100歳の気持ちはわかりません。
私はあえて、不摂生に不摂生を重ねていますので、おそらく、というか間違いなく、そのような長寿を全うすることはないでしょう。むろん、短命を嘆くつもりはありませんけれども、そんなわけで、100歳の気持ちはわからないのです。
「せつない話」編=山田詠美
名著、名編集です。
<涙腺に関係しながらも、涙にはあまり関係していないという不思議な代物である。万が一、涙に関係している場合も、五粒以内の涙である>
「五粒の涙」著者=山田詠美
素晴らしいです。
つまり、<切ない>と<悲しい>は異なる感情なのだと。<切なさ>を感じることができるのは、「(精神的な)おとな」だけなのだと。
先日の夜勤の時のことです。
100歳のお母さんに、娘さんから、年賀状が届いていました。娘さんは、おそらく、私の母よりも高齢の方なのでしょう。賀状には、なかなか面会に行けなくて、ごめんなさい、というようなことが記されていました。風邪が流行っているから、とも。そう、この時期、我が施設では、感染症対策で、やむを得ず、面会に制限を設けています。例えばですが、寝たきりの方に関して言えば、車椅子に移乗して、面会室に移動させる、そんなことは、我々職員にとっては大した手間ではありませんが、もしかしたら、そんな些細なことでさえ、心苦しく思ってしまうような、そんなご家族もいらっしゃるのかもしれません。
さてさて、年賀状には封筒が添えられていました。その封筒には、新聞の切り抜きの拡大コピーが入っていました。
「読みましょうか?」と、問うと、100歳は、声もなく、うなずきました。
それは、およそ、下記のような内容の作文だったように思います。
娘さんも高齢ですので、デイサービスに通っているのです。その施設に、美容師さんが来たので、カットしてもらうことにしたわけです。髪型はおまかせにしたところ、美容師さんは、なんとも小気味よく、鋏をはしらせている。あぁ、短くなっちゃうな、そう思いつつ、娘さんは鏡を覗いている。そうして、案の定、加藤登紀子さんになってしまった。あぁ、まぁ、いいか。だって、私には、夫からもらった毛糸の帽子があるのだから。この冬は、夫の愛の温もりを感じながら、過ごすことができるのだから。
上記についてお断りしておきますが、娘さんの作文には、リズムとテンポとメロディがあり、つまり、名文でした。
最後のセンテンス、末尾を読もうとした際に、私は声が震え、立ち往生せざるを得ませんでした。しかしながら、わずかながらも長いような時を経て、しっかりと、最後まで読み上げることができました。
100歳のおばあちゃんが、どんな気持ちで聞いて下さっていたものなのか、やっぱり私にはわかりません。
私はあえて、不摂生に不摂生を重ねていますので、おそらく、というか間違いなく、そのような長寿を全うすることはないでしょう。むろん、短命を嘆くつもりはありませんけれども、そんなわけで、100歳の気持ちはわからないのです。
「せつない話」編=山田詠美
名著、名編集です。
<涙腺に関係しながらも、涙にはあまり関係していないという不思議な代物である。万が一、涙に関係している場合も、五粒以内の涙である>
「五粒の涙」著者=山田詠美
素晴らしいです。
つまり、<切ない>と<悲しい>は異なる感情なのだと。<切なさ>を感じることができるのは、「(精神的な)おとな」だけなのだと。
先日の夜勤の時のことです。
100歳のお母さんに、娘さんから、年賀状が届いていました。娘さんは、おそらく、私の母よりも高齢の方なのでしょう。賀状には、なかなか面会に行けなくて、ごめんなさい、というようなことが記されていました。風邪が流行っているから、とも。そう、この時期、我が施設では、感染症対策で、やむを得ず、面会に制限を設けています。例えばですが、寝たきりの方に関して言えば、車椅子に移乗して、面会室に移動させる、そんなことは、我々職員にとっては大した手間ではありませんが、もしかしたら、そんな些細なことでさえ、心苦しく思ってしまうような、そんなご家族もいらっしゃるのかもしれません。
さてさて、年賀状には封筒が添えられていました。その封筒には、新聞の切り抜きの拡大コピーが入っていました。
「読みましょうか?」と、問うと、100歳は、声もなく、うなずきました。
それは、およそ、下記のような内容の作文だったように思います。
娘さんも高齢ですので、デイサービスに通っているのです。その施設に、美容師さんが来たので、カットしてもらうことにしたわけです。髪型はおまかせにしたところ、美容師さんは、なんとも小気味よく、鋏をはしらせている。あぁ、短くなっちゃうな、そう思いつつ、娘さんは鏡を覗いている。そうして、案の定、加藤登紀子さんになってしまった。あぁ、まぁ、いいか。だって、私には、夫からもらった毛糸の帽子があるのだから。この冬は、夫の愛の温もりを感じながら、過ごすことができるのだから。
上記についてお断りしておきますが、娘さんの作文には、リズムとテンポとメロディがあり、つまり、名文でした。
最後のセンテンス、末尾を読もうとした際に、私は声が震え、立ち往生せざるを得ませんでした。しかしながら、わずかながらも長いような時を経て、しっかりと、最後まで読み上げることができました。
100歳のおばあちゃんが、どんな気持ちで聞いて下さっていたものなのか、やっぱり私にはわかりません。