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北関東の旅日記   足尾銅山の今は

2015-06-03 07:00:00 | 旅行

宇都宮から大連三世さんの案内で三面相さんと渡良瀬渓谷へ向かった。

足尾銅山は1550年に発見されたという記録がある。

1611年に江戸幕府の直山となる。

1877年(明治10年)古河市兵衛が経営した。

明治17年銅山の発展にともない精錬所が新設された。

この時代から亜硫酸ガスによって煙害が広まった。

足尾環境学習センター  

明治24年渡良瀬川の鉱毒問題で田中正造代議士がこの問題に取り組んだ。

明治26年新装置導入で銅の生産は伸びたが煙害も増加した。

足尾砂防ダム  

明治30年鉱毒予防工事命令で脱硫塔を完成したが効果は無い。

山林が枯れ農業も収穫が無くなった。

昭和31年自溶製精錬法の導入と硫酸工場の完成で

亜硫酸ガスの排出が解消され本格的な治山工事が始まった。

昭和48年足尾銅山閉山

約400年間にわたり堀開いた坑道の総延長は1,234km(およそ東京から博多間)、

その深さは東京湾の深さに近いまでに達する。

足尾銅山観光はその“日本一の鉱都”とよばれた

日本最大の足尾銅山の再現をはかって始められた坑内観光で、

全長700メートルの坑内を見学すると足尾銅山の歴史や

内容だけではなく、鉱山のしくみもよく知ることができる。

薄暗い坑内は江戸時代の手掘りの様子から、

現代の機械化されている銅山の様子まで人形を使って年代ごとに紹介されている。

奥に進むにつれ、それは人形とは思えないほどの迫力を感じた。


また、平成13年4月にはトロッコも新しく生まれ変わり、

リニューアルオープンしそしてキャラクター“源さん”と一緒に

足尾銅山の歴史を旅する探検シアターも完成した。

煙害問題対策は日立市の日鉱記念館で知ることが出来た。