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意味不明なこの言葉。
最近、息子が工作で作った絵の中の文章にありました。
でも、作品にはとても明るいエネルギーがあります。
息子は工作好きです。
幼稚園だけでなく、家でもいろいろなものを作ります。
我が家の壁は息子と娘の絵や工作品でいっぱいです。
時々、ドキッとするメッセージがあります。
メッセージのなかに、「大丈夫だよ」とか「いつもありがとう」とあります。
意味不明な言葉もありますが、伝えようとする、熱い想いを感じます。
子供は、コミュニケーションの天才です。
日常の会話で、息子は、僕の言葉を一生懸命聞いてくれます。
「なに?なに?」
おもいっきり僕に向かってきます。
彼なりに納得するまで、僕を離してくれません。
昨日も子供たちにおみやげをあげたら、「キャ~、ヒャ~」と喜んでくれました。
「ヒャ~」がたまりません。
子供のコミュニケーションにはエネルギーがあるのです。
その反動でしょうか?
なにか、「大人」の会話には、時々干からびたもの感じてしまいます。
僕が、「~~なんだよね。」と言う時、
相手は「~~なんですね。」と返してきます。
時には「え~、それって~~なんだ!」と大げさに返してくる。
(でも言葉は、何か上滑っている感じ。届いてこない・・・)
いわゆる会話のセオリーなのかもしれません。
『バックトラッキング』『ペーシング』『ミラーリング』そんなテクニック。
「大人」の世界では、よく見られる会話の風景かもしれませんね。
冷静になった時、他人を通して自分を振り返り、冷や汗をかいてしまいます。
子供たちとガチンコのコミュニケーションをとっていると、
そんな「大人」たちとのコミュニケーションがまるで、
台本を通した「コミュニケーション」のように感じてしまうのです。
会社で挨拶をしても、言葉は元気でも、目は合わせず、相手を理解しないひとが殆どです。
「うんうん」と相槌をうつ相手。
さぞ自分を理解してもらったの思って質問すると、相手の目は泳ぎ、なぜか自分の案件を話し出す。
悲しい気分になりながらも、お互いに忙しいから、それはそれでコミュニケーションは流れていく・・・。
なにか干からびていないでしょうか?
想いはどこにいってしまったのでしょうか?
会話の行間には何も、意味がないのでしょうか?
「大人」が盛り上がる話題は、愚痴・悪口・噂話。
確かに面白い(汗)。
でも、その影響は、何倍にもなって自分に返ってくることは、
潜在意識をちょっと勉強したことがあるならば、だれでもわかるはず。
どんどん干からびていきます。
熱いエネルギーがなくなっていきます。
おじさん、おばさん、まっしぐら。
僕自身も、ふとした時、その罠にはまりそうになり、どきっ、とします。
これは、僕と僕の周りの世界だけなのでしょうか?
でも時々、大人に出逢い、感動する時もあります。
大人は、います。
「時代」に夢を感じられなくなっているのは理解できますが、それぞれの世界には、夢を感じていたい。想いを持ち続けたい。
神様!
僕の世界の中に、子どものようなエネルギー、みずみずしさをとり戻させてください!
僕が、もし干からびた会話をしてしまったら、それを不快に感じますように・・・。
みずみずしい気持ちが、大人のなかにも広がっていきますように。
「ぎっど、あづいおもいが、あるだから。」