■ かわいそうな人々
私は、皇族に嫁いだ女性を、本当にかわいそうだと思うことがよくあります。
例えば、近くでは「人格を否定」されたという雅子妃もそうですし、少し遡れば、裕仁皇太子(後の昭和天皇)と婚約した翌年に、山縣有朋元首相から「色盲の家系の者を、皇室に入れるのは国家の不祥」だと干渉を受けた、良子(ながこ)妃もそうです。
結婚、出産のみならず、遺伝子にいたるまで、政治家や宮内庁などが口を出し、メディアを通じて報じられ、振り回される、まさに「人格を否定」されていると思いますし、かわいそうに思えてなりません。
■ 「ご出産」の日程
9月6日、秋篠宮家にお子さんが生まれる予定です。
男女いずれかは、事前の報道はありませんでしたが、日本中が慶祝ムードに染まることと思います。
どちらであれ、生命が誕生するのですから、おめでたい話だと思います。
ただ、やはりこの母子を、かわいそうに思えてならないのは、この出産日の決定について、非常に政治的な匂いを感じるからです。
■ 政治的な「予定日」
今年2月の「ご懐妊の兆候」が判ったとき、出産予定日は「9月下旬」と報じられました。
そして8月8日に「前置胎盤」であると診断され、「9月上旬で『調整』」した上で、9月1日になってこの日が選ばれました。では一体、誰と何を「調整」したのでしょうか。
「六輝」で言えば、6日は「友引」ですので、このような慶事には最適ですが、そのような理由であれば、「調整」に3週間もかかる訳がありません。
「体調」であれば、数時間後どうなるか分からないのが出産です。「緊急手術もありうる」とされてきたのが、9月1日になって突然「5日後」という中途半端な日程を指定したのも、極めて不自然です。
ここで見逃してはならないのが、「自民党総裁選の日程」です。
■ 「予定日」を許可した自民党
かねてから、「9月下旬」という出産予定日をにらんでいた自民党は、それと重ならないよう、その直前の「9月20日」を総裁選の開票日に決めました。
そして、7月27日の東京、8月5日の近畿を皮切りに、その前哨戦であるブロック大会を開始しました。
その矢先の「早産の可能性」の報せです。
自民党の9月の日程は、5日までブロック大会があり、8日が総裁選の告示日です。その前でも、その後でも総裁選がかすんでしまいます。それでは自民党としては面白くありません。
そこで宮内庁が自民党と「調整」し、許可してもらったのが、この6日という日程なのではないでしょうか。
■ かわいそうな母子
9月6日午前の「ご出産」、その後メディアが執拗に騒ぎ続け、最近あまり出番のない小泉首相や、総裁候補らの「お祝いメッセージ」を流し、慶祝ムードの中、あらためて8日に総裁選を思い出させる、という「段取り」が見えてきます。
つまり宮内庁が、秋篠宮妃「ご出産」の日取りについて「9月上旬で『調整』」を図ったのは、自民党総裁選とそれに関係する日程だとしか思えません。
そこでやはり、かわいそうに思えてならないのは、秋篠宮妃です。
自民党の「ご都合」で我が子を生む日が決められ、その「段取り」によって腹部にメスを入れられる…母親として、女性として、人間として、このような屈辱があるでしょうか。
また、赤ん坊は自分で生まれるタイミングを選ぶといいますが、それが知りもしない自民党という組織の事情で左右される、その子もかわいそうです。
■ 武部発言と「次の日本」
9月5日、最後の「ブロック大会」で、自民党の武部勤幹事長は、こう語りました。
「9月8日から総裁選の本番がはじまる。国民が注目している。」
「皇室報道」も含めて、強引に他のニュースを排除してまで、「国民が注目」するように仕向けておいて、その言い草なのですから、呆れてしまいます。
自民党総裁選のキャッチコピーは、「次の日本を、誰に」です。
このように「生命」をもてあそび、政治利用するような政党の総裁が誰になろうとも、「次の日本」を委ねたいとは思いません。
私は、皇族に嫁いだ女性を、本当にかわいそうだと思うことがよくあります。
例えば、近くでは「人格を否定」されたという雅子妃もそうですし、少し遡れば、裕仁皇太子(後の昭和天皇)と婚約した翌年に、山縣有朋元首相から「色盲の家系の者を、皇室に入れるのは国家の不祥」だと干渉を受けた、良子(ながこ)妃もそうです。
結婚、出産のみならず、遺伝子にいたるまで、政治家や宮内庁などが口を出し、メディアを通じて報じられ、振り回される、まさに「人格を否定」されていると思いますし、かわいそうに思えてなりません。
■ 「ご出産」の日程
9月6日、秋篠宮家にお子さんが生まれる予定です。
男女いずれかは、事前の報道はありませんでしたが、日本中が慶祝ムードに染まることと思います。
どちらであれ、生命が誕生するのですから、おめでたい話だと思います。
ただ、やはりこの母子を、かわいそうに思えてならないのは、この出産日の決定について、非常に政治的な匂いを感じるからです。
■ 政治的な「予定日」
今年2月の「ご懐妊の兆候」が判ったとき、出産予定日は「9月下旬」と報じられました。
そして8月8日に「前置胎盤」であると診断され、「9月上旬で『調整』」した上で、9月1日になってこの日が選ばれました。では一体、誰と何を「調整」したのでしょうか。
「六輝」で言えば、6日は「友引」ですので、このような慶事には最適ですが、そのような理由であれば、「調整」に3週間もかかる訳がありません。
「体調」であれば、数時間後どうなるか分からないのが出産です。「緊急手術もありうる」とされてきたのが、9月1日になって突然「5日後」という中途半端な日程を指定したのも、極めて不自然です。
ここで見逃してはならないのが、「自民党総裁選の日程」です。
■ 「予定日」を許可した自民党
かねてから、「9月下旬」という出産予定日をにらんでいた自民党は、それと重ならないよう、その直前の「9月20日」を総裁選の開票日に決めました。
そして、7月27日の東京、8月5日の近畿を皮切りに、その前哨戦であるブロック大会を開始しました。
その矢先の「早産の可能性」の報せです。
自民党の9月の日程は、5日までブロック大会があり、8日が総裁選の告示日です。その前でも、その後でも総裁選がかすんでしまいます。それでは自民党としては面白くありません。
そこで宮内庁が自民党と「調整」し、許可してもらったのが、この6日という日程なのではないでしょうか。
■ かわいそうな母子
9月6日午前の「ご出産」、その後メディアが執拗に騒ぎ続け、最近あまり出番のない小泉首相や、総裁候補らの「お祝いメッセージ」を流し、慶祝ムードの中、あらためて8日に総裁選を思い出させる、という「段取り」が見えてきます。
つまり宮内庁が、秋篠宮妃「ご出産」の日取りについて「9月上旬で『調整』」を図ったのは、自民党総裁選とそれに関係する日程だとしか思えません。
そこでやはり、かわいそうに思えてならないのは、秋篠宮妃です。
自民党の「ご都合」で我が子を生む日が決められ、その「段取り」によって腹部にメスを入れられる…母親として、女性として、人間として、このような屈辱があるでしょうか。
また、赤ん坊は自分で生まれるタイミングを選ぶといいますが、それが知りもしない自民党という組織の事情で左右される、その子もかわいそうです。
■ 武部発言と「次の日本」
9月5日、最後の「ブロック大会」で、自民党の武部勤幹事長は、こう語りました。
「9月8日から総裁選の本番がはじまる。国民が注目している。」
「皇室報道」も含めて、強引に他のニュースを排除してまで、「国民が注目」するように仕向けておいて、その言い草なのですから、呆れてしまいます。
自民党総裁選のキャッチコピーは、「次の日本を、誰に」です。
このように「生命」をもてあそび、政治利用するような政党の総裁が誰になろうとも、「次の日本」を委ねたいとは思いません。
ご転載のお申し出を頂き、有難うございます。
もちろん歓迎致しますし、感謝申し上げます。
今後とも宜しくお願い致します。
goo-needsより
そして、「日程」についてですが、・・・何の根拠もない推測ですよね。もう少し控えめに書かれてはいかかでしょうか。「だとしか思えません。」と言われても、説得力がありません。
皇室の女性がかわいそうという点では、私もそう思いますがね。
ところで、「日程」についてですが、誰と何を「調整」したとお考えでしょうか?
ぜひお考えを承りたいと思います。
「調整」という言葉が、誰の、どういう趣旨での発言なのかわからないので何とも言えません(検索してみましたが見当たりませんでした)が、普通に考えれば、母子の状態に合わせて手術の日程を調整したということではないでしょうか。
「陣痛が起きる前に帝王切開することが望ましいが、早産になれば胎児の成長が不十分になるジレンマがある。医師団は「(胎児が十分に発育する)37週に入った時点が最良」と判断、この日の帝王切開となった。」との報道があります(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060907i101.htm)。
また、6日は縁起のいい日でもあったとか(http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-494.html)。
自民党としても、母子の健康が最優先でしょうし、率直に言って、自民党に皇族の出産予定日を変えられるほどの権限があるとも思えません。
武部幹事長も、何気ない発言をまさかこんなふうに批判されるとは思っても見なかったことでしょう。