狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

辞書彷徨

2010-03-19 08:36:25 | 日録
              

日録抄
 町の生涯学習課で刊行する郷土の作家(大正~昭和にかけて活躍した。)の研究・顕彰誌(小生が委員会からの依頼で文集化155ページ)の校正刷り冊子を、町から委嘱を受けた委員5名の手で校正作業に入る。女性小学校校長(お一人は元)さんも2人名前を連ねている。お一人は欠席なされたが、付箋が数え切れないほどあり、各ページ赤ペンで、ぎっしり書き込んだ校正刷りを別の先生に託して寄こした。
 皆さん非常に熱心に冊子に目を通して来られたようだ。恐れ入る。
 最初の目次から異論が続出した。
 書式を横書きから縦書きにする。インデントの問題。主題から筆者に繋ぐ点線の長さの不揃い…等など。
 しかし、こんな事までわれわれが議論していたら、遅々として本文の校正まで行き着かぬ。
 取り敢えず、本文中の誤字脱字を検討していこうや、とオレは提案した。
 こうして校正が始まったのだが、いくらやっても問題点は続出する。
 49ページまでやっとこぎ着けたが、家に帰ってまた辞書との対決である。今日決まった事も次回覆さねばならないかもしれない処も出てきた。

 「おゝ、たうとうあの山へ登らして頂けたのかえ」と母親は純一の腕にすがり、感極まって咽び出してしまった。…」(引用文)
この「たうとう」が旧かななら「たうたう」、新かななら「とうとう」だと校長先生が仰るのだ。
 小生は、「そんなことはない。この小説は当然旧かなで書かれた小説だから、『たうとう』でいいと思う。」と強く言いきってしまった。
 あまりにも細かい処まで追求するから、オレも意地を張ってしまったのである。しかし自信ある反論ではなかった。
 「どうして調べる?」
 「広辞苑なら調べられると思う」とオレ。若い事務局員が事務所へ捜しに行って戻ってきた。
「あいにく『広辞苑』はありません。これでどうでしょう。」
 講談社版国語大辞典であった。オレが目を通したが、旧かなの表示はなかった。
 実は内心ホッとした。しかし別の課の方が、
「『広辞苑』ありましたから。」と言って、函に入った真新しい第六版を抱えて来たのである。
 
とうとう(タウー)【到頭】《副》(トウドウとも)ついに。結局。最後に。「ーたどりついた」「ーこなかった」
 「たうとう」で良かったのだ!しかし活字があまりにも小さくてわかりずらい。
帰宅後さらに「大言海」大槻文彦 冨山房で確かめたのがこの写真である。