牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

一羽の雀にも目を注ぐ愛に生かされて

2011-02-18 10:46:17 | Weblog
月曜日は大雪、昨日から雨、今朝は曇り日で小雨が舞う生駒です。冬の寒さや冷たい雨が、もうすぐ春を呼びます。

 庭でさえずる目白や鶯の声、餌をついばむヒヨドリや名も知らぬ小鳥たちを見るたびに、一つの歌を口ずさみます。

《一羽の雀》

心 くじけて 思い悩み などて さびしく 空を あおぐ
主イエスこそ わが まことの友


 ※ いちわの すずめに 目を注ぎたもう 主は われさえも 支えたもうなり
   声たからかに われは うたわん
   いちわの すずめに 目を 注ぎたもう

心 静めて 御声きけば おそれは 去りて
委ぬるを 得ん 
ただ 知らまほし(意味:知りたいと願う)行く手の道

 原詩を直訳すると、下記のようになるそうです。

1「なぜ私はうなだれるのか。なぜ影が訪れ、なぜ私の心はさびしくしていられようか。天の国を待ち望みつつ。いつ主イエスは私の中におられるのか。彼こそ、私の変わらざる友。

 彼の目は、一羽のすずめに注がれており、私をも見守っていてくださることを、私は知っている。

 私は歌う、幸せだから。私は歌う、自由だから。なぜなら彼の目は、一羽のすずめに注がれており、私をも見守っていてくださることを、私は知っているから。

2「心を騒がせないようにしなさい。」主イエスのやさしい言葉を聞き、私は、そのよき意志の中でやすらぐ。私は恐れと疑いを捨てる。

 主が導かれる小道。私には、ただその一歩が見える。私は歌う、幸せだから。私は歌う、自由だから。

 なぜなら彼の目は、一羽のすずめに注がれており
 私をも見守っていてくださることを、私は知っているから。」

 イエス様はマタイの福音書で、2羽の雀は一アサリオン(日本円で50円程度)で売られていると話しました。

 ルカの福音書では、5羽の雀は二アサリオン(100円くらい)でと語りました。一羽はおまけです。

 値がつかないようなおまけの雀でも、父なる神の許しがなければ死ぬこともないのです。

ということは、おまけで値段もつけられていない(無価値なものの存在、存在価値の与えられないとの意味)者にも、最大の最大の価値を与えてくださるお方が、聖書の創造主であり愛である神様です。

 真の神様の目に、価値のない人なんていないのです。
それだけでなく、「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している!」(イザヤ43:4)と宣言し、愛を注いでくださいます。

 その愛は、イエス様の十字架の上にあふれるほどの現わされています。

ローマ人への手紙 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。

5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。

5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

ヨハネの福音書3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

 十字架の愛をしっかり受け止めて、全世界よりも価値ある尊い者としてくださる、真の愛に心満たされてください。

 今日もまた愛されている天国の一日です!感謝します。

マタイの福音書

6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


映画、「英国王のスピーチ」&ふたたび swing me again

2011-02-17 09:56:39 | Weblog
副院長から、映画「英国王のスピーチ」と書かれた切り抜きを手渡された。

 第83回アカデミーショーに最多の12部門にノミネートされた作品。
 
 イギリス女王エリザベス2世の父ジョージ6世の伝記をコリン・ファース主演で映画化した実話に基づく感動作。

 きつ音障害を抱えた内気なジョージ6世が、言語療法士の助けを借りて障害を克服し、国民を勇気づける見事がスピーチを披露して人心を得るまでを描く。とありました。

 大阪エリムキリスト教会は、今学期神学生たちが伝道実習で多くの奉仕を続けました。その感謝に回転ずし店で思い切りお寿司を御馳走しようと思っていました。

 この切り抜きを見て、映画が26日全国公開なので、28日に英国王のスピーチ鑑賞に切り替えました。ちょうど説教学課外授業にもなりそうな映画と思います。28日に試験もすべて終了し、さらに月曜日は女性割引日で千円になり幸いです。

 高の原マイカルが近くにあり、駐車場も映画鑑賞は無料になり、すべてが好都合です。

 映画を観たくない神学生は留守番ですが、多分付き合ってくれると思いながら、上映日を楽しみにしています。

 幼少から少年時代、さらにクリスチャンになり神学生時代も、話をするよりも黙っているほうが良いと思い、開拓伝道も苦労しながらの説教でした。

 70歳近くなってもまだ話し方の本を見るとすぐ買って読み続けています。映画、「英国王の

 メル友が新作を毎回紹介してくれますが、昨年一回だけひとりで、「ふたたび」を観に行きスピーチ」もチャレンジとなり、可能性への扉がさらに大きく開かれると楽しみにしています。

 メル友から新作が上映されると、紹介のメールが入ります。昨年は一回だけ紹介された映画、「ふたたび」を阿倍野アポロで一人で鑑賞し、とても良い映画でした。

 「大学のジャズサークルでトランペットを吹いている貴島大翔(鈴木亮平)は、密かに“COOL JAZZ QUINTETTE”というジャズバンドに憧れていました。それは、たった1枚のLP盤を残して忽然と姿を消してしまった幻のバンドでした。大翔は家に保管されていたコレクションの中に偶然そのLPを見つけ、熱烈なファンになってしまいます。

 ある日、大翔は父・良雄(陣内孝則)から、亡くなったと伝えられていた祖父がまだ生きており、ハンセン病療養所から50年ぶりに戻ってくると聞かされます。だが、大翔は生まれて初めて会う祖父・健三郎(財津一郎)との接し方が分からず、会話もままならない。ところが何の気なしに聴かせた1枚のレコードに、健三郎の表情が一転。健三郎は“COOL JAZZ QUINTETTE”のトランペッターだった……。

 そんな中、健三郎は50年前のバンド仲間を探したいと、家を出て行ってしまう。ところが、巻き込まれるようにして大翔はこの旅に同行することとなり、健三郎のかつてのバンドメンバーを訪ねる形で、神戸から京都、和歌山へと向かう旅が続きます。

 50年ぶりの再会に戸惑いながら健三郎の訪問に喜び、泣き、笑い、興奮する友人たち。そんな中、野田百合子(MINJI)という一人の女性の存在が明らかに。彼女は“COOL JAZZ QUINTETTE”のピアニストで、ハンセン病の健三郎の子供を産んだことで家族からも子供からも引き離され一人寂しく死んでいったのだという。

 実は、健三郎がいちばん会いたかったのはこの女性、即ち大翔の祖母でした。大翔は、この旅を通して祖父から父を経て自分へと繋がる家族の絆を知ります。二人の旅が終わりを迎える頃、思いがけないサプライズが待っていました。神戸のジャズクラブ“SONE”で、50年間果たせなかった“COOL JAZZ QUINTETTE”のライブを実現できることになるのです。そして今、バンドのラストステージが幕を開け……。

 久しぶりに見た映画だったので、車の中で神学生に詳しく話したら叱られてしましました。そんなに詳しく話したら見になくてもいいから・・・・。良い映画だったらそれだけいいのにと。 まあ、久しぶりに見た感動を聞いてもらえてありがとう!でした。

 英国王のスピーチは、みんなで見るので問題なく話題に乗せることができるので、久しぶりの映画館鑑賞を楽しみにしながら、今日もまた天国の一日です。感謝します。

 今朝は、生駒朝祷会。予定ていた講師がキャンセルで、詩篇からメッセージの朝でした。

詩篇

81:5 神が、エジプトの地に出て行かれたとき、ヨセフの中に、それをあかしとして授けられた。私は、まだ知らなかったことばを聞いた。

81:6 「わたしは、彼の肩から重荷を取り除き、彼の手を荷かごから離してやった。

81:7 あなたは苦しみのときに、呼び求め、わたしは、あなたを助け出した。わたしは、雷の隠れ場から、あなたに答え、メリバの水のほとりで、あなたをためした。セラ

81:8 聞け。わが民よ。わたしは、あなたをたしなめよう。イスラエルよ。よくわたしの言うことを聞け。

81:9 あなたのうちに、ほかの神があってはならない。あなたは、外国の神を拝んではならない。

81:10 わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。

81:11 しかしわが民は、わたしの声を聞かず、イスラエルは、わたしに従わなかった。

81:12 それでわたしは、彼らをかたくなな心のままに任せ、自分たちのおもんぱかりのままに歩かせた。

81:13 ああ、ただ、わが民がわたしに聞き従い、イスラエルが、わたしの道を歩いたのだったら。

81:14 わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。」

81:15 主を憎む者どもは、主にへつらっているが、彼らの刑罰の時は永遠に続く。

81:16 しかし主は、最良の小麦をイスラエルに食べさせる。「わたしは岩の上にできる蜜で、あなたを満ち足らせよう。」



性同一性障害から完全に救われて・・・・

2011-02-16 05:09:40 | Weblog
 大雪に覆われた一昨日(14日)、韓国から李ヨナ(JONNA LEE)牧師が関空に着きました。奈良ロイヤルホテルに予約をして待ちました。

 出迎えた牧師からの連絡で、阪奈道路も第二阪奈も雪のため通行止めとのこと。168号線(清滝峠)だけが奈良への道、スゴイ渋滞で普通は20分ほどで生駒聖書学院着の距離ですが、6~7時間もかかりそうだとのこと。

 急遽ロイヤルホテルへキャンセルの電話を入れ、出迎えの牧師宅で宿泊してもらい、昨日朝早くに3時間かかって学院講義に間に合いました。

 李ヨナ(JONNA LEE)牧師は、性同一性障害でした。

 ウィキペディアによると、性同一性障害(せいどういつせいしょうがい、Gender Identity Disorder, GID)とは、『生物学的性別(sex)と性の自己意識(gender identity、性自認)とが一致しないために、自らの生物学的性別に持続的な違和感を持ち、自己意識に一致する性を求め、時には生物学的性別を己れの性の自己意識に近づけるために性の適合を望むことさえある状態』[1]をいう医学的な疾患名。

 概して、簡潔に「心と身体の性が一致しない状態」などのように説明されることも多い。この場合の「心」とは、性指向は関係なく性自認のみを指すものであるが、しばしば混同を招くため留意が必要である。

 長年の牧師生活ですが、その問題に直面したことがなく門外漢ですが、それがもう当たり前のようになり、同姓の結婚を法律で認める国もある時代になりました。

 彼が29歳の時、母親はそのように生まれたのは自分のせいだと母親が自殺しました。彼も自暴自棄になりながらもゲイバーやホストクラブなどでの店を増やし、毎日一千万円の売り上げるほど繁盛し、酒や快楽におぼれる贅沢に生きていました。

 気分転換に日本へ遊びに来て、新宿や東京のそのようなクラブを遊び歩き、日本でもその世界で有名な人たちとの付き合いも深まりました。

 そんな時期にソールの店で殺人事件が起こり、それらの店の営業許可がすべて取り消され、帰国もままならなくなりました。

 いろんな経緯でイエス・キリストを信じ救われましたが、性同一性障害はそのままで良いとう状態のままでした。

 聖書を読むにつれ、イエス・キリストを信じると新しく生まれ変わるとあり、だれでもイエス・キリストを信じるなら新しく造られ、古いものは過ぎさり、すべてが新しくなったとのことばに驚きました。

申命記22:5 女は男の衣装を身に着けてはならない。また男は女の着物を着てはならない。すべてこのようなことをする者を、あなたの神、主は忌みきらわれる。

ローマ人への手紙1:24 それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。

1:25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。

1:26 こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、

1:27 同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行なうようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。

1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

 聖書を読み続けるうちに、この世のどのような性同一性障害の説明よりも、全能の神の与えてくださった性の尊さ理解できるようになりました。

 聖霊の助けにより、聖書のことばに導かれて、神学校で学び2003年韓国に帰国し、アメリカ・カルバリーチャペルに属し、韓国カルバリーチャペルとしての活動を開始しました。

 3年前までは自分がそのような性同一性障害だったことは言わずにいましたが、聖霊にうながされてそのことを公にし、現在はそれらの問題のエクスパートとして、韓国で大きく活動され、八年ぶりに来日し、生駒聖書学院での集中講義をしてくれています。

 さらに詳しく知るために、ホームページを紹介します。

www.calvarychapel.co.kr Sinior pastor JONAH Lee


コリント人への第二の手紙

5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。

5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

5:16 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。

5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

5:18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。

5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。

5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。

5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。



 



生駒では珍しく大雪が降り積もり続ける

2011-02-15 06:30:58 | Weblog
11日のヨベル聖会も雪のため阪奈道路も閉鎖になり、多くの出足が鈍りましたが、恵まれた解放の聖会を楽しみました。

 12日の朝は、まだ15センチも残る残雪の山を歩き、平地に出て氷の上でストーンとこけて、したたかに腰や左手を痛め、油断大敵と気をつけながらです。

 昨日は今年度最終の授業を午前中に終え、ゆとりの一万歩と5000歩ほど歩いたいたら、雪が降り初め、ジャンパーも雪だらけになりました。それからひと時も降り止むことなく、今朝も粉雪が舞っています。

 学院の庭も10センチを超え純白に染められています。その新雪の上を目当てに向かって真っ直ぐに歩き楽しんでいます。雪の地方には申し訳ないと祈りながら・・・・。

 昨日は韓国からの講師を迎え、ロイヤルホテルを予約し待っていました。出迎えてくれる大阪の牧師に電話をして早くチェックインをするように電話しました。なかなか動いてくれず、阪奈道路も通行止めになり、結局ホテルをキャンセル(インターネットで支払い済みだったので、ホテルから連絡してもらいOKでした。感謝)し、院内に宿舎を用意し待ちました。

 午後9時になっても到着せず、降りしきる雪の中を正門前まで出て見ると小型車が動きが取れず、挨拶すると何と清滝峠(168号線)を越えるのに6時間(普通は20分くらい)もかかったとのこと。

 携帯を鳴らしても通じず、やっと連絡が取れその旨を伝えると、生駒に車で向かっていた牧師の自宅までUターンしてもらうことになりました。今朝、お連れしてくださるとのことですが、雪道は昨日と変わらず、電車できてもらう以外にないと思う朝です。

 雪が降るといつも、少年時代に「雪よりも白く」と願い、イエス・キリストの十字架で流された血により、救われた日の喜びを思い感動しつつ、イエス様、ありがとうございますと感謝しています。

 韓国からの牧師との初めての出会いを楽しみにしつつ、今日もまた天国の一日です!

詩篇

51:1 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。

51:2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。

51:3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。

51:4 私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。

51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。

51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。


イザヤ書

1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

心配や問題があれこれいっぱいの日々

2011-02-14 06:13:19 | Weblog
日曜日は、四か所の礼拝で大勢の方と出会い、メールや手紙、電話なども毎日あり、牧師としての祈りも30秒の祈りでも何時間もかかることもあります。

 もっとも短い祈り、「主よ。助けてください」と、祈りつつの日々が続きます。昨夜礼拝を終え帰宅したら、女子寮の一室が空っぽとの連絡。40代の女性神学生が勝手にやめて引っ越しも済ませていました。

 立つ鳥、跡を濁さずと言いますが、一言の連絡(留守電もメールも挨拶)もなく、まあ部屋だけはきれいにしているので、それがせめてもの跡を濁さずかなと思っています。

 同僚と喧嘩して、この仕事は辞めると、歯科医院を飛び出してしまい、休んでいた女性。もい仕事がないと悩み、イエス様、ごめんなさいと悔い改めの祈り。歯科医の先生から直接のお電話で職場復帰。再度同じことがあれば即やめてもらいます。とのお叱りでしたが職場復帰。

 高齢の男性、午前のインターネット礼拝に三輪自転車で出席しています。「昨日、当て逃げされて右手が痛い」と、大きなばんそうこうを貼っていました。

 相手の自動車のナンバーも車種も覚えていないとのこと。大事でなかったことを感謝し、右手の回復を祈りました。

  それからしばらくして電話が自宅にあり警察署へ出向きました。なんと当て逃げをした運転手がそこにいました。

 信号無視をして警察に捕まり、他に何かしていないかと詰問され、当て逃げをしたと自供したそうです。

 高齢者の男性はいつも三輪車に乗っているので、警察では彼のことだとすぐ分かり、やっと治療のメドもつき、礼拝に参加しているから守られたのだと感謝していました。

 普通なら当て逃げしてしまった自動車が見つかるのはムリだと思います。また信号無視で捕まっても黙っているか、とぼけてしまうかもしれません。警察も驚くほどの当て逃げ事件の解決でした。

 そのほかにもさまざまな悩みや苦しみもありますが、真正面から取り組んで感謝している教会員たちの姿に励まされている日曜日です。

 もうひとりの女性は、両腕が上がらないほどの痛みで祈りました。理由は電話でのアポ取りの仕事が与えられ、出勤して夕方変えるまで、プッシュホンを押し続けます。幸い、出勤前にシッカリ相手になる(誰ともわからないが)方々の幸せを祈って出かけるので,驚くほどの約束が取れてセールスマンたちも大喜びの職場になりました。

 両肩と両手に手を置いて祈り、すっきりした笑顔で月曜日からまた元気で出勤しますと別れました。祝福が継続するよう、今日も幸せな天国の一日ですと祈っています。

 人生は色々です。どんな問題や悩みをもイエス様の元へ持って行けないものはありません。
細やかな愛と慰めを与え、すべての心配ごとからも助けだしてくださいます。


マタイの福音書6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
 

11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」


17:20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。


18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

イエス・キリスト様のお名前によって祈ります。アーメン。と祈ったら、ありがとうございます。答えられ(与えられ、いやされ、解決し、そのほか祈ったことを具体的に)ました!感謝しますと、宣言しています。大きな恵みをいつもいただいて、感謝!感謝です。

 自分の思い通りなならなくても、それもまたすべてが益となるので、どのように物事が展開して行くかが楽しみです。

エペソ人への手紙

3:14 こういうわけで、私はひざをかがめて、

3:15 天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。

3:16 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。

3:17 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、

3:18 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、

3:19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、

3:21 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。


信じることは進行できる旗印

2011-02-13 07:02:12 | Weblog
信仰がなくては神に喜ばれることはできない。理由は神を信じるとは、神がおられることを信じることだからです。

 16歳まで無神論の中で生活していました。頼りになるのは自分だけだから、しっかり生きていくには自分をしっかりさせなければと思っていました。人に頼ることも(頼らずには生きていけなかったのですが)、人を恨んだり憎んだりすることもなく、ただ生きていた少年時代でした。

 笑顔もなく楽しいこともなく、ただいのちが与えられているので生きているような日々でした。

 9歳のとき病弱であった母が死にました。38歳の若さでした。父の家に引き取られましたが、父と言われてもそこは他人の家でした。厳しい躾を受け続けた7年間でした。

 高校生の時、宣教師が放課後の教室で英会話(バイブルクラス)を開いてくれ、皆でワイワイと出かけました。

 そこで聖書のことばを英語で聞きました。"Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest.

"Take My yoke upon you and learn from Me, for I am gentle and lowly in heart, and you will find rest for your souls.

"For My yoke is easy and My burden is light." 
 
イエス・キリストの招きのことばでした。 
マタイの福音書11:28-30 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

そのことばを聞いた日以来、心が軽くなり楽しくなりました。すべての重荷を十字架の元に下ろして、霊も魂も身体も健やかに平安に生きる恵みが与えられています。

 何も信じることができなかった少年時代でした。しかし、聖書を読みイエス様を信じてから、人生は変わり続けました。現在もINGで天国に召されるまで恵まれ続けの人生です。

 試練や困難がないと言うのではなく、どんなことがあっても前に向かって進んで行く勇気と力が与えられるから幸いです。

 11年前、左脳内出血で倒れ東京の病院で入院加療でした。昨日も雪の道で滑り転んで、左手を捻挫したようです。数え上げればきりがないような身体や周りから来るもんだいもあります。

 しかし、信じているのでどんな時もゆとりの前進ができるから幸いです。

 今日もまた天国の一日です!と、朝の目覚めとともに告白します。

一日が終わるときも、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。
 
 日々信じつづける喜びはまた、日々前進する祝福の時です。信仰は進行だ!などと楽しみながら、与えられた使命を励む日々です。

ヘブル人への手紙

10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。

10:36 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

10:37 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

10:39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

15センチの雪が残る山道をゆとりの一万歩

2011-02-12 09:24:58 | Weblog
朝から降り続く雪で昨日の生駒は、阪奈道路通行止めになり、ヨベル聖会への参加者も来れなくなったりでした。

 電車やタクシーで、生駒駅から吹雪かれながら30分も歩いたり、大勢の参加者で恵みの時でした。

 午後からは家の前の雪かき。ガレージが急坂の上にあり、日当たりが少ないので、そのまま雪が残ります。水で流そうとしましたが、氷になるので帰って危険だと分かり、しっかりと雪かきを続けました。

 今朝、目覚めると家の周りはまだ真っ白です。 今日もまた楽しい天国の一日です!と顔を洗い、気持ちよく山道をゆとりの一万歩へ。

 山の中は雪が15センチ近く残り、ウオーキングシューズがめり込み、雪だるまのようになりながら歩き続け、雪のない所に足を動かしたら、ツルッと滑って尻もち。左手を後ろに着いたので強烈な痛み。ねんざはしていないけれどもズキズキです。

 雪国の方々の苦労は大変だろうなと祈りつつの朝です。


 昨日のヨベル聖会で与えられたことは、これからの与えられた生涯、お招きいただけるキリスト教会がある限り、無償奉仕を決断しました。

 神のことばは生きていて力があり(ヘブル4:12)ます。その神のみことばを体験的にご紹介するメッセージです。現役の牧師で日曜日は3か所で礼拝メッセージをしているので、リクエストに応えられるのは、日曜日は月一度くらいだと思っています。

 自動車で往復できる距離で酢と、ウイークディはいつでも行けますので、希望があれば用いていただければと願っています。交通費実費だけでご奉仕します。

自己紹介

1941年9月2日、鹿児島県西之表市(種子島出身)高校生の時、キリストの教会でクリスチャンになり、生駒聖書学院卒業で開拓伝道従事。現在は、エリムキリスト教会牧師・生駒聖書学院長・ABCラジオ牧師(38年目)、エリム宣教会代表(アフリカ・ケニア宣教23年)、テレフォン・メッセージ希望の声(毎日新しいメッセージで39年)、インターネット礼拝4年目。
家族は、妻と二人暮らし、長男は牧師、長女は奏楽者です。孫が四人。

お問い合わせは、メール;elimiyoshi@kcn.jp  携帯;090-1593-1259

ローマ人への手紙

1:8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。

1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、

1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。

1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。

1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。

1:13 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。

1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。

1:15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。

1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。




雪の日に、もっとも心燃やされるヨベル聖会

2011-02-11 06:38:29 | Weblog
雪は降りつつある。しかし、春は来りつつある。寒さは強くある。しかし、春は来りつつある。

 雪の降るにもかかわらず、春は来りつつある。春は来りつつある。

 毎年、2月11日(祭)は生駒聖書学院主催ヨベル聖会です。不思議に雪が舞う日になり、今朝も降り続けています。

 ガレージは丘の上にあり、急坂になっているので今日はもう車を出すこともムリです。
駅からの迎えを約束していたけれども、タクシーで来てくれるよう電話です。

 車イスでの参加も楽しみにしていた方たちも、院内への急坂を登り降りが、雪のためにムリなのではと思っています。

 ヨベル聖会は、旧約聖書レビ記25章にあるヨベルの日から名称を取りました。

レビ記25:8 あなたは、安息の年を七たび、つまり、七年の七倍を数える。安息の年の七たびは四十九年である。

25:9 あなたはその第七月の十日に角笛を鳴り響かせなければならない。贖罪の日に、あなたがたの全土に角笛を鳴り響かせなければならない。

25:10 あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。

25:11 この第五十年目は、あなたがたのヨベルの年である。種を蒔いてはならないし、落ち穂から生えたものを刈り入れてもならない。また手入れをしなかったぶどうの木の実を集めてはならない。

25:12 これはヨベルの年であって、あなたがたには聖である。あなたがたは畑の収穫物を食べなければならない。

50年目ごとに巡ってくるヨベルの年には、土地を開放し畑を休耕します。前年に三年分の収穫があり、豊かな食糧が保証されました。

 第二に、売却や担保になっていた土地が解放され、もとの所有者に戻されました。それは土地(全地球)は神の物でお金持ちが買い占め、自分の所有を誇らないためでもありました。

 中国により日本の土地が買い続けられていますが、ヨベルの解放が国同士でも必要になる条約が国際間で取り決められれば良いですね。日本も外国の土地を買い占めていたバブルの時期があり、国際間で問題を生じたこともありました。

 土地の売買で利益を得ようとするあさましい欲望から解放されると、お互いに損害を与えないような調和のとれた社会が築かれると思います。

 昨日受けた相談では、土地一千坪を建物800坪もある施設を、半分騙すようにして買われてしまい、さらにクレーム処理として一千万円を支払わせられました。要求に従い実印を書類に押印してしまい、涙も出ないほどの窮地に落ち込みました。弁護士に依頼しましたが、実印を押しクーリングオフも過ぎているから、??だろうとのことです。

 「土地を売買するときは、互いに損害を与えてはいけない」との聖書の規定(3500年前)が、日本でも守られる不動産業界であるよう期待し祈ります。

 第三には、全住民の解放の時でした。悲しい事実ですが、お金に困って奴隷に売られる時代でもありました。しかし、土地が神の物である以上に、人は神のものです。

 現代も人を奴隷(制度はありませんが)のように扱う社会です。それらのすべての人間が解放される時が、ヨベルの年でした。

 ヨベルの年は、すべてが現状回複されるという基本的理念でした。そのことが実現したのがイエス・キリストの十字架の贖いであり、完成するのがイエス・キリストの再臨の時なのです。

 イエス様の最初メッセージは、そのことの宣言でした。

ルカの福音書
 4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、

4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」

4:20 イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。

4:21 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」

 
 今日、イエスキリストをアーメン信じますと、心に迎えるだけで救われます。私たちは神の子に現状回帰され、永遠のいのちを与えられ、解放と自由の中ですべてに感謝しつつ、神に愛されながら、今日もまた幸せな天国の一日です!と生きる恵みを体験します。

 今日をヨベルの年として第開放を経験なさいませんんか。

 ガラテヤ人への手紙

5:1 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。

5:2 よく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。

5:3 割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行なう義務があります。

5:4 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。

5:5 私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。

5:6 キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。

5:7 あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。

5:8 そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。

5:9 わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。

5:10 私は主にあって、あなたがたが少しも違った考えを持っていないと確信しています。しかし、あなたがたをかき乱す者は、だれであろうと、さばきを受けるのです。

5:11 兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。

5:12 あなたがたをかき乱す者どもは、いっそのこと不具になってしまうほうがよいのです。

5:13 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。

5:14 律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。



長いトンネルでも

2011-02-10 08:08:21 | Weblog
奈良県と大阪府の間に金剛生駒山脈があります。数年前に5.8キロの長いトンネルが完成し、毎週大阪エリムキリスト教会へ行くとき通過します。

 生駒山は標高640メートルくらいです。その生駒山をトンネルができたので、制限速度は60キロですが、あっという間に大阪へと取り抜けるので助かります。

 通過しながら思うのは、どんなに長いトンネルでも必ず出口があるように、様々な問題に直面しても、必ず解決するという確信です。

 精神的な苦しみを長く続いている方もあります。その辛さが長ければ長いほど、もうすぐ出口です。今までの苦しみでもう十分です。その間も神様の恵みは十分です。そのことに気づくだけでも感謝があふれます。

 ある女性がものすごい苦しみに出会いました。主人が失明し生活は苦しくどうにもならない状態でした。その一年前にアーメン信じますと救われ、東京でキリスト教会にも出席ていました。

 神様なぜですか?と、こんなに苦しい何も見えないような長いトンネルです。助けてくださいと苦しみの叫びを上げました。

 そのとき、ふとトンネルを立てて見ました。すると何と上に光が見えました。感謝します。出口があるんですね!イエス様。ありがとうございます。必ず守られます。助けられました。感謝しますと感謝の祈りをささげました。今でも感謝にあふれてイエス様を信じて、家族仲良く平安に暮らしております。

 トンネルがどんなに長くても必ず出口があるように、問題や悩み苦しみ(肉体的であれ精神的であれ)は必ず解決します。そう信じて告白すればするほど出口に早く着きます。

 今朝のメールに、「わたしはそのとき平安になりましたアーメン。いてほしい夫と思いました。長いあいだ私の病気が治らなかったけれど、もうすぐ癒される時が来ていると信じることができました。インターネット礼拝やテレフォンメッセージも楽しみです。なんていうのか。自然と心が優しくなるようです。ありがとうございます」とありました。

 出口がもうすぐです。ちょっと忍耐も必要ですが、耐える力もイエス様が与えてくださいます。恐れたり心配しないで、平安にお間おられ続ける幸いを体験なさってください。

 勝利を信じて、今日もまた天国の愛と平和の健やかな一日を祈ります。、


ヤコブの手紙


5:7 こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。

5:8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。

5:9 兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。

5:10 苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。

5:11 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。

5:12 私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい。」を「はい。」、「いいえ。」を「いいえ。」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。

5:13 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。

5:14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。

5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

新刊;30秒の祈りが世界を変える!

2011-02-09 11:14:51 | Weblog
 新刊;30秒の祈りが世界を変える!榮義之著/グッドワーク研究所発行

 イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。ありがとうございます。与えられ(答えられ・癒され、助けられ)ました。感謝します。ハレルヤ!
                     
 2006年より祈りに新しい境地が開かれ、奇跡的な体験を重ねつつ、イエス様のお約束のすばらしさに感動しながらに日々です。

 天国の一日を生きる、具体的な祈りのコツが満載の新著を、ぜひご一読お願いします。

目次より~
・ 素敵な祈りをしてみませんか     ・ 主よ。助けてください! 
・ 請求書の祈りか、領収書の祈りか  ・ 食前の祈りを少し丁寧に
・ あなたの願いは聞かれた!      ・ 祈り続ける恵み
・ 断食の祈りの幸い            ・ 臨終の祈り
・ 祈ったことをいったん忘れると願いがかなう?  全34話

定価;本体1,200円+税。生駒聖書学院への直接注文は1,200円。10冊以上ご注文の場合は、一冊千円です。

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