紀州のドン・ファン悲しき虚栄「オムツに大小漏らし、妻に毛嫌いされ…」脱税、刺され、名字も変える

2018年06月10日 | 事件
紀州のドン・ファン悲しき虚栄「オムツに大小漏らし、妻に毛嫌いされ…」脱税、刺され、名字も変える〈週刊朝日〉
6/10(日) 16:00配信 AERA dot.
紀州のドン・ファン悲しき虚栄「オムツに大小漏らし、妻に毛嫌いされ…」脱税、刺され、名字も変える〈週刊朝日〉
野崎さん夫婦
 和歌山県田辺市の資産家・野崎幸助氏(77)の怪死事件で、今やお茶の間は「一億総探偵」状態だ。

【鮮やかな色の服をまとったデヴィ夫人と野崎さんの写真はこちら】

「紀州のドン・ファン」と呼ばれた野崎氏と生前、交流のあったタレントのデヴィ夫人は9日、バラエティー番組に出演し、興味深いエピソードを明らかにしている。

「彼はドン・ファンじゃ全然ないです。真逆」「2回、脳梗塞をなさっていて、ヨダレもたらしていて、食べ物もよくかめず、モゴモゴしてこぼされていらして、おみ足が悪くて引きずってらした」「あれ(ドン・ファン)は本の宣伝ですよ」――。

 野崎さんの経営する会社の従業員はこういう。

「社長は交際していた50歳年下の女性に6千万円を持ち逃げされた2年前の事件で注目され、本まで出したけど、書いてある内容の半分くらいは、ハッタリです。自分で都合よく書いている。社長の資産50億円の根拠はどこからきているのか、わからない。貸金業で差し押さえした不動産とかも数多くありますが、和歌山の田舎ばかりでたいした金にはならない。社長の預金も現金で10億円ぐらいですよ。酒や梅干し販売は赤字、本業の貸金業も今は規制が厳しく儲かっていない。自宅も田舎だからあまり価値はない。シャガールなどの絵画は百貨店から買っているので本物だとは思うけど…」

 野崎氏は急性覚せい剤中毒で5月24日夜に怪死。遺体は解剖されたため、通夜は5日後の同29日に行われたが、貸金業、酒販売など幅広く事業をしていた資産家の割に参列者は40人前後と寂しい風景だったという。出席した親族はこう話す。

「幸助は7人兄弟の4男ですが、兄弟の間では浮いた存在でした。3回目の結婚したとか、そんな話はまったく知らなかった。通夜にいったら、えらい若い娘がいて、嫁さんだという。フライデーのインタビューでスマホはいじってないと言っていましたが、ウソですよ。いじっていました。喪主の挨拶は葬儀会社から渡された紙を小さな声で読んだだけ。月100万円の手当をもらい、妻なのに何もしない。妻側の親族は誰も来ておらず、これはおかしいと思ったら、覚せい剤中毒で死んだといわれ、仰天しました。幸助は脳梗塞を2回やり、よちよち歩きの状態で先はそう長くない。身体障害者の手帳も持っており、覚せい剤なんかやるワケない」

野崎氏は遺体で発見された時、ぼほ裸だったという。前出の従業員はこう話す。

「下半身に何も身に着けていなかったのは、社長が普段からオムツをつけていたためでしょう。社長は病気のせいで年中、大も小もオムツに漏らす。オムツで吸収しきれなくなり、床やお風呂にこぼすこともあった。そのたび、家政婦や従業員に掃除させた。車を運転していても、ブーって漏らす。だから2階の社長の寝室は臭いひどく、奥さんは『あんな部屋に上がりたくない』『車で漏らして臭かった』と毛嫌いしていた。奥さんは次第に社長と一緒に住むのを嫌がり、月100万円の小遣いをもらうと、モデルの仕事が入ったと東京にさっさと帰っていた」

 野崎氏は中学卒業して、家業の酒屋を手伝った後、夜間高校に通った。だが、続かず、また家業を手伝ったという。

「子供の頃はいじめられっ子でよく年上の子供に泣かされていた。中学時代も勉強ができず、家業の酒屋を手伝うようになった。でも、勝手に酒をスナックに売りにいき小遣い稼ぎしたりと、やることがめちゃくちゃ。幸助は3男で男兄弟で一番下なので母親は猫かわいがりをした。両親の遺産相続で兄弟と裁判沙汰になるほど揉めましたが、その元手で高利貸しを拡大しました」(前出の親族)

 野崎氏のひどい取り立ての悪評は地元で知れ渡り、親族は誰も付き合わなくなったという。

「地元で高利貸しをはじめた当初は法律も甘く、年利36%くらいとれた。東京にも進出し、街頭で当時は珍しいフリーダイヤルが記されたティッシュを配った。歌手の西川峰子(現・仁支川峰子)と親しいと吹聴し、その写真入りのティッシュを配ると、多重債務者が次々と借りに来た。社員も増えて貸出金額も増えました。当時、サラ金の取り立てが社会問題化しましたが、社長はお構いなしで、家の前で車のクラクション鳴らしたり、エンジンをふかして赤い粘着テープで目立つように金返せと張り紙したりと無茶苦茶でした」(元従業員)

 仁支川さんの個人事務所は、「営業で頼まれて、30年ほど前、ショーで歌っただけ」と話す。

野崎氏の本名は樫山。野崎姓に変えたのは、2番目の妻と結婚した時だという。

「2番目の妻の勧めで姓名を変えたそうです。樫山といえば、服飾メーカーのオンワード樫山が思い浮かぶ。そこで野崎氏は貸金の屋号をオンワードにし、オンワード樫山と記したティッシュをオンワード樫山本社前で配ったらすごく客がついた。だが、すぐにオンワード樫山から訴えられて、敗訴。その後は金を貸すターゲットは公務員、上場会社の社員と決めていた。先に公正証書を作成して、返済が滞ったらすぐに、給料を差し押さえ。まあ、そういう知恵は働く人でした」(前出の知人)

 1997年の和歌山県内の高額納税ランキングで野崎氏は2位になり、納税額は2億円に上った。

 だが、同年に従業員の知人に襲われて、足をナイフで刺され、金を奪われる事件に遭遇。さらには国税のマルサに入られ、二重帳簿の脱税で摘発されたという。

「マルサにやられてからは世間体が悪いと、家業の酒販売、地元名産の梅干し販売もはじめた。まあ、貸金で儲かるから、酒販売と梅干しの会社は赤字でいいという考えでしたね」(同)

 野崎氏の経営する会社の古手の従業員はこう話す。「若い女好きは病気というか、もう生活の一部って感じですね。昔から、好みの背の高い若い女が貸金の事務所の前を通ると、走って声をかけに行く。100万円やるから付き合ってくれとか簡単に言います。寝てくれた女性に『金はやるから、領収書を書いてくれ』と言い、アルバイト代として会社の経費で落としたりとハチャメチャです。東京から和歌山に飛行機代とお手当を出して連れてきた女とケンカし、飛行機代も渡さずに追い出したり、そんなことはよくありました」

 2年前に東京から来た女性に、貴金属やお金など計6千万円相当を持ち逃げされ警察沙汰になり、野崎氏は有名になった。

「あの時も『ここにあるもん持って帰ってええから』と言ったので、女性は持ち帰ったと話していた。付き合ってくれたどんな女性にも、すぐ言うんです。2番目の妻が家を出た時は大騒ぎで、何度も彼女の家に押しかけ、『帰ってきてくれ』『1億円渡す』とか言っていた。だが警察に通報され、ストーカー認定され、近づくことを禁じられたそうです。社長は女性には甘いが、女性が絡まないとドケチです。家の庭を造園業者に頼んで工事してもらった時、社長は勝手に店から安酒を大量に持って行き、これで代金を払うと置いて帰り、業者を怒らせたこともありました。いろんな人の恨みを買った人生だと思う」

 野崎氏を覚せい剤中毒で急死させた”真犯人”は一体、誰なのか。(本誌取材班)


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