極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

浅井三姉妹と太融寺

2011年12月18日 | 近江歴史回廊

 




【食肉再考】

昨夜のつづき。肉食文化の弱点をもう一度お復習いする。といって
も牛肉のアミノ酸依存を下げるという程度の意味合いで、生産性、
食糧・環境問題から豚肉食にシフトするだけだが。それじゃ鶏肉は
といえば、アレルギー反応を示す抗生物質投与(2000種類)の少な
いものだけを食べようと考えている。もっとも、豚肉もその考えは
変わっていないが経験から鶏肉は品質の優劣差が大きく発症しやす
いから、特に注意して食べるようにしている。因みに、牛肉は
フィ
ードロットの牛たちは多種多様な大量の抗生物質を投与されている。
クロロマイセチンやチオペプチンといった抗生物質が10種類以上も
エサの中に混ぜられるという。

 
 フィードロットの牛たちは、ビタミン剤入りの濃厚飼料を食べさ
 せられ、加えて抗生物質を打たれ、そのうえ、さらにまたホルモ
 ン剤を投与される。動物一般に言えることだが、牛、とくにオス
 の牛は成長するにしたがって筋肉が荒くなって肉質が硬くなる。
 食肉としての品質が落ちてくる。ホルモン剤は、それを防いで肉
 質を軟らかくするために使われる。


             中村三郎 著『食肉が地球を滅ぼす』 


30年前、地域生協の設立に参画し理事として「暮らしと環境」部門
の活動を行ったこともあり、いまさらお復習いしてもと考えていた
がその当時の状況とどのように変化しているのか調べるがこの30年
で牛肉は3.6倍、豚肉は2.0倍、鶏肉は2.8倍と増加の一途を辿ってい
る反面、いわば穀物を濃縮パックした工業製品化を意味し、世界の
穀物生産量(年間約17億トン)のうちの半分に近い8億トン以上が
飼料として消費され、食肉1キログラムの生産に要する穀物量は、
ブロイラーで2キログラム、豚で4キログラム、牛は8キログラム
になるという。牛の場合、出荷されて食用になる500キロの体重にす
るまで、1200キログラムの穀物を食べさせなければならない。

 

 

現在、世界の30カ国で5億の人間が飢えに苦しんでいる。その飢え
た人たちを救うには年間2700万トンの穀物援助すれば解決できる量
だが世界の穀物の30パーセントに該当する。特に国内牛肉の養畜生
産性が低く、45年前は鶏肉と牛肉の価格は変わらなかったのだが、
いまでは牛肉の値段が逓増を続けているが(もも肉価格は小売り百
グラムで約300円、輸入肉で170円程度)、鶏肉の生産性は千倍、豚
肉で30倍で肝心の牛肉は3倍程度だというのだ。それじゃ輸入肉を
増やせば値下げできるかといえば、物流を抑えている業界の儲け主
義で単純には下がらないともいう
。それだけではなく中国などの新
興国では肉食化が増加し
、食肉生産に使われる穀物の量がうなぎの
ぼりに増え、国内の生産量では間に合わず、穀物の輸出を全面的に
禁止する、あるいは輸入国に転じるケースだ増える傾向にある。

ところで、欧米諸国になぜ肉食文化が生まれたのかとの疑問に、前
述の著書では、ヨーロッパは農業に依存できない気候風土であるた
め必然的に肉食が中心の生活にならざるを得なかったとし、食肉の
日常的摂取が健康に悪いという、米国政府の1977年の
「マクガバン・
レポート」では米国国民の動物性食品の摂取量の抑制基準を作成し、
食生活の改善を呼びかけたものの効果なくやっと最近、日本食ブー
ムとして見直しが定着しつつあるという。



このブログでもビタミンB1に注目してきたし、食材料理レパートリ
が広いのでこの際、価格も1/3と安くて美味いのだから、この地か
ら“グリーンミートびわ”?として情報発信していくのも面白いと
思ったわけだ。


  降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに

                       穂積親王
 



【浅井三姉妹と太融寺】



小学校の夏休みのラジオ体操は、太融寺に集まり出席印鑑を押して
帰ってきたものだった。ある日、住職がきて「母親の顔が火傷で疎
ましく思っていた子供がいたので、実はお前が小さい頃、囲炉裏に
落ち火傷しそうになろうとしたため、咄嗟に燃えさかる炭を加え事
なきをえたのだが、それほどもでにしてお前を守ろうとしたんだと
話したところ、それ以来その子供は改心したんだ」と子供達に話し
てくれた記憶が鮮明に残っている。



その境内に淀君のお墓が安置れていることを知ったのはつい最近の
ことだ(『白ギスと数学力とタール』)。仕事で大阪から滋賀に移
り住み、ことしのNHKの大河ドラマ「江」で浅井三姉妹の生涯を
テーマとしたドラマが放映されたことで、さらに大阪城と小谷城と
北ノ庄城を巡る歴史を少し深めることができた。また、賤ヶ岳の戦
いには高山右近も秀吉軍側として参戦しており、その意味では甲賀
五十三家とも繋がるが、兎にも角にもなんとなく陰翳ができ深みを
えて、何というか、縁の不思議という神秘な魅惑が生じ、それを熟
知うる満足感が得られる。

 小谷城図

古墳時代には薬猟の名で、鹿や猪の狩が年に数回行われ、その肉が
薬用として食べられ、鹿肉と猪肉は共に宍肉(ししにく)と呼ばれ
た。また、ウシとウマが輸入され肉や内臓が食用あるいは薬用にも
使われたとある。豚あるいは猪の飼育も行われ『日本書紀』安寧天
皇11年の条には猪使連という職が登場し、欽明天皇16年(555年)7
月 (旧暦)には「使于吉備五郡 置白猪屯倉」と吉備に白猪屯倉を置
くよう命じられており、569年には功あった白猪田部に白猪史の姓
が贈られているという。さらに、
道首名は筑後守時代に国人に鶏や
豚の飼育を奨励し『続日本紀』に「下及鶏豚。皆有章程。曲盡事宜」
(〈道首名の規則は〉鶏や豚の飼育にも及んでおり、ことごとく詳
細で適切であった)と記されている程に豚肉が食されとされる。

そんなところで、焼肉から肉食の有り様を問い「食と環境」を考察
してみた。その上でそこからなにか発信できればこれに過ぎたるも
のはないと思うのだが.。

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