まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

変える気がないことについて

2017-01-17 22:58:15 | 日記
ジャンボクッション問題。口下手な私は、早々に白旗を掲げました。ふたつの意味で。ひとつは、自らのエゴ、自身の限界。そして、みんなの限界。大局的には、私の主張が受け入れられる余地は残されていますが、「これが落とし所なのです」と言われた時に、自分の実行力・政治力・行動力の限界を痛感してしまいます。

例えば、日立、東芝、三菱。もし仮に、ぼくらの世代、という括りがあったのだとすれば、ぼくらはその恩恵に肖って育ちました。しかしながら、これからは違います。その違いを明確にしなければならない時に、私たち(ぼくらではない)に残された選択肢は、あぁ、やっぱり選挙だけなのかなぁ。他にも微々たる方法(例えば購買)はありますけれども・・・。

私はきっと、種を蒔くだけ蒔いて、育てることを放棄しているのでしょう。あぁ、日々の怠惰に流され、なんと無責任な存在なのでしょう。しかしながら、言い訳にすぎませんけれども、こうも言えます。退く勇気なのだと。だって、勢いで口説くのは簡単じゃないですか。まるで安倍政権のように、世間を窺いながら、頃合いを見計らって、つき進めばよろしいやん。けれども、中年心として、留まることも必要なのではないか、と。

と、ここまでの探究を終えて、台所で一服していたら、チャイムが鳴って、本当に奴が現れました。「シールのお届けもの」を持参して(笑)そうして、愛しのFさんに向けて、メッセージを残して下さい、と。オレでいいのかなぁ、と思いつつ、嬉々と引き受けましたけれども。そんなわけで、この先の末尾をどのように展開するつもりだったのか、忘れちゃったよぅ!

愛しのシミや愛しのFさんは、あくまでも例え、象徴であって、私は多くの若者たちに希望を抱いています。私がシミに敵う要素など、ひとつもないという事実を、私は本当に頼もしく思っているのです。だからこそ、さらに愛しなさい(投票しなさい、学びなさい、遊びなさい)、遠くを感じなさい(絶望しなさい、旅行をしなさい、戯れなさい)というようなことが言いたかったのかな。あぁ、ぼくの作文力の限界だなぁ・・・。
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フラワーさんへ

2017-01-17 12:47:39 | 日記
今宵の夜勤は、なんだかとってもいい感じでした。夜勤ってのは、いつだってそうですけれども、常に緊張を強いられていますので、無事に(むろん自分たちのことではありません)時間が経過して、煙草を一服した時に、ようやく昨夜と今朝を振り返ることができるような、そんな心持がしているのです。

そんなわけで、ようやく我に返って、このパンを見つめていたら、鈍感な私は、ようやく気付きました。

あ!ハート型だ!!

むろんこの差し入れが、「ほんの気持ち」であることは重々承知しています。だからこそ、ちょっと気になったのです。あのぅ、Yさんへの差し入れは、どんな形をしているのでしょうか(笑)
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