牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

新教会堂建設

2019-03-05 08:55:18 | Weblog
素晴しい火曜日の朝です。
午前6時30分、矢田丘陵を真っ赤に染めて朝陽が上ります。段々真東になり、カーテンを開けると、部屋いっぱい朝陽の耀きです。
昨日の電話で、熊本大地震で解体した益城キリスト教会建設が始りました。工事着手金を払い、建設開始直前、町役場から遺跡があるかもしれないからと建築に着手できず中断。
遺跡はなく、建築が再開され、平成年度中に完成予定。
嬉しいことに、完成礼拝の日。工務店の社長が洗礼を受けてクリスチャンになる。昨年、アーメン死んじますと祈り、約束通りの洗礼式。新教会には洗礼タンクもあり、最高の益城エリムキリスト教会新会堂のスタートです。
素晴しい牧師も与えられるようお祈りお願いします。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

恵みだけ

2019-03-05 08:24:26 | Weblog
恵みによる救い
人が救われるのは、神様の恵みです。
しかし、神様は聖別で義ですから、罪を見過ごすことはできず、罪は必ず罰せられます。
福音は、神様がご自分の聖さと義を保持し、恵みに預よって罪人を救うことができるかを、
私たちに教えます。
イエス・キリストは、罪に対する神様の怒りと罰の審判とを、ご自分で受けられたのです。
その十字架の身代わりによって神様は、主イエスをアーメンと信じる人の罪を赦してくださいます。
救いはアーメント信じるだけで与えられる神様の恵みです。神様からの贈物なのです。
ありがとうございます。アーメン。信じます。しっかり素晴しい恵みの賜物である救いを体験しましょう。
エペソ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

参考箇所
ローマ3:22-28 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。
それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。
人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。