まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

「この世界の片隅に」

2017-01-10 00:42:54 | 日記
どうしてこんなに魂が震えたのか、その原因を探ってみたところ、それはフラッシュバックとシンクロの繰り返しにあったのだと、そう気付きました。つまり、きっと私は、映画を観ていなかったのでしょう。否、この映画を通して、フラッシュバックとシンクロを繰り返していたのでしょう。それはまるで、良質な落語を聴いている時と同じような感覚で。

例えば、Mさん。人生に悔いなし、と、か細い声で語ってくれたのです。旦那さんに見初められて、皆から愛されて、じゅうぶん幸せでした、ですから、もう何にも望むことはないのです、と。あぁ、そんな貴女だからこそ、皆に愛でられたのでしょう。

例えば、母の姉。私の母を背負って、空襲から避難させてくれたからこそ、私は今、こうして生きているのかもしれません。火の粉が母の髪を燃やしてしまったことを、まるで自分の罪であったかのように、遠い目で語るような、そんな母の姉でした。

例えば、ちゃねり。すずみたいに、絵を描くことが大好きだったちゃねり。すずみたいに、いろんな工夫をすることが得意で、それは例えば、震災後に、食料品がなかなか手に入らなかったような時に、その真価が発揮されたんだよなぁ。

例えば、例えば、例えば・・・。

この映画においては、何も、目新しい発見のようなものは、なかったように思います。ただひたすらに懐かしく、そうして、どこまでもひたすらに愛の物語だったのでした。私の愛の浅さ、身勝手さ、その悔恨を、鋭い刃で、優しく抉られ、涙していたのです。

「救いはないのだろうか?」
という問いに対して、
「救いはあるのだ!」
と、力強く宣言してくれるような映画でした。
そうして、親鸞の言葉ではありませんが、罪が深ければ深いほど、フラッシュバックとシンクロを繰り返してしまうような、そんな映画でした。


「悲しくてやりきれない」コトリンゴ

以下、1月13日の追記です。

事実誤認がありました。

母に確認したところ、母を背負っていたのは、私のおばあちゃん(母の母)だったそうです。
そうして、母の姉(二女)が背負っていたのは、三女の姉だった、とのこと。
以上、訂正及び、お詫びを込めて、したためました。
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