GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「秋を待ち」<おいどんのオリジナル2>

2009年04月29日 | Weblog
 この曲を作ったのは大学2年の秋でした。相棒のヤッチャンと東京都北区滝野川の私のアパートで1週間ほど音楽合宿したその時出来た曲です。

私は取ったばかりの自動車免許を手にバイトをみつけ、朝7時に起きて高島平までホンダのバイクで向かう毎日を送っていました。免許を取って一カ月足らずなのに8tトラックを運転し、都内の花屋に送り届ける仕事でした。

大阪の地理は把握していましたが、東京の地理はほとんど知りませんでした。都内への配達は、いずれ東京で就職をと考えていたのできっと役に立つと思っていました。しかし、8tトラックの運転はかなり困難でした。細い道で何度か右往左往した苦い想い出が残っています。若い頃の私はかなり向こう見ずな性格だったようです。

夕方バイトが終わり途中でコロッケなどのおかずを買って帰り、ヤッチャンが六畳一間の私の部屋を掃除して、ご飯を炊いて待っていてくれました。男二人のおかしな同棲生活でした。

 夕食後私たちは好きな音楽を聴き、そして曲作りや練習を始め、真夜中まで音楽に浸りました。私は確か歴史小説を読んでいたような気がしますが、題名は思いだせません。秋が深まりつつある東京でした。1974年はまさに青春時代のど真ん中でした。

 1974年は、田中首相が退陣し、三木内閣が誕生した年たっだ。三菱重工ビル爆破事件という大きなテロが発生した。ビール一杯が160円、かけそばが150円、大卒の初任給が82,629円だった。国鉄の幸福行き切符が話題になり、新宿西口に超高層の3ビルが完成。

 長嶋茂雄が、「巨人軍は永久に不滅です」という言葉を残して巨人軍を引退した。佐藤栄作元首相がノーベル平和賞に選ばれた。ベストセラーでは『かもめのジョナサン』(五木寛之訳)、『華麗なる一族』『エクソシト』(3冊とも読了)、テレビの大河ドラマは「勝海舟」だった。ヒットした映画は「砂の器」、アカデミー作品賞を獲得した「ゴッド・ファーザーPARTⅡ」、「スティング」「エクソシスト」(銀座まで行って見た。映画館の周囲に長い列ができていた)「タワーリング・インフェルノ」「エマニエル夫人」。

 上野の博物館で【モナ・リザ展】も開催された。ヒットした曲はグレープの「精霊流し」、こうせつの「赤ちょうちん」、レコード大賞は「襟裳岬」だった。アメリカでは映画「追憶」のテーマ「The Way We Were」が大ヒットした(今でもこの歌が流れると映画を思いだし、胸がキュンとなる)。


山梨県生まれのヤッチャンは東京は住むところではないと云っていました。
大阪の下町生まれの私は都会の喧噪にめげることなく、東京で就職しようと考えていました。

ヤッチャンも私もこんな草の輝くような時は、
人生でもう二度とないだろうと感じていた東京の秋でした。


     「草の輝くとき
      花美しく咲くとき
      再び戻らずとも嘆くなかれ
      その奥に秘めたりし力を見いだすべし…」 (byワーズワース)


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<秋を待ち>                 作詞・作曲:ユージ
              リードボーカル・サイドギター:ヤッチャン
              サイドボーカル・リードギター:ユージ

トゥトゥトゥルー … 

夏の終わりに 枯れ葉が
カサッと音たて 落ちる

何故かこの音 心に
小さな響きを残した アー

輝く緑は色あせ
枯れ葉も今は ただ散るばかり 
道行く人も ひたいに汗が
道行く人も ひたいに汗が

照りつけ焼ける 日差しに
人は秋を 待っているのか ウー

足元の枯れ葉 もう二度と
涙流すこともないでしょう
あなたを失した そんな僕も
涙を忘れて しまいそう ウー

移りゆく季節も
乾いた瞳には もう何も映らない
道行く人も ひたいに汗が
道行く人も ひたいに汗が

秋が来たって思い出す
汗を流して 泣いた日を ウー

「草剛くんに同情しつつ…」(下)

2009年04月28日 | Weblog
次に羅針盤は何に当たるのでしょうか?

「自分が信じるもの、そして守ろうとしているもの」です。

 しかし、この想いは若ければ若いほど不確かなものであり、危ういものです。
多くの知識や経験から得られた教養が、その想いの是非や正義を洞察できますが、若いときに教養を身に付けている人は皆無です。だから正しいと云えど、とても危ういのです。
その想いを確実で堅固なものにするために、様々なトライ&エラー、正しい情報の収集、
歴史上の出来事や登場人物の歴史や心情を踏まえながら教養を蓄えていくしかないのです。しかし、究極の真理を手に入れることは不可能なことのようです。学ぶ道に終着駅などないと云われる所以です。

 人生で一度は、大切な人、大切な家族を守らなければならない、ここ一番という瞬間に遭遇するようです。このとき誤った判断や、誤った道を選ばないように心がけなくてはなりません。その大切な瞬間は、自分が好調な時期だったり、不遇の時期であったりするようです。決して誰かが、「今ですよ、大切な時は」などと耳打ちはしてくれません。また、しっかりと自立しようとしている人にしか気づかない瞬間でもあるようです。

 一度だけの無常の人生を価値あるものにするために、その時を見落とさないように。そして自分にとって大切な人を見過ごさないように。自分にとって、良きにつけ悪しきにつけ大きな影響を与える出来事や人との遭遇で誤った判断をしないようにしたいものです。

 SMAPの草剛君の失態話を脹らませ過ぎた日記になってしまいましたが、失態は誰にでもあると思って欲しいのです。スターになった彼には大きな失態ですが、スターと云えど生身の人間には変わりがありません。少女にいたずらしらり、サギ行為をしたり、暴力で相手を傷を負わせたような重犯罪行為ではないのです。

 さんまやビートたけしならこの種の失態を難なく笑って芸や売りの一つにしてしまうでしょうが、草君の繊細なキャラではきっと困難に違いありません。学校での失態(おしっこや便をもらすetc.)で戻れなくなって引きこもりになった話は決して少なくはありません。以前吾郎ちゃんの事件の時もSMAPのメンバーの励ましが一番影響があったようです。仲間の力で元気づけて草君の繊細な心がめげないようにしてあげて欲しいと心から思います。

「草剛くんに同情しつつ…」(中)

2009年04月27日 | Weblog
 さて、足りないものが明確になる方法は、人と共に何かに夢中になってやり遂げようとするのです。そして、様々な人による抵抗を受け止め、排除し、遠回りするなかで、初めて多くの足りないものに気づきます。それは周囲と自分との比較の中で学ぶのです。

「何が自分に足りないのか」を。この作業が青春時代に必要な気がします。

それまでの人生が天動説的人生と云えます。
今から500年くらい前までの宇宙観は、「地球は宇宙の中心にあって、
太陽や月や星がこの地球の周りを回っている」でした。
これがプトレマイオスの『天動説』です。
2世紀ころから1500年もの長きに渡って天動説が信じられていたのです。
だから幼い頃は、誰もが世界は自分を中心に回っていると感じて当然なことなのです。

1500年始めにコペルニコスは「地動説」を発表しましたが、誰もが信じませんでした。
それは「人生は無常」と云われても、若い人に実感できるわけがないのと似ています。

大航海時代以前、航海は沿岸航海であり地の見える場所しか運航できず、
何も目印のない大海原では、行き先が分からず航海もできなかったのです。
このことは、幼い頃の狭い行動範囲やその頃の心情と似ています。(怖いのです)

しかし、羅針盤(磁石)の登場が船の運航を可能にし、
磁石と正確な星図があれば遠洋に出ても、自分の居場所が正確に把握できるようになりました。

これはいずれ親元から離れ、自立して生計を立て、結婚して家族を持って生きていく人生(=地図)がおぼろげながら見えてくるのと似ています。(怖くなくなってきたのです)

この直前こそ、皆様が良く知っている青春時代です。
天動説が地動説に変わる瞬間と云えるでしょう。その後、歴史は大航海時代を迎え、まさに大冒険時代に突入するのです。その地球歴と人間歴と比較すると最後の青春時代(結婚するまで)に匹敵するかもしれません。人生地図で云えば、就職活動を経て社会の一員になっていく時期に似ています。

 スペインやポルトガルやイギリスが地球上を巡り、未開発の土地で黄金や宝石を探し、自国にない資源を求め、多くの未開発国で残虐非道な酷いこと続けて支配していきました。この事は、幼い子供が小動物を虐めたり昆虫を簡単に殺すのと似ています。しかし、彼らは皆大人でした。未開の土着民達を同格の人間として見ることができなかったのです。現在のような平等思想や人権という言葉はまだ生まれていなかったのです。一言で云えば時代そのものに文化や教養が足りないかったのです。

 1492年コロンブスがアメリカ大陸を発見したときは、まだ地動説は発表されるまえで、地球が球体であることもすべての人は認めてはいなかったのです。大海原の先には大きな滝があると思っている船乗りもいて長い航海中に暴動もあったようです。しかしようやく陸地を見たのです。しかし、最初は知識があるインドの西側と思ったのです。

 過去の歴史は人の人生と相似しています。それは母の体内で魚から両生類、そしてほ乳類へと進化する人間の成長とも似ています。だから人間の歴史を学べば、どの方向に歩もうとしているのか分かるはずです。さすれば、未来までが見えてくると思っています。
このことを違うスタンスで見れば、人間の歴史を知らないということは、地図もなく大海原に船出しようとしているようなものなのです。(続く)

「草剛くんに同情しつつ…」(上)

2009年04月26日 | Weblog
若い頃、世界は自分を中心に回っているものと感じるものです。
しかし、最近は繊細な人が増えてビクビクしながら
他人の顔色を伺っている若者が大勢います。

恋愛したい気持ちは充満しているものの、
想いを伝える方法が分からず、ただ遠くから見ているのです。
告白にも色々な手段・方法があります。
知識が足りないために、次の一歩がでないのです。
25%の男性が結婚できないというデータがでているそうです。
女性はこの数字よりもっと少ないとのことですが。

私は大学4年間のクラブ活動を通して、
人が集まって何かをすることの喜びを実感できました。
そして同時にその難しさ(人の想いはぞれぞれ違い、温度差もである)に気づきました。

「こんなに一生懸命なのに、どうして彼奴は動かない?」
「どうしてあんなに否定的なの?」
「何がしたいの?」

大学3年生はグラブの運営を任されます。4年生はOB扱いとなります。
あの3年生の1年間、部分的な円形脱毛症になり、
オートバイのヘルメットや髪型で隠したものでした。
私なりに生まれて初めてストレスを溜めていたのでしょう。

「人は何故そう思うのか?」
「何故、自分とこうも違うのか?」

恋愛体験を含めてその後の人生で、とても大切なことを学んだ1年でした。
「人と共に働ける仕事をしよう! 人と喜びを分かち合える仕事をしよう!」
就職という新たな将来の扉が開きかけた想いでした。

人への関心は様々な歴史小説、アーサー・ヘイリーのような
人と組織の関係を描いた情報小説、
男の生き様を描いた城山三郎のような小説を選んで読み漁りました。

「何が自分に足りないか」
夢中になった大学のクラブ活動を通してようやく分かってきたのです。

人生と云う名の地図上で、今立っている位置がようやく見えてきたのです。
位置を把握できれば、目標を定め方向を決めて歩き出すことができます。

若い人には、今自分に何が足りないか、分からないのです。
他人との比較、歴史上の人物との比較、小説や映画の登場人物との比較が
現実でも空想の世界の中でも経験不足なのです。

また、一般の人には絶対音感が備わっていません。
パトカーのサイレンや駅の音楽を聴いても音階は分かりません。
しかし、同じサイレンの音を聞いて「ラの音ですよ」と教えられれば、
多少の音感があれば、音階が分かってくるものです。
同じようなことが人生でもあります。
動物のように直感や本能だけで生きる動物世界とは違って、
複雑な人間社会を方向を意識して歩むには、相対的なものと比較し足りないものを学び、
自分の羅針盤を磨いて行かねばならないのです。

 人は人、自分は自分。確かにその通りですが、人の意見や行動を観察しながら自らの言動を戒めることはとても大切なことです。それは「空気を読む」こととは少し異なります。「和して動ぜず」という言葉がありますが、あくまで自分を忘れてはいけません。自分の中の想いを大切にするのです。

生きることは「このようにしたい」と「このようにすべき」という想いが交錯する連続です。前者は動物的本能が主体ですが、後者は人間的理性が主体です。どちらが大きすぎてもバランスを欠いた人間となり、生き抜くことが非常に難しくなります。

 SMAPの草剛君も、このバランスを欠いていたのかもしれません。今までの彼の言動から洞察しても、とても誠実で人を裏切ったことも、人に強制したこともないとても優しい性格だと思います。会見で「大人として恥ずかしい」「楽しかったので飲み過ぎた」と釈明し、涙ぐみながら「僕の弱さだと思う」と云っています。最後の「僕に弱さ」という言葉に彼の人生の歩み方が伺えます。

 スターとしての間合いを理解している中居正広君、自然体で決して無理をせず自分なりに真摯に向かい合っている木村拓哉君、香取慎吾君、それに比べて稲垣吾郎君や草剛君は自分をスムーズに表現できない弱さがあります。稲垣君は草君に比べて精神的には幼く、誰かが周囲にいなくてはならないものを感じますが、草君は大人の分だけ常に孤独がつきまとっていたように見えました。つまり、SMAPの中で一番孤独だったのが草君だったように感じていました。とにかく、一番純粋でまじめだったのが草君だと思います。

 日本で一番報道規制の厳しいジャニーズ事務所に管理され、中居君やキムタク、慎吾と比較して自分をうまく表現できず、草君は空気を読み過ぎて理性的に物事に対処しようと自らを追い込んでいたのでしょう。泥酔による想いもよらない行動を今までに何度か遭遇してきました。泣き上戸や怒り上戸、笑い上戸、その殆どが日頃はとても温厚な性格の人ばかりでした。周囲に気を配り過ぎて、ずっと我慢して、理性的になり過ぎて、弱気になり過ぎて、ストレスを溜め込んできたように感じます。その自らのクサリが泥酔によって解き放たれたのです。飲食店をでるとき店の従業員に「若者よ、我が道を行け」というメッセージを残しています。彼の心のうちを象徴しているような言葉です。とても哀しくなります。一日も早い復帰を祈ります。

 真実は端から見て決して分かるものではありません。だから私の洞察など周囲に語るものではありませんが、自分はこう見ている、このように捉えていると洞察結果を積み上げていくことが、新たな洞察に役立つのです。この洞察力が大切な人を守り、大切なものを守ってくれる甲冑となるのです。(続く)

「春を待ち」<おいどんのオリジナル1>

2009年04月23日 | Weblog
 自宅で飼っていたスピッツ犬が5匹の子犬を生みました。幼稚園児だった私は大喜びしたのを覚えています。「お手」「お座り」「待て」など一生懸命に教えました。四歳上の兄しかいない家族で、実家は商店街で2軒の店を営んでいた関係で、従業員を含めたファミリーの中で私が一番年下でした。そんなこともあり、まるで弟ができたようなはしゃぎようでした。当然5匹も飼う事ができず、一匹だけ飼うことになりなりました。その選定は私でした。最も白く、最も元気なオスを選び、ハッピーと名付けたのも私でした。

 小学校3年の時生まれて初めてチエちゃんと云う名の女の子とデートしたときも彼が一緒でした。近くの住吉公園に散歩に出かけて、二人でハッピーが何回オシッコをしたのか、数えました。48回でした。

 高校に入ってもハッピーをお風呂で洗うのは私の役目でした。しかし、あのスピッツの白さがいくらゴシゴシ洗っても以前の白さには戻らないのです。私はシャンプーが悪いのか母に尋ねました。母はこう云いました。
「違うんよ、ユーちゃん。ハッピーは年取ったんや。人間も年取ると白髪になるやろ。」
私には年を取るということが頭では理解していても実感できないでいました。

こんな事がありました。
ハッピーの耳は以前はピンと立っていました。しかしいつの間にかその頃の耳は二つとも前に折れていました。何度も立てようとした記憶が残っています。住吉公園に行くときは、いつも二人で駈けっこしながら向かいました。しかし、ある日から私について来れらず、ストンとお尻を落とし、薄赤い舌をダラリと口から出して肩でハアハアと荒く息をしているのに気づきました。

(これが老い?)

あの時、パッピーの目はとても悲しそうでした。

(ユーちゃん、オレ、もうついて行けない…)


私は呆然と立ちすくみ
「もう走らへんから……。ごめんな、もう走らへんから……」

あの日から私はいつもリードをつけて、ゆっくり歩きながら住吉公園に毎夜散歩に行きました。
悲しい悲しい秋でした。老いるということを学んだ秋でした。
その年の冬、ハッピーは逝ってしまいました。私は高校1年生でした。

私はハッピーの鎮魂歌を作りました。
大学に入った年、「おいどん」というデュオグループを作り、コンサートでも何度も歌いました。(私は大阪、ヤッちゃんは山梨県生まれでしたが、偶然先輩の部屋にあった少年マガジンの漫画を観て、グループ名をおいどんと名付けました)

この歌を口ずさむ時、ハッピーがいつもこちらを向いて笑ってくれています。
私の心の中で……

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<春を待ち>


                            作詞・作曲:ユージ
                 リードボーカル・サイドギター:ヤッチャン
                   サイドボーカル・リードギター:ユージ

歩き疲れて来た 名も知らない公園
はげた橋の上に いつのまにか 僕はいる

枯れ果てた木は 凍りついた水は
北風に吹かれて ゆれている

春を待ち 春を待ち
すべてを失って 春を待てというのか



霜の降りたベンチ どっかり僕はすわる 
朝のもやの中に 冬が去るのを見た

枯れ果てた木にも 凍り付いた水にも
新しい命が 宿ってる

春を待ち 春を待ち
すべてを失って 春を待てというのか 
春を待てというのか












<もとは人も糞尿をまき散らす獣>

2009年04月19日 | Weblog
 こんな事を考えたことがありますか?たとえばもしあなたが、裸のままで四畳半の箱の中に閉じこめられ、水と食べ物を与えられたら、一ヶ月後にいったいどんな状態になるでしょうか? 箱の中は糞尿がまき散らされ、部屋中にその匂いが立ちこめるでしょう。動物園の獣たちとなんら変わらないに違いありません。

 人は言葉を教えられ、子供ながらに周囲を観察しながら文字を学び、人間社会のことを修得していきます。幼子は自分で服を着たり靴下をはくことできません。たとえ出来るようになっても教えなければそのままの裸体でいるかもしれません。イブがエデンの園のリンゴの実を取ってかじったらとても甘く美味しかったのでしょう。それから人への道を進む話が聖書に書かれています。ではリンゴの実とは一体何の喩えなのでしょうか?

 糞尿をまき散らす獣が人への道を進むとき、言葉や文字がリンゴに当たるかもしれません。そうであるなら言葉と文字が人間と獣を隔てるものになります。もっと考えれば人間らしく生きるためには言葉と文字を大切に学ばなければなりません。

 算数や英語は大切な科目ではありますが、私は一番大切なのは国語だと思っています。文字を読み文字を書く。言葉は残りませんが文字は残ります。幼い頃に自分が何を考えていたのか、文字にしておけばその頃の自分を理解できます。気持ちを文字にするとき人は、どのように書こうか、どのような喩えを使えばもっと深く相手に伝わるだろうか。メールのような伝達文ではなく、もっと気持ちを深く伝える作業が考えるという意味でとても大切な気がするのです。

 小学校の4,5年の頃、本が好きだった父は強制的に私と4歳上の兄を正座させて読ませました。その嫌な思いが残っていたために、自分の息子には同じように強制的に読ませようとはしませんでした。中学1年生になったとき、東映映画の内田吐夢監督作品、中村錦之介主演の第一部「宮本武蔵」(この作品は5部作ある。ただ今BS放送で5週に渡って放映中)を深夜の再放送で見た時でした。武蔵が千年杉に吊されてから一体どうなるのか。その先が知りたくて、偶然家の本棚に『宮本武蔵』の6部作の3巻まであり、夢中で読み始めたのです。そうして4巻以降を手に入れるために古本屋を何軒も捜し回りました。高校時代に新しく3巻物で発売されたので、その本を買い求め再度読破しました。中学生の頃は、試験中であろうと読みふけった為に何度も母に叱られたことがありました。読み終えるために1年もかかりましたが、高校時代は5ヶ月ほどで読み終えました。

 以前NHKの大河ドラマ「春日局」で家光に無理矢理漢文を読ませる場面がありました。家光は声を出して読むのですが、まったく意味が分からないとお福(春日局)に文句を言います。しかし、お福は「読んでいるうちに分かってきます!」ときっぱりと言い放ちます。そして「教育によって辛抱を学ぶのです」と付け加えました。

 息子が小学校の頃、今どき正座させ強制して本を読ませることなどナンセンスだと考えていました。連れ添いも本が好きな女性ですが、そんな教育を受けたことがなかったために子供の自主性を重んじました。これが過ちだったと今では確信しています。強制的な教育方針に対して、ナンセンスや子供の自主性などと考える傾向が今の親たちにはあるような気がします。

「子供の将来のために」
これは親の誰もが思うことですが、行きすぎれば吃音や神経質な子供になることがあり、親としても大変難しいことです。「ニュー・シネマ・パラダイス」のアルフレードは、エレナが約束の時間に来なかったとサルバトーレにウソをつきます。傷心のまま彼がローマに旅立つ時、強い言葉でこう云います。「二度と帰ってくるな。こんな田舎に帰ってきてもおまえの為になるようなことは一つもない」親はたとえその時、その後も恨まれようと<子供の将来のために>と強い信念を持って接するべきなのだと思います。

「春日局」が放映されたのを調べると、今から20年前の1989年でした。その時、息子は5歳でした。本の習慣を身に付けさせようとする強い信念は、今ほどではありませんでした。父の強制による読書が子供の私には苦痛でしかなかったのです。今では大変感謝していますが、こうした想いは長い時間人の心を呪縛するものです。しかし、自分が親となり子供が20歳を過ぎた頃、親の強い想いや自らの呪縛に気づくのです。祖父母の方が子供の教育に向いているという話は、自分の子供に対する教育観を客観的に分析できる経験を積んだからと云えるかもしれません。

<鶴亀算から日本を憂う>

2009年04月14日 | Weblog
鶴亀算は、中国の数学書『孫子算経』のキジとウサギの数を求める問題が、江戸時代おめでたい動物のツルとカメに置き換えられてこの名前になりました。

ツルとカメがあわせて6匹、足の数があわせて20本であるとき、ツルとカメは何匹(何羽)いるか。ただしツルの足は2本、カメの足は4本である。

(方程式を使うと)       (鶴亀算を使うと)
鶴をX、亀をYとすると    一般的な鶴亀算の解き方

X+Y=6             6匹とも鶴とすると
2X+4Y=20
                6×2 =12 …6 匹すべてを鶴とすると、足は12 本。
X=6-Y            20-12 =8 …足の数は合計で20 本だから、8 本少ない。
2(6-Y)+4Y=20       8 ÷2 =4 …亀を1 匹増やすと足の数が2本増えるから、
12-2Y+4Y=20       亀を4 匹増やせば、不足の8 本が解決!よって、
2Y=8             亀は4 匹。
Y=4
X+4=6 X=6-4 X=2      6-4 =2 …鶴と亀の合計が6匹で亀が4匹なので、
Ans, 鶴2匹、亀4匹       鶴は2 匹。



中学生になって方程式を学び、この鶴亀算がとても楽にこなせたことを覚えています。しかし、今考えれば鶴亀算の方がとても論理的で答えに行きつく経過に共感が持てます。もっとこの鶴亀算を指導するべきだと思います。化学の実験や物理の実験は、この作業の連続のような気がするからです。この場合はどうだろうか?こんな場合はどうだろうか?繰り返し、トライ&エンドエラーを繰り返してと答えを求めるていくことで様々な考え方を発想を産みだし、またすぐに答えが出ない分、辛抱心を育てていきます。これは人生の歩みにとってとても有益な気がしませんか?

やり方は行き当たりばったりではなく、まず数字の小さい鶴(足の数)で考えてから、数字の大きい亀の足の数の公倍数を捜していくのがベターだと問題をこなすと分かってきます。こうしたことが知恵と呼ばれるものです。鶴亀算の問題は「鶴でまとめて考える」が問題を解くスタンスとなります。これがコツと呼ばれるものです。

以前日記で、龍馬がどうして薩長連合を考えついたかを語りましたが、龍馬や勝海舟の師であった佐久間象山は数学の大家でもありました。二人はその授業の中できっと数学的発想を身に付けたのではないでしょうか。

1+1>1 薩摩+長州>幕府

数学が他の学問と最も違っている点は「客観的」というところです。
つまり誰が見ても1+1>1は納得できるということです。

鶴亀問題を方程式で解く場合、問題を読んで、2X(鶴)と4Y(亀)=全体の足数、X+Yが頭数ということだけを念頭において方程式を作り、あとY=頭数-Xを式に入れれば、残すは計算力です。鶴亀算を解くにはこの場合は、どうなるだろう?この場合はどうなるだろう?知恵を絞りようやく正解に辿り着きます。時間にして4倍以上を費やすでしょう。

方程式を用いることは子供達にとって安易でしかも時間短縮ができる方法です。私自身のことを思い出せばまるで万能薬のように使用したことを覚えています。この流れはどこかアメリカ流市場経済や合理主義と似ていませんか? 合理的で安易で便利なものに人は流れる、これをいち早く追求したのがアメリカ経済と云えます。限られた時間でより数多くの問題を、人よりも多く正解しなくては受験に合格しません。当然塾では最短で容易な方法を教えます。こうして鶴亀算のように様々な場合を考えてじっくりと時間をかけて正解を求めていく人より、最短で答えを導きだせる方法を知っている人が優秀とされてきました。そして一部の優秀な大学(東大)を卒業したキャリアと呼ばれる人が、同一宗派内で物事を考え決定していくのです。ここにはファシズム的危うさが潜んでいます。

不法に入国して10年以上もしっかりと法を守りそして誠実に働き、税金も納めていた家族がいます。不法入国が露見して両親には日本からの退去命令が出て、日本で生まれて中学生になった娘だけは残ってもいいという判断しかできない行政判断に、慚愧の堪えない想いです。

これもおかしな話です。日本の被爆者に対し、国(厚生労働省)が「原爆症」と認定すれば「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、医療特別手当(毎月137,430円)が支給されます。 しかし政府は、被害と国の責任を狭く小さなものにとどめようと被爆者を限定しているため、被爆者手帳を持つ25万人余の被爆者のうち、原爆症認定はわずか1%(2,500名)にしか達していないのが現状です。

まだまだ政府の対応にはおかしなものがいくらでもあります。そのくせ天下りや財団法人の設立も国民の血税をなんと考えているのかと思わずにはいられません。どうして国民が納得できる政治や行政システムが構築できないでのでしょうか。どうしてもっと怒らないなでしょうか。

小沢氏の政治スタンスも旧自民党の金権政治そのもので、何のために自民党を離党して民主党を設立したのか、まったく無になってしまいました。何故、辞任しろと迫る信念ある政治家がもっと出てこないのか?それは多くの議員がその汚れた金を懐に入れているからです。国民の辞任を求める声も66%がせいぜいです。そこには「政治には金がかかる」という暗黙の了解、諦めさえ感じます。

人は利口になればなるほど合理的に考える傾向が高まります。つまり時間がかかり、とてもできないことは、すぐに諦めてしまうということです。しかし、人も政治は絶対に諦めてはいけないことです。何故なら我々の子供やその子孫が、将来の国民が、国が間違いなく被害を受けるからです。

管子はこう伝えています。「一年の計は、穀を樹うるに如くはなし。十年の計は、木を樹うるに如くはなし。百年の計は、人を樹うるに如くはなし。」

最後にこのもう一つ。

『戊辰戦争で敗れた長岡藩は実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなった。藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

と諭し、自らの政策を押しきった。』(ウィキペディアより)

虎三郎のような強い信念も持った政治家、教育を大切にする信念ある政治家の出現を心から願っています。  

<コミュニケーションといじめ>

2009年04月11日 | Weblog
「相手に自分の意を伝える」ことは非常に困難です。私は20歳までコクッたことがありませんでした。大学時代の私の友人はきっと「嘘だろう?」と云うに違いない。大阪から東京に出るとき、私は今までと違った自分を模索しようとしていた。その「イメージ」はポール・ニューマンの映画「長く熱い夜」の主人公、ベン・クィックです。屈折した想いを奥に秘めながら必死にそれを隠して、男が一人で生きて行くには強いガッツしかない、そんな男をイメージしていたように思います。ベンは初めて訪れた村(原作の題名は「村」(ウィリアム・フォークナー))で、大地主で支配者のバーナー(オーソン・ウェルズ)の適齢期を過ぎた娘気性の激しいクララ(ジョアン・ウッドワード、この共演で二人は実際に恋に落ち、その後結婚)がいた。ベンは時間をかけてバーナーに気に入られ、クララの心も掴んでいきます。そんな彼の強いガッツが次男の私にも必要だと強く思って東京の大学に出て行きました。

 そんなことを心に秘めていた私は人と絶対に同調することはありませんでした。自分の想いを貫こうと強く決心していました。アメリカ民謡のフォークソングクラブ入部して、夏の共〇女子大との共同合宿(白樺湖)で、ホ〇というあだ名(2年生)の女の子に目が止まりました。黒いパンタロンぽいズボンに白の薄めのセーター、胸に赤やピンクの模様があり、髪は短髪で前髪とサイドが少しウエーブがかかっており、粉を吹いたような色白の女の子でした。彼女の頬や首筋の色白は、セーターの白さより際だっていました。(いまでも良く覚えている)。そして、何よりも目についたのは周囲の女子大の仲間と話す笑顔でした。「なんて可愛い笑顔で話す子だろう!」東京に出て5ヶ月目、私の実らぬ恋がスタートしました。小学校を卒業してからの6年間コクることなどできない不毛の時代を過ごした私は、映画のベン・クィックのようになかば強引にその恋を成就しようとして失敗したのです。(バカな奴…)

 今回の日記はコミュニケーションの難しさとその負の遺産を書こうと思って始めたのですが、横道にそれそうなので戻します。今日の朝日新聞(4/9)の<私の視点×4>に萱野稔人氏(津田塾大準教授)の記述にこのような文章がありました。

『あらゆる人間関係において、自分の価値を認めてもらうためには高度なコミュニケーション能力を必要とされる。書店に行けばコミュニケーション能力を高めるための自己啓発本があり余るほどでているし、わざわざそのための学校に通う人いるほどだ。しかしコミュニケーション能力が、人々の価値を決める独占的な尺度になることは、はたして健全なのだろうか。事実、コミュニケーションべたで自己アピールにそれほど長けていなくても、能力のある人はいっぱいいる。もちろんコミュニケーション能力も人間の能力の一つである。だからそれが評価基準の一つになることはいい。とはいえ、コミュニケーション能力をめぐる過当な競争は、人間関係にひずみをももたらすだろう。… 引きこもりは一度他者とのコミュニケーションにつまずくと、なかなか新たなコミュニケーションに踏み出せなくなってしまうことから生まれる。それにつまずいてしまった人にとても社会は冷淡だ。
また、いじめは子供のコミュニケーション能力の欠如から起きているのではなく、逆に、みんなが空気を読みすぎことで生じるストレスのはけ口を特定の人間に向けることで起きている。

 この文章の中の<空気を読みすぎる子供達>という表現に注目して欲しいのです。いじめの要因が「空気を読みすぎ」だという。どうして大人のように「空気を読み過ぎる」周囲に敏感な子供達が大勢育ったのでしょうか。

 幼い頃、夏休みは私たちは家でほとんど遊ばず外で走り回っていました。つまり子供が外でどんなことをしているのか、親は知りようがなかったのです。しかし、現代の子供はどうでしょう。多くは自宅にこもりゲームに時間を費やしています。つまり大人達の目につくところにいるのです。「あーしなさい」「こうしてはいけない」と30歳前後の両親は、今までの30年間のノウハウを親として云うべき事をすべて言い尽くすので、天真爛漫な子が育たなくなっているのではないか、そんな危惧が浮かんでくるのです。

 子供は親に文句を言われないように同調する要領を身につけていきます。そして学校生活でも同調するのが当たり前になっていきます。つまり見かけだけのいい子チャンが量産されていくわけです。まだ知識と経験が足りない子供達は同調と共感の違いが分かりません。共感するにはもう少し時間や多くの物語を必要とします。子供の教育は一緒に読む本や、一緒に観るテレビドラマや映画を通して、物語の中から共感を介在にして教育していくべきです。

 量産された見かけだけのいい子ちゃんは、自分がいじめの対象にならないよう心配りすることで、負の遺産であるストレスを溜め込むことになります。体力的暴力や言葉の暴力も一種のコミュニケーション能力です。彼らは人より長けた能力でしか自分を上手く表現できない哀れな人だとも云えます。他者を圧倒する能力を駆使して自分のアイデンティティーを守ろうとしているのです。いじめの被害者は言い返す言葉のコミュニケーションもやり返す肉体的コミュニケーション能力もないために泣き寝入りするしかないのです。

 以前もこの日記で語りましたが、被害者は自分の世界が学校や職場という世界しかないために逃げ場がないのです。どんどん自分を袋小路に追い詰めていくしかないのです。学校や職場以外の世界をいくつか持って欲しいのです。他の世界と云ってもバーチャルや直物の世界ではなく人のいる世界です。人の心を癒すことが本当にできるのは、やはり人しかないと私は思っています。

もし、学校から帰ればサッカークラブという違う仲間がいれば、
職場を去れば音楽を楽しむ仲間がいれば、
袋小路で呆然と壁に向かって立ちつくすことはないのです。


 その世界からいじめの加害者達を「あんなことでしかアイデンティティーを見いだせない奴らを哀れな奴らだ」と思っていればいいのです。自分が愛する世界は、決して一人ではなく、同好の人がいることに気づいて欲しいのです。そのためにはほんの少しの勇気とほんの少しの好奇心があれが解消できるのです。

「相手に自分の意を伝える」ことは非常に困難ですが、同好の人は必ず存在するのです。その仲間の中で自分を癒し、オリジナルな自分を密かに作り上げるのです。その経験やトライ&エラーが、やがて自信を生むのです。自信が自分の成長を自覚できる最上のものなのです。そのフォローの風を受けて大海原に船出すればいいのです。そして疲れたらまたその世界に戻って心を癒せばいいのです。いつも元気な人は誰もがそうしているのです。ゲームや植物や動物相手ではそれが難しいのです。逃げ込ます、ほんの少しの勇気、ほんの少しの好奇心を追加することで自分を救えることに気づいて欲しいのです。いじめの加害者もまったく同じです。同好の世界を見つけて、その仲間の中で本当の自分自身に気づき、自分の位置を知り、自分に足りないものが何であるかを学んで欲しいのです。

 しかし、子供の同好の世界だけは決して親は介在してはいけません。リトルリーグに親が入れ込みすぎると、また愛する子供は自分を見失ってしまうからです。子供を信じて遠くから温かく見つめていればいいのです。親は監督に「一番を打たせろ!」「レギュラーにしろ!」などと云って、モンスターペアレンツになり果てて、子供の心を崩壊させては絶対にいけないのです。

萱野稔人氏はこう続けています。
『空気を壊してしてはならないという圧力は、人びとにコミュニケーション能力をさらに要求するだろう。しかし、それが進めば、社会のなかで同調圧力が強まり、社会そのものが萎縮してしまうだけである。』


[m:66]私の座右の銘
「和して同ぜず」


(写真は4/8 兵庫県のパインレイクGCです。私が行った最高難度のゴルフ場ですが、桜の満開が酷いスコアで落ち込む私を心から癒してくれました。5月に再度難コースに挑みます。)

「父と残された時を想う」

2009年04月10日 | Weblog
 若い頃は時の流れから老いを想像することなどできませんでした。しかし、年々老いが進む父を見ていると老いが込み上げてきます。昔、飼っていた愛犬を連れて近くの住吉公園によく散歩に行きました。ある年から彼は走り回らなくなり、風呂で洗ってあげてもスピッツ犬の白い毛並みが戻らなくなり、階段も上がれなくなりました。最後は目に白内障が見えました。私が名付けたハッピーという名の愛犬は、幼かった私に自分の一生をかけて老いを教えてくれました。父を見ているとそのことが思い出されて仕方がありません。

 昨年、父を連れて奈良吉野の花見に行きましたが、今年はあれからまる1年経った4月1日に姫路城まで花見に行ってきました。桜は3,4分咲きでしたが中には満開の木もあり、多くの人が来られていました。<城に桜>はとても風情があって日本の美を感じます。大阪城の桜や和歌山城の桜が好きですが、まだまだ全国にはたくさんそんな城と桜があるようです。

 中学生になって信長や秀吉や家康の一生、平家の栄枯盛衰を様々な本で読み始め、映画やテレビドラマで物語を観てきました。今では彼らのどんな一生も真似たいとは思いません。平家にしても、戦国大名にしても晩年は非業の最期か、とても辛くて切なくなります。母の晩年も、最近の父を見ていても<生き続ける難しさ>を痛感せずにはいられません。若い時のように体力や気力がないとはいえ、それを自分で受け止めることが難しいのだと思います。しかし、年輩者には若者にはない見識や洞察力や信念があります。何をすべきかは見えているのです。できない自分が切なくて虚しくて哀しいのです。父をみているとそう感じます。


 3月25日の夜中12時に父の携帯から電話があり、急いで耳を近づけると女性の声が飛び込んできました。話を聞くと酔っぱらってこけて頭から血を流しているというのです。救急車を呼ぶほどではないことを確認し、私は10分でカラオケスナックに急行し、父を家まで連れて布団に寝かせました。兄も自転車で来ていて、「又か」という顔を見せながらも布団の準備するためにすぐに帰りました。父を寝かすとき、酔っぱらいながら「もう死んでもええねん!」と云うので、私が初めてきつい言葉で言い返しました。

「何云うてんねん! 商店街で60年近くも2軒も店舗を構えてきて、
 最後は酔っぱらって頭を打って死んでもいいなんて云うなよ! 
 頭を打って死んだなんて近所の人が聞いたらどう思うねん! 
 男の誇りはないのか! 
 酔っぱらって家に帰れないから迎えにきてくれ、
 そんなことなら何度も来るけど、
 病院や警察から連絡を受けて駆けつけるなんて俺はいやだよ!」

 最近の父の状況は一緒に住む兄から何度も聞かされていたので、機会があれば云うべき事は云わなくてはと思っていました。しかし、云った後、自宅までの車の中で<人間の老い>が、哀しくて哀しくて泣けてきました。

 昔尋ねたことがあるのですが、父は秀吉が好きです。何故かと聞くと「よくぞ男に生まれけり」、そんな人生だと思うからと語っていました。そう言われれば、貧しい育ちの男が一国一城の主となり初めて日本全土を統一したのです。最後は若い茶々を愛人にして、わがまま放題に生きたのですから。

 父が泉州の田舎から牛一頭を打った金、2万円を手に住吉大社の近くの商店街で店を開いたのは19歳の時でした。それから私が生まれた時、またも大きな借金をして今住んでいる店と家を買い、兄と私を大学まで卒業させたのです。その間には胃潰瘍で血を吐き、病院に運び込まれたり、胆石で大きな手術もしています。道楽もありましたが、見事な人生と云うほかありません。だからこそ云ったのです。「誇りはないのか!」と。

 あのとき父はとても哀しそうな顔をしました。そして「そんな強く云うなよ…」と弱々しい声で嘆きました。それを聞いて胸を締め付けられる思いになりました。度重なる怪我や失態を繰り返す父の話を兄夫婦から聞かされていたので云ってしまったのです。父が元気な頃は、毎月のように商店街のゴルフコンペ開催し、私も幹事の一人として兄の変わりに参加しました(大阪で最も長く続いているゴルフコンペとしてサンケイスポーツ新聞で記事に取り上げられたことがあります)。

 残念ながら兄とはほとんど行ったことはありません。最近では3年前、父と私と息子の三代で回りました。兄とは波長が合わず、グチはいつも私が聞いているので父の想いはよく分かっています。そんな関係だったので父に対する初めての辛辣な言葉は、とてもきつく突き刺さったようです。

「残された時をいかに生き切るか!」

 この命題は老人達にとってとても困難な課題だと思っています。まだ現役の私は父の現状を見る前から歴史上の人物や本や映画から学んでします。映画「七人の侍」の志村喬が演じた勘兵衛、「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」でアル・パチーノが演じた盲目の退役軍人、「ミリオン・ダラー・ベイビー」のクリント・イーストウッド演じたフランキー。これらの映画には、誇り高きもの達が死に際に苦しむ姿が描かれています。見識や洞察力や信念がある彼らでさえ死に際に苦心しているのです。凡人の母や父、そして私のような煩悩の塊のような輩にはきっと難しいに違いありません。

 私に読書を最初、強制したのは父でした。その本は『ああ、無情』(『レ・ミゼラブル』)でした。兄と私(小4)を正座させ、毎日数ページを声を出させて読ませました。私も必死に読もうとして努力しましたが、声を出して読んでも、ただそれだけで内容やストーリーは全く頭に残りませんでした。しかしその訓練があったおかげで、中学に上がってから吉川英治の『宮本武蔵』を読破することができました。それから家にあった山岡荘八の大作『徳川家康』や『織田信長』を貪るように読みふけりました。

 花見の帰りに、クリント・イーストウッドの新作映画「グラン・トリノ」を見に行こうと誘いました。頑固な老人の最後の生き様を描いたこの作品は、C・イーストウッドが過去に出演・監督したすべての映画を上回る大ヒットをした話題作です。今の父には少し辛い内容かもしれませんが、まだ気力と体力を失ったわけではありません。私もまたその二つが十分なうちに父と共に死に対しての心構えだけは少しずつ考えていきたいと思います。

「黒部の太陽」を見て。

2009年04月05日 | Weblog
 敗戦から立ち上がり復興を果たし、高度経済成長を目指す中、日本全国が絶対的電力不足に悩んでいた。ついに関西電力、太田垣士郎社長(中村敦夫)は、黒部川最上流域に日本一のアーチ型ダムを擁する、黒部川第四発電所建設に着工することを決意。前人未踏の黒部上流域に分け入り、日本一のダム建設を実現するため、関西電力は熊谷組を始め信頼できる建設会社を、日本の将来のため、と口説いていく。

 ついに未曾有の予算、規模によるダム建設に着工することとなる。黒四建設という重大任務を託されたのは、様々な難工事を成功させている滝山薫平(小林薫)だったが、滝山は二の足を踏む。しかし社長からまでもくどかれた末、黒四建設事務所次長に就くことを決意する。滝山は、黒部川第四発電所の建設の中でも、ダムサイト工事現場へ資材を運ぶために北アルプス山中を貫く大町トンネル掘削工事を任されることとなる。関西電力は「トンネルの熊谷」とトンネル掘削では輝かしい実績を上げている熊谷組に大町トンネル工事を依頼する。

 既に佐久間ダム建設に成功し名をあげていた熊谷組工事課長の木塚一利(ユースケ・サンタマリア)にも声がかかる。木塚は、新しいトンネル掘削工法を習得しており、佐久間ダムなど新ダム建設成功の立役者であった倉松班の親方、倉松仁志(香取慎吾)に白羽の矢を立てる。… (http://wwwz.fujitv.co.jp/kurobe/index.htmlより抜粋)


 香取慎吾が演じた若い親方が素晴らしくいい。最初のキャバレーのシーンから彼の演技はかつて一度も見たことがないくらい輝いて見えました。あの親方の役(かつては映画で石原裕次郎が演じた)は骨太の演技が求められ、他のスマップも仲間も誰もできないであろうと思えました。ユースケ・サンタマリヤのような線が細い役者は何人もいますが、名の通った若い役者でキムタクのようにエリート役は演じられても、土方の親方は難しい骨太演技を要求されます。しかも名だたる名演技者が名を連ねており、葉すっぱな演技ではドラマが崩れてしまいます。あの役はまさに映画の心棒たる役柄です。周囲は小林薫、津川雅彦、伊武雅刀、火野正平、中村敦夫ら年配の芸達者が脇を固めており、今までは浮いた役がら多かった慎吾にとって将来を切り開くような凄い役です。「黒部の太陽」に慎吾の未来を見た!そんな感じです。きっとこんな役柄のオファーが増えると確信します。

 見逃した人はきっとすぐに再放映されると思いますので、その機会にぜひともご覧下さい。そしてDVD化も決定してるようですので、レンタルして見て欲しいと思います。慎吾の演技だけではありません。昭和の発展を支えた電力マンと彼らを支えた家族、建設に命を賭けた男達の熱いドラマはきっと見た人の心を熱くするでしょう。

 トンネル工事中に香取演じる親方の部下が事故で死亡します。彼は父親の反対を押し切って日本一のダム建設に参加したのです。そこには下請けのトンネルマンとしての<誇り>があったのです。関西電力の黒四建設事務所次長(小林薫、かつては三船敏郎が演じた)が「日本の電力のために、日本の発展のために頑張ってくれ!」と慎吾親方に熱く語りますが、慎吾親方は怒りながらこう言い返します。

「俺達は誰かのために掘っているんじゃない。
 死んだ彼も誰かの犠牲になったわけじゃない。
 そんなのあまりに悲しいだろう? 
 俺達穴掘りは、自分の誇りのために穴を掘っているんだ!
 それが仕事だから掘っているんだ!」
          (セリフは少し違っていると思いますが、思い出す限り…)

 この言葉はネクタイ連中全員の横っ面をおもいっきりはったように感じました。現場という死と生の狭間で働く男達の<誇り>、資格や金にもならない<誇り>という熱い言葉に、全員がはっとする名場面です。(この時の慎吾は最高でしたよ)

<誇り>という言葉を最近よく耳にします。映画の「クライマーズ・ハイ」、「感染列島」や「252 生存者あり」、「ジェネラル・ルージュの凱旋」です。その主人公達は自分の仕事に対して強い<誇り>を持って仕事をしています。だからこそ、緊急や辛い試練の場面でもやるべき使命感を持って立ち向かえたのです。誇り高き人達には、裏切り、欺瞞、不正、私利私欲や出世欲のような病原菌は寄りつかないようです。

 誇り高き人達は常に孤高です。そしてそれは宿命です。

 その孤高に堪えかねて多くの人は下野してしまいます。現在も孤高の人は現場に沢山います。昔と違うのは共感する人の数のような気がしてなりません。もっと多くの人が孤高の人に共感すれば、山は動くと私は信じています。そして<誇り>という言葉をもう一度胸に刻みたいとこのドラマを見ながらそう感じました。

<真実とは?>

2009年04月03日 | Weblog
『真実の言葉を語れば、かならず周囲の古い世界と摩擦がおこるものです。できあがった体制や権勢は、そんな新しい考え方や言動に不安をおぼえることでしょう。わが国の仏法は異国から伝わってくる教えや知識を、必死でとり入れ、つけくわえ、つけくわえして大きく豊かに花開いた世界です。ところが上人様(法然)は、それらの教えや修行や、教説を一つ一つ捨てていこうとなさっておられます。知識も捨てる。学問も捨てる。難行苦行も。加持祈祷も、女人の穢れも、十悪五逆の悪の報いも、物忌みも、戒律も、何もかも捨てさって、あとにのこるただ一つものが念仏である、と説かれています。これまでそのような厳しい道に踏み込まれたかたは、だれ一人としておられません。それが真実だからこそ危ういのです。危うければこそ真実だと、私は思いました。ぜひ、この範宴(のちの親鸞)を門弟の末席にくわえてくださいませ』 (神戸新聞:3/28 『親鸞』より)

 これはまだ若い範宴(親鸞)が、念仏を唱えるだけで浄土に往生できると説いた法然(浄土宗の開祖)に弟子入りしたいと願った新聞連載小説の一文です。後に親鸞となって法然の教え(浄土宗)を継承発展させて浄土真宗を開きます。真宗とは「真の宗教である浄土宗の教え(法然の教え)」の意であり、親鸞自身は独立開宗の意思は無く、法然に師事できた事を生涯の喜びとしました。

 信長や島津家は最後までこの教団(=一向宗)と対峙しました。この事は歴史上の出来事として有名ですが、それでは何故、信長や島津家は浄土真宗を認めなかったのかは残念ながら学校では教わりません。ここに以前から興味がありました。過去に吉川英治の『親鸞』を高校時代に読みましたが、その疑問を答えられる記憶や印象は残っていません。敬愛する五木寛之氏の『親鸞』(神戸新聞連載)を読みながらその答えを探っていこうとしている最中です。

 さて、「真実は危うい」と云った法然に親鸞は共感したとここでは語られていますが、私は何故、<危うい>という異質にも思える言葉を五木氏が用いたのか、理解できずその謎を解こうと試みました。

<真実>
真実(しんじつ)とは、本当のこと。偽りでないこと。
歪曲や隠蔽や錯誤をすべて排したときに明らかにされる事をいう。

「真実は複数あるが、事実は1つしかない」と良く言われることがあります。多くの場合、真実は事実に対する人の評価(真偽)を伴います。そのためしばしば、「信念」や「信義」と関連し、例えばイスラム圏の厳格な宗教家からみれば、アメリカの市場経済や合理主義優先の思想は「悪魔の石臼」と呼ばれるのはその為のようです。法然がいう真実とは、歪曲や隠蔽や錯誤をすべて排して残った本当のことなのでしょう。


「人は生まれながらにして平等」
これはアメリカの独立宣言やカンジーの言葉やリンカーン言葉、福沢諭吉の言葉でも語られています。これは真実ですが、事実でも現実でもありません。

何故なのか?
まず、すべての人が肉体的に平等ではない事実が存在します。目が悪い人、足が遅い人、身体が弱い人、音痴の人など数え上げればいくらでもあります。これだけでも生まれながらにして平等ではありません。

では、権利だけでも平等なのでしょうか?
生まれてくる時代や国によって、家によって、子供達の権利は著しく異なってきます。人権も平等ではありません。

本当に平等なのは心の持ち方だけかもしれません。心は広大と云えば無限であり、狭い、窮屈と思い込めばそうなってしまいます。心(精神)は自分でもコントロール不能になったり、手の上に出すことも、他人が認識できないとても危ういものです。

<危うい?>
私は自ら偶然にこの言葉を使いましたが、自分の心こそ、自分だけが知る「真実」だと今気づきました。時間や角度という状況によって心は揺れ動くものです。善に動こうが、悪に動こうがそれはそれで「自分の真実」なのです。 その揺れ動く心のから歪曲や隠蔽や錯誤、嫉妬や邪な欲望をすべて排して、残った本当のことを見つけ極める作業が悟りへの道に違いありません。

私のような煩悩の塊のような男(ゴルフ、映画、本、音楽、そして女性)にはそんな道は歩めませんが、心の真実を極める作業は最近よく私が日記で語っている「自分の本質探し」とどこか似通っているような気がしてなりません。

「真実は危うい」という言葉に私は共感します。
そして、<心もまた危うい>


ショーン・ペンが主演した映画「ALL THE KING'S MEN」の製作者の一人マイク・メダヴォイはこんなふうにこの映画を伝えています。

「この映画は政治を枠組みとして使ってはいるが、本質的には、人生についての物語、我々全員に関する物語なんだ。我々は皆、腐敗する可能性があるし、愛することも憎むことも裏切ることもできる。それらは太古の昔から人間の原動力となってきたものだ。ウォーレンの小説は、人間の本質を描いている。善人でもなければ悪人でもない、その間のどこかにいる不完全な人々を描いている。彼らはもともと善意の人でありながら、権力に屈し悲劇的な結末を迎える。」