私の友人であるdiaspora様からお知らせを頂き、現地で医療活動を行なっている方が見た、4月11日「停戦下」のファルージャの惨状の一部について知ることができました。
この文章を読んで私は、あらためて戦争が生み出す「狂気」を痛感しましたのですが、同時に私はもう一つ思ったことがありました。
言うまでもなく、このとき日本人3名の方々が拘束され、人質になっていました。
メディアには、その間の停戦を「米軍の配慮」と報じたものもありました。しかし、その「停戦下」でさえ、これほどの殺戮が行なわれており、日本政府はそのことに何も言わなかったのです。これでは、いくら日本政府が「自衛隊派遣はイラクの人々のため」「日本はイラクの友人」「人質はイラク国民の友人」と唱えても、説得力の欠片もありません。日本は米国に対し「停戦」を呼びかけるなど申し入れをすべきだったのです。
私はファルージャでの戦闘が伝えられるたびに、59年前の長崎の捕虜収容所を思い出していました。当時、長崎には英国・オランダなどの連合軍の捕虜約200名が収用されていましたが、米軍は捕虜の身をかえりみることなく、その長崎に原爆を落としました。
もちろん当時と今では、状況も違うでしょう。しかし、味方側の国の人間の安全より、敵の殺戮を優先させたことに変わりはありません。日本政府は「日米同盟」をとにかく強調しますが、万が一のときにも米軍は、米軍の思惑でしか行動しないのです。
ファルージャでは今も戦闘が続けられています。「掃討作戦」という言葉が良く聞かれますが、「掃討」とは「皆殺し」のことです。これ以上、殺戮を繰り返して何が好転するというのでしょうか。
「テロとの戦い」を掲げて、イラクに攻め込んだ米国が招いたものは、狂気と憎悪とともに「テロの拡大」でした。
これ以上の殺戮を重ねないでほしい、本当にそう思います。
この文章を読んで私は、あらためて戦争が生み出す「狂気」を痛感しましたのですが、同時に私はもう一つ思ったことがありました。
言うまでもなく、このとき日本人3名の方々が拘束され、人質になっていました。
メディアには、その間の停戦を「米軍の配慮」と報じたものもありました。しかし、その「停戦下」でさえ、これほどの殺戮が行なわれており、日本政府はそのことに何も言わなかったのです。これでは、いくら日本政府が「自衛隊派遣はイラクの人々のため」「日本はイラクの友人」「人質はイラク国民の友人」と唱えても、説得力の欠片もありません。日本は米国に対し「停戦」を呼びかけるなど申し入れをすべきだったのです。
私はファルージャでの戦闘が伝えられるたびに、59年前の長崎の捕虜収容所を思い出していました。当時、長崎には英国・オランダなどの連合軍の捕虜約200名が収用されていましたが、米軍は捕虜の身をかえりみることなく、その長崎に原爆を落としました。
もちろん当時と今では、状況も違うでしょう。しかし、味方側の国の人間の安全より、敵の殺戮を優先させたことに変わりはありません。日本政府は「日米同盟」をとにかく強調しますが、万が一のときにも米軍は、米軍の思惑でしか行動しないのです。
ファルージャでは今も戦闘が続けられています。「掃討作戦」という言葉が良く聞かれますが、「掃討」とは「皆殺し」のことです。これ以上、殺戮を繰り返して何が好転するというのでしょうか。
「テロとの戦い」を掲げて、イラクに攻め込んだ米国が招いたものは、狂気と憎悪とともに「テロの拡大」でした。
これ以上の殺戮を重ねないでほしい、本当にそう思います。