すべてはうまくいっている

EVERYTHING IS GOING WELL

干からびていないだろうか?

2011年02月19日 | コミュニケーション
「このがざりは、ぢぶんでつくった2がつのがざり。」

意味不明なこの言葉。
最近、息子が工作で作った絵の中の文章にありました。
でも、作品にはとても明るいエネルギーがあります。

息子は工作好きです。
幼稚園だけでなく、家でもいろいろなものを作ります。
我が家の壁は息子と娘の絵や工作品でいっぱいです。

時々、ドキッとするメッセージがあります。
メッセージのなかに、「大丈夫だよ」とか「いつもありがとう」とあります。
意味不明な言葉もありますが、伝えようとする、熱い想いを感じます。

子供は、コミュニケーションの天才です。

日常の会話で、息子は、僕の言葉を一生懸命聞いてくれます。
「なに?なに?」
おもいっきり僕に向かってきます。
彼なりに納得するまで、僕を離してくれません。

昨日も子供たちにおみやげをあげたら、「キャ~、ヒャ~」と喜んでくれました。
「ヒャ~」がたまりません。

子供のコミュニケーションにはエネルギーがあるのです。

その反動でしょうか?
なにか、「大人」の会話には、時々干からびたもの感じてしまいます。

僕が、「~~なんだよね。」と言う時、
相手は「~~なんですね。」と返してきます。
時には「え~、それって~~なんだ!」と大げさに返してくる。
(でも言葉は、何か上滑っている感じ。届いてこない・・・)

いわゆる会話のセオリーなのかもしれません。
『バックトラッキング』『ペーシング』『ミラーリング』そんなテクニック。
「大人」の世界では、よく見られる会話の風景かもしれませんね。

冷静になった時、他人を通して自分を振り返り、冷や汗をかいてしまいます。
子供たちとガチンコのコミュニケーションをとっていると、
そんな「大人」たちとのコミュニケーションがまるで、
台本を通した「コミュニケーション」のように感じてしまうのです。

会社で挨拶をしても、言葉は元気でも、目は合わせず、相手を理解しないひとが殆どです。

「うんうん」と相槌をうつ相手。
さぞ自分を理解してもらったの思って質問すると、相手の目は泳ぎ、なぜか自分の案件を話し出す。
悲しい気分になりながらも、お互いに忙しいから、それはそれでコミュニケーションは流れていく・・・。

なにか干からびていないでしょうか?

想いはどこにいってしまったのでしょうか?
会話の行間には何も、意味がないのでしょうか?

「大人」が盛り上がる話題は、愚痴・悪口・噂話。
確かに面白い(汗)。

でも、その影響は、何倍にもなって自分に返ってくることは、
潜在意識をちょっと勉強したことがあるならば、だれでもわかるはず。

どんどん干からびていきます。
熱いエネルギーがなくなっていきます。
おじさん、おばさん、まっしぐら。
僕自身も、ふとした時、その罠にはまりそうになり、どきっ、とします。

これは、僕と僕の周りの世界だけなのでしょうか?

でも時々、大人に出逢い、感動する時もあります。
大人は、います。 

「時代」に夢を感じられなくなっているのは理解できますが、それぞれの世界には、夢を感じていたい。想いを持ち続けたい。

神様!
僕の世界の中に、子どものようなエネルギー、みずみずしさをとり戻させてください!
僕が、もし干からびた会話をしてしまったら、それを不快に感じますように・・・。
みずみずしい気持ちが、大人のなかにも広がっていきますように。

「ぎっど、あづいおもいが、あるだから。」

大人ってなんだ?

2011年02月07日 | 日記
大人ってなんだろう?

かっこいい大人ってなんだろう?

僕も、いつの間にか「大人」といわれる年になりました。
でも、まだまだ自分は子供だなぁ、っとクラクラしてしまう経験もあります。

昔は、「かっこいいひと」が、僕にとって大人でした。
でも実際は、かっこ悪いのが、かっこいい。
そんな、単純ではありませんでした。

あなたにとって大人ってなんですか?

僕にとって大人とは・・・、

自分を大切にしている人。そして他人も大切にしている人。
自分の足で立っていて、必要な時には、他人の手も借りられる人。
本当の意味で自由な人、自分に由っている人、本当の意味で他人とつながっているひと。
その人以上でも、それ以下でもない人。
(陳腐な表現ですが)あるがまま。
かっこつけない。大きく見せない。妙なポジティブさ、シリアスさがない。自然。

大人って、自然とそんな雰囲気を出しています。

最近、違和感を感じること。残念なこと。

年上の人たちに、大人を感じないこと。
逆に年下の人たちに、大人を感じること。

子供っぽい大人たちの増加。

それって、いんじゃない、って言われます。
子供=純粋な、感じもします。

でも、注意しなければならないのが、あくまでも「子供っぽい」ということ。

子供ではない。
もっといえば、ニセモノ。

年上の人たちは、「がまん」してきた人が多いからかもしれません。
理想を求めて、頑張ってきたひとたちも多い。
右肩上がりの時代に自分を合わせ頑張ってきた人たち。
がんばるために、自分に嘘をついて生きてきた。
がんばって妙に明るくふるまったり、攻撃的だったり、不自然だったり。

かっこつける自分。
意地悪な自分。
うそつきな自分。

誰にもそんなところはあるかもしれない。
それに、ずっと気づけない人たち。
仮面をつけている・・・。
でも、それはそれで、その状況ではそんな「大人たち」には必要だったのかもしれませんね。

正直な人。
誠実な人。
僕には、そんな人に知性や深さ、またユーモアを感じることが多いです。

大人になるにつれて、それとは逆に進んでいる人もいます。

自分は、はたしてどうなのか???

ムムム・・・。

嫁にはいつもコドモとして扱われているようです。

ラッキー124

2011年02月05日 | 今日のラッキー
赤ちゃんが、逆子から元の状態にもどりました。

ここ最近ストレスが少ないからか、ちょっと余裕が出てきたからなのか、
小さなラッキーに気づけます。なんとなく小さなラッキーにフォーカスすると、不思議とラッキーを引き寄せます。
先週からちょっとラッキーが続いて、なんとなく逆子も解決するような予感がしたら、今日の検査で元に戻っていることがわかりました。よかった~。

ありがとう。