「安楽死」の選択に葛藤 ALS死亡女性の友人、思い吐露
7/23(木) 16:20配信
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産経新聞
京都府警中京署に移送される山本直樹容疑者を乗せたワゴン車=23日、京都市中京区の中京警察署(桑村大撮影)
「『元気になってほしい』という思いと、『早く楽にさせてあげたい』という思いの両方があった」。自らを殺害するよう医師に依頼したとされるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の女性=当時(51)=と学生時代から交流を続けてきた友人(51)が産経新聞の取材に応じ、女性への思いを吐露した。
【画像】女性と容疑者が交わしたツイッターのやりとり
女性は以前、東京で建築士として活躍していた。「クールで歯に衣(きぬ)着せぬ物言いをするが、不思議な魅力のある人。昔から大人っぽい考え方をしていた」といい、悩み事があれば友人らが相談することも多かった。
ALSの発症は平成24年ごろ。転倒しやすくなるなどの違和感から病院を受診し、判明した。当初はつえをつきながら歩く状態で、闘病のために地元の京都へ戻ったころから友人は定期的に自宅を訪れるようになった。
「死にたい」。女性はそうこぼすようになった。ALSは全身の筋肉が衰えていく難病。散歩、食事、会話-。当たり前だった日常が少しずつ、少しずつ奪われていく。「体は動かなくなるのに頭はさえていることが何よりも残酷。彼女は頭がよくて、海外留学をするなど自由に生きてきただけにつらかったと思う」と話す。
海外生活が長く、日本という枠を超えた人生観を持ち、夢を見てかなえ続けてきた女性。気高く、人一倍懸命に人生と向き合い、生きてきた。「だからこそ、自身の意思と体とを切り裂いていくALSと、病魔に侵されるままなすすべがない自身の姿がどうしても受け入れられず、許せなかったのではないか」
体が思うように動かなくなり、ほどなくして車いす生活に。約5年前からは目で文字盤を追ってコミュニケーションを取るようになった。歯がゆさや怒りから時折周囲に当たることもあったが、筋力の衰えとともにそれもままならなくなった。「それでも、彼女は常にあふれる自尊心を持ち続け、尊厳を守るための死を考え続けていたのだろう」。友人はそう振り返る。
安楽死が認められているスイスへの渡航を計画したこともあったが、目前で断念した。協力を依頼したスイスの団体で可能だったのはあくまで「自殺」。スイスに渡って薬が入ったジュースを飲み干すことすらかなわぬほど、病魔は女性をむしばんでいた。
その後はブログを開設して闘病生活の思いをつづったり、ツイッター上で知り合った人と苦しみや思いを共有したりするようになっていったという。
亡くなる12日前、友人は遺言書を託された。「死に前向きな行為をすることで気持ちを落ち着かせているのかな」。気に留めなかったが、それから2週間足らずで女性は旅立った。別の友人のもとには、亡くなる前日や当日に「今までありがとう」「穏やかな気持ちです」とのメッセージが送られてきたという。
訃報に接してほどなくして、それが病死ではなく、自ら選んだ死だった可能性があることを知った。「日本で安楽死は違法だということは、彼女もわかっていた。でも、死を熱望していたことも痛いほど知っていたから、楽になれてよかったとも思う」
率直な気持ちを明かし、こう続けた。「医師の逮捕を知った今は、胸がザワザワして落ち着かない」
「お手伝いしたい」「嬉しくて泣けた」ALS女性、SNSで逮捕医師とやりとり
2020.7.24 00:53
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2人の医師から薬物を投与されて死亡した女性は、会員制交流サイト(SNS)を通じて医師と連絡を取り、「安楽死させてほしい」という趣旨の依頼をしていたとみられている。
「作業は簡単だろうからカリスマ医師じゃなくてもいいです」。平成31年1月3日、ALS患者の女性がツイッターに書き込むと3分後、「訴追されないなら、お手伝いしたいのですが」と返信があった。書き込んだのは大久保愉一容疑者。2人の交流はこのころから始まったとみられる。
女性は「『お手伝いしたいのですが』という言葉が嬉しくて泣けてきました」と応答。同じ年の8月には「すべての医療行為には患者さんの同意がいるわけで、意に反する処置は本来違法です。なんなら当院にうつりますか?自然な最期まで導きますが」と持ちかける大久保容疑者に、女性が「ありがとうございます 決意したらよろしくお願いします」と応じることもあった。
女性はツイッターで、ALSの苦しさと安楽死が認められない現状に対しての複雑な心境も多数つづっていた。
「屈辱的で惨めな毎日がずっと続く」「安楽死させてください」。昨年9月17日の投稿で、女性は苦しい胸のうちを、こう打ち明けた。
30年4月24日にツイッターを開始し、「ALSを発症して7年になります。この度、勇気を出してツイッター始めました」と初投稿。「海外で安楽死を受けるため始動します!色々乗り越えなくてはならない壁がありますが、挑戦しようと思います!!」と続け、以後はALSを発症した苦しみと安楽死への思いを訴えてきた。
31年1月30日には、「望まないのにこんな体で無理やり生かされてるのは人権の侵害だと考えます」と記述。その2カ月後には、「患者を生かすことをなぜいつまで医療者は使命だと思っているのだろう?」と現在の医療制度や法体制への不満も漏らしていた。
高須院長がALS患者嘱託殺人について「ご本人が望まれたのは尊厳死だと思います」と指摘
7/24(金) 13:26配信
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東スポWeb
高須克弥院長
高須クリニックの高須克弥院長(75)が24日、ツイッターを更新。ALS患者から依頼を受け殺害したとして、医師2人が逮捕された事件について自身の考えをつづった。
2019年11月、ALSで悩む女性患者から現金を受け取り、女性宅を訪れた医師2人が薬物を投与して殺害。2人は今月23日に嘱託殺人の疑いで逮捕された。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)は全身の筋肉が徐々に衰えていく難病で、有効な治療法が見つかっていない。今年の6月には美容家の佐伯チズさんが、ALSにより76歳でこの世を去った。
高須院長は「ご本人が望まれたのは尊厳死だと思います」と、安楽死の可能性を否定。「僕にはALSの女性の気持ちがわかります。苦しさから逃れる安楽死とカテゴリーが少し違うように感じます」と持論を述べた。
蓮舫氏、「京都安楽死事件」で見解「とてもじゃないが『尊厳死』の議論を始めようとはならない」
7/24(金) 14:03配信
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スポーツ報知
蓮舫氏
立憲民主党の蓮舫参院議員(52)が24日、自身のツイッターを更新。全身の筋肉が動かなくなっていく神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した京都市中京区の女性に薬物を投与して殺害したとして、京都府警が嘱託殺人の疑いで、呼吸器内科医・大久保愉一容疑者(42)医師・山本直樹容疑者(43)を逮捕した事件について、コメントした。
この日、大久保容疑者が「高齢者は見るからにゾンビ」などとネットに仮名で投稿。高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していたことを報じた記事を貼り付けた蓮舫氏。
「優生思想と安楽死。この事件の続報からは、とてもじゃないが『尊厳死』の議論を始めようとはならない」と、つづっていた。
ALS殺害、舩後氏がコメント 「死ぬ権利よりも生きる権利を」
7/23(木) 19:20配信
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共同通信
れいわ新選組の舩後靖彦参院議員
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の当事者であるれいわ新選組の舩後靖彦参院議員は23日、京都のALS患者が殺害された事件を受け「『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を守る社会にしていくことが何よりも大切だ」とするコメントを公表した。
舩後氏は「インターネット上に『安楽死を法的に認めてほしい』というような反応が出ているが、人工呼吸器を付け、ALSという進行性難病とともに生きている立場から強い懸念を抱いている」と強調。「こうした考え方が難病患者や重度障害者に『生きたい』と言いにくくさせ、生きづらくさせる社会的圧力が形成していくことを危惧する」と指摘した。
「安楽死」の選択に葛藤 ALS死亡女性の友人、思い吐露
7/23(木) 16:20配信
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産経新聞
京都府警中京署に移送される山本直樹容疑者を乗せたワゴン車=23日、京都市中京区の中京警察署(桑村大撮影)
「『元気になってほしい』という思いと、『早く楽にさせてあげたい』という思いの両方があった」。自らを殺害するよう医師に依頼したとされるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の女性=当時(51)=と学生時代から交流を続けてきた友人(51)が産経新聞の取材に応じ、女性への思いを吐露した。
【画像】女性と容疑者が交わしたツイッターのやりとり
女性は以前、東京で建築士として活躍していた。「クールで歯に衣(きぬ)着せぬ物言いをするが、不思議な魅力のある人。昔から大人っぽい考え方をしていた」といい、悩み事があれば友人らが相談することも多かった。
ALSの発症は平成24年ごろ。転倒しやすくなるなどの違和感から病院を受診し、判明した。当初はつえをつきながら歩く状態で、闘病のために地元の京都へ戻ったころから友人は定期的に自宅を訪れるようになった。
「死にたい」。女性はそうこぼすようになった。ALSは全身の筋肉が衰えていく難病。散歩、食事、会話-。当たり前だった日常が少しずつ、少しずつ奪われていく。「体は動かなくなるのに頭はさえていることが何よりも残酷。彼女は頭がよくて、海外留学をするなど自由に生きてきただけにつらかったと思う」と話す。
海外生活が長く、日本という枠を超えた人生観を持ち、夢を見てかなえ続けてきた女性。気高く、人一倍懸命に人生と向き合い、生きてきた。「だからこそ、自身の意思と体とを切り裂いていくALSと、病魔に侵されるままなすすべがない自身の姿がどうしても受け入れられず、許せなかったのではないか」
体が思うように動かなくなり、ほどなくして車いす生活に。約5年前からは目で文字盤を追ってコミュニケーションを取るようになった。歯がゆさや怒りから時折周囲に当たることもあったが、筋力の衰えとともにそれもままならなくなった。「それでも、彼女は常にあふれる自尊心を持ち続け、尊厳を守るための死を考え続けていたのだろう」。友人はそう振り返る。
安楽死が認められているスイスへの渡航を計画したこともあったが、目前で断念した。協力を依頼したスイスの団体で可能だったのはあくまで「自殺」。スイスに渡って薬が入ったジュースを飲み干すことすらかなわぬほど、病魔は女性をむしばんでいた。
その後はブログを開設して闘病生活の思いをつづったり、ツイッター上で知り合った人と苦しみや思いを共有したりするようになっていったという。
亡くなる12日前、友人は遺言書を託された。「死に前向きな行為をすることで気持ちを落ち着かせているのかな」。気に留めなかったが、それから2週間足らずで女性は旅立った。別の友人のもとには、亡くなる前日や当日に「今までありがとう」「穏やかな気持ちです」とのメッセージが送られてきたという。
訃報に接してほどなくして、それが病死ではなく、自ら選んだ死だった可能性があることを知った。「日本で安楽死は違法だということは、彼女もわかっていた。でも、死を熱望していたことも痛いほど知っていたから、楽になれてよかったとも思う」
率直な気持ちを明かし、こう続けた。「医師の逮捕を知った今は、胸がザワザワして落ち着かない」
京都“安楽死”事件「2年前、私がそのALS女性から受け取ったSOSのメッセージ」
7/24(金) 6:01配信
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文春オンライン
※写真はイメージです ©iStock.com
京都在住の女性(当時51歳)が安楽死を望み、SNSを通じて依頼した医師2人の手によって昨年11月に死を遂げたことが事件化した。実は、2018年4月、私はその女性からツイッターのアカウント宛に、メッセージをもらっていた。
【画像】嘱託殺人疑いで逮捕された2人の医師(全2枚)
<ALS患者です。発症して7年になります。体は動きません。食べることも話すこともできないけど、人工呼吸器は着けていません。視線入力のPCで書いてます。ディグニタスでの安楽死を受けたいと考えていますが、付添い人が必要です。付添い人が自殺幇助罪に問われるか?という問題にぶち当たっています。どうすればそれを判明できるか、何か助言を頂けますか?裁判を起こすしかないのでしょうか?>
なぜ私は彼女に返信しなかったか
私は、その半年前に世界6カ国の安楽死事情をルポした 『安楽死を遂げるまで』 を出版していた。文中にもあったスイスの自殺幇助団体「ディグニタス」をはじめとする外国の関連団体を取材するなかで、彼女のような神経難病患者が、スイスに渡って安楽死を実現したケースも紹介していた。この女性は、同じような最期を迎えたいと思ったのかもしれない。
今も、安楽死を望む人々から、頻繁にメッセージが届く。そこからは、さまざまな苦悩が読み取れるが、ほぼ全員が共通して望むのは「苦しまずに死ぬ」ことだ。そのための方法を知ろうとしている。なにも安楽死を望まずとも、緩和ケアによってかなりの部分で、「痛み」を解消できるのだが、日本ではそのあたりの情報が整理されていないのだろう。
私はこうした問い合わせに対して一切、返信をしないと決めている。この女性に対してもそうだった。
せっかくなので、この場を借りて明らかにしたいと思う。私が返信を控える理由は、何も関心がないからでも、自分勝手な行動を取っているからでもない。それは、今回のような事件が起きる可能性を常に孕んでいることはもちろん、一人の人生の航路が私の助言によってわずかでも変化してしまうことほど恐ろしいことはないからだ(その後、スイスで自殺幇助を遂げた日本人女性に同行取材し、 『安楽死を遂げた日本人』 という本にまとめたが、それは自らの力で自殺幇助団体に登録し、海を渡った稀有なケースだった。しかし、彼女に同行してよかったのかどうかは、今も自問自答している)。
今回の報道で、問い合わせをしてきた女性が安楽死を遂げたと聞いて、驚きを隠せなかった。おそらくツイッターを通じて私に連絡をとったように、逮捕された医師らにもSOSを発したのだろう。
スイスでは「自殺幇助」が認められているが……
日本と世界の安楽死をめぐる状況を整理したい。
大前提として、日本では安楽死は、法的に認められていない。
医師が患者から、安楽死を要求されたとして、それを実行すれば刑法199条の「殺人罪」が適用される。安楽死の協力者や仲介者も法に問われる。人を教唆、幇助して自殺させたり、嘱託を受けて殺したりした者を罰する刑法202条があるからだ。
だから、日本人が安楽死を実現するには、それが認められている海外に行くしかない。
京都の女性が当初、目指した「ディグニタス」のあるスイスでは、今回の事件のように、医師が直接、患者に致死薬を投与して死に至らせる「積極的安楽死」は違法だが、医師の介助によって患者自らが致死薬入りの点滴を体内に流し込む行為(医師による「自殺幇助」。本稿ではこれも広義の安楽死に含める)は認められている。現場を何度も目にしてきたが、患者は点滴開始後、20秒ほどで苦しまずに死ぬことができる。スイスでは、外国人がこうした自殺幇助団体を利用することが黙認されている。
だが現実問題、日本人がスイスに行くのは難しい。まず日本では、安楽死を目的に、患者が病院を離れることを医師は許可しないだろう。病院の制止をうまく切り抜けられたとしても、特に難病患者の場合、付添い人がいなければ、出国することが難しい。しかし、それを外部の人間が手助けするだけでも自殺幇助罪に当たる可能性がある。彼女はこの点を気にかけ、私に助言を求めてきたのだろう。
それは医療行為か、哲学的行為か
本人の明確な意思があり、安楽死を認めている国で実施するのであれば、その死に方自体に、私は反対したくない。人工呼吸器を付けて生活することを彼女は憂いていたという報道が伝わってきたが、それ自体にも、とやかく言うつもりはない。その判断は、彼女の人生観の延長であり、それは彼女の生き方の反映でもある。死にたいという気持ちも、彼女にしかわからない切実な理由があったのだと想像する。
だが、外部の人間がその死を手助けするのならば、最低限、彼女の人生を踏まえた上での行動でなければならない。安楽死が容認されるオランダでも、安楽死を施せるのは、患者の人生に少なからず接している「かかりつけ医」に限定される(例外もある)。今回でいえば、S N S上で知り合った医師で、しかも複数人が、女性に死を施したのは、やはり理解に苦しむ。
もちろん、私は事件の全容を知らないので、たしかなことは言えない。報道では、担当医は彼女の要求を退けたという。その医師が今、どこにいて何を思うのか、とても気になる。一方で見ず知らずの医師2人が、なぜこのような安楽死を遂行してしまったのか。それは金銭が絡んでいたからなのか、それとも逮捕も覚悟した上で、自らの「死の哲学」を実践したかったのか……。
安楽死を取材するたびに、深く悩むことになる。死を望む患者は、医師に安楽死効果を持つ劇薬を求める。だが、医師が家族ではない他人の人生の幕引きを決めることは、医療行為の範疇なのか。私には、哲学的行為に思えてならない。医師からしても、患者の人生の最終決定者となることは、相当の覚悟を持たないといけないだろう。
「死ななくて良かった」 ALS患者から届いた手紙
たとえ難病を患っていても、人間の気持ちは、時間とともに移ろうものだ。以前、スイスで安楽死を取材していた時、ある米国人女性が私に連絡をしてきたことがあった。彼女もALSを患い、安楽死を受ける直前だった。親に黙ってスイスに渡り、友人と山にこもって死の順番を待ち構えていたのだ。ここでも、私は無言を貫いた。
1年後のことだった。この女性の安否が気になり、彼女の安楽死を担当していたスイス人医師に話を聞くと、「条件不足だったので、一旦、国に帰ってもらうことにした」と言った。そして、こう付け加えた。「好きな人ができたみたいで、死ななくて良かったという手紙がしばらくしてから送られてきたのよ」。
ここにとても重要なことが隠されている。
いわゆる「難病患者」たちの人生は、周囲の人間が勝手に、憐れんだり、悲観したりする類のものではないということだ。たしかに生活する上での苦難は人より多いかもしれないが、それこそ医師や周囲の手助けを借りながら、健常者以上に幸せな生活を享受している例をいくらでも知っている。
本当にこの京都の女性には死することしか、正解はなかったのだろうか。2人の医師は、別の選択肢について女性とともに考えたのだろうか。致死薬を投与したことが、1人の人間の死をもたらしただけでなく、この病に対する負の意識を社会に植え付けてしまった罪に気付いているだろうか……。
私が何を問おうとも、患者本人はもはやこの世にいない。本人の願いが叶ったのだから、天国の彼女は幸せだったのだと、思うほかない。
最後にひとつだけ言及したい。安楽死を遂げた本人は幸せな最期を遂げたとしても、残された人たちは、患者が生前、抱いた思いを背負って生きなければならない。安楽死が認められた海外でさえ、その患者には本当に安楽死という道しかなかったのか、他の道を提示することができたのではないか、と家族は思い悩む。
本人が望もうとも、家族の合意がないまま、死を急ぐことは理想的ではない。ましてや医師がSNS上で計画し、死に至らせたことは、私は刑法に問われるべきものだと思っている。
今回のケースを「安楽死」と呼び、医師側の行為に正当性を見出そうとする人も出てくるだろう。だが安直に、日本で安楽死法制化の議論を始める前に、死を急ぐ社会の是非について、いま一度考える必要があるのではないだろうか。
宮下 洋一
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