GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「橋下徹講演会に出席して」(2012.6.28)(下)

2012年06月29日 | Weblog

講演3  講演4

「昨年の11月27日、大阪で行われたダブル選挙の結果があって今日の私たちがあるのだ。皆さんの民意が私や松井さんを動かしていることを知って下さい。一人の政治家の存在などちっぽけなものです。落選すればハローワークに行って職を探せばいいのです。私は弁護士資格があるのでまた弁護士業をすればいいのです。民意を受けて市長や府長に選ばれたからこそ、私たち、そして大阪維新の会のメンバーが動けるのです。棺桶に入る前にやるべき事をやりましょう。これは私たちも皆さんも同じですよ。
 次の選挙こそ、今後の日本の将来を決定するでしょう。政治は政治家の能力によって動くのではなく、国民の民意によって動くのだと私自身改めて気持ちを引き締めました。もし国政でもやって欲しいという大きな民意が動くのなら私はその民意に従うでしょう」

 講演会後の懇親会には堺屋太一が最初演壇に上がり、「日本を変えるのは橋下徹しかいない!」と持ち上げ、横浜元市長や名古屋の河村たかし現役市長が演壇に登って「橋下病に罹った私たちと共に、皆さん日本の大改革に手を貸して欲しいと」とエールを送った。

     

 講演の後の懇親会にも出席して2,000名以上の後援会員が大騒ぎしている中、運良く橋下氏と握手できた。右手はとても柔らかく、そして温かく感じた。彼の輝く目を見つめて「頑張って下さい! 今夜の講演のお話は私のブログでも紹介させていただきます!」
と伝えて名刺も渡すこともできた。

 二重行政を排除し、改革が進む市政と府政の一本化、この明確な改革こそが道州制を導入の基礎、そして日本を大きく変革できる唯一の手段だと橋下氏は語っている(私も大いに共感・賛同する)。大阪の改革こそが、混迷を深める日本の将来に大きな影響を与えるものと強く信じることができた。
 体調が良くて久しぶりにクラブを振り回し、100タタキをしてしまったゴルフ帰りだったが、疲れは吹っ飛んでいた。政治嫌い(私には最も不適当な職業だから)の私が、今までの候補者にないものを感じて彼に投票し、その後の言動に注目し続けてきた。そして昨年11月に後援会に入会まで追いやってくれた橋下氏の力量は本物だ。

    

 

    

     

    

 道州制を最初言い出したのは小泉氏の後を任された安倍氏だった。2006年、道州制を実現するための計画案「新地方分権推進法案」を提出し、2007年に有識者らによる推進委員会を内閣府に設置し、2008年には推進計画を策定、2010年をめどに工程表を作成する予定だった。役人天国の日本を根底から変えるにはこの施策しかないとその頃から私は確信していた。
 このままではギリシャやスペイン、イアリアになりかねないのだ。この事は何度か今までブログで述べてきたつもりだ。日本のような民主国家での社会主義行政が最も陥りやすい罠(職員・公務員に甘い)に陥ってはならないのだ。橋下氏の後援会に出席して改めて自らのスタンスを堅固にできたと思っている。そして、今まで以上に橋下氏の言動に身近に真摯で熱いものを感じられた貴重な時間となった。朝の10時過ぎ、ゴルフ場で昼食を取って以来、口にしたのはコーラとコロッケだけだったが、懇親会で一皿だけ食べただけで満足して家路についた。清々しい気分だった。

             

 

 


「橋下徹講演会に出席して」(2012.6.28)(上)

2012年06月29日 | Weblog

    

 政治家は決して容易な職業ではではない。簡単に親の七光りでできるような仕事でないのだ。一番に誰もが考えない、しかも多くの人が共感する明確なビジョンを持ち、そのビジョンを聴衆にプレゼンでき、他を圧倒する説得力を必要とするからだ。

 昨年11月29日に講演会会員になって以来、彼の生の講演会に出席する機会を伺っていた。今年の3月末に退職し、ようやく今夜この機会を得た。そして、改めて生の素晴らしい弁舌を聞き、氏を身近に感じることができた。

    

 今夜の橋下氏の講演内容は、テレビや新聞、その他メディアで聞いてきた内容と違いがあるわけではなかったが、最大の味方である講演会会員を前に話しした表情は、終始笑顔を絶やさずいつもより、より明快だったように感じた。そして、その明快さは、聞いていて心地よく強い実行力を彷彿させてくれた。講演会に来ているすべての人を桃源郷とまで云えないが、しかし連れて行って欲しくなるような、そして、行きたくなるような場所に確実に行けそうな心地にしてくれるのだ。

 後援会会員というのは最もコアなファンだ。そのコアな人々に、ユーモア溢れる講演冒頭の話(消費増税・衆議院通過)は、聴衆の心を掴むにはとても適していたように感じた。誰もが今、国政に不満を抱いている。誰もが増税に拍手喝采などするものではないと云いつつ、日本の国民は説明すれば理解してくれる賢明さを持っていると、国民の一人である後援会会員を褒め称える。(この辺りのサービスがとてもうまい)彼の弁舌の真骨頂とも云える。 

 橋下氏がこの半年間で行ってきた改革は、今までの職員や府会議員・市会議員、外郭団体、教育委員会等に苦汁を飲ませてきた。そのことを大阪市民は良く知っている。そして、市長の言動を今までのどの市長より共感している。これが橋下氏の最大の武器だ。民意こそが最大唯一の武器なのだ。
 かつて「自民党をぶっ潰す!」と公言した小泉元首相を思い出す。しかし、誰もが手を付けられなかった市政の闇を自らその先頭に立って、迅速に光を当て市民に共感を得られるような改革を進める姿に、大阪市民は熱狂的な支持を送ってきた。昨年11月に後援会に入会した私もその一人だ。  後援会とは後援会会員と市政改革の過程を共有し合い、お互いを身近に感じ合う場でもある。「言語明瞭、意味不明!」と云われた竹下元自民党総裁とは全く違う。「言語明瞭、意味明快、共感快感、苦渋を飲む勇気、元気生じる」橋下氏の言動は、まさにカリスマ的と云えた。 これが間近で彼の話を聞いた後の私の正直な感想だ。

 冒頭の講演  講演内容2

せっかくなので講演の内容を簡素に記しておく。

・「増税はしない」と民主党はマニフェストに掲げた。この施策は民主党が掲げた最大の御旗だったはず。その施策を国民が納得しないまま可決に至る政府与党の姿に幻滅を感じた。
・関西電力の株主総会に出席して、空気を飲めない経営者の姿勢にはがっかりした。原発稼働が会社存続の絶対条件なら、何故もっと真摯にその理由を株主に語らないのか、値上げや原発再稼働の決定はその後でなはないのか。私が経営者なら株主の質問が無くなるまで何日でも膝をつき合わせて稼働の必要性を説くだろう。あんな高飛車な姿勢では消費増税を無理矢理衆議院を通過させた民意無き民主党と同じだ。
・消費税は地方税にし、そして17兆円もある地方交付税を廃止し、国と地方が健全な自立が必要。その巨大な交付税が地方分権の意志を喪失させている。その為には道州制を推進して、国の根幹を変える必要がある。
・大阪市政は高齢者に金が回り過ぎ。小中学生がいる家庭にの不可分所得が少な過ぎ(不可分所得:労働の対価として得た給与やボーナスなどの個人所得から、支払い義務のある税金や社会保険料などを差し引いた、残りの手取り収入のこと)。この行政は「文楽」保持する行政と似通っている。決して「文楽」を守りたくないと言っているのではない。補助金が税金で賄われているにも関わらず、文楽関係者の所得格差が大き過ぎるのだ。つまり若者に金が回っていない。(大阪という古くからの町の深い闇:これは私の言葉)
・大阪市の外郭団体を71から21に削減する。
・随意契約(公共事業を発注する際、競争入札を行わず、任意の業者と契約を結ぶこと。原則としては競争入札をしなければならないが、法令の規定で定められた特定の条件を満たしていれば随意契約が認められる)が自治体と民間との癒着を生んでいる。だから90%の随意契約を破棄する。
・公立、市立の小中学の経費・人件費が高い。特に給食に従事する人たちが、何故フルタイムで必要なのか、理解できない。私立はこのような経費削減に努力している。だから校長を公募することにした。(まさに明快な論理だ。校長に改革を望んでいる)
・公務員、職員、外郭団体の天下りをなくすと伝えると、「モチベーションが下がる?」こんなことを言い出す組織人は絶対におかしい。中之島の地下に組合事務所があったが、市は組合に無料でその場所を貸していた。こんなおかしな話はない。市政と組合の癒着以外のなにもでもない。

上記の話は橋下氏の言動を追っていた講演会会員には決して聞き慣れない話ではない。しかし、講演の最後で彼が力強く述べた話は私たち聴衆を惹きつけた。                                           

                                                 (下につづく)


2012 6月 湘南旅行&ファッションホテル (3)

2012年06月26日 | Weblog

(ファッションホテル:ウォーターゲート3店) 


 今回は初めて3店の「ウォーターゲイト・ホテル」を利用した。ネットで「ウォーターゲート桜島」を見つけたのがきっかけだったが、全国にあることを知り、まず「相模原」にネットで夫婦割引を知りメールを入れると丁重な返信があり、夫婦割引は金曜、土曜祭日前にないが、2,500円の割引で一泊7,500円にしてもらえた。所沢にも泊まることを伝えると、支配人に連絡を入れてくれて、夫婦割引はなかったが、2,500円の割引をしてもらい一泊13,900円が11,400円となった。町田ではSEEDSというホテルに泊まったが、ネットができる作りになっており、朝食はついていなかったが部屋の大きさは市内の中心部にあったウォーターゲート相模原より大きな部屋で有り難かった。帰りは新東名高速道路を利用したために、私の車のナビにはまだ新東名が入っておらず、ナビ画面の道なき道を行き続け、とうとうミスして東名阪から地道に入り西名阪から奈良の天理を超えて、疲れがピークになり、香芝出口を降り、ウォーターゲート香芝に一泊することになった。しかし、このホテルが今回の旅行で最高の部屋だった。Eタイプを選んだが、一泊9,210円だった。部屋の広さは80㎡以上あり、マッサージチェアーや岩盤浴、無料の平日限定ディナー、無料ドリンク、翌朝の和洋食もついていた。ウォーターゲートの内装は落ち着いたアジアン風が売りで、この香芝ではそれが最も良く表現できていた。大きな洗面所が二つもあり、男女並んで座って歯磨きや洗面ができるとても優雅な作りだった。いつかウォーターゲート桜島も利用したいと思っている。

    

    

      

     

        

      

        

            

        ●総走行距離1,235.9kmの大旅行となった!


「2012 6月湘南旅行&墓参り(2)

2012年06月26日 | Weblog

(「喜多院」・川越、蔵造りの町並みと時の鐘) 

 埼玉県下ではベスト3と言う川越女子校に通っていた連れ添いは、西武新宿線の本川越から約15分にある「喜多院」に何度か訪れたことがあるいう。その話を聞いていたので、当然D時代の上司宅を訪れることになったので寄って行こうということになった。  川崎大師「喜多院」は 所縁の人物に、天海大症僧正、徳川家康、家光、春日局がいる。大河ドラマの「春日局」以来多くの人を集め、その機に歩いて15分ほどの所に川越:蔵造りの町も整備したようだ。日曜日ということもあり、訪れた日も沢山の人が集まってきていた。

 この後、埼玉北本在住のデニーズ時代の元上司、K氏の豪邸を訪問。4年前にも一度訪問したが、そのときは2月だったので、大きなカニをごちそうになった。今回は男の定番料理「ローストビーフ」を自ら腕を振るって私たち夫婦を歓待してくれた。北方謙三を彷彿させる豪快な元上司は、いつも料理で私たちを驚かせてくれる。今度大阪に来られたときは「西心斎橋 ゆうの」にお連れすることを約束してまだ明るいうちに家路についた。

     

    

    

     

    

    

    

    

   

   

   

   

(東名高速道路:足柄、刈谷サービスエリア) 

 最近のサービスエリアの新しい展開に驚かされた。まるで街中のショッピングモールと同じ店舗が散りばめられていたからだ。また、高速道路利用者だけではなく、高速道路と反対側から一般の人も出入りができる作りになっており、特に刈谷は天然温泉や観覧車もあり、まるで遊園地のような作りになっていた。JAFの会員証を見せると二人で1,000円の観覧車は是非とも利用して周囲の状況を確かめて欲しい。施設内の数店でパンやコロッケや串カツ、デザートを買い込み、今まで高速道路のサービスエリアでは決して味わえなかった食事タイムを取った。 

    

    

    

    

    

    

     

    

    

  


2012 6月湘南旅行&墓参り(1)

2012年06月26日 | Weblog

 退職して心残りだった連れ添いの両親の墓参り、ようやく行くことができた。半駆け落ちの結婚から31年、お互いに大きな病気もせず、今年30歳になる息子も4月に正社員登用が決まり、現在元気に奈良まで通っている。この幸せを少しでも早く霊前とお二人が眠るお墓の前で報告したかった。6月22日の朝6:00に自宅を出発し、6月26日の12:00前まで、新婚旅行以来の大きな旅となった。息子が最も可愛く、最も強く父を感じさせてくれた思い出の地、湘南の藤沢鵠沼にも足を伸ばした。大好きな水族館見物(横浜八景島シーパラダイス)、連れ添いの思い出の地、女子校があった川越(「喜多院」、蔵造りの町並み、時の鐘)にも足を伸ばすことができた。義弟のS君が国際結婚したお相手のスパタさんにも会うことが、実は最大の目的だった。決して身体が丈夫ではない義弟だっただけに、結婚相手がどんな女性だったのか、とても気がかりだったが、母性愛豊かで、しかも高い知性と教養を感じさせる素晴らしい人だった。霊前でこれまでの幸せを報告した安堵感以上に私たちを高揚させてくれた。S君に幸せを十分共感できたことが、今回の旅行で最もうれしく感じたことだった。 

            

    

   

    

 

 最近、とみに涙もろくなってきた連れ添いは、スパタさんから「お姉さん!、お姉さん!」と何度も親しく呼ばれ、そのことを心から喜べた安堵と幸せを感じていたようだった。私は抱き合う二人を見ながら、同時に幸せを共感し合えた。大阪と埼玉間、この500kmという距離はどうにもならないが、スパタさんなら病弱のS君をしっかり任せられそうだ。私は自分や連れ添いの<GOOD LUCK>を強く感じた。同時にこのLUCKを長く続けていきたいと心の中で願った。 

(思い出の地、藤沢、江ノ島、鎌倉) 

子供は幼稚園の頃、親として最大の喜び・感動を与えてくれるものだ。その貴重な時間を得られたのが湘南の藤沢時代だった。25年以上の時の流れは134号線も自宅付近も大きく姿を変えていた。特に湾岸線はまるで映画の中のロスやシスコを彷彿させる変わりようだった。元自宅を探すのにしばらくとまどったが、見つけたときは感動ものだった。家族で何度も訪れたトンカツ屋も探しだし、25年ぶりに店内に入ったが、17時を過ぎて平日なのにドンドン家族連れ、会社員等が入り出し、いまだに藤沢の有名飲食店としての地位を確固たるものにしている風格さえ感じさせてくれた。久しぶりに訪れた店が、今も元気に営業していることを見られたことは、私はとてもうれしく思った。 

   

   

 


(横浜八景島シーパラダイス)http://www.seaparadise.co.jp/ 

 入場のみで2,700円は決して安くはないが、あれだけの魚達を囲い込み、アシカやセイウチの楽しいショーは、今まで見たことがないほど良く躾けられていたことに感激した。癒し系の白イルカの出演、同じプール内を悠然と泳ぎ続けている世界最大の魚類ジンベイザメも陰のヒーローだった。私が一番びっくりしたのは真っ白な巨大なマンボウだった。大人二人分以上の大きさには心底驚いた。ジンベイザメは大阪の海遊館の大きさにはかなわないが、同じような巨大な円筒形の水槽内を、音楽に合わせて数千数万の鰯の群れと悠然と泳ぐ姿は感動ものだった。

     

   

   

     

    

   

 

   

   


ドラッガーの言葉

2012年06月21日 | Weblog

 中学や高校の野球部を舞台にした青春映画で、今まで駄作だった映画は記憶にない。どの物語も良くて出来ていた。昨日見た前田敦子主演の映画「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」も何度も泣かされた。お奨めできる映画だ。是非ご覧下さい。

              

 ドラッガーの『マネジメント』は、若い頃読んだ覚えがあるが、内容について全く失念している。映画の中で、ドラッガーの言葉として、「企業で大切なのは才能ではなくて<真摯さ>だ」と云っていたが、この言葉も全く記憶にない。大学を卒業して今年の3月まで組織人として従事してきたが、<真摯さ>(=誠実さ)は私の信条だったが、ドラッガーが大切だと云うにはとても以外だった。管理野球で有名な野村監督が組織で重要なのは<情>だという言葉を思い出した。これもまた以外だったからだ。

 ドラッガーの基本的な関心は「人を幸福にすること」にあった。そのためには個人としての人間と社会(組織)の中の人間のどちらかのアプローチをする必要があるが、ドラッカー自身が選択したのは後者だった。
 著書の『マネジメント』で、従来の全体主義的な組織の手法を改め、自律した組織を論じ、 前書きにおいて「成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである」と述べている。

            

(ドラッガーの言葉)
「経営者に必要なのはキャラクターの高潔性だ」
「我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである」  
「企業にとって何よりも大事なのは、新しい生きた「アイデア」をどう生むかだ」
「神々はすべてを見通しているから、どんなに難しくても、自分の仕事は完璧を期せよ」
「効率的な企業は、問題中心主義でなく、むしろ機会中心主義である」  
「日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある」  
「軍隊の指揮者は、現場からのリポートに依存することなく、自分で現場へ出かけて行き、自分の目でみる」
「コストも「社会現象」の1つである。企業経営の大きな成果は、少数の社員がもたらす」
「経営者が第1になすべき、また絶えず行うべき職責は、現存の資源を用いて最高の成果をあげることである」
「世の一般的な勧めなどは無視して、己の仕事を絞る。それがトップの[主要活動領域]である。」
「自分が得意だと思っていることに、溺れるな。物事の"本質"を鋭く透察する心を持て」
「階層をなす組織の危険は、上司の言うことを部下がそのまま実行することだ」
「市場に関する報告書など信頼してはいけない。マーケットはトップ自身の目と足で確かめよ」
「上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな」」
「企業は何よりも″アイデア″であり、″アイデア″を生むことができるのは個々の人間だけである」
「経営管理の96%は、ルーティーン的な定例反復業務であることを、ゆめ忘れてはならない」
「生産性の本質を測る真の基準は量ではなくて、質である」
「リーダーの主要な課題は、いかにして各種のバランスを上手にとるかである」
「企業経営のエッセンスは、何かに『卓越』することと、『決断』することである」
「有能さは修得できる」
「最も重要なことから始めよ」 
「革新とは、単なる方法ではなくて、新しい世界観を意味する」
「問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ」
「アクション(行動)によるフォローアップ(対査)なきプロジェクト(計画)はパフォーマンス(実績)を生まない」
「自分はここで何を貢献できるかを考えよ」
「予期せざる成功・失敗にこそ革新への源がある」
「強みの上に築け!」

                 

●印象に残った言葉はありますか?
私は以下の6つに強く共感できました。

・「経営者に必要なのはキャラクターの高潔性だ」
・「企業にとって何よりも大事なのは、新しい生きた「アイデア」をどう生むかだ」
・「自分はここで何を貢献できるかを考えよ」
・「自分が得意だと思っていることに、溺れるな。物事の"本質"を鋭く透察する心を持て」
・「階層をなす組織の危険は、上司の言うことを部下がそのまま実行することだ」
・「革新とは、単なる方法ではなくて、新しい世界観を意味する」

 私は<共感>を大切にしてきた。リーダーシップや組織作りやシステムを動かすのは常に人であるからだ。そしてもう一つ大切にしてきたのは<大誠意>だ。私はこの二つで組織を作ってきた。だからこそ、似通った<真摯>や野村監督の<情>という言葉を語った二人の言葉に<共感>できたように思う。

 映画をご覧になってドラッガーの言葉が、どのように浸透していったか、組織で何が大切なのか、イノベーション(=革新)とは何を意味するのか、高校生の野球部が活性していく様子を見ながら考えるのも一考だと思いますよ。


「同窓会2012」(住吉中学第20回卒業生)

2012年06月17日 | Weblog

       

      

 大阪市立住吉中学校、第20会卒業生の同窓会。心斎橋「湖月」で開催された。1969年3月に卒業以来の同窓生達と出会えた。3人の先生もお見えになったが、85歳前後とは思えないほどお元気そうだった。「次回まではなんとか出席できそうです」と笑いながらおっしゃっていた。長く先生という職業をやり終えた方の歳の重ね方は、その殆どが美しく見えるのは私だけだろうか。費やしてきた仕事への誇りがそう見えるに違いない。

      

 私の初恋は中学2年生の時。相手は同級生になった圭子ちゃん。しかし、私の片思いだった。その圭子ちゃんと43年振りの再会を果たした。とてもいい顔をしていた。輝いて見えた。いい歳の重ね方をしたように感じた。当時、実家は我孫子でクスリ屋を営んでいた。その実家にも行ったことがあるし、私の実家にも彼女が来たことがある。彼女のお母様は、ご健在で今は宝塚で一緒に住んでいるとか。そして薬局を営んでいると聞いた。何故か、とてもうれしく感じた。

 彼女との二人だけの思い出は、下校途中に住吉大社に寄って太鼓橋の上から池を覗くと、二人の影が水面に映っていた記憶だけだ。しかし、あの頃の私はそれだけで十分満足だった。その唯一の思い出だけで十分だった。「好きだ」とか「付き合って欲しい」こんな言葉は告げられなかった。あの素晴らしい思い出が消え去るような気がしたせいかもしれない。3年生になったとき、彼女とはクラスが別れた。お互いに声を掛け合ったのはそれ以来だから、44年振りということになる。

          

お互いに顔を合わし「久しぶり!」と声を掛け合った。
私のことも良く覚えてくれていた。
「好きだったけど、どうしても言えなかった」とドサクサ紛れに今夜初めて告白した。
しかし、彼女に告げたというよりは、周囲の同級生達に告げた。
彼女は笑顔でその告白を聞いてくれた。
それで十分だった。昔も今も私は一向に変わっちゃあいない。

今年59歳になる圭子ちゃんは今も変わらず美しかった。
それがとてもうれしく感じた。
しかも彼女は幸せそうだった。それがもっとうれしかった。

          

同窓会には今まで縁がなかったが、退職して今夜ようやく参加できた。

お開きになり別れるときに、「撮った写真を送るよ」というと

「楽しみに待っている」と圭子ちゃんは笑顔で言ってくれた。

あの笑顔だけで十分だった。

とてもいい再会といい別れ方が出来た。

私だけかもしれないが、お互いの幸せを共感できたように思えたからだ。

だから二次会に行くこともなく家路についた。

私にはとてもいい同窓会だった。


グッドラックが自信を持ってお奨めする本2冊

2012年06月14日 | Weblog

読んで決して後悔しない本をご紹介。

                        

●1冊目は『パレード』『悪人』の吉田修一『太陽は動かない』(幻冬舎)だ。

 日本のある地方の中小企業で、現在の100倍の能力があるソーラパネルは発明される。同時期に京大の研究所で宇宙からマイクロ波で電気を送電できる技術が開発される。この二つの大発明を組み合わせて、宇宙空間でこのソーラーパネルを人工衛星もしくは宇宙ステーションに取り付け、マイクロ波で送電できれば現在のエネルギー問題が飛躍的に改善できることになる。この大発明を最初に知ったのが若くて純粋な国会議員だった。中国の企業、韓国の企業や工作員、CIA、日本の産業スパイらが争奪戦を繰り広げる壮大なストーリー。本の帯には「スパイ大作戦 この世で最も価値のあるものは情報だ。情報は宝。宝探しに秀でた者だけが、世界を制する」とある。本当にトム・クルーズも真っ青のようなワクワクするような物語でした。

最も印象に残っている文章を一部紹介する。
『今の中国は、国際問題より地方企業が勝手な真似をすることを恐れている。外国からの非難などいくらでも躱せる。だが中国人が裏切り始めれば手に負えないことを当の中国人が一番知っている。外国からの非難なんて子供の泣き声程度にしか思っていない』

『漠然としたイメージだが、中国という大国の中に、CNOX(ある大企業)と言う小国が誕生したと考えれば話は早い。独自の政治ルールを重んじる大国は、外資との提携一つとっても何かと問題が生じ、身動きが取れなくなる。ことエネルギーなど国家の根幹を成すような分野ではさらにハードルは高い。しかし独自の政治的ルールを固持していれば、自国の発展はない。そこでCNOXのような小国が生まれ、身動きの取れない大国の代わりに軽やかに動き回るのだ。
 当初、大国はこの小国をコントロール可能だと見積もっていた。いざとなれば力でねじ伏せられる、と。しかしそのうち大国の幹部たちが自由に金儲けができる小国の幹部も兼ねるようになる。そこで矛盾が起こる。いざという時には小国をねじ伏せるはずだった者と、ねじ伏せられるはずだった者が同一になってしまうのだ。犯人を追う警官が犯人であるようなもので、警官は追い続けられる。そして犯人は逃げ続けられる。
 現在の中国にはこのような小国が至る所で生まれ、至る所で同じ追跡劇が続けられている。この追跡劇に終わりはあるだろうか。もしあるとすれば、小国が暴走するのか、それとも大国の矜持が勝つのか。』

 沿岸部と内陸部の大きな貧困の差、そしてインターネットの波及と共に進みゆく民主化の波、共産主義が資本主義に塗れていく矛盾、封建的社会に嫌気をさして渡航し、成功し金を蓄えた華僑達のジャジメント、人口増大に伴いエネルギー不足と将来の水・食糧難、これらが現在の中国首脳が抱える問題であろうと、私は分析していた。
 しかし、この小説を読んで分析に誤りがあったことに気づいた。金になることを知ってしまった企業やその中で蠢く金の亡者達が、自分勝手なことをし始めているとこの小説は教えてくれたのだ。企業人だけではなくその企業には国会議員や役人も名を連ねているから問題は複雑になってきているようだ。とにかく是非読んで欲しい一冊だ。

もう一冊、最近読んだお気に入りの本をご紹介。
●超弩級クライムアクション『Cの福音』から大ファンになったが、最近は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京』のような重厚な人間ドラマや経済小説『ラストワンマイル』まで手がけている楡周平『骨の記憶』(文藝春秋)だ。

             

 集団就職から昭和30年代をとらえつつ、バブル経済の背景を綿密に描いた人生の光と影、これがこの本の主題だ。イントロが特に印象的だった。没落した東北の旧家の嫁のもとに届いた宅配便は51年前に失踪した父の頭蓋骨だった。しかも差出人は、中学卒業後、集団就職で町を出てその翌年に火事に遭って死んだはずの同級生だった。

 昭和初頭の寒村の貧しさ、食事、住居、仕事、東北地方の風景、集団就職、大地主、そして身分の違い、どれをとってもリアルに描かれている。昭和30年代、私の実家もその頃、大阪市内の商店街で2軒の店を営業していた。宮崎県や鳥取県出身の高卒者男女5名が同じ屋根の下で住み込み従業員として働いていたので、本の内容はとても身につまされた。集団就職や中卒・高卒の引け目、お金持ちに対する嫉妬には胸が詰まる思いがした。
 
 偶然と才覚で高度成長をのし上がっていく男の一代記、そして復讐劇は松本清張の『砂の器』のような重厚さを感じさせてくれた。秀逸な時代描写がこの本の主題のように思えてくる。見事と言うほかない。昭和という高度成長期とバブル経済を知りたかったらこの本は貴重な経済小説としても光を放つに違いない。


「来週末は、湘南への旅行とお墓参りだ!」

2012年06月11日 | Weblog

今日は朝からコーナンでお買い物、そして、やりたかった大工仕事。
ソファに座りながらPCがてきるオリジナルテーブルを作るのだー!

所要時間:11::00~17:00の6時間。
費  用:2,500円

作りながら、なんて楽しいのだと久しぶりの快感を味わった。
何かを作っている時、つくづく「俺には職人の血が流れている」といつも感じるが、
今日のテーブル作りは今まで以上にDNAを感じた。

「全世界でこのテーブルは一つしかない」、こんな思いが楽しさを倍増させてくれる。

            

   まず、この設計図を作成     設計図を持っていざ、コーナンへ!

 

        

 このマンションに住んで25年、初めてのベランダでの大工仕事。 やってみたかった!

             
 できあがった世界でだだ一つのテーブル    できあがりに満足している私

 

来週末は、連れ添いの両親の墓参りと彼女の弟夫婦での会食、そして懐かしい湘南への旅行だ。

まだ、詳細は決めていないが、息子が幼稚園時代を過ごした鵠沼海岸・藤沢や江ノ島、

七五三で行った鶴岡八幡宮を25年ぶりに歩いてみようと思っている。

もしもう一度住むことができるなら、必ず藤沢を選ぶだろう。


今回は連れ添いがメインなので、行き先はすべて彼女に任そうと思う。

国際結婚した弟の奥さんが素晴らしい郷土料理(タイ)を作って

私たちを歓待してくれることになっている。

また楽しい時間を過ごせそうだ!

 

『 もう一度住んでみたい街 』


 もう一度住んでみたい街
 あの街であなたは無心に育ちましたね

 毎朝「お早う!」といって
 あなたに口づけしましたね

 それが我が家の習慣でした
 同じことを幼稚園でして
 先生にしかられましたね
 あの時 何故しかられたのか
 きっとあなたには分からなかったはず

 江ノ島の水族館で初めて迷子になりましたね
 不安になって泣きべそをかきましたね

 鎌倉の海辺に寝そべって
 有名な水中花火を見ましたね
 大人でもびっくりする花火の大きな響きにも
 あなたは驚きもせず 目を輝かせていましたね
 「幸せの瞬間」とはあんな時間のことをいうのでしょう

 上野の動物園にパンダがやって来たとき
 何時間もかけて見に行きましたね
 でも人の波が大きすぎて見られませんでしたね
 翌日云われたあの一言 今でも忘れられません
 「パンダさん、いなかったね…」 
 
 海辺にあったゴルフ練習場
 あなたは隣で白いボールで砂遊びをしていましね
 潮の匂いが漂い 時間が穏やかに流れていました

 私が会社から一週間海外研修に行ったとき
 あなたは遠い成田まで迎えに来てくれましたね
 人混みの中であなたの笑顔を見つけたとき
 父親であることの喜びで胸が一杯になりました

 あなたが育った街
 父親であることの喜びを知った街
 海辺の温暖な気候が時間の流れまで緩やかにした街 
 すべての思い出が絵画のように美しい街
 あなたと過ごした幸せの街 
 
 「もう一度住んでみたい」
 もう一度住んでみたい街、それは鵠沼海岸 藤沢……。


          


   

 この奥の一戸建てを借りて住んでいました。藤沢のヨーカドーまで歩いて7分の距離でした。


「堺CCでの月例(Cクラス)参加結果」

2012年06月10日 | Weblog

勝負事には必ず結果が生まれる。

勝ったのか、負けたのか。良いのか、悪いのか。予算達成したのか、しなかったのか。

プレッジ(公約・誓約)との実績比較が生じる。

 

若い頃、山中鹿之介の「願わくば我に七難八苦を与えたまえ!」がモットーだった。

プレッシャーを自分の糧としたい、そして強くなりたいと心の底から思っていた。

店長という仕事を選んだのも、売上、予算対比、昨年対比が客観的な数字となって現れるからこそ、

私はそんな仕事を選び、楽しんできた気がしてならない。

人事部や総務部ではなく、営業部を選んだのも、

チームプレーよる団体競技よりも、柔道やゴルフやボーリングが好きなわけも、

どうやらそのへんに理由があると自分自身を分析している。


                


昨日、「88でラウンドを目指す!」とプレッジしたのは、今までにない練習場での自信がそうさせた。

「練習はウソをつかない」これを証明したかった。

 

 

さて、今日の堺CCでの月例ゴルフの結果は?

プレッジ通り、88(42.46)でした!

本当はもっといいスコアで回りたかったが(パットが入らなかった。 パット数18、19)

とにかく自身でかけたプレッシャーには負けなかったことが嬉しい。

 

80台で回れる自信があったので携帯を持参し、

初めてご一緒したメンバーの方に、後半に1カットだけ撮影をお願いしました。

 
           撮って戴いた1カット(堺CCの梅コースの1番)

 


ゴルフをオリジナル(自己流)で楽しむ!

オリジナルは、私の基本姿勢だ。 

2回連続の80台。

これをキープしていれば、Bクラス、Aクラス入りも自然に見えてくる。  

シングルへの道は遠いが、それを楽しめる時間がまだまだ残っている。

この<GOOD LUCK>を引き寄せた自分を少しだけ褒めたくなった。

 

[5月度:月例99 (net78)で34位]

[6月度:月例88 (net67)、順位はこの時点では不明]


「シャラポワ、全仏優勝、キャリア・グランドスラム達成、おめでとう!」

2012年06月10日 | Weblog

 シャラポワの家族は、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の影響により、ロシア・西シベリアにあるニャガンへ移住を決意する。マリアは4歳の時からテニスを始め、6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見出され、9歳の頃父親とともに渡米した。その時持っていたお金は300ドルだったとか。
 今ではシャラポワは、モデルの仕事も多く女子のスポーツアスリートの中で最高の収入を誇っている。今大会でたとえ優勝できなくてもランキング1を決めた彼女は、初のファイナル出場で全仏に勝ち、生涯グランドスラムを達成して、本当に意味でN0.1になりたいと思っているだろう。

(2008年のhttp://blog.goo.ne.jp/goodluckyuji713/e/166595f14ee8695b3aee4f0e177fcd39より)

「何故、ランキングNO.1のフェデラーやシャラポワが全仏で勝てない?」

 この疑問を解くために1番のテニス通の知人(娘さんは日本ランキング100位以内の娘さんがいるバリバリのテニスウーマン)に尋ねてみました。

「クレーコートの難しさって、何?」 
『クレーに関してはプラスフットワークなんです。クレー用に意識してやってるフェデラーと無意識にクレーのフットワークのナダルに差があるような気がします。クレーはプレーもしやすくて好きですが、ハードやグラスよりもバウンドしたときにパワーが吸収されてしまうので当然威力が減ります。だからハードと同じボールを打ってもエースはとれません。よって、エースをとるにはプラスもう1本。この1本多くの積み重ねが、選手の体力を相当奪います。特に受けるよりも、ハードヒットするほうが体力と神経を使うのできついでしょう! 特にエースをとるタイプの選手は、相手からエースを獲られることを嫌うタイプが多いので、ストレスも溜まるでしょう。イレギュラーが多いこともクレーコートの難しさとなっています』 

 2009年全仏に勝って、生涯グランドスラムを決めたフェデラー。本当はナダルに勝って優勝を決めたかったに違いないが、見事歴史に名を残した。しかし、今大会のジョコビッチ戦を見た限り、フェデラーのグランドスラム勝利はもう見ることはできないだろう、そんな残念な戦いぶりだった。

 男子は、明日のジョコビッチとナダル戦のファイナルだ。ナダルは全仏での勝利が最も欲しいとインタビューで話していた。彼が全仏の固執するのは6回の優勝(4連勝と2連勝)という<クレーコートのNO.1の誇り>に違いない。しかし、それを今回初めて口にしたナダルの自信は、明日、間違いなくジョコビッチを苦しめるに違いない。(私はナダルファン)

            

 女子ファイナルはシャラポワ対エラーニ戦。第1セットは6-3、第2セットは5-2で、シャラポワは攻めて、攻めてとうとう打ち勝ちった。今まで見たことない5本のダウン・ザ・ラインのショットは成長を裏付ける確かなショットだった。挑戦者のエラーニは必死の防戦を見せた。シャラポワの打気をそぐような見事なドロップショット2回でマッチポントを逃れたが、シャラポワは最後まで攻撃的テニスに徹した。

 この勇気、ブログで何度も書いてきたが、彼女の最大の魅力はこの<勇気>溢れている戦いぶりだ。きっと不器用な性格なのだろう。しかし、その不器用な性格だからこそ、一端決めたプレースタイルを一度も変えようとしない。自分の性格を知っているのだ。シャラポワは右肩の手術後、ランキングを大きく落とした時期があった。そして、この2年、必死にランキングをあげてきた。その過程をしっかり見てきたつもりだ。だからこそ彼女のプレースタイル揺るぎないことを私は知っている。

 今までの彼女の試合は、ダブルフォルトの連続し、それでも、セカンドサービスの速度を落とさずに打ちまくる。そのプレッシャーにやがて自滅する、そんな試合を何度も見てきた。今日もダブルフォルトで落としたゲームが幾つかあった。しかし、今日の彼女の勇気は微動だにしなかった。ファーストサーブの成功率60%以上も見たことがない。素晴らしい成長だ。男子も含めて彼女の<勇気>には誰も敵わない。ここが私の心を掴んで離さない。

               
 
 優勝の弁の中で、両親への感謝を述べた。渡米時たった300ドルしかなかった貧困の時代を生き抜き、史上10人目の女子グランドスラマーとして歴史に名を残した。

    「マリア・シャラポワ 2012年全仏優勝、おめでとう! 
        そして、キャリア・グランドスラム達成、おめでとう!」


ワインと肉料理の店「遊山」(幻の店<ラコント>チーフとの最高のひととき)

2012年06月09日 | Weblog

6月6日  水曜日

私が最後に支配人をした店、それがフレンチ&イタリアン「ラコント」。 

その時のチーフとセカンドとの久々のひととき。 

いい別れ方は最高の再会を用意してくれる。 

同じ釜の飯を食べ、共に走り回り、共に汗をかいた仲間との再会。 

人生にはこんな輝くようなひとときがある。 

生きていくのは決して容易くはない。 

しかし、懸命に生き抜いてさえいれば、多少のプレゼントは待っているようだ。 

                 

現在、高井チーフは大阪市内の南船場では少し名が売れている「遊山」の料理長をしている。

セカンドの源さんは紆余曲折を経て、再び師匠であるチーフを頼ってきた。

ラコント時代、二人のコンビは私から見ていて最高のDUOだった。

                  

そんな二人が再び同じ店にいること自体、

この業界では奇跡に近いと言える。 是非、来店してご賞味して下さいな。

    


鹿児島産の牛肉の様々な部位を、一口ずつ食べて比べ、味の違いを確かめる。

犬鳴ポークも特産の地鶏も一級品だ。

           

最近食事量が以前の半分くらいになった私でしたが、最後までしっかり堪能できました。

前菜 オードブル そして、様々な牛の部位が、そして地鶏や犬鳴ポークが、

少量でコースのように出てくるのが、ワインと肉料理の「遊山」の特徴です。

    

 

     

食後感も決して焼き肉屋のあの胸一杯という感じではなく、とても消化がいい感じでした。

チョイスできるデザートのシャーベットとアイスクリームの組み合わせも楽しめました。

             

最後に出てきたお茶。

「うん? 何だ、この味? 飲んだことないけど、知っている味」

連れ添いといくら考えても思いつかないので、美しいスタッフを呼んで尋ねると

「コーンです」と思いがけない答えが返ってきた。

「あっ、そうか、だから知ってた味なんだ!」私は思わず声をあげちゃいました。

フレンチ出身の高井チーフならではのお遊び。

でも味と口当たりがとてもいい。

               

 

そして、お互いにとってとても懐かしい味でした。  二重丸!

休みの日に、昔のように源さんも一緒にマージャンしようという話で盛り上がり、

近日中に開催予定。これはまた楽しい時間となりそうです。

グッドラック、心からお奨めできる店です。 (60名位の団体も可能ですよ!)

               

HP:http://a-nest.co.jp/ 

TEL:            06-6265-1199       
住所:大阪市中央区南船場1-10-2 


「新入社員と秀吉」

2012年06月06日 | Weblog

朝から年配者でごった返すリハビリクリニック。
医療を求めている人たちの総勢は私を含めて50名を優に超える。
スタッフはフロアーに総勢15名、入り口に3名、医師は1名(二つの部屋を行き来している)
このクリニックの損益分岐点売上はいくらくらいだろう?
総人件費+高価な医療機器のリース費用+水光熱費+備消耗品日+etc.…
スタッフの年間所得から考え始めたら、ふとこんな懐かしい風景が浮かんできた。

               

場所はレストランのバックヤード。新入社員が先輩社員から、
「ここが汚れている事に、何故気づかない! 何にもできないんだから! 掃除くらいできるだろ!」
「すいません!」新入社員はトボトボと掃除用具を取りに行く。
(なんだよ、偉そうに! 汚れているのに気がついたらお前がやれよ! なんで俺なんだ!)
そう思いながらも、「すいません! すぐ綺麗にします!」と彼は動き出す。

もし、新入社員が若い頃の秀吉ならどう反応するだろうか?
「すいません、本当に気がつきませんでした!」ニッと明るい笑顔で先輩に礼を言い、
掃除用具を走って取りに行き、素早く周囲一帯を整理整頓し、清掃も完璧に終わらせるにちがいない。

                 
               

この違いをどうみるか?!

「本当に気がつかなかった。俺って何処を見ているんだろう? 先輩が言うのはもっともだ」と
秀吉なら心の底から思うに違いない。だから真摯に清掃に取り組める。

二人の違いは「奥底の思い差」だ。

本音で思うか、思わないか、これが将来大きな差となって現れる。
行動だけで反省を示し、その場限りにしてしまうあの新入社員のままでは、
本当にいつまで経っても汚れさえも気づかないバカ社員になるだろう。
「景観は心を表す」と言う意味をいつまでも理解できない人間になるだろう。

「本音で思う」これが「色心不ニ」の大切な点。
つまり精神と感情は本来一つでなければいけないとブッダの言葉と一致する。

サービス業に疲れ、ストレスを溜め込んでいた時期にふと飛び込んできた言葉だった。
そして私は「自分の仕事は天職だ」と心の底から思えるようになって、とても楽になった。
それまでの私はきっとバカ社員だったのでしょうね。
気づくのに働き出して15年以上も要したのですから。

         

                     


「円-人民元直接取引」を分析

2012年06月01日 | Weblog

まず、情報収集のためにニュース記事をまとめる。

・2005年:通貨バスケット制(自国の通貨を複数の外貨に連動したレートにする固定相場制)を参考に調整し管理変動相場制(管理フロート制)へ移行した・
・中国は2008年7月に悪化する世界経済の状況のために、以前のドルペッグ制に戻した。この時のレートは、1ドル=約6.83元。しかし、その後改めてアメリカなどの主要国から、人民元(再)切り上げへの圧力が高まった。

・2010年6月に切り上げ:中国は2008年7月に悪化する世界経済の状況のために、以前のドルペッグ制に戻した。この時のレートは、1ドル=約6.83元。しかし、その後改めてアメリカなどの主要国から、人民元(再)切り上げへの圧力が高まり、2010年6月19日に切り上げを発表した。

*ドルペッグ制: 自国の貨幣相場を米ドルと連動させる固定相場制

*通貨バスケット制:</strong>自国通貨をドルやユーロ、円などの通貨に対して、どういう度合いで連動させるかを決め、為替レートを決める制度。バスケットに入れたひとつの通貨のようにみなすことから呼ばれる。内訳は明らかにされていない。

*管理フロート制 :為替相場を決定するための制度の一つ。自国の通貨の変動幅を固定し、その幅の範囲内で各国通貨が、自由に取引される制度のこと。 通貨の変動幅は中央銀行によって管理され、中国の場合は中国人民銀行が管理している。

*人民元レートの推移
項目・年   2005年        2006年       2007年      →  2012年
為替レート  8.0702元(100)  7.8087元(96.63) 7.3046元(90.51)  6.376元(79.01)
 
 円と中国の通貨・人民元とを直接交換する為替取引が6月1日から始まる。これまで元は流通量の多い米ドルを仲立ちにした間接取引が中心で、ドル以外の先進国通貨との直接取引は円が初めて。日中貿易の拡大が期待されるほか、ドルを基軸とした世界の通貨体制にも一石を投じることになりそうだ。三菱東京UFJ銀行など3大銀行グループなども29日、直接取引への参加を表明した。

 ドルの仲立ちがいらなくなれば、輸出企業や中国を旅行する個人が円と元を両替する際の手数料が安くなる可能性がある。元建て債券などの金融商品が増えることも予想され、大手行幹部は「企業の資金調達の幅を広げる」と期待する。

 日本にとって中国は最大の貿易相手国。対中貿易額は27兆5400億円(11年)で、この10年で2.5倍に膨らんでいる。ところが、お金の受け渡し(決済)の際、いったん円や元をドルに交換しているため、為替取引の手数料が二重にかかってしまう。交換レートがドル相場の変動に左右されるリスクもある。このため日中両政府は昨年12月、円元の直接取引の拡大で合意。

Q 直接交換の仕組みは?
 東京市場では、企業や個人から注文を受けた銀行が円と元の交換レートを提示し合い、直接売買する。円とドルの取引と同様に、円と元の相場は需要と供給に応じて自由に変動する。これに対し、上海では中国政府の指定する銀行が提示した交換レートの平均値を毎朝公表する。銀行はこの平均値の上下3%の範囲内でしか取引できない値幅制限が設けられている。

Q 直接交換できるとどんなメリットが?                                                      これまでは円を元に交換しようとすると、まず円をドルに換え、そのドルを元に換える必要があった。このため、企業や個人は銀行に二重に手数料を払っていたが、直接交換ではこれが1回で済む。

Q 貿易にはプラス?
 これまでは直接交換ができず、日中間の輸出入代金の約6割がドルでの決済だったが、企業はドルで受け取った輸出代金を円に換える際、為替レート次第でもうけが目減りしてしまう可能性があった。直接交換で円や元での決済が増えれば、日中貿易の拡大を後押しする効果も見込める。

Q 中国に旅行に行く人に恩恵はあるか?
 旅行者は出国する際に銀行の窓口で円を元に換えたり、帰国時には元を円に戻す。直接交換で手数料が下がれば、当然負担は軽減される。

Q 日中両政府の狙いは?
 中国にはドル依存からの脱却につなげたい思惑がある。日中に限らず、貿易はドル決済が中心で、ドル相場の変動により貿易黒字が大幅に減るリスクにさらされているからだ。日本は直接取引をてこに、今後拡大が見込まれる人民元関連の金融商品の取引を取り込み、東京市場の国際競争力を強化しようとしている。 

Q 円の通貨価値は変化するか?
 経済に勢いのある中国の元の利用ばかりが進み、国際的に円の埋没を招く恐れは否定できない。元高を嫌う中国が、東京市場でも為替介入して相場を誘導する心配もある。

                   

●安住淳財務大臣は、「円と人民元の直接取引は6月1日から東京と上海の市場で始まる」と発表した。従来までは米ドルを介した取引が行われていたが、円と人民元の直接取引によって取引コストの低下や金融機関の決済リスクの低減などのメリットがあり、両国通貨の利便性向上、東京市場の活性化にも資することになる。ドルをのぞけば、円は人民元にとって直接取引できる初の外国通貨となる。

■GOODLUCK'分析結果                                                                      現代の日本にとって、経済的には中国と手を握り、国防では米国との安全保障条約を堅持する姿勢を貫く以外に生き残る道はない。その為には沖縄問題を早期に解決しなければならない。総論賛成、各論反対と多くの日本人が考えているはずだ。であるなら日本政府は、沖縄県をもっと優遇し、昔のように犯罪者が基地に逃げ込めば治外法権的に捜査圏外になるのではなく、沖縄県警が基地の中にも入り込み、海兵隊と捜査協力し犯人逮捕を進めていけるようにしなければならない。また、企業の誘致、税金の優遇措置、騒音補償、豊かな自然保全など、もっと沖縄県民が納得できる措置を早急に取るべきである。

 米国にとって日本列島は、太平洋を挟んで最後の防波堤である。つまり、絶対に死守すべき場所なのだ。よって米国が沖縄からの撤退など200%ないことを日本政府も重々承知している。また、ロシアから北方4島が返還されることも200%ない。理由としては、、ロシア唯一の不凍港が、ウラジオストックであり、太平洋艦隊はそのウラジオストックに鎮座するしかないからである。現代戦で最も恐れられているのが潜水艦であることを知っておかねばならない。近海まで密かに潜って近づき、弾頭ミサイルを発射すれば、防ぎようがないからだ。千島列島の国後島、択捉島の間を通ってロシアの原子力潜水艦が出入りしている。原子力潜水艦は深海300m以上潜ることが可能で、上空からでは探知できない。これらのことを踏まえると、北方4島は絶対に返還などあり得ない。潜水艦の通行を海底レーダーで知られてしまうからだ。また、日米安全保障条約の堅持は、憲法で戦争放棄している日本には200%欠かせない。

 国防と経済とを明確に分離して、日本政府は舵取りして行かねばならない。今回の元と円の直接取引には3%という足枷があるものの、米国は非常に神経質になっているはず。米国を安心させるためにオバマとヒラリーとの親密な会話は絶対に欠かせない。

             

 中国の軍備増強は空母の配置以降も依然として進められており、特に日本海、黄海の海底油田確保のために海軍の充実は今後も続けられるはず。尖閣諸島の領土問題に米国は首を突っ込みたくはないが、日中が協力して海底油田開発に進むことになれば、もっと神経質になるに違いない。しかし、日本は早急にこの問題を解決し、油田開発に着手するべきだと私は思う。

 今年の初め、テレビ化もされた沖縄の現代史とも云える池上永一の『テンペスト』を読んだが、江戸時代末期、沖縄は中国との長い歴史的支配を受けながらも、薩摩藩と手を結び、タイトロープ的政治を強いられてきた。今まさに日本政府は当時の沖縄と同じような困難な状況下にある。小説の主人公真鶴のような肝の据わった聡明な政治家の出現を私は心待ちしている。