世田谷一家殺人 警視庁が公表しない真犯人の正体 宮澤さん母「生きているうちに真相を…」

2018年12月31日 | 事件
<母系のミトコンドリアは、「アンダーソンH15型(イタリア、クロアチアなど地中海側の地域を示す)」、父系の染色体は韓国、台湾、中国、日本人を含むアジア民族に多くみられる「O3e*(オースリーイースター)」と判明。つまり、犯人は欧州人とアジア人のハーフ(混血)か、クオーターである可能性が高い>

 実はこの犯人像と符号合する遺留品が多く見つかっていた。

 犯人はフランスのギ・ラロッシュ社の香水「ドラッカーノワール」をふりかけ、日本では珍しい韓国製の運動靴「スラセンジャー」を履いていた。そして残されたヒップバッグの底から採取された砂は国内ではなく、米国の砂漠の砂である可能性が高かった。

これほどの証拠があるにもかかわらず捜査が進展しない。純日本人ではない可能性が極めて高いにもかかわらず近所や友人らの遺伝子検査をしていて時間が経過した。おそらく犯行後に出国して最早、どこへ行ったかわからないだろう。犯人は旅慣れた人物で、誰かに雇われた殺し屋(軍経験者の殺人マニア)の混血人間だろう。




世田谷一家殺人 警視庁が公表しない真犯人の正体 宮澤さん母「生きているうちに真相を…」【平成事件史】〈dot.〉

12/31(月) 8:30配信

AERA dot.
世田谷一家殺人 警視庁が公表しない真犯人の正体 宮澤さん母「生きているうちに真相を…」【平成事件史】〈dot.〉

2000年大晦日、変わり果てた姿で発見された宮澤みきおさん一家(遺族提供)

 東京都世田谷区上祖師谷で会社員、宮澤みきおさん(当時44)、妻の泰子さん(同41)、長女にいなちゃん(同8)、礼君(同6)が変わり果てた姿で2000年大晦日に発見されてから18年になる。

【現場の様子や遺留品などの資料、その他の画像はこちら】

 2018年12月30日午後、宮澤さん宅の最寄駅となる京王線・千歳烏山駅前(東京都世田谷区)で小柄な87歳の女性が事件の情報提供を呼びかけるチラシを配っていた。みきおさんの母親、節子さんだ――。しめ飾りなど正月の準備のため、買い物に来た親子連れに懸命に話しかけていた。

「私が生きているうちに犯人は逮捕される可能性は少しでも残されているんでしょうか……。そんなことを考えると、最近は眠れない時もあるんです」

 節子さんは少し前に会った時、こう漏らしていた。だが、この日は寒空の中、殺人事件の被害者遺族の会「宙の会」のメンバーらと約1時間、ビラ配りで歩き回り、「犯人は自首してほしい」と気丈に訴えた。



 事件解決を一緒に願い続けた夫の良行さん(享年84)は12年に亡くなった。良行さんは09年2月に結成した「殺人事件被害者遺族の会」(宙(そら)の会)の会長に就任し、世田谷事件も含め、一向に解決しない凶悪事件の時効撤廃を求める運動の先頭に立った。

 その運動は実を結び、10年4月の刑事訴訟法改正に伴い、殺人事件の時効が撤廃された。その喜びもつかの間、翌年10月には、みきおさん一家のすぐ隣に住み、事件の第一発見者となった泰子さんの母親(享年82)、良行さんも次の年に相次いで亡くなった。

 現在、捜査本部には約40人の専従捜査員がいるが、発生当時から担当していた警視庁捜査一課のベテラン捜査員は数年前にガンで死去し、ペアを組んだ捜査員もすでに定年退職した。

 最も長く捜査にかかわっていた節子さんら遺族ケアを担当する女性捜査員も14年に定年退職。雇用延長し、捜査に携わったが、18年3月に引退した。捜査一課で事件を指揮した元幹部は、口惜し気にこう語った。

「事件当初から捜査に携わっていた捜査員がほとんどおらず、捜査本部は完全に迷走している。犯人がもう一度、どこかで事件でも起こすなど偶発的なことがない限り、逮捕は無理だろう。もう迷宮入りだ」

 警視庁は18年5月、「事件当時15歳~20代のやせ形の男」という新たな犯人像を発表した。警視庁はこれまで犯人像を15歳~40歳前後としてきたが、ここまでなぜ、絞り込めたのか。

「京都府警科学捜査研究所が昨年、犯人の血液などのDNAから簡単に年齢を推定できる新たな鑑定手法を考案した。警察庁を通じ、鑑定を依頼した結果、15歳~22歳前後まで絞り込めたので、20代と変更した。現場に残された犯人のヒップバッグの内側に付着していた赤の蛍光剤が蛍光ペンのインクと新たに判明したため、犯人は当時、学生か、浪人生で使っていた可能性がある。だが、もう18年も経っているので、今ではいいオッサンだろう」(警視庁捜査関係者)

 警視庁がこれまで公表を頑なに拒んできた極秘扱いの「DNA鑑定書」が実は存在するという。元警視庁幹部がこう振り返る。

「捜査の核心は犯人が日本人じゃなく、西洋人と東洋人のハーフの可能性が高いこと。この件は複数回、実施したDNA鑑定ですでに証明されている。それなのに警視庁は頑なに結果を公表せず、歳月ばかりが過ぎてしまった」

 元捜査一課幹部によると、事件発生から5か月後、警視庁初の“DNAプロファイリング”が極秘で実施された。DNA鑑定の権威だった帝京大学医学部の石山昱夫教授(当時)に、犯人の血液から採取したDNAサンプルを警視庁科学捜査研究所幹部(当時)が持ち込み、分析を依頼した。

「当時の技術でもDNAの遺伝子情報から、母系からのみ伝わるミトコンドリア、父系からのみ伝わるY染色体多型などを抽出し、その塩基配列型の系統を詳しく分析すれば、白人、黄色人種などの人種的特徴を判別することができた。事件直後は母系のミトコンドリア(DNA)のみを分析した。その結果、『アンダーソンH15型(ヨーロッパ系の白人)』だとわかり、仰天したよ。日本人の母親という確率は0.01%以下だ。だが、捜査に先入観を与えてはいけない、と当時の捜査一課幹部が判断し、この情報は極秘扱いとなった」(当時の科捜研幹部)

 05年には捜査一課管理官(当時)が再び、日本DNA学会重鎮のM教授にDNA鑑定を依頼していた。M教授は鑑定についてこう語っていた。

「持ち込まれた検体はきれいな鮮血だ。DNAの検出には問題なかった」

 06年1月にはM教授から捜査一課へDNA鑑定書が届けられた。

<母系のミトコンドリアは、「アンダーソンH15型(イタリア、クロアチアなど地中海側の地域を示す)」、父系の染色体は韓国、台湾、中国、日本人を含むアジア民族に多くみられる「O3e*(オースリーイースター)」と判明。つまり、犯人は欧州人とアジア人のハーフ(混血)か、クオーターである可能性が高い>

 実はこの犯人像と符号合する遺留品が多く見つかっていた。

 犯人はフランスのギ・ラロッシュ社の香水「ドラッカーノワール」をふりかけ、日本では珍しい韓国製の運動靴「スラセンジャー」を履いていた。そして残されたヒップバッグの底から採取された砂は国内ではなく、米国の砂漠の砂である可能性が高かった。

 捜査本部は方針を大転換し、世田谷区役所などを訪ね、「住民にハーフがいないか、調べさせてくれ」と依頼。さらに現場周辺の聞き込みから、フランス系のハーフの20代男性が容疑者として浮上し、捜査本部が色めき立つ場面もあった。

「この男性は宮澤さん一家と面識があった可能性が高く、フランスへ渡航して以降、帰国した形跡はなかった。母親のDNAを調べたところ、残念ながら、一致しなかった。他にもハーフ男性のDNAを調べたが、一致する人物は浮上せず、捜査を指揮した幹部が退職した後、尻すぼみとなった」(前出の元捜査一課幹部)

 数年前から元成城警察署長の土田猛氏や世田谷区の地元の有志たちが《犯人のDNA型について 父系がアジア系民族、母系に欧州系が含まれる 「混血の日本人」である可能性も視野に入れて捜査している》と記した情報提供を求めるビラを配り始めた。すると捜査一課幹部から抗議があったという。

「多くのメディアがすでにDNA鑑定の結果を報じ、ウイキペディアにも出ているのに、捜査本部は頑なに発表しようとしない。このままでは目撃情報をいくら集めてもミスリードし、解決はとても無理だと思った。それで混血の日本人の可能性を明記したビラ配りを今でも続けています」

 こう訴えるのは、土田元成城署長だ。宮澤夫妻と一緒に「宙の会」を結成し、千歳烏山駅で今もそのビラを節子さんと一緒に配り続けている。

 18年もの歳月を費やしながらなぜ、捜査はここまで難航したのか。

 事件発生時、現場に駆け付けた捜査一課元幹部によると、「現場は宝(物証)の山で、解決はそう遠くないと誰もが思った」という。

取材の過程で筆者は警視庁成城署捜査本部が作成した捜査報告書や警視庁が全国の警察署に極秘で配布した事件の捜査ポイントをまとめたDVDなどを入手。それらを紐解くと、現場となった室内の数十数所から指紋、血痕など犯人に直結する物証が多く残されていた。

「犯人は渦状紋とよばれる特殊な指紋の持ち主で、血液型はA型。自身で持ち込んだ包丁で宮澤さんら4人を惨殺した際、手を切ってバンドエイドなどで止血した形跡があり、血の付いた指紋、血痕を多く残していた。犯行後は台所の冷蔵庫を物色し、ペットボトルのお茶をラッパ飲みしたり、スプーンを使わず、手でアイスクリームのカップ状容器を握りつぶして中身を押し、むさぼり食べるなど異様な行動をしていた。犯人は宮澤さん宅の2階の居間に自分が着ていたトレーナー、手袋、マフラー、ヒップバッグなどを残したまま、逃走。証拠を残さない“プロ”の手口とは明らかに違う」(捜査本部に在籍した元捜査員)

 犯行時刻、一階にいたみきおさんは起きており、電気がついていたとされる。一階の電気は110番通報を受けた警察が到着するまでつけっぱなしになっていたからだ。

「単なるドロボーなら明かりのついた家に侵入しないはず。宮澤さん宅には計19万2千円の現金とポンド、ドルなど約5000円分の外国貨幣が残されていた。犯人は最初から宮澤さん宅を狙った可能性があった」(同前)

 宮澤さん宅1階は、みきおさんの事務所兼にいなちゃん、礼君の学習室になっており、その奥には備えつけの納戸、階段があった。

 みきおさんがうつぶせで倒れていたのは階段下だ。

 4人の遺体検案書によると、解剖時、胃の中には30日午後7~8時ごろ、夕飯に食べたとみられる肉片、ニンジン片、茸片、緑色及び白色菜片、米飯、しらたきなどが混ざった液状の内容物が残留していた。

 このため、死亡推定時刻は同日午後11時半頃とされた。

 2階の台所のガス台に載っていた土鍋の中には鶏肉、白米、ニンジン、緑色菜片、卵が入った雑炊があり、4人が夕食の鍋をつついた後、殺害されたことを物語っていた。 


みきおさんの死因は「胸部刺創による心・大動脈損傷に基づく失血死」。

 前頭部、顔面、胸部、左右上腕、左太股などに無数の切創群があり、文字通り、メッタ刺しの状態だった。

 みきおさんの頭後部に、先端が折れた「関孫六(銀寿)」の柳刃包丁の残片が突き刺さった形で発見された。

 メッタ刺しの遺体北側には、みきおさんの動脈から噴出したとみられるB型の飛泡血痕が付着した段ボール箱が遺体を覆い隠すように置いてあった。

 その表面には頭毛をかたどった血痕がべったりと残されていたことから、みきおさんが力尽きて倒れたその場所にあった段ボールを犯人が後に移動させたとみられている。

 みきおさんの殺害状況について当初、捜査本部内でも見方が分かれた。

「みきおさんは2階にいて犯人と鉢合わせして刺され、階段下へ突き落とされたのではないかという見方が当初、あった。しかし、みきおさんは太股を下から上にかけて刺されていた。これは犯人が2階から下りていき、1階でみきおさんを襲ったことを物語っている。みきおさんのスリッパは階段途中で脱げていたが、2階へ逃げようとしたみきおさんを犯人が後ろから刺したとみられます」(成城署捜査本部元捜査員)

 浴室とトイレの間にある2階の廊下では、泰子さんとにいなちゃんの遺体が重なり合うように倒れていた。

 泰子さんの直接の死因は「心タンポナーゼおよび出血性ショック」となっている。解剖医の解説によると、これは泰子さんに向けられた刃が心臓を覆う心膜を貫き、心臓まで達したため、心膜腔内に320ミリリットルもの血液がたまり、鼓動を止めてしまった状態を示すという。

 だが、その遺体に残った無数の傷は犯人に刺されても刺されても、娘を守ろうと最後まで必死に戦い、力尽きた姿を浮き彫りにしていた。

 泰子さんの頭部、顔面、頸部、背中、右左上肢には無数の切創、擦過、打撲痕があった。

 血痕から犯人は、みきおさんをメッタ刺しにして先端が折れた関孫六の包丁を持って3階のロフト(屋根裏部屋)に上がり込み、ここで寝ていた泰子さん、にいなちゃんをいきなり刺したとみられている。



「その後、犯人はいったん、ロフトの梯を下り、2階の台所にあった洋包丁を取りに行った。この隙に泰子さんは傷口から血を流しながら、にいなちゃんを抱え、ロフトの梯子を下り、逃げようとした。梯子の周囲には泰子さんの血が真っすぐ滴り落ちた痕が多数、残っていた。これに気付いた犯人が阻止しようと洋包丁でトドメを刺したと思われます」(警視庁捜査一課元捜査員) 

 最後まで生きていたのはにいなちゃんとされる。泰子さんの体内から流れ出てゼラチン状に凝固した血の海の中で、正座したような格好のまま、うつぶせで死亡していた。

 にいなちゃんの死因は「後頭部刺創による頸髄損傷」となっているが、解剖所見では頭蓋骨に硬膜下出血、外傷性くも膜下出血の跡があること、上顎左から1本目と下顎右から3本目の歯がそれぞれ欠損していたことが記されていた。硬膜、くも膜下出血は生存中でなければ、血腫が鮮明に現れない。

 それゆえに、これらの傷跡はまだ生存中、犯人から逃れようとしたにいなちゃんが殴打されるなどして歯を折られたことを物語っていた。

 さらに犯人はにいなちゃんの首の後ろから洋包丁で頸髄、甲状腺、食道までを貫き、殺害したとみられている。

 そして礼君は2階の子供部屋のベッドの上でうつぶせのまま、死亡していた。

 礼君の死因は「頸部圧迫による窒息死」で、その首筋には左側に3点、右側に1点の内出血痕があったことが捜査報告書には記されていた。

 これは犯人が右手とその指を使って気道を圧迫し、扼死させたことを示している。現場の状況から礼君が最初に殺害された可能性が高いというが、なぜ、一人だけ扼殺だったのか、未だに謎は解かれていない。

 犯人の異様さは殺害後の行動にも表れていた。

  家中のタンスを引っかき回し、みきおさんの遺体のすぐ後ろにあった納戸などの引き出しはすべて引き抜かれていた。なぜか、その引き出しの1本を2階まで運び上げ、中にあった物を全部、浴室の浴槽内へ投げ込んでいたのだ。

「犯人は泰子さんのハンドバッグ2個も2階トイレへ持ち込み、便座に座って用を足しながら、物色したようだ。水を張ったままの浴槽には泰子さんの薄緑色の財布、みきおさんの財布、家の鍵、書類などを投げ捨てており、その中に混じって犯人のA型の血液が付着し、血を拭ったとみられる白いタオル、つぶれたアイスクリームのカップ状容器1個など、さまざまな物が浮沈していた。かなりの神経の持ち主だった」(別の元捜査員)


 犯人はこうして家中を物色していたが、現金は手つかずのまま。あまりにも残忍な手口とその異様な行動から捜査本部は大混乱に陥った。
 捜査が迷走した最大の元凶は、初動捜査の失敗と多くの捜査員らが振り返る。

 「捜査本部が初期捜査で最も重視したのは、犯行時間帯とほぼ同時刻である12月30日午後11時半頃、現場前の公園通りを小走りで横切った長身の男だった。ところが、みきおさんのパソコンを解析したところ、4人がすでに死亡していた時刻の翌31日午前1時18分、パソコンを5分18秒、起動させ、空フォルダーの作成と劇団四季のHPへのアクセス、さらに午前10時過ぎにも再び、パソコンを4分ほど起動させた記録があった。この件も極秘事項とされたが、マスコミにすっぱ抜かれ、幹部は犯人が翌朝まで宮澤さん宅にいた可能性がある、としぶしぶ認めた。捜査ミスではないかと批判が相次ぐと、30日夜に逃走した犯人がまた舞い戻ったという苦しい推理を展開。14年には第一発見者となった泰子さんの母親が翌朝、みきおさんのパソコンのマウスを触り、起動させた可能性があると再び、夜間逃走説を唱え出した。万事こんな調子。堂々巡りで結局、何もわかっていない」(捜査本部元捜査員)

 世田谷事件の有力情報に対する懸賞金は国内最高額の2千万円だが、最近は情報があまり寄せられていないという。

「地方で自殺した15~30歳ぐらいの男性の身元照会、指紋照合をほとんどしていない。中に犯人がいた可能性もあるのに…。ICPOを通じて中国、韓国、欧州諸国などに指紋照会をかけたが、回答は半分ぐらい。、中途半端な終わっている。事件から18年も経過し、このままだと風化してしまう」(前出の元幹部)

 平成最後の大晦日を迎え、節子さんはこう訴える。

「犯人は誰なのか。なぜ、幼い子供たちの命まで奪ったのか。私が生きている間に真相が知りたいです」


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