GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「政権交代」

2009年08月31日 | Weblog
『1955年、自由党と日本民主党が合同して自由民主党、現在の自民党が生まれました。かつては、地方の建設業界に対して一定の公共事業を発注するなど特定利権は生じるものの、「富の再分配政策」を行って地方の経済を重視し、「一億総中流」を唱えるなど平等を重視する保守左派の保守本流派が主流であり、農山漁村や地方小都市など地方を支持基盤としてきた。 1970年代後半から、しばしば過半数ギリギリまで議席が落ち込み、保革伯仲と呼ばれた。しかし、1980年代に入ると、都市部を中心に自民党への回帰現象も起こった。1976年に新自由クラブが分裂し、都市部でブームを起こした。1983年に自民党は新自クとの連立政権を組んだが、1986年に再合流し、自民単独政権に戻った。 1988年のリクルート事件や1992年の東京佐川急便事件により国民の政治不信が増大し、自由民主党単独の長期連続政権による金権体質が度々指摘されるようになった。1989年の第15回参院選では社会党を10下回る36議席しか獲得できず、史上初めて参議院での過半数を失った。1990年の第39回総選挙では自民党は安定多数を確保したが、政治改革が必要との議論が党内外に高まっていった。1993年の第40回総選挙では、自民党は解散時勢力を維持したものの過半数にはとうてい届かず、保守3新党(日本新党、新生党、新党さきがけ)が大勝。また、55年体制の片割れである社会党は惨敗した。この結果、日本新党の細川護熙を首班とする連立政権が成立し、結党以来の自由民主党単独の長期連続政権に終止符が打たれた。そこで自民党は、社会党の村山富市委員長を首相に推す奇策で、1994年6月30日、社会党・さきがけとの連立政権として与党に復帰。1996年1月11日、自民党の橋本龍太郎首班となり、1998年には社会・さきがけとの連立を解消し単独政権に戻った。しかし、同年の第18回参院選で大敗し、参議院での過半数確保に失敗したことから、1999年、自由党、公明党との自自公連立政権を新たに組み、2000年には自由党の離脱で、自由党から分裂した保守党(後に保守新党)との自公保連立政権に変わった。2003年に保守新党を吸収してからは、自公連立政権となりそのまま続いてきた。

 1991年にバブル経済が崩壊する。冷戦が終結しグローバル化が急速に進展したことにより、従来型の官僚主導による利益分配的な政治手法が機能しなくなっていたが、経済政策を劇的に転換する事が出来ず、経済成長効果が小さかったとされる公共事業を軸とした膨大な財政出動により国と地方も莫大な財政赤字を抱えるようになり、経済政策の転換を迫られることになった。そうした時代的要請から、2001年に小泉内閣が発足すると、公共事業の削減などにより政府の財政出動を抑制し、中央政府の権限を民間企業や地方自治体に委譲すべきとする聖域なき構造改革を主張し、旧来の地方への利益分配により政党の支持基盤を磐石なものとしてきた大きな政府路線から小さな政府路線に政策を転換した。

 2005年8月、第162回通常国会における郵政民営化法案参議院否決後に行われた第44回衆議院議員総選挙では、小泉劇場と言われるポピュリズム的政治手法をとり、歴史的圧勝をおさめた。』(ウキィペディアよりの抜粋)

 その後の自民党の凋落は皆様もよくご存じだと思います。度重なる政権与党大臣、議員のスキャンダルによる自民党支持率の低下、バブル崩壊後も続く不安定な経済、安倍、福田、そして麻生の党首交代。そして全世界同時不況を招いた米国発の金融危機。

 バブル崩壊後、小泉元首相は構造改革と規制緩和による市場競争こそが経済を活性化すると大声で叫び、郵政民営化を旗印に小さな政府を目指そうとしました。私たち国民も諸手を挙げてその船に乗り込みましたが、心は今までの安定成長を信じていたのです。バブルが崩壊し構造改革が必要と思いながらも、道路公団民営化や郵政民営化などにおいて、常に関係する利益団体や省庁への配慮が働き、既得権の大きな変動は起こりませんでした。トヨタをはじめとする日本の大企業もまた同じでした。

 規制緩和も、おもに大企業に有利に働き、市場競争は激しい価格競争と中小企業の淘汰を生むことになり、産業構造そのものの転換につながりませんでした。政治が成長を掲げ、国民がそれを信じ続ける限り、既得権を持つ側が自らこの構造を否定することはありません。

『真のキーワードは、人口減少と低成長での安定である。先進国が主導してきた20世紀型の経済成長の終わりと、低成長に入ったこの国の生き方だろう。そこには国のかたちとしての官と民のあり方や、私たち自身の価値観のあり方も含まれる。安定という以上、マイナス成長に陥らない産業構造の創出が第一であり、景気回復はその道筋の外にはない。』(8.29朝日新聞:高村薫)

 内閣と党が一つになって、政権政党の意志で官僚を動かすことを政治主導という。この政治主導は小泉政権が目指して果たさせなかったものです。民主党は参議院でも過半数を確保しており、今回の衆議院選挙でも単独過半数以上(308)を確保して政権を獲得しました。これにより公約した政策を実現できることになったのです。そして霞ヶ関改革も予算の組み替えも可能となったのです。

『この政権に私たちは何を望むのだろうか。地方と都市。正規雇用者と非正規雇用者。公務員と一般。高齢者と現役世代。富裕層と貧困層。安定した暮らしを望むにしても、その安定の中身はそれぞれ異なり、利害も異なる。一方を立てれば他方が立たず、両方を立てようとすればバラマキになる。しかし、財源はつねに有限である。有限の予算で行われる、この相反する利害の調整と配分こそ政治の命題そのものであり、国民生活のあり方であり、国のあり方というものである。』(8.29朝日新聞:高村薫)

 今回の選挙は前回の郵政民営化の是非を問う、小泉自民党のやり方を同じように真似て民主党が政権交代の是非を問う選挙となりました。投票する私たちにとって前回同様に分かりやすい選挙となり、民主党は意識してそういった小泉的選挙戦略を取ってきました。マニフェスト論争するにはもう1,2ステージ私たち国民がレベルアップして、その内容をしっかりと吟味し、どの党のどんな施策が現状打開に有効なのかを分析していかねばなりません。

 政府や政治家と同様に私たちも政治に対するスタンスを改め、レベルアップを図らねばなりません。スキャンダルで辞任する大臣、議員こそ、我々国民自身のレベルに他ならないからです。頭を下げて謝罪する議員を揶揄するのは容易ですが、彼らに投票したのは私たちだったことを忘れてはいけません。

 マスコミは今後多くの時間を割いて、民間の有識者や手厳しい主婦やサラリーマン、商売人、小中大の企業経営者を招いて、パネルディスカッションを開きながら私たちにマニフェストの真の内容を説き明かさねばなりません。

 政権与党となった民主党は、分かりやすいビジョンを全国民に提示して、公約の実行を真摯に押し進めなくてはなりません。野党として、今までは多くのイチャモンを付けてきましたが、これからはマニフェストの実行力がそのまま政権の維持につながることを党員全員が胸に刻まねばなりません。

 どれだけ真摯にマニフェストを実行できるかが、これからの与党のあり方、国のあり方となっていくからです。ここに我々国民が真に望んだ政治のあり方、国のあり方、政治家のあり方があるからです。そして、予算の調整と分配こそが政治の命題であることをしっかりと認識して欲しいと願っています。

「のりピーを憂う」

2009年08月29日 | Weblog
のりピーは38歳。これから人生は40年以上続くでしょう。
芸能界で頂点を極めた人にとって、辛くて長い道のりが残っています。
10歳のお子さんにとっても大変な道のりかもしれせん。

マスコミ報道では彼女の堕落が騒がれています。
<堕落>とはいったいどういう状態なのでしょう。

『堕落(だらく)とは、生活の規律が乱れ、品行が悪くなること。卑しくなる、落ちぶれることを言う。何をもって好ましくないとするかは、価値観によって異なるが、人間が享楽に流されることを好ましくないとする点は、どの価値観でも同じである。キリスト教では、人間が神の意向から離れていくことを、堕落と呼ぶ。仏教では、人間が釈尊の教えを忘れていくことを、堕落と見做す。』(ウキィペディアより)

宗教界では神を忘れることを堕落というようです。

神とは、私は心の中の良心と言い換えられる思っています。
獣には良心は存在しません。あるのは自己防衛本能のみです。

堕落したと思うのは心に良心が存在することを意味し、人であることの証明だと思います。
人だからこそ邪悪にもなり、崇高にもなれる、
そして堕落し、悦楽にふけり、酒やクスリにも溺れるのでしょう。

人は多くの生き物に変身できます。
トラやライオンにもなりハイエナにもり、天空をゆく鷹にもなり、
死体に群がるウジにも変身できるように思います。

その変身は周囲の環境から自分を守るための行為です。
それが堕落であり、邪悪であり、崇高だったりするように思えます。
その変身能力は獣が唯一持っている自己防衛本能と同じなのかもしれません。

今後ののりピーを憂いながら、ある映画のセリフを思い出しました。
「人のことを心配できる、これはとても正常な人の感情です」
映画の中で精神科医がこのように語っていました。

金のために働くのではなく、
我が子や家族の為に働く、現場にいる部下や仲間の為に仕事に行く、
そんな気持ちをこれまで何度も自ら思ってきたように感じます。
そして結果的に救われてきたと…。

自己本位ではなく、愛する人のためにに生きることは
人を人として正常に生きることにつながり、価値ある人生といえるかもしれません。

映画「誰がために鐘は鳴る」はヘミングウェイの原作「WHOM FOR the BELL TOLLS」の映画化です。スペイン内戦に参加したロバート・ジョーダン(ゲイリー・クーパー)とジプシー、マリア(イングリット・バーグマン)の悲恋の物語でした。ジョーダンがマリアを助ける為に最後は自分の命かけます。ジョーダンの行為は崇高なものでした。ショートカットのバーグマンの可愛さは今も忘れられません。

映画「ブラッド・ダイヤモンド」でデカプリオがラストで演じた行為は、「誰がために鐘は鳴る」のジョーダンを彷彿させてくれました。金だけを目的に生きてきた堕落したダイヤモンドブローカーが、自分の死を目の前にして虐げられてきた黒人の親子を救おうをしたのです。

映画「喝采」のグレース・ケリーは、自分のミスで息子を死なせたアルコール中毒の夫(ビング・クリスビー)に尽くす健気な主婦を演じ、カンバックさせようとする演出家(ウィリアム・ホールデン)との3人の人間模様はとても存在感あり共感できました。映画の後半、メガネを取ったグレースの表情はやるべきことをやり通した人としての美しさで輝いて見えました。ジョージ・シートン監督の正攻法の演出が素晴らしく、G・ケリーが最も美しい女優として今も心に残っています。

「誰がために鐘は鳴る」という言葉は、
イングランド国教会の司祭(詩人・作家)でだったジョン・ダンの説教の一節です。
どのような説教の中でこの言葉が用いられたのか分かりかねますが、
「愛する人のために生きろ」
「自分のためではなく、愛する人のために何かを施せ」
「自らのために鐘を鳴らすのではなく、
 愛する人のために鐘を鳴らし、生きる力、生きる道筋とせよ」

ジョン・ダンが説教でこう伝えたかったのではないでしょうか?

のりピーの歩むこれからの道のりは、
自分のために鐘を鳴らして行くなら困難に違いありません。
しかし、残された我が子のために生きると心を固めれば、
子供のために鐘を鳴らして生きて行くならば、
迷わず、ためらわず、恐れもなく、生きていけるのではないか。

「迷ったときは愛する人のために鐘を鳴らせ!」
私自らも心に刻みたいと思います。

「努力が報われる」2

2009年08月25日 | Weblog
 そもそもこのブログは大学時代の友人に奨められて立ち上げました。一人息子に父のスタンスを伝えることを目的に始めましたが、家長になる可能性の高い男性に伝いたいと思っている内容が多いようです。だから若い女性や母親向きではないかもしれませんが、女性の家長が数多くなってきていることも現実です。

 人は元来弱い生き物です。だからこそ火や道具、そして頭を使って、他の生物を押しのけてこれまで生き残ってきました。私の息子も同様の傾向にあるのですが、最近男性の草食化(?)が騒がれています。精子の生殖能力が過去と比較して落ちてきていると報告も聞きました。生きる残ることに必死になっている国民ほど生殖能力が高くなるのは自明の理かもしれません。

 前回のおにぎりの話ですが、以前銀座のNo.1ママのインタビュー記事から抜粋しました。無人島に流れ着いた親子3人に、おにぎりが一つ、どんな分け方をしますか?「最近の店に来られる男性の多くが3等分する、もしくは妻と子に分けると答えます。家族を守るのは家長の責任。その責任において、最もエネルギーを蓄えて無人島を探索して家族を守る手だてを考える、それくらいの気概を持って欲しいと思います。しかし、そんな男性がほとんどいなくなりました。」30年も前の話ですが、このインタビュー記事を読んで忘れられなくなりました。

 学生だった私は、私なら「自分は食べないで子と妻に分ける」と思ったからです。平等に分けるのは不満が生まれないでしょうが、それでは家長としての責任を回避していないだろうか? 何としても生き残る自信がなければとにかく多くの人はそうするでしょう。そして周囲の非難を逃れること考えるでしょう。自分の死は家族の死を意味する、そんな気概です。周囲の非難や嘲りに打ち勝つような気概を持ちたいと今もなお強く思っています。銀座のママは店の長として運営責任を担っていて、家長の立場で生きて来たからの気概ある言葉として、今では洞察できるようになりました。

 映画「風と共に去りぬ」のスカーレットが、父が死んでからどのような生き方を選んだのか? 彼女は自己本位で自分勝手な性分でしたが、彼女なりに家長としての役目を果たして行ったような気がします。だからこそレッド・バトラーとの愛を捨てたのかもしれません。その勇気とパワーが戦争で弱気になって沈んでいた世界中の人々の心を掴んだように思います。

 映画「ポセイドンアドベンチャー」で非難の中、みんなを必死に導いて行った神父も同じです。周囲からは独断と偏見に満ちた、何の根拠もない導きに見えたでしょう。しかし彼なりの信念を持ってサバイバル精神を発揮したのです。結果、数人の人を死なせてしまいました。そして助かったのは運が良かっただけだと他人は云うかもしれません。彼はその責任を負って自ら死を選びました。

 映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の盲目になったアルフレードがトト(サルバトーレ)にエレナな来なかったとウソをつきました。何故? ここにもアルフレードなりの信念がありました。今二人が再会して駆け落ちして一緒になっても、生活が逼迫して私のようなつまらない生活を送るだけだ。こんな田舎に二度と帰らず、自分の夢を追いなさい。それは夢はエレナではない! こんな思いでウソついたのでしょう。彼なりの信念だったのです。サルバトーレはその後映画界で成功しますが、実生活では初恋のエレナを忘れずにいました。アルフレードの信念がサルバトーレを大成させましたが、幸せにしたかどうかははなはだ疑問です。しかし、ラストシーンが私を思いを救ってくれました。アルフレードが編集した遺品(キスシーンの連続)は、映画に情熱つぎ込んできた二人の想いを甦らせ、「いつまでも初恋の感傷に耽っていてはいけない、明日を生きろ! もっと良い映画を作りなさい! そしてもっと多くの人を感動させなさい!」とアルフレードからの励ましの伝言のように思えました。試写室のスクリーンを眺めるサルバトーレが、流れ落ちる涙を拭いもせずに、画面に見入っていた輝く瞳にそのように感じさせるものがありました。


 20年前の私は、おにぎり一つを一人で食べる勇気と気概を持っていたように思いますが、今では息子も大きくなりそんなに張りつめた気持ちはありません。スカーレットや神父やアルフレードのような強い信念をもって生きているか?というと現実的には今も甚だ疑問です。だたそのような生き方をしたいと強く思っているのは確かです。勇気や信念は最初から備わってはいないと学びました。家族を守るために、ここ一番で発揮できる勇気と信念を持ちたいと願っています。

 見方を変えれば現代の日本はまさにアスファルトジャングルや砂漠の石の城壁かもしれません。そんな危険を含んだ孤独の中で、生き延びる術を身に付けなくてはなりません。そして日本はフランスやイギリス、オランダや他のヨーロッパ先進国と比較して女性一人が子供を育てて行くにはとても困難な国です。少子化が進む要因となっているこの現状も、今後の重要な優先課題です。しかし、今、幼い子を育てるシングルマザーにとって、今そこにある危機といえます。このうような現状をしっかりと把握しながら生き延びる術を身に付けて行って欲しいと願っています。

映画「カラーパープル」はアリス・ウォーカーのピュリツアー賞受賞の原作を基に撮ったスピルバーグ監督の重厚な人間ドラマです。一組の黒人姉妹を主人公に、彼女たちに降りかかる様々な人生の障害を通し、二人の絆や愛情を40年に渡って追ってゆく物語です。今でもスピルバーグ監督の最高傑作だと私は思っています。黒人の二人の姉妹も若い頃は弱い弱い人間でした。しかし信じられないような苦難を乗り越えて自立していく姿は崇高すら感じます。女性も男性も必見の映画です。

「努力が報われる」43%

2009年08月21日 | Weblog
大学生「努力が報われる」43%  

ベネッセコーポレーションが全国の大学生4070人に行ったアンケート結果の一部です。

(格差社会の状況)
「日本は競争が激しい」79%
「努力が報われる社会」43%
「仕事を通じて社会に貢献することは大切」84%
「仕事より自分の趣味や自由時間を大切にすべきだ」75%

(大学生活で身についたこと)
「人と協力しながらものごとを進める」67%
「自ら先頭に立ってグループをまとめる」37%

(就学状況)
授業の出席率は87%
1週間の平均通学日数は4・4日
週に3時間以上「授業の予復習をする」27%
「授業以外の自主的な勉強をする」19%


1976年当時、私の就活の条件は2点でした。
1)将来伸びる業界・産業。
2)上場前でしかも、上場できる可能性の高い会社。


 自分のやりたい仕事、好きな仕事、やりがいを感じる仕事、努力が報われる仕事など考えたことは一度もありませんでした。どんな仕事もそれなりにきつい、楽な仕事などないと思っていたので、どのちみち堪え忍ぶのなら将来性のある産業、一部上場できる会社を選ぼうしていました。大学4年の4月から私の産業・会社選びが始まりました。当時流通業が大きな伸びを示していました。ダイエーやヨーカドー、西友の大手スーパーが百貨店を猛追していました。今後の興隆も間違いないと思われました。しかし、3社とも上場していました。

 他にないのか? そう思いながら調べているうちにヨーカドーグループの設立3,4年目のD社が、米国のレストランチェーンと組んで日本でファミリーレストランを展開するという情報を得て、当時千代田区になった小さな会社事務所に乗り込みました。人事担当部長だったO氏と直々に話をして、これからの外食産業がいかに伸びる業界であるかと確かめたのです(その頃の外食シェアは9兆円で家電と同じ位でした)。これから20年の間に間違いなく30兆円くらいには伸びるだろうとその部長は明晰そうな話し方で説明を受けました。私はこの部長の言葉を信じました。つまりその部長が信頼できると思ったのです。一対一で決める、これがそれからの私の信条となりました。

これで産業は決まった。外食産業だ。

次は会社でした。候補を3つに絞りました。

 ヨーカドーグループのD社、そして「すかいらーく」ともう一社はもっと規模の小さい神奈川県で展開していた「ズムズム」というステーキチェーンでした。すかいらーくの横川氏(四兄弟の誰か)からも直に話を聞きました。厨房の長である料理長と店長は同等の地位だと聞かされました。(今では<ハンバーグ&エビフライ>のメニューはファミレスの定番ですが、すかいらーくが考案)このとき私はレストランの知識や経験はまったく白紙でしたが、お客様と接する店長の地位が料理長と同じではおかしいと真剣に思ったのです。厨房経験によって調理師を目指す人とフロアサービスを学んでマネジャーを目指す人。これでは店内が2分されるという危惧も感じました。

 D社は店長が最高責任者で厨房には職人を入れず、高卒・大卒がフロアー厨房を経験して店長となる人事システムでした。つまり店長は店舗運営の全てに精通していることによって店内を掌握できる。この方が道理に合っていると私は思いました。

 もう一つのズムズムは社長の外車(確かクライスラーだったかな)に乗って3店の店回りをしながら話を聞きました。「君を必ず採用する、私が保証する」とまで言っていただけましたしが、その言葉は信用できましたが、会社の将来性には疑問が残りました。ステーキ専門店という限定メニューに危険を感じたからでした。

 私は四次面接を経て、D社から採用通知をもらいました(2社の採用通知はすでにもらえていました)。就職した1977年から31年が過ぎました。D社には12年間勤めましたが、その間一度も辞めたいと思ったことはありませんでした。120名入社した同期が12年後5,6名になっていたことから、いかに肉体的にも精神的にもきつかったことがわかりますが、その入社時点の思いが強ければ乗り切れるのです。

外食産業は1977年の市場規模9兆円から約3倍に伸ばし、
在籍する間にD社も上場も果たしました。(家電業界は今も9兆円規模)



 現在の学生の43%しか報われると思っていないこの状況を聞いて心配になってきました。「報われるかどうか」なんてバカな質問を誰が何の目的で尋ねたのか分かりませんが、そんなことよりこのアスファルトジャングルを、石のビルの立ち並ぶ砂漠の中を生き延びることを最優先に考えるべきだと思います。その為にどの方向に向かうべきなのか、誰のどんな言葉を信じるのか、そして誰を守ろうとするのか。

「仕事と家庭、どちらが大事?」なんてバカな質問するのも私には全くのナンセンスです。そんな質問をする人は常に家庭を最優先にして欲しいと願っているのでしょうが、私のスタンスは違います。それは「水と空気、どちらが大事?」と同じような質問だからです。連れ添いにはそんな質問をする相手を選びませんでした。

 たとえば航海中に嵐にあって無人島に私と家内と幼い子供が流れ着いたとします。食べる物は大きなオニギリが一つ。私ならオニギリを全部自分で食べて、より遠くまで無人島と思える島を探索し、生き延びる手だてを考えようとするでしょう。オニギリを3等分したり家族に分け与えるようなことはしません。家族を守るのは私の責任だからです。そして、私には仕事をするということと、サバイバルと同じことなのです。

 無人島に流れ着いて「努力が報われる」なんて考える人など誰もいないでしょう。それぐらいの気概で社会に出て自分の食い扶持を、家族の食い扶持を稼いで欲しいと思います。贅沢を考えなければ今の日本でなら食っていける仕事は探せます。やりがいは仕事の中から自分で見つければいいのです。失業率は5%を越え、今の日本は就活受難の時期です。私の就活も今と同様に第二次石油ショックの影響と、最後の団塊の世代で200万人近い就活者がいて大変な時代でした。各社はふるい落としに必死でした。四次面接まであったのはそのためです。

「仕事より自分の趣味や自由時間を大切にすべきだ」75%
これもまた心配です。

 そのような人達は、結局、今いる時代が考えようによっては、ジャングルや砂漠と同じような環境であると想像できないのでしょう。頭の何処かに私のような発想が必要な気がします。我々人間は衣類をまとった獣であることを理解しておかねばなりません。街中で出会った人が、どう猛な野獣なのか、それとも人なのかを見分けなければなりません。

 私は一対一で話し合い、見極めることが大切だと思う。向き合った相手をどうみるか。そして、どう対処し、自らを守り、家族を守るのかをしっかりと判断して行かねばなりません。若いうちに一対一のぶつかり合いを数多く体験して人間力(知識を深め、相手を見極め、様々な対処の方法を修得)をアップして行くことを望みます。レストランでのお客様苦情での謝罪の仕方や対処の経験、従業員間のトラブルの仲裁、業者との駆け引き、アルバイト・社員の含めた採用と教育、上司とのコミュニケーションなど、今も飲食を含めたレジャー産業で食い扶持を稼いでいますが、若い頃の経験がどれほど糧になっているか、感謝しない日はありません。

 人に任せるのではなく、逃げないで自分一人で対処して人間力を磨いていって欲しいのです。どんな仕事も人との対処法の基本は同じです。腹を割って相手の話を真摯に耳を傾け、自分の誠実な思いをぶつけるのです。そしてその返ってくる相手のエネルギーを感じ取りながら相手を見極めていくのです。吸収できるものは貪欲に吸収し、与えられるものは与えるのです。ヤクザ対策や苦情処理も従業員教育もみな同じだと思います。すべてはエネルギーのやり取りから何を感じ取ることが大切なのだと思っています。

「恋は自己本位、愛は…」

2009年08月18日 | Weblog
恋は自己本位、愛は…

この後、どんな言葉が妥当でしょうか?

 ショッピングセンターで幼い子がこれを買って欲しいと駄々をこねているシーンに時々出くわします。私の息子も同じようなことが泉南のみさき公園でありました。いつでも一つだけというのが我が家のルールでした。ある売場のカウンターでコアラのマーチを買ったのですが、違うカウンターでちっちゃな虎のぬいぐるみが欲しいと珍しく駄々をこねました。すると買ったばかりにコアラのマーチをポイと捨てたのです。これには驚きました。確かに一つだからです。連れ添いもこれには参ったとばかり、その虎を買わざるをえませんでした。その後、その虎は小学校の高学年になるまで彼の大切な友達となりました。

 駄々をこねる子供にも親への絶対の愛が存在しています。これは自己本位ではありますが、親への愛がなくてはできない行為です。親戚の叔母さんや祖父母、赤の他人にはできない行為だからです。そしてそれに対処する親にも子供への愛が存在しています。

 
 さて、どこに行っても年輩者が目立つ今日この頃ですが、電車に席を譲る行為も愛が存在していると私は感じています。ボランティア活動も愛無くしてできる行為ではありません。私の意見ですが、「愛」には最後までその気持ちをやり通す責任があると思います。ですから電車の中で出会った子供が可愛いと思ってもそれは愛とはほど遠いもので、恋に近い気持ちでしょう。

では「恋」は?

 初恋を考えてみましょう。私の場合ですが、相手に打ち明けるなど不可能でした。小学校の頃から多くの恋をしましたが、打ち明けたことなど一度もありません。小学4年生の頃、6年生の頃、中学2年生の頃、高校3年生の頃、すべて対象は異なりますが、恋をしていました。しかし誰にも一度も告白したことがありません。この間に何人かの女性から告白を受けましたが、一度も受け入れたことはありませんでした。今思い返せば、残念なことをしたと思わずにはいられません(笑)。しかし、その頃はそれが当たり前だと思っていました。相思相愛を夢見ていたようです。そして、自己本位であったために、違う相手にはかなり冷淡になったようです。

 恋する相手と一緒になりたいと想うのは当然ですが、自己本位のために相手を見誤る傾向があるようです。ノリピーや矢田さんの場合もそうだったかもしれません。最近では子供が欲しいと思わないカップルも多いようですが、家族ができたなら父親も母親も彼らを守る責任が生じてきます。恋と愛との違いはこの辺りにあるようです。恐れを知らない自己本位の時代こそ、青春時代と呼ばれる季節なのだと思います。そんな季節もいずれ終わりを告げます。そして家族を守り育てる季節が訪れます。そして約30年が過ぎると新たな季節が始まります。

この世に生を受けて
最初の30年は青春時代と呼ばれる自己本位の季節、
次の30年は家族を守り育てる愛と責任の季節、
最後の30年はやりたいことを見極める自分たちの季節、
私はこのように人生を捉えています。

「少子化は諸悪の根源」

2009年08月15日 | Weblog
 私は常々、我が国の諸悪の根源は「少子化」にあると思っています。人口が減少していく国に未来は見えてこないと思っています。もし日本の人口が増加に転じれば、どんな影響が出てくるでしょうか? 年金問題は時間が少しかかりますが、解決の道を辿ります。閉鎖の一途をたどる小規模のレジャー施設も営業を続けられるでしょう。子供用品の売り上げ上昇に向かうでしょう。統合され続ける学校や定員割れの大学も少なくなるでしょう。小児科を目指す医師も増えるかもしれません。住宅事情も好転するかもしれません。日本の基幹産業である車も売れ出すかもしれません。

 武家社会が長かった日本の社会構造には、男性よる組織のあり方が今もなお深く根ざしています。女性の社会進出が騒がれ出したとはいえ、わずか3,40年しか経っていません。少子化の原因として、依然としてこの歴史が妨げているのは確かでしょう。

8月14日の朝日新聞の<声>の投書にこんな記事がありました。

厚い支援:オランダの自宅出産   英語教師(盛岡市 59)

 6月、オランダ人に嫁いだ娘の出産に立ち会った。自宅出産が普通という国。病院で出産しても、たいてい翌日退院で、医師はいつでも緊急事態に対応してくれるそうだ。
 妊娠中は助産師のオフィスで妊婦検診の他、様々なアドバイスを受けられる。どんな質問にも丁寧に答えてくれ、娘の初産の不安は次第に薄らいでいったという。
 出産が近づき陣痛が10分間隔になると、助産師への電話連絡でサポートの女性が到着。痛みを和らげるため腰の指圧などをしながら、精神的なは励ましをする。やがて助産師が看護師と共に笑顔で現れた。温かい雰囲気の中での出産は感動的だった。
 翌日から1週間、別の専門職の女性が母子のケアから家事一切をこなす。すべて保険の範囲内だ。女性だけのスタッフによるアットホームでフレンドリーな対応にはカルチャーショックに近い驚きがあった。日本にも、こんな制度があったらと痛感した。』

この記事を読んで私もカルチャーショックを受けました。日本が大好きな私ですが、こんなことができる国をとてもうらやましくなりました。  

<フランスの少子化対策>
■家族手当 (子供2人以上で支給)
フランス政府は1990年代初頭、少子化対策に本格的に取り組み始め、同国の出生率は94年の1.66を底に緩やかに上昇している。

 収入に関係なく支給される家族手当は、子供1人の家庭は対象にならないが、子供2人の家庭は、毎月約117ユーロ(16,380円)を国から受け取る。子供が11歳以上になると、額は加算され、20歳まで支給される。3人目からは1人に付き約150ユーロ(21,000円)と給付額を倍以上に増やす。とりわけ、子供三人以上の家族に対する優遇措置は、国鉄、地下鉄の運賃割引、美術館、ホテルなどの文化・レジャー施設の料金割引など、生活のすみずみに及ぶ。

 このほか、所得制限はあるものの、出産手当、三歳未満の子供を対象にした児童手当など約30種類にも及ぶ手当を用意。こうした子育て支援策とは別に、公立であれば、高校までの学費も無料だ。日本などと比べ、教育費の負担がはるかに軽く、子供を産み育てやすい環境にあることは間違いない。

■育児支援 (3歳まで休職可能 復職後も地位保障)
 フランスでは、50歳未満の女性の約8割が働く。出産、育児のために退職を余儀なくされることがないように、充実した育児休業制度が女性の社会進出を支えている。子供が三歳になるまで両親の一方が休職することができ、国はこの間、給与水準に応じて月額最高約512ユーロ(71,680円)の休業手当を支給する。さらに企業は、復職後、以前と同等の地位を保障しなければならない。

 ただ現実には、子供が3人目ともなると、一般に女性の年齢が高くなり、長い休業の後では、職場復帰が困難になることも想定される。このため、3人目の子供からは、休業期間を一年に短縮する代わりに、約750ユーロ(105,000千円)に増額された休業手当を受け取る方法も選択できる。

 また、子供の多い世帯は税制上の優遇措置を受けるほか、ベビーシッターの費用は控除の対象にもなる。
■家族形態 (結婚にとらわれない 平等な社会風土実現)
 フランスでは、2004年に誕生した子供の46・4%が、結婚していないカップルから生まれた婚外子だった。これはスウェーデンなど北欧諸国に匹敵する比率だが、フランスの場合、80年代半ばには20%台だったから、この20年間で倍増したことになる。

 来年の大統領選で、社会党の最有力候補と言われる女性のロワイヤル氏は、同党トップのオランド第一書記との間に4人の子供をもうけたが、結婚はしていない。これは特異な例ではなく、フランスではごくありふれた話である。

 この底流には、既成の価値観を覆した1968年の五月革命以降の社会の変化があると言われている。「男は仕事、女は家庭」という古めかしい役割分担が崩れ、結婚という形式にもとらわれなくなった。

 99年には、結婚していなくても、共同生活をするカップルが税制、社会保障などで、結婚と同等の権利を得ることができるPACS(連帯市民契約)も導入された。

 離別後、子連れで新たなパートナーと同居するカップル、一人親の家庭など家族形態は多様化したが、基本的に子供を扶養していることを証明すれば、種々の給付を受けることができる。

 手厚い経済的支援に加え、いかなる形の家庭に暮らす子供でも、平等に社会の一員として受け入れる風土が、特に女性にとって、子供を持つことの心理的負担を軽くしているようだ。

★フランスの一般消費税(TVA)の税率は日本の一律性とちがい、一般税率20.6%と一般食料品の5.5%に大きく分けられています。


いよいよ総選挙です。日本のこれからの行く末が変わる契機になるかもしれません。私たちは、自分なりに日本の将来をしっかりと見据えて、立候補する議員が何を憂い、何を変革しようとしているのかを確認して一票を投じたいと思っています。

<幸せ>

2009年08月12日 | Weblog
 久しぶりに夜の難波・道頓堀でお食事。以前兄夫婦に教えられた「一休」に入って大好きな串カツと寿司、そしてサラダ、ドリンクを注文。二人で合計6,150円。「一休」は道頓堀を東へ100mほど行った左側にあり、夜の20時くらいでしたが、私たちだけでした。しばらくして会社帰りのカップ?が一組。以前はこの時間、大変繁盛していたように思ったのですが…。道頓堀は昔に比べて韓国や中国人、東南アジア系の人が多く見られるようになりました。また派手なファッションを身にまとった若い人達が多いように感じました。私らが選んだ「一休」のようなお店が暇なのはなんとなく頷けました。

 映画館も昔は東宝、大映、、東映、日活、そして007がかかった南街劇場もすべてなくなり、シネマコンプレックスという形式に変わりました。小学校の頃、月に一回南海電車に乗って、難波で映画を見て、「ぼてじゅう」でお好み焼きを食べて、「丸十」で寿司を食べるのが我が家の楽しみでした。「ぼてじゅう」と「丸十」はまだ残っていますが、味はというと特別美味しいとは思えなくなりました。今ではお好み焼きは「鶴橋風月」が好みに合っていますが、最近は「はつせ」(自分で焼く)や「さかもと」が人気の1,2位だそうです。(私たちは一度も行ったことがありませんが…)
           


すべてが変わっていく…
音を立てて変わっていくものもあれば いつの間にか姿を消していくのがある
残っていると思っていても実は大きな変遷の歴史がある
商売の基本は変化への対応という
その変化についていけない企業や店舗が姿を消す運命なのだろう
人生にも変遷の歴史がある
幼い頃の自分 若い頃の自分 結婚してからの自分
家族と共にきた自分 組織に中を生き抜いた自分…

すべてが変わっていく中で 飛躍や成長だけを望むのはきっと無理なことなのだろう
運のいい人だけが何かを掴むことができるのだろう
何かを掴もうとして堕落していく人もいるだろう
望んだものが間違っていたことに気づかない哀しい人達が大勢いる…

誰かを選ぶことで人生は大きな変化を見せる
何をするかで人生は大きな変化を見せる
何を信じるかで人生は大きな変化を見せる
誰を守るかで人生は大きな変化を見せるに違いない

すべては変わっていく
永遠に変わらぬものなど一つもない

『行く川のながれは絶えずして しかも本の水にあらず。

 よどみに浮ぶうたかたは かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし…』



もし変わらぬものがあるとすれば 過去の出来事だけのような気がする
家族との楽しい想い出、仲間との愉快な想い出
これらこそ 永遠に変わらぬものに違いない
運のいい人だけが いい想い出を持って旅立つことができる
これを人は<幸せ>と呼ぶのかもしれない

<幸せ>がいい想い出に多いに関連しているなら、
意識していい想い出を作っていくべくかなと思っています。
そして、そのシーンには連れ添いや家族や仲間が欠かせないように思います。
<孤独>は<幸せ>の真反対に位置しているように私は思います。

<愛する>

2009年08月08日 | Weblog
 アイドルとしてデビューして20年間、芸能界で活躍しサーファー経営者と結婚、10歳の子供を育てながら、夫が覚醒剤所持で逮捕、自宅から覚せい剤に加え、使用器具も押収され、本人も所持している可能性が高いとして逮捕状が出ました。

 愛し合って結婚し、子供を育てながら覚醒剤を使用する。何故こんな事件が発生するのでしょうか。犯罪行為というのは明らかに身勝手な行為です。自分さえ良ければいいという異常に強い思いが犯罪を引き起こします。覚醒剤やその他の麻薬に手を出していく犯罪過程にも同じ現象があるように思えます。つまり他人への想いや愛する気持ちが欠落し、最後は自分の体まで傷つけてすべてを放棄していきます。家族や連れ添いまでもどうでもいいと考えてしまうようです。愛する気持ちを忘れ果てた結末です。愛する気持ちを忘れてしまうと、愛されていることにも気づきません。

私が連れ添いと結婚しようと決意した最大の理由は「彼女ほど私を愛してくれる人は、これからの生涯できっと現れないだろう」という気持ちでした。彼女と出会うまでにも何人かの女性とつき合い、結婚しようとした女性もいましたが、それはすべて自分自身の想いが中心でした。つまり自己本位だったのです。それまでは愛されているという感覚が希薄でした。しかし、彼女はそれまでの女性とは全く違っていました。すべてを捨てて全身全霊で私を愛してくれたのです。(今では私の想いの方が彼女を上回っていることを正直に白状しておきます)

 親への愛情も結婚して子供ができて、愛されてきたことに気づいて大きくなるように思えてなりません。つまり人は愛されていることに気づいて、初めて真摯に人を愛することができるのではないでしょうか? この意見にはきっと異論を唱える人も多いでしょうが、ただ自分の愛が届かない辛い想いを抱えている人も多かろうと思います。きっとこのパターンの方が多いに違いありません。

 逃走しているノリピー自身が覚醒剤を使用していたかどうかは不明ですが、私の想像ですがきっと愛されていたとは気づかない結婚生活を送っていたように感じてなりません。両親や幼い子供ではなく、最も身近な夫に愛されていると感じる妻が、最も身近な妻に愛されていると感じる夫が家族を地獄に落とし込むような犯罪行為に手を染めるわけがないと思うのです。

「与えなさい、されば与えられん」これは聖書の中の一節ですが、人間関係の基本であり、商売の基本、愛の基本でもあるように思います。(私はこの一節は真理だと信じています)

真理:歪曲や隠蔽や錯誤をすべて排したときに明らかになる事のありようをいう。本当のこと、また本当であること。由来するラテン語のvereは、ありのままのものの意。


■1941年に武田薬品工業からアンフェタミン製剤をゼドリン、大日本製薬(現在の大日本住友製薬)からメタンフェタミン製剤をヒロポンとして市販されたが、効果も売上げもヒロポンの方が上だった。そのため軍は生産性を上げるべく、軍需工場の作業員に配布したり、夜間の監視任務を負った戦闘員や夜間戦闘機の搭乗員に視力向上用として配布していた。日本が敗戦すると同時に軍部が所蔵していた注射用アンプルがどっと流れ出て、戦後間もない闇市ではカストリ焼酎一杯より安い値段で1回分のアンプルが入手できたので、芸人や作家やバンドマンといった寸暇を惜しんで働く者たちから、興味半分で始めた若者まで瞬く間に広がって乱用者が増加していった。(ウィキペディアより)

 このような暗い過去が、今もなおヤクザ組織の資金源となってヤミ社会に蔓延っているのです。最近では注射器を用いるのではなく、錠剤の覚醒剤や麻薬があるそうです。本当に恐ろしいと云うほかありません。ダークサイドはごく身近にあります。弱い心にそのダークサイドが忍び寄るのです。大切なことは幸せになろうとする強い意志です。

 夫婦なら二人で幸せになろうと努めて下さい。それを子供達がお手本とするのです。この循環を自分の家族から示して行かねばなりません。美しい日本はここからしか生まれません。家族に愛されていることを気づかせて下さい。好きな人に愛されていることを気づかせて下さい。しかもその代償を求めてはいけません。それが愛の基本だからです。

「与えなさい、されば与えられん」

<信じる>

2009年08月01日 | Weblog
『信じるというのは、はっきりした証拠を見せられて納得することではない。
 信じるのは物事ではなく、人です。
 その人を信じるがゆえに、その言葉を信じるのです。』
 
                      (2009 7/31〇〇新聞小説「親鸞」)

人は生まれて育ち、成長する間に多くの人と出会います。
あなたはその中の何人を今でも信じていますか?


人との関わりに気づくのは小学校の頃でしょうか?
親や兄弟姉妹、そして祖父母でしょう。

もし、彼らを信じられなかったら、人はどんなふうに育つのでしょうか?
信じるという心のシステムが機能不全に陥る可能性が高いのではないでしょうか、危惧します。

上記の連載小説の一節を読んで、こんな不安が胸をよぎっています。

小説の主人公親鸞(今は善信と云う名)にとっては、法然上人です。
私が読んだ小説では、
『宮本武蔵』の場合は沢庵和尚やお通さんでした。
『岩窟王』(モンテクリスト伯)の場合はファリア神父。
『竜馬がゆく』の場合はお姉さんや勝海舟。

小説の場合、親であることが少ないようですが、
現実の生活では信じることを教えるのは親の大切な役目です。
社会に出て信じられる人に出会うかどうか、大切な一つのキーポントかもしれません。

幼い頃はウソをつくことができません。ウソという存在すら気づいていません。
自分より年上の人間や友人から学ばせられるのです。

子供はとても敏感です。それは動物的感が大いに残っているからに違いありません。
たとえば大事にしてくれる祖父母や親戚の叔母・叔父の中からでも見抜きます。
先生や名前も知らない近隣の人でも同じです。
大切にされて信じていたにも関わらず、裏切られたりしたら不信感が大きくなります。

私は信じる人が少なければ少ないほど、孤独で不幸な人生を歩むと思えてなりません。
それは『嫌いなものが増えるたびに、受け取れるはずの喜びの量が減るのかも知れない』というある小説の一節とよく似た意味があると思っています。

大切なことは信じられる人を見分ける、そんな相手と出会うことだ思います。
悲しいことはそんな人物と出会っているにも関わらず、気がつかずにいることです。

「人は見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞く」
この愚かな本質を誰もが持っていることを忘れずにいたいものです。


●写真は『厳窟王』のモンテクリスト伯が閉じこめられた
 マルセイユ沖のシャトー・ディフ(イフ城)です。