牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

主イエス様を見上げよう

2019-03-31 07:57:28 | Weblog
目を上げてイエス様を見上げ、信じよう。
ヨハネ1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
バプテスマのヨハネは荒野に呼ばわる声として、イエス様の先駆者でした。イエス様が自分の方に来るのを見ると、さっとその手をイエス様に向けると、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と紹介しました。
旧約時代、人々が罪を犯して、その罪を赦してもらうためには、身代わりとして羊を連れて来て、その頭に手を置き、祭司がその羊を罪を犯した人の身代わりとして献げました。
イエス様は、全人類の罪の身代わりとなるために、人間としてこの世に生まれた神の独り子です。
イザヤ書には、「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。(イザヤ53:4-6)と預言があります。
Ⅰペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。と新約聖書は、その預言が実現したことを証言しています。
イエス様は、神の小羊としてこの世に来ました。
イエス様は、メシア=救世主とこの世に来ました。
イエス様は、神の御子としてこの世に来ました。
イエス様が罪の身代わりとして十字架に死なれたので、そのことをアーメンと信じれば救われます。
今朝も十字架のイエス様を主と信じ、その復活の命に生かされています。
ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

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