大切なひとが幸せであれば、僕も幸せ。
大切な人の旅立ちは、自分もワクワクします。
僕の人生に登場してくれた大切なあなたに、ありがとう。
もうだいじょうぶだね。
僕も、旅立ちます。
明日、新しい住家に移ります。
環境も大きく変わり、いくつかの新しい活動も始めます。
引っ越準備もあと少しです。
後は、心の荷物を整理して。
今まで、ありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いします。
マンションを購入し、今日は、売り主と行政書士さんを交えた決済の日でした。
たくさんのカギを渡されてやっと家を買った実感が湧いてきました。
とうとう借金大魔王になってしまいましたが、今買っておいて良かったと思います。
この機会を逃せば、しばらく家を買うこともなかったと思いますから。
今日は手続きの後、息子を病院に連れていたっり、廃品回収の手続きをしたり、
ドイトで照明器具を選んだり、引っ越しにかかわるたくさんの手続きをして、一日バタバタでした。
そいう時に限って、子供達も機嫌が斜めになって、一層手がかかってしまのです。
親になり家族を持つことって、本当に人間が鍛えられます。
今日一日は会社にいるより3倍疲れました。
でも、有給を取らせてくれた会社の同僚には感謝をしなくては。
そんな今日の疲れを吹き飛ばすメールがきました。
ちょっと複雑ですが、友人の元彼女からのメールです。
『結婚が決まりました。
ずっと応援してくれてありがとう。
そしてずっとお礼が言えなくてごめんなさい。
最後にゆっくり話してからずいぶん時間たってしまいましたね。
(途中略)
他人も自分も完璧じゃないんだよね。
なかなか受け入れられなくて。
Aさんの言うこと今になるとわかります。
私も意地っ張りだから、Aさんに私から連絡できませんでした。
(途中略)
今度の飲み会で、いろいろ報告します!
久しぶりにはじけましょうね。』
彼女は学生時代のバイトの友人でした。
彼女に男を紹介したことがあり、それは結局うまくいかなかったのけれど、それ以来飲み仲間として仲良くなりました。
お互いに社会人になり、ほとんど会うことはなくなったのですが、
ある飲み会で、彼女を応援するつもりで言ったことが、彼女を傷つけてしまいました。(本当はそうではありませんでした)
それ以来、彼女からの連絡がなくなりました(そう感じていました)
飲み会のメールも、自分には直接こなくなったり、
彼女が引越ししたことも、ずいぶん後になって知りしました。
メルアドも変わり、住所もわからないので年賀状も送れず、直接のやり取りはなくなってしまいました。
当時の僕は、会社で仲間がたくさん辞めていた頃で、会社や上司に不信感を持っていた時でした。
自分のことで精いっぱいで、他人にどうこうする気力がなくなっていたのです。
彼女のことも、正直どうでもいいという状況でした。
その間に何度か飲み会がありましたが、彼女とは相変わらず距離を感じ、さみしく感じていました。
でもお互い大人だし、彼女を変えようという傲慢な気持ちも持っていませんでした。(ほんとうは自分が変わる必要があったのだけど)
今日の彼女のメールでわっかたのですが、実際は彼女も僕に同じようなことを感じていたのでした。
僕は覚えていないのですが、彼女は僕に飲み会でかなり酷いことを言ったようでした。
僕のアドバイスに対して、彼女自身も十分理解していたのに、その時は素直に認められず、むきになって反論したというのです。
それ以来彼女も気まずく感じ、僕に連絡を取ることができなかったということでした。
僕の言ったことが彼女を傷つけてしまったのだと思っていたのですが、お互いに勘違いしていたようです。
友人経由で、僕が彼女のことを話をしていたことを聞き、今回うれしいメールをくれました。
人って、本当に自分の「鏡」です。
当時の自分の心がガチガチでしたから、彼女の本当の気持ちをわかってあげられませんでした。
お互いにずっと我慢をしていたのでした。
ゆる~くやっていけばよっかたのにね。
彼女のメールだけを読んでも、彼女自身が変わったのがわかります。
今の自分も、当時より少しは成長したかな。
今でも心がガチガチになる時はありますが、元に戻る時間も短くなっています。
また近くに心がガチガチになっている人がいると、本当にかわいそうになります。
でもそれは、本人が気付かないとわからないこと。
他人が必要以上にとやかく言えないんですね。見守るだけ。
痛みも喜びも本人しか抱えられません。
人によって、成長の方法も、スピードもちがいます。
人って、どんどん変われるんだなぁ。
僕の人生で出逢い、今は別の道に行ってしっまたたくさんの人たちとも、いつか再会できたら素敵だなぁ。