大好きな司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」
彼の作品にはいつも熱い志が存在する。
今では志という言葉がまるで死語のように感じるのは私だけだろうか。
この作品は『竜馬がゆく』と同時期(東京で自活を始めた大学時代)に読んだ作品ですが、
最後のページにこんな記述があったのを今でも覚えている。
「男の一生とは、若いときに何をしようとしたか、そして年老いて何をしたかだ」
文章はきっと違っていますが、内容的にはこれで合っていると思う。
『竜馬がゆく』も『坂の上の雲』も20歳前後の若者たちに読んで欲しい作品だ。
大学に入ったばかりの時期に読んだ私は、
(私自身は、これから何をしようとしているのか)
それを捜すために、この4年間を懸けようと決心したものでした。
あれから40年近くが過ぎました。
自分自身が残してきた結果は、しっかりと自身で受け止めています。
そして、数字として私の脳裏に刻み込まれています。(今までの日記に記述済み)
<数字は客観的です> (これを覚えていてください)
誰もに有無や是非を云わせぬ力を持っているからです。
さて、物語は維新後の薩長の藩閥政治に反発する若者たちが、
自由民権を謳いながら胸を熱くして、東京に向かうところで第1話が終わる。
貧しい役人の長男として育った聡明な秋山真之。
弟を寺にやるなと父に談判し、貧しい家を支えながら
中学にも行かず、風呂屋の釜炊きのバイトにせいを出している。
大阪で師範学校へ無料で入学できる話を聞きつけ、父親も承諾する。
真之の信条は、人間は身分に関係なく学ぶべきで、
何のためかといえば、個々人の独立のためであり、
それが国家の独立の基礎にもなると説いた福沢諭吉の『学問のすすめ』だった。
ここには「教育の目的は自立にあり」と記されていた。
1872年に発刊された『学問のすすめ』は、1877年の西南の役以降、
ベストセラーとなって自由民権運動の聖書とも云うべき書になったようでだ。
幕藩体制や身分制度に反発した士族の武力による革命が明治維新だった。
しかし、その後の藩閥政治は、士族にとってなんら変わらないものだった。
そんな士族達の大反乱が西南の役(戦争)。
そこでも身分の低い士族は敗れ去り、彼らの怒りは自由民権運動へと走らせた。
(■「士族」という身分表示は、第二次世界大戦後1947年(昭和22年)の
民法改正による家制度廃止まで戸籍に記載されていた)
真之は『学問のすすめ』に従って、大阪で師範学校に進み、陸軍士官学校へ入学、
そして陸軍の騎兵隊将校への道を選んでいく。
幼なじみの正岡子規が先に東京へ旅だったことに嫉妬しながら、
自由民権運動に熱を上げていた弟の秋山好古に、上京せよと兄から手紙が送付されてくる。
幼なじみではありながら貧富の差に堪え、親が、兄が弟を想う熱い肉親の絆。
彼らには坂本龍馬が土佐藩を脱藩したときの、姉の想いや熱い志がありました。
(このあたりの展開は正しく司馬遼太郎タッチ、いいですね)
龍馬が暗殺されたのは1867年の12月10日ですから、
その5年後に発刊された『学問のすすめ』は読んでいませんが、
秋山兄弟と子規と同様に共通した熱い志がありました。
それはきっと学ぶことによってのみ生まれる<自立心>が根底にあったように思えてなりません。
『学問のすすめ』はそれを文章によって裏付けしてくれたのです。
東京で再会した3人が、これからどのようにして自らの熱い志を明確にしていくのか、
考えただけでもワクワクします。
想像を超えた体験や溢れるような知識との出会い、様々な人たちとの出会いを通して、
3人が3様のトライ&エラー繰り返し、そして成長していく姿が目に浮かぶようです。
坂の上の雲とは志を意味しています。
雲の向こうに存在する確かなものを手にする自立の物語、
今後の展開に大いに期待したいと思います。
彼の作品にはいつも熱い志が存在する。
今では志という言葉がまるで死語のように感じるのは私だけだろうか。
この作品は『竜馬がゆく』と同時期(東京で自活を始めた大学時代)に読んだ作品ですが、
最後のページにこんな記述があったのを今でも覚えている。
「男の一生とは、若いときに何をしようとしたか、そして年老いて何をしたかだ」
文章はきっと違っていますが、内容的にはこれで合っていると思う。
『竜馬がゆく』も『坂の上の雲』も20歳前後の若者たちに読んで欲しい作品だ。
大学に入ったばかりの時期に読んだ私は、
(私自身は、これから何をしようとしているのか)
それを捜すために、この4年間を懸けようと決心したものでした。
あれから40年近くが過ぎました。
自分自身が残してきた結果は、しっかりと自身で受け止めています。
そして、数字として私の脳裏に刻み込まれています。(今までの日記に記述済み)
<数字は客観的です> (これを覚えていてください)
誰もに有無や是非を云わせぬ力を持っているからです。
さて、物語は維新後の薩長の藩閥政治に反発する若者たちが、
自由民権を謳いながら胸を熱くして、東京に向かうところで第1話が終わる。
貧しい役人の長男として育った聡明な秋山真之。
弟を寺にやるなと父に談判し、貧しい家を支えながら
中学にも行かず、風呂屋の釜炊きのバイトにせいを出している。
大阪で師範学校へ無料で入学できる話を聞きつけ、父親も承諾する。
真之の信条は、人間は身分に関係なく学ぶべきで、
何のためかといえば、個々人の独立のためであり、
それが国家の独立の基礎にもなると説いた福沢諭吉の『学問のすすめ』だった。
ここには「教育の目的は自立にあり」と記されていた。
1872年に発刊された『学問のすすめ』は、1877年の西南の役以降、
ベストセラーとなって自由民権運動の聖書とも云うべき書になったようでだ。
幕藩体制や身分制度に反発した士族の武力による革命が明治維新だった。
しかし、その後の藩閥政治は、士族にとってなんら変わらないものだった。
そんな士族達の大反乱が西南の役(戦争)。
そこでも身分の低い士族は敗れ去り、彼らの怒りは自由民権運動へと走らせた。
(■「士族」という身分表示は、第二次世界大戦後1947年(昭和22年)の
民法改正による家制度廃止まで戸籍に記載されていた)
真之は『学問のすすめ』に従って、大阪で師範学校に進み、陸軍士官学校へ入学、
そして陸軍の騎兵隊将校への道を選んでいく。
幼なじみの正岡子規が先に東京へ旅だったことに嫉妬しながら、
自由民権運動に熱を上げていた弟の秋山好古に、上京せよと兄から手紙が送付されてくる。
幼なじみではありながら貧富の差に堪え、親が、兄が弟を想う熱い肉親の絆。
彼らには坂本龍馬が土佐藩を脱藩したときの、姉の想いや熱い志がありました。
(このあたりの展開は正しく司馬遼太郎タッチ、いいですね)
龍馬が暗殺されたのは1867年の12月10日ですから、
その5年後に発刊された『学問のすすめ』は読んでいませんが、
秋山兄弟と子規と同様に共通した熱い志がありました。
それはきっと学ぶことによってのみ生まれる<自立心>が根底にあったように思えてなりません。
『学問のすすめ』はそれを文章によって裏付けしてくれたのです。
東京で再会した3人が、これからどのようにして自らの熱い志を明確にしていくのか、
考えただけでもワクワクします。
想像を超えた体験や溢れるような知識との出会い、様々な人たちとの出会いを通して、
3人が3様のトライ&エラー繰り返し、そして成長していく姿が目に浮かぶようです。
坂の上の雲とは志を意味しています。
雲の向こうに存在する確かなものを手にする自立の物語、
今後の展開に大いに期待したいと思います。