のお話がなかったら、私と一緒になって下さいましたか?」
とあまりにも愚かで価値のない質問をしてしまいます。
お近さんという素晴らしい妻や愛人と子供までもうけた帯刀がどうしてそんな馬鹿げた質問をしたのでしょう。

幼い頃から想いを寄せて様々な配慮をしてきた帯刀でさえ、
家定への愛や天璋院として多くの苦難に立ち向かい
采配をしてきた彼女の成長に気づくはずがないのです。
最愛の人とさえ、100%の共感などあり得ないのが人生なのです。

帯刀の心の中には常に幼い頃の於一が生き続け、
篤姫の心の中には幼き頃の純粋な自分自身、
於一の頃
「私は知りたい、もっともっと広い世界を」と考えたような前向きな気持ちがありました。

帯刀にすれば篤姫が大奥に入ったことで、女としての幸せをまっとう出来たのか、
しかも最後は故郷の薩摩と敵対関係となって江戸城を追われたことで
辛い目に遭ったのではという負い目がどうしても拭い去れなかったのです。
しかし、「亡き夫家定に相談してみます」と聞かされたとき、
二人がどんな関係だったかを初めて帯刀は知ります。

「今更あの頃のことを蒸し返してもせんのないこと」
などというセリフでなかったのがとてもいいです。

篤姫が最後に白い碁石を打って
「終わりです」(この話はこれで終わりにしましょう)
というセリフも秀逸でした。

「私とってあの頃の薩摩での思い出は宝物です」

それは篤姫にとって<初心>でした。
その<初心>を大切にしたからこそ、常に前向きな生き方ができたのでしょう。

男は過去を振り向きながら女々しく生きる習性があるようですが、
女はいつも前向きで今を肯定して生きようとするようです。
だから男から嫉妬されながら「女は強い」などと呟かれます。

二人が斉彬から貰ったお守りを見せ合います。
篤姫の目から再び大粒の涙が零れます。
あの頃の想い出を同じように大切にしてきたお互いの心がここで初めて共感し合います。
とてもいいシーンで好きです。



この「明治前夜の再会」を見て、ある有名な映画を思い出しました。
「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストの方で、
初恋の相手エレナと主人公サルバトーレが再会した時の会話です。

詳しくはこちらへhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=684900897&owner_id=3915793


次回の「篤姫」はいよいよ最終回ですね。
背筋を正してじっくり見たいと思います。
きっと多くの皆様が同じような想いだろうなと想いながら。

「風のガーデン」第九話

2008年12月05日 | Weblog
大切な人を見送った経験がある人にとって
「風のガーデン」の展開は本当に胸を締め付けられます。

そして父として、母として子供たちに想いのすべてを伝えられなかった人にとっても、
後悔という言葉では言い尽くせないほど身につまされる話です。
親のかつての悪道を許せぬままにきた子供にとっても
このドラマに心を動かされない人はないでしょう。

多くの人が数々の過ちを繰り返して人生を送ってきます。
後悔が一つもないと豪語する人など私は信用できません。

そんな中で岳くんだけは別世界に住んでいます。
人の灰汁(アク)などまったく気づかず
純白のままの時を過ごして来ました。

父が死んではいなかったという灰汁にまみれた大人のウソを
誰が純粋な彼に伝えられるでしょうか?

母を裏切り、障害者の岳を捨てルイからも遠ざかった父が、
実は生きていたのなど今更伝えられるはずがないのです。

周囲の大人は最後まで大天使ガブリエルのままで
父にはいてもらおうと話し合い、貞美も了承します。
父と名乗れない貞美の切なさは、あたかも今までの悪道の報いかもしれません。

刻々と迫る貞美の寿命。
友人たちの生前葬という暖かい悪戯は、
貞美にとっては故郷の仲間に許しを得た証として
実は心地よいものだったにちがいありません。

しかし、石田えりが演じるエリカやそれを聞いたルイには、
あまりに酷い仕打ちだとしか捉えられません。

エリカはとんでもない事をしたという後悔に悩み、
ルイは父の友人たちに猛烈な怒りを覚えます。

この対比がとても胸を打ちます。
人は自分の想いを優先させ能動的に生きています。
愛される人生より愛する人生を選ぶと云って過言ではありません。
だから貞美が生前葬をどう受け取ったかなど考えにも及びません。

人が受動的な人生を送れるようになるためには、
大変残念ですが、少し時間がかかるように思えてなりません。

「伝える」能力より「伝わる」感受性が大切なのです。
このことを無意識で分かって行動できる人は直感力が非常に優れた人と云えます。
音楽で云えば絶対音感を持っている人です。
しかし、ほとんどの人がそんな能力を持ち合わせていないのです。

家事に疲れた高校2年生の娘が
母を切りつけた事件などはその典型のような悲しい事件です。
家族でありながら娘の心も親の心も分かり合えてないのです。

つまり人はもともと他人の心とは共感できないのです。
家族との絆が薄くなってしまった弊害だと思います。

ウォークマン世代にとって
電車の中で自分が出す騒音のことなど気にもかけないのです。

しかし、このように語りながらも
若者はそれでいいのかもしれないと思う反面があります。

ルイに結婚をせまる元不良青年の自己本位的な想いのことです。
まさに若者の勢いであり、それはとても大切なものだと思います。
周囲の想いなどまったく見えず感じず、
夢中になって純粋な想いだけに集中できるのは
若者だけの特権とさえ感じます。

人はこうした時期を通り過ぎて
初めて周囲の暖かさを感じ取れるようになるという思いがあります。
だからこそ、受動的人生に入るには時間がかかると云いたいのです。
若いときは能動的人生を精一杯生きて、
生きてきた喜びを感じられるものだと思います。


貞美とほとんど同じ年齢の私は、
もし膵臓癌、ステージ4と宣告されたらという思いを胸に
「風のガーデン」を楽しんで?います。

貞美は2,3カ月の寿命ですが、
私にはまだ20年以上あると信じつつ
貞美の心情に共感しながら
残す20年の時を過ごせればいいなと思っています。


さて、岳との別れをどんなシーンで迎えるのか?

大天使ガブリエルが岳のために、
父の姿を借りて降臨し、去っていった……。

そんなラストが浮かびますが、
倉本聡の名脚本はどんなラストを考えているのか
本当に楽しみです。

「母を切りつけた娘の事件」

2008年12月04日 | Weblog
■女子高生が母親を切りつけ逮捕「家事で遊べなかった」
(読売新聞 - 12月04日 01:47)

12月3日午後7時40分頃、大阪府泉佐野市の路上で、近くに住む府立高校2年の女子生徒(17)が、帰宅してきた母親(38)の背中と頭の計3か所を包丁(刃渡り17センチ)で切りつけた。
 府警泉佐野署の発表によると、女子生徒は、母親のほか、父親、妹2人(2歳と9歳)の5人暮らし。日頃から母親に代わって育児や家事をしていたといい、調べに「アルバイトをすることも、友達と遊ぶことも出来ない。母さんなんて、この世にいない方がいい。殺してやると思った」と供述している。



この事件からどんなことを思いますか?
何が高校2年の彼女を突き動かしたのでしょうか?


痛ましい事件です。本当に心が締め付けられるようです。
もし今が映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のような頃なら、
こんな事件が起こったでしょうか?
このことが私には悲しくて仕方がありません。

あの頃の春先、東京の上野駅や大阪の梅田駅には、
高校を卒業した集団就職の若者たちが溢れていました。

私の実家もあの頃、商店街で2軒の店を営業していました。
一番多いときで5名の若者たちが住み込みで働いており、
私たちと同じ屋根の下で生活を共にしていました。
九州の宮崎、鹿児島、大分、そして山陰の島根から来ていました。
小学校生だった私は皆さんに随分可愛がられ記憶があります。

あの頃から45年が過ぎ、日本は世界でも希にみる高度成長を遂げました。
特に中産階級と呼ばれる所得層がアパートから団地へ、そしてマンションへ、
そして建て売り住宅を手に入れる為に身体を張って働いてきました。

国民のほとんどが貧しかったのです。それが当たりまえでした。
誰かの家にテレビが来てもバカな嫉妬はせず、
家族のために親はその気持ちをバネにして働きました。

昭和初期頃、特に冬に雪で覆われる東北地方では仕事がなく、
家族が生きていくために若い娘が売られたり、
姥捨て山という悲しい話が生まれたほどでした。

集団就職してきた若者のほとんどが、少ない給料から故郷の親や家族にお金を送りました。
現金書留の存在すら知らない彼らに母は、
郵便局まで付いていって送付の仕方を教えたそうです。

「貧しさからの脱却」は多くの日本人の誓いの言葉だったに違いあまりません。

1955年から1958年頃の日本の自殺率は10万人当たり25名という高い数字でしたが、
1965年には15名に減っています。豊かになってきたことが伺えます。
しかし、1990年のバブル最盛期以降、その数字は上昇をはじめ、
1997年(日本の金融危機)には、また25名を突破しました。
不況が続くお隣の韓国も、2000年には10万人当たり15名を切っていたにも関わらず
2005年には25名を越えてしまいました。
カトリックの国イタリアは7名、プロテスタント国イギリスが7名、
アメリカは10名、最も高いのはロシアの35名強です。

 母を切りつけた高校2年生の周囲には、彼女のように幼い兄弟の面倒を見て、
家事に明け暮れる日々を送っている友人は皆無だったに違いありません。かといって彼女の行為を肯定する訳ではありません。
そんな状態で苦しかったのなら家を飛び出すことを考えても良かったのではないか。
そんなことも考えないきっと親のいうことをよく聞くいい子だったように思えてなりません。
しかし彼女の取った行動は母を殺す決断でした。
もっと他の手段を考えられなかったのでしょうか? 
そう思うと悲しくて、残念でしかたありません。

父や母も彼女の心理状態を想い測れなかったのでしょうか?
同じ家に住みながら彼女は、兄弟の世話や家事に喜びを見いだせず、
学校の友人たちの楽しいそうな様子が嫉妬心を生じさせたのでしょう。
誰一人自分の心を理解する人もなく、孤独感に蝕まれれていったに違いありません。
家族の誰かが、親友と呼べる誰が、彼女の心根に近づけていたら……。

周囲の豊かさが、さらに彼女を孤独の世界に押し込めたのでしょう。
今が昭和の初めのような貧しさが当たり前の時代であったのなら、
母や父が必死で働く姿に素直に感謝できるような家族関係だったのなら、
助けてくれる隣人たちが居たのなら……。

17歳という人生で最も華やかで楽しいはずの時を
何故、実の母を殺めようとしなければならなかったのか?

新聞記事の数行から深い真実など想い測れるはずはありませんが、
私たちが過去通り過ぎてきた時代を振り返った時、
こんな事件は皆無だったと思えてなりません。

ゼロ系の新幹線が走り出したあの時代から、今までにどんな出来事と遭遇してきたのか?
そして、何を手にしながら何を失ってきたのか?

肉親に対してあまりにも痛ましい暴力的事件が多発する現代。
吹き荒れる自分の欲望を満たすことだけが孤独感から逃れる術だと思い込み、
普通の感情を越えた激情なるものに人は突き動かされ、
行き場を見失いつつあります。

周囲の豊かさに嫉妬して自らの心をかきむしり、
ただれて化膿した心を癒す特効薬は見あたらないようです。

あの女子高校生は自分以上の悲劇を知らないと思えてなりません。
過去の日本にも、食糧難や貧困と医療不足に悩むアフリカの子供たちにも、
共感できない人たちが促成栽培のごとく育ってきているように思います。

私はこう思います。

 <共感>こそが我に返る妙薬なり。


悲劇や喜劇は、人の心のバランスを保つにはとても重要な役割を果たすと云います。

人の心の痛みを共感できる
人の喜びを共感できる
人の悲しみを共感できる

「お客様の立場にたって考える」は、サービス業で言い尽くされてきた言葉ですが、
言い換えればお客様の怒りや苛立ち、悲しみや喜びを共感できる事を意味します。

家族の怒りや苛立ち、悲しみや喜びを共感できる一員になりましょう。

すべてはこれがスタートだと思います。

同じ屋根の下にいる家族の気持ちも分からないで
赤の他人の気持ちなど共感できるはずがないのです。

家族である意義はそこにあると思います。
友達である意義もそこにあります。

上司が部下に接するときも伝えたことが伝わっているかを見極めることが大切です。

かつて日本人は優秀な民族でした。
その最たる遺産は豊かな感性だと私は信じています。
「伝える」のではなく「伝わる」ことを大切に感じ、
そして、意識しながら毎日の生活を充実させていきたいものです。

「アメリカの破綻」④(心のあり方)

2008年12月02日 | Weblog
 日本人は「戦略」の文化ではなく、「配慮」の文化を持ち続けてきました。自衛隊や大店法は、そういった「配慮」の文化から生まれました。相手の弱みにつけ込むような悪どいビジネスではなく他人を配慮することによって長期的に世界から認められる日本人特有の国民性を大切にしたビジネススタイルや政治施策を今後も確立して行かねばなりません。 

 姜尚中(カン・サンジュン)氏が、こんなことを対談で云っていました。
「漱石に『二百十日』という小説がありますが、豆腐屋が豆腐づくりにも、ものすごく誇りを持っているんですね。こんなにおいしい豆腐は世界中で俺しかつくれないと。そういう価値観が生きていた時代があったんだけど、今は年収が200万しかないとその人間はそれだけの価値しかない。そこがいちばんつらいと思う。」

ここに所得格差の心の問題があります。
そしてサブプライム問題のような複雑怪奇な金融錬金術に翻弄され、
自分の力ではどうにもならない現実社会の限界や無意味な喪失感さえ覚えます。
『夜と霧』(心理学者ヴィクトール・フランクル:自らのナチスのユダヤ人強制収容所で過ごした経験を綴る)の中の言葉を姜尚中氏は引用しています。

「人は相当の苦悩にも耐える力を持っているが、意味の喪失には耐えられない」

サブプライム問題のような回避不可能的喪失感
両親の離婚や不仲による愛の喪失感
学級崩壊による尊敬心の喪失感
映画「バットマン3」のように登場人物の絶対的人物の喪失感
少子化の深更を防ぎ切れない政府の無策とその喪失感
もっといい教育を願う親としての喪失感

 映画「ウォール街」を思い出します。公開後、多くの証券マンがマイケル・ダグラスが演じた主人公ゴードン・ゲッコーのファッションを真似たといいます。しかも彼の生き様にウォール街の証券マンは拍手まで送ったと聞きました。しかし、私は飛行機の整備士だった組合長の父(マーティン・シーン)と野心満々の若手証券マンの息子バド(チャーリーシーン)の対比が今も忘れられません。マシンオイルにまみれた作業服の父とブルックス・ブラザーズのスーツに身を包んだんだ息子。人の金を口八丁手八丁で右左前後に導いてその利ざやを目論む証券マンの息子の姿に危ういものを感じる父。いつもオイルまみれで、たまのボーリングとビールを楽しむ父の姿に自分の将来を重ね合わせられない息子。今思えば、この切ない対比の中に今のアメリカの破綻が見え隠れしていました。

幼い子供たちや若者たちが、さまざまな喪失感の真っ直中で生きています。
アメリカの破綻はこれらの喪失感をまったく無視して、
猛禽類的な利益追求のなれの果てのように思えてなりません。

庶民を虫けらのように無視した一握りの個人主義者たちが、
青い鳥のごとく追い求めた夢(利潤)の果てだったのです。

最近でいえば小室の詐欺事件、ホリエモンの株価操作事件。
才能ある若者がどうして道を誤って行くのか、本当に残念でなりません。
小室が音楽を志したとき、
ホリエモンが社会に挑戦したとき、
そのときの初心(スタンス・心構え)こそ大切なような気がしてなりません。

『何を信じ、何を守ろうとしたか』

破綻したアメリカ、不誠実な言葉を平気で連発する日本の政治家たち、
罪人となったホリエモンと小室、
アメリカで発生することは、世界中で最も日本に起こる可能性が大きいのです。
ホリエモンや小室が行った過ちは私たちも犯してしまうのです。
何が間違っていて、どうすべきだったのか?
じっくりと分析しながら自らの道を選択して行かねばなりません。
   「アメリカの破綻」(終了)

(参考文献 中谷巌:三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長。加藤出:東短リサーチ取締役・チーフエコノミストの月間誌寄稿記事&姜尚中対談記事)

「アメリカの破綻」③(日本の将来)

2008年12月02日 | Weblog
 フランスの「ル・モンド」紙によると、つい最近「日本だけが頼りだ」と書いてあります。
何故、フランス「ル・モンド」はそのように思うのか?

 「ル・モンド」が日本を頼りにする理由は、日本が持っている貯蓄力、技術力と開発力、世界特許の所有(■特許の世界は日・欧・米の三つの極から構成され、日本は国内出願年間40数万件を安定的に推移させている世界一の特許出願大国)にあると私は思います。日本で作った製品がどの国よりも優れていたことで、私たちは他国製品ではなく自国製を選んで購入してきたのです。その実績こそが大切なのです。扇風機のように安価なものは韓国や東南アジア製を買っても、コシヒカリのような高い品質の米と同様に、自動車、衣類、OA機器、クーラー、カメラ、テレビや冷蔵庫等の家電製品から建築、造船に至るまで日本製を購入し、しかも刷新による刷新を遂げてきたのです。これが日本が生き残れる最たる所以だと思っています。つまり世界の多くの人々が日本製を求めているのです。

(■世界知的所有権機関(WIPO)が8月31日に発表した2008年版の「世界特許報告(World Patent Report)」によると、2006年に米国特許商標庁に出願された特許件数は42万5,966件で、40年ぶりに日本特許庁への出願を抜いて世界第1位となった。日本特許庁への出願件数は40万8,674件で世界第2位だった。)

 日本経済の最大の問題は、小泉政権時代の構造改革路線で深刻な所得格差が生まれたことです。アメリカではレーガン政権(1981~1989年)以降ものすごい勢いで所得格差が進み、中流層の所得はほどんど上がっていません。30~40年前のアメリカは非常に豊かでしたが、今の中流層はとても豊かとは云えません。日本の所得格差はアメリカほどではありませんが、年収200万円以下の国民は1,000万人を越えています。アメリカのゴールドマン・サックスの全社員の平均年棒は7,000万円にも達していました(サギ師のような全社員が……。信じられません)

 日本の金融界は庶民から搾取して金儲けをするビジネスモデルを選択してはいけません。絶対にいけません。同じ金融立国を目指すにしても独自の地道な金融業です。投資欲(ハイリスク・ハイリターン)を煽るようなファンド系金融会社に騙されてはいけないのです。庶民のために、自営業・中小企業が倒産しないビジネスモデルを日本の金融機関は新に考えなければなりません。

 アメリカは経常赤字の国であり日本とは違い国内の貯蓄が非常に少ない国です。海外の投資家が資金を引き揚げたら、たちまち経済システムが成り立たない国だと認知しなくてはなりません。まさにアメリカは張り子のトラと云えるでしょう。日本は国内貯蓄が潤沢で、国民はたとえゼロ金利であっても従順に銀行に預金してきたのです。こんな国民性は他に類をみません。我が国はその膨大な預金をベースに国債が買い支えられ、90年代の金融システムの処置が先送りされ時間的余裕がありました。しかし、アメリカには余裕がありません。日本のバブル崩壊とその後の処理に較べて、アメリカの公的資金導入の決議は瞬間だったとは思いませんか? 日本は1990年から株価や不動産価格が下降していき、金融危機が叫ばれたのが1997年でした。

アメリカはどうでしょうか? アメリカの不動産価格が下がりだしたのは2006年ですからわずか2年半しか持たなかったのです。ここにアメリカが抱える大きな問題があります。自国製品を作らない、買わない猛禽類的合理主義(私のオリジナル造語)とギャンブル好きでレジャー好き、しかも貯蓄嫌いの国民性に問題があるのです。そうした土壌を猛禽類が狙うからです。(続く)

「アメリカの破綻」②(周辺への影響)

2008年12月02日 | Weblog
 急速な経済成長を遂げるBRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国) は今回の金融危機によってどんな影響を受けるか? これまではアメリカの過剰な消費によって成長してきましたが、これからはBRICsのモノを買ってくれなくなります。ロシアの実体経済は、急激な原油価格が下落(ピーク時の半分)し、ロシアに流れていたオイルマネーが半減し、ロシア株式市場も半減してしまいました。

 中国の政府系ファンドは、リーマン・ブラザーズの破綻寸前に同社に巨額の出資をしているため多大の損害を被りました。但し、中国経済は社会主義のためグローバル経済とは直結していないため連鎖反応は生じませんでした。

 IT立国を目指すインドは、今までアメリカのアウトソーシング(業務委託)を受けてきました。アメリカシリコンバレーのコストが高すぎたため、地球の反対側に住むインド人にソフト開発を依頼してきたのです。アメリカビジネス界の猛禽類を思わせる合理的思考は、自国では採算がとれない・価格競争に勝ち抜けないと判断し、安くて品質の高いインド人の能力に目を付けたのです。アメリカの金持ちがパソコン通信を利用して、子供にインド人の家庭教師をつけている話もまったく同じです。(日本ではユニクロが中国での生産で価格の競争力を持った)アメリカを発信地にしたグローバル化の嵐は、自国での正常な金の流れ(自力でモノを作り自国民が買い、世界にも売る)を崩壊させていったのです。

 ブラジルは鉄鉱石や石炭といった一次原材料のおかげで伸びてきました。世界経済が伸びれば伸びるほど鉄鉱石や石炭の価格が急騰しブラジル経済が潤ってきたのですから、世界経済が減速すればブラジルの原材料需要も落ち込みます。

 日本が買い入れたサブプライムローンは、世界で繰り広げられきた金融ゲーム(?)に日本の金融機関はほとんど参加できなかったため、破綻の影響を最小限に抑えることができました。それは1990年に破綻した日本バブルの経験が活かされたと思います。(余裕がなかったかも?)アメリカやヨーロッパが被った被害に較べればせいぜいい数千億規模と云われ、そういう意味では日本に対する世界評価は急上昇しています。

 1930年代のアメリカ大恐慌は戦争による莫大な軍事需要によって回復しましたが、今やアメリカはこれ以上軍事予算を増やすわけにはいかない状態です。サブプライム問題をきっかけに世界の勢力地図は大きな転換期を迎えようとしています。見方を変えれば日本にとっては大きなチャンスかもしれません。

「アメリカの破綻」①(サブプライムローン問題)

2008年12月02日 | Weblog
 今までアメリカ映画を観ているとテレビ局内のシーンでSONYやPanasonic以外の機器を見たことがありません。また、外国の写真家・ジャーナリストがシャッターを切るシーンでは100%NICONカメラを使用しています。カメラ産業(コダック・ポラロイド社のみ)もOA機器産業もアメリカでは育たなかったのです。経営者は、大きな投資をしてまでリスクのあるカメラやOA機器産業には手を出さなかったのです。石油産業でさえ自国の発掘を止め、サウジを中心とした中東地域への投資に切り替え、強いドルで購入してきたのです。

 肉や農作物を別にしてIT機器以外の工業製品を作らない国になろうとしています。(最も高額な武器は作り続けているが)唯一世界に誇ってきた製品は自動車でした。アメリカでは5人に1人が自動車産業関係で働いていると云われていますが、その自動車産業の衰退こそ、アメリカの破綻を象徴しています。IT産業が飛躍的な発展を遂げましたが、その力を借りて、「金融立国」戦略へと変革を始めたことが破綻を招いたのです

 1980年代製造業から金融立国を目指し、アメリカの金融立国戦略は、つい1年前までは大成功を収めていました。アメリカ投資銀行のビジネスモデルは、高収益を生み出し、経済を活性化させました。そして、さらなる市場拡大を目指して、すそ野が広い低所得者を金融市場に招き入れるべく開発されたのが、昨年破綻したサブプライムローン(低所得者用向け住宅金融)でした。モーゲージ・カンパニー(住宅金融を専門にした事業者)が、返済能力が低い人たちであってもローンを組んでも大丈夫だと太鼓判を押したのです。もともと移民が多いため、住宅需要は強い状態であり続けましたが、こうして過去、アメリカの住宅価格は上がり続けてきました。

「今買っておけば必ず資産価値は上がる」
「仮にローンの返済が苦しくなっても、
 資産価値が上がった住宅を担保にローンの借り換えをすればいい」と説明しました。
(まさに日本のバブルそのままの手法)
日本にはなかったとっておきの禁じ手が
「ノン・リコース・ローン」(借り手が債務全額の返済責任を負わない融資)です。
今住んでいる住宅を手放すだけで、すべての債務を帳消しにするとそそのかし(?)
「絶対大丈夫です」と太鼓判を押したのです。

 日本の場合は1990年代初頭、5,000万円で買った住宅が3,000万円の価値まで値下がりしてしまう現象が起こりました。債権者である銀行は、目減りした2,000万円分の担保の積み増しを求めたため、債務者は大変な苦労をすることになりました。これが当たり前の話です。反対に3,000万円で買った家が5,000万円に上がれば、その家を担保にして2,000万円近くの融資を受けることができたのです。

 しかし、アメリカの住宅バブルは数年間続き、経済は成長を続けました。住宅価格の上昇がストップした瞬間(高値まできたら手が出せなくなるのは当然)、彼らの描くストーリーは崩壊します。そのリスクを金融界が黙って見過ごすわけがありません。モーゲージ・カンパニーは膨れ上がった債権を商業銀行・投資銀行売却しました。買い受けた大手金融機関は、債権にリスクがあることは十分承知しており、債権の証券化を行ったのです。3,000万円の債権であればリスクが高いように見えますが、一枚1万円の証券に変えてしまえば「1万円ならいいか」と誰もが思います。その証券をバラバラに分けて、優良証券と混ぜてしまったのです。(私から云えばサギとしか思えません)大手格付け会社でさえ、この錬金術に騙され、「トリプルA」の評価を付けてしまったのです。この証券が世界中を駆け巡ったのです。

 アメリカはギャンブル大国だと昔から云われています。その習性は今もなお続いています。当然大企業も一般投資家もこの証券を買いまくったのです。世界各国の企業も投資家たちもこの優良(?)証券を購入した結果が、現在の金融世界恐慌を導きました。(続く)

「篤姫」(江戸城無血開城)

2008年12月01日 | Weblog
西郷さんは勝が持ってきた手紙を読んで
どのように感じたのか、私なりにその胸の内を読んでみました。


西郷さんが心酔し、唯一尊敬した島津斉彬。

斉彬の当初の計画は、将軍正室を通じて一橋家の徳川慶喜を第14代将軍にし、
賢侯の協力と公武親和によって幕府を中心とした中央集権体制を作り、
開国して富国強兵をはかって露英仏など諸外国に対処しようとするものでした。

久光に嫉妬され島流しにされたが、
斉彬が描いた改革の夢は消えることはなかった。
西郷にとって斉彬への想いは、自分を突き動かす原動力だったに違いない。

篤姫の嘆願書には女性らしい願い事が書かれていた。
『徳川家に嫁いだ以上は、当家(徳川家)の土となるのは勿論のことであるが、
 温恭院(徳川家定のこと)がすでに他界しているので、
 いまは亡き夫に替わって当家の安全をただ祈るばかりである。
 しかし、自分の存命中に当家にもしものことがあれば、
 あの世で全く面目が立たず、
 そのことを思うと不安で日夜寝食も充分に取れず悲歎しています』(原文直訳)
と心情を吐露し、徳川家の存続をただひたすら嘆願していました。


斉彬から篤姫に宛てた手紙には篤姫への深い愛と共に、
薩摩と幕府がたとえ将来争うことがあろうと、
貴方(篤姫)の思うがままに生きよとしたためられていた。
そこには信じたものへの暖かい眼差しが伺えた。

西郷さんはあの時、自分と斉彬との深い絆を思い出したにちがいありません。

「西郷、お前は何をしているんだっ!
 
 開国して富国強兵を計り、露英仏など諸外国に対処しようとするものではなかったか? 
 日本を二分するような戦いをして、どうしてこの国が守れるのかっ?
 
 今の戦いは、今まで虐げられた下級武士として、
 その無念を晴らそうと慶喜に対して私怨の戦いを仕掛けているように見えるぞっ!
 
 相手は(幕府)、全面降伏しているのだぞっ。
 お前は篤姫をはじめ幕府を焼き払おうというのかっ?
 
 馬鹿者っ!

 官軍の参謀として祭り上げられているうちに驕り果て、
 わしとの初心である大切な計画を忘れてしまったのかっ?!」


斉彬への郷愁は、西郷さんに初心を思い出させた。

 「西郷、初心に戻るのじゃ!」

斉彬の熱い言葉が西郷さんの驕った心をむち打った。

男にとって自分を見出し引き揚げて恩は、親の恩をも越えるものがある。
心酔する斉彬との数々の想い出や辛い2度の島流し、
篤姫の婚礼や井伊直弼の失脚、
大政奉還や列強会議、
龍馬暗殺から堰を切ったように武力による倒幕開始、
まるでトリックのように錦の御旗手に入れ、それを掲げての進軍。


西郷さんは、<己の驕り>をしっかりと自覚した。

彼はまるで憑き物が落ちたように江戸城無血開城を受け入れた。