牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

良いお天気

2019-03-31 08:31:09 | Weblog
すごく晴れた、朝日輝く朝です。寝室の真向かいに矢田丘陵=生駒市と奈良市の境にある丘
をきれいに染めて、朝陽が輝きます。部屋が東に面し、夕陽はこの部屋には射し込むことなく、隣の部屋のは午後3時頃までは陽が射します。西側は生駒山で、夕陽は生駒山に沈み、大阪湾に沈む夕湯を見るためには、生駒山に登るときれいに見れます。
もう長いこと生駒山に登ることもなく、脳外科医師に言われたように学院内を賛美と祈りで歩きます。
これから礼拝までの時間、5000歩ほどです。午後から大阪のエリムキリスト教会へ行くので、8000歩くらいにはなります
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です感謝します。

主イエス様を見上げよう

2019-03-31 07:57:28 | Weblog
目を上げてイエス様を見上げ、信じよう。
ヨハネ1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
バプテスマのヨハネは荒野に呼ばわる声として、イエス様の先駆者でした。イエス様が自分の方に来るのを見ると、さっとその手をイエス様に向けると、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と紹介しました。
旧約時代、人々が罪を犯して、その罪を赦してもらうためには、身代わりとして羊を連れて来て、その頭に手を置き、祭司がその羊を罪を犯した人の身代わりとして献げました。
イエス様は、全人類の罪の身代わりとなるために、人間としてこの世に生まれた神の独り子です。
イザヤ書には、「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。(イザヤ53:4-6)と預言があります。
Ⅰペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。と新約聖書は、その預言が実現したことを証言しています。
イエス様は、神の小羊としてこの世に来ました。
イエス様は、メシア=救世主とこの世に来ました。
イエス様は、神の御子としてこの世に来ました。
イエス様が罪の身代わりとして十字架に死なれたので、そのことをアーメンと信じれば救われます。
今朝も十字架のイエス様を主と信じ、その復活の命に生かされています。
ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。