茨城から発信しますⅡ

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茨城と長野 歌の架け橋  野口雨情と中山晋平

2015-06-26 07:00:00 | 日記

先日ktempleさんが長野県の音楽家中山晋平の事を紹介した。

長野県中野市の散策 その1 中山晋平記念館

懐かしく思いアルバムを調べると’98.4.11に中山晋平記念館に来ていた。

長野出身の中山晋平は茨城出身の野口雨情の作詞を作曲し後世に残している。

先日、北茨城へ行き野口雨情生家と資料館を見た。

作詞家と作曲家の事を紹介する。

野口雨情は茨城県生れの詩人で坪内逍遥に学んで新体詩の創作に志した。

のち小川未明・相馬御風・三木露風らと早稲田詩社を創り、

詩集の他に童謡集・民謡集を出版した。

人間的な暖かさの流れた作品の数々は人々に広く親しまれている。

大正7年水戸へ出て「茨城少年」の編集しながら童謡作品を発表した。

西条八十等の紹介で中央の児童雑誌に童謡作品の発表を開始した。 

著名な「船頭小唄」(原名枯れすすき)を作詞し、中山晋平に作曲を依頼した。

同10年には「七つの子」「赤い靴」「青い目の人形」などの作品を発表し、

同11年から「コドモノクニ」にも作品を発表した。

「雨ふりお月さん」「あの町この町」「兎のダンス」等は、この雑誌に掲載された。

作曲家の本居長世、中山晋平、藤井清水等が雨情の試作に

最適の曲譜を付けたことも幸運だったと云う。


 

雨情はこの時期ごろから全国各地への童謡・民謡普及の講演旅行が多くなった。

新民謡作品も「須坂小唄」をはじめ、全国各地で数百編にもなると云う。