月曜日は大雪、昨日から雨、今朝は曇り日で小雨が舞う生駒です。冬の寒さや冷たい雨が、もうすぐ春を呼びます。
庭でさえずる目白や鶯の声、餌をついばむヒヨドリや名も知らぬ小鳥たちを見るたびに、一つの歌を口ずさみます。
《一羽の雀》
心 くじけて 思い悩み などて さびしく 空を あおぐ
主イエスこそ わが まことの友
※ いちわの すずめに 目を注ぎたもう 主は われさえも 支えたもうなり
声たからかに われは うたわん
いちわの すずめに 目を 注ぎたもう
心 静めて 御声きけば おそれは 去りて
委ぬるを 得ん
ただ 知らまほし(意味:知りたいと願う)行く手の道
原詩を直訳すると、下記のようになるそうです。
1「なぜ私はうなだれるのか。なぜ影が訪れ、なぜ私の心はさびしくしていられようか。天の国を待ち望みつつ。いつ主イエスは私の中におられるのか。彼こそ、私の変わらざる友。
彼の目は、一羽のすずめに注がれており、私をも見守っていてくださることを、私は知っている。
私は歌う、幸せだから。私は歌う、自由だから。なぜなら彼の目は、一羽のすずめに注がれており、私をも見守っていてくださることを、私は知っているから。
2「心を騒がせないようにしなさい。」主イエスのやさしい言葉を聞き、私は、そのよき意志の中でやすらぐ。私は恐れと疑いを捨てる。
主が導かれる小道。私には、ただその一歩が見える。私は歌う、幸せだから。私は歌う、自由だから。
なぜなら彼の目は、一羽のすずめに注がれており
私をも見守っていてくださることを、私は知っているから。」
イエス様はマタイの福音書で、2羽の雀は一アサリオン(日本円で50円程度)で売られていると話しました。
ルカの福音書では、5羽の雀は二アサリオン(100円くらい)でと語りました。一羽はおまけです。
値がつかないようなおまけの雀でも、父なる神の許しがなければ死ぬこともないのです。
ということは、おまけで値段もつけられていない(無価値なものの存在、存在価値の与えられないとの意味)者にも、最大の最大の価値を与えてくださるお方が、聖書の創造主であり愛である神様です。
真の神様の目に、価値のない人なんていないのです。
それだけでなく、「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している!」(イザヤ43:4)と宣言し、愛を注いでくださいます。
その愛は、イエス様の十字架の上にあふれるほどの現わされています。
ローマ人への手紙 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
ヨハネの福音書3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
十字架の愛をしっかり受け止めて、全世界よりも価値ある尊い者としてくださる、真の愛に心満たされてください。
今日もまた愛されている天国の一日です!感謝します。
マタイの福音書
6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
庭でさえずる目白や鶯の声、餌をついばむヒヨドリや名も知らぬ小鳥たちを見るたびに、一つの歌を口ずさみます。
《一羽の雀》
心 くじけて 思い悩み などて さびしく 空を あおぐ
主イエスこそ わが まことの友
※ いちわの すずめに 目を注ぎたもう 主は われさえも 支えたもうなり
声たからかに われは うたわん
いちわの すずめに 目を 注ぎたもう
心 静めて 御声きけば おそれは 去りて
委ぬるを 得ん
ただ 知らまほし(意味:知りたいと願う)行く手の道
原詩を直訳すると、下記のようになるそうです。
1「なぜ私はうなだれるのか。なぜ影が訪れ、なぜ私の心はさびしくしていられようか。天の国を待ち望みつつ。いつ主イエスは私の中におられるのか。彼こそ、私の変わらざる友。
彼の目は、一羽のすずめに注がれており、私をも見守っていてくださることを、私は知っている。
私は歌う、幸せだから。私は歌う、自由だから。なぜなら彼の目は、一羽のすずめに注がれており、私をも見守っていてくださることを、私は知っているから。
2「心を騒がせないようにしなさい。」主イエスのやさしい言葉を聞き、私は、そのよき意志の中でやすらぐ。私は恐れと疑いを捨てる。
主が導かれる小道。私には、ただその一歩が見える。私は歌う、幸せだから。私は歌う、自由だから。
なぜなら彼の目は、一羽のすずめに注がれており
私をも見守っていてくださることを、私は知っているから。」
イエス様はマタイの福音書で、2羽の雀は一アサリオン(日本円で50円程度)で売られていると話しました。
ルカの福音書では、5羽の雀は二アサリオン(100円くらい)でと語りました。一羽はおまけです。
値がつかないようなおまけの雀でも、父なる神の許しがなければ死ぬこともないのです。
ということは、おまけで値段もつけられていない(無価値なものの存在、存在価値の与えられないとの意味)者にも、最大の最大の価値を与えてくださるお方が、聖書の創造主であり愛である神様です。
真の神様の目に、価値のない人なんていないのです。
それだけでなく、「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している!」(イザヤ43:4)と宣言し、愛を注いでくださいます。
その愛は、イエス様の十字架の上にあふれるほどの現わされています。
ローマ人への手紙 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
ヨハネの福音書3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
十字架の愛をしっかり受け止めて、全世界よりも価値ある尊い者としてくださる、真の愛に心満たされてください。
今日もまた愛されている天国の一日です!感謝します。
マタイの福音書
6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。