のどのがん告白の吉田拓郎 妻・森下愛子は食事で献身
3/30(土) 7:00配信
NEWS ポストセブン
のどのがん告白の吉田拓郎 妻・森下愛子は食事で献身
2014年、吉田拓郎は妻と一緒に食事を楽しんでいた
3月24日深夜に放送されたニッポン放送『吉田拓郎 ラジオでナイト』(日曜午後11時30分~深夜0時30分)で、吉田拓郎(72才)が重大な告白をした。
【別写真】寄り添って歩くプライベートの拓郎&森下
《話したいのは、ぼくがいろいろな病と闘ってきたことについてなんです…》
それは「がん闘病」の告白だった。
《これは初めてお話ししますが、2014年にぼくののどの声帯に白板症という異物が発見されたんです。(中略)その異物を取って調べたところ、がんがまた発見され、Wパンチを受けてしまいました》
《のどに放射線を当てる放射線治療が2か月間始まりました。治療が終わってから数か月間は放射線の後遺症が残りまして、大変な苦痛を味わうことになって…約半年間、苦痛の日々が続きました。ぼくはその時“もう歌えない”というふうに思いました》
のどのがんの放射線治療のつらさについて、医療ガバナンス研究所理事長で内科医の上昌広さんはこう語る。
「放射線治療を始めると味覚がまったくなくなり、唾液も出なくなって、痛くて食事がのどを通らない。唾液が出て、ものをスムーズにのみ込めるようになり、味覚が戻るまでには年単位の時間がかかります」
当時を知る関係者は、妻・森下愛子(60才)の献身ぶりについてこう話す。
「放射線治療を受け、のどの痛みで食事をするのもままならない拓郎さんは、見る影もないほどやせ細ってしまいました。そんな拓郎さんのために、愛子さんは徹底的に食事にこだわりました。おかゆを中心にしながら、拓郎さんの食欲が少しでも増すような味付けを心がけ、拓郎さんが食べたいものを細かくして入れるなど、食べやすく工夫して調理。もちろん栄養もしっかり摂れるようにと考え抜いていたそうです」
そうして徐々に体調が回復してくると、森下が作る食事は、吉田にとってますます闘病に欠かせない“励み”になっていったという。
「拓郎さんが“アレが食べたい”と2日分のメニューをリクエストし、愛子さんがその材料を注文して、料理する。そのコミュニケーションも楽しくて、ますます拓郎さんの食欲が増し、体調も順調に回復していったそうです」(前出・当時を知る関係者)
※女性セブン2019年4月11日号
ギターを中1の時に買ってもらい、拓郎の曲でコードを1週間で覚えた。
しかし、その後もアコギだったのでコードストロークだけしか弾いていなかった。その後、高校ころに、安いアンプとエレキギター、、フェルナンデスのテレキャスターを買ってもらったが、アコギばかり弾いてたので、リードがうまくなかった。
その後は自分で稼ぐようになり高額の20万超えのテレキャスタイプなど買ったが、アコギの癖でリードがうまく行かなかったが、練習して少しはうまくなった。
現在、還暦過ぎたが、ブルース・リード、アドリブはマアまあ出来るようになったが、日本の曲のカラオケに合わせて歌謡曲など引くが、あまり上手くないので練習をしている。
森下愛子は極上のオンナで浅田美代子は並オンナで”もの”が違う。
スケベで手が早い拓郎がモノにするのは当然だ。浅田と結婚していたが、森下愛子のカラダに貪りついてものにした。
極上の愛子を堪能して幸せだろうが、そろそろ年貢の収め時が来たのだ。
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