今日は息子の誕生日。
4歳になりました。
最近は、コミュニケーションも普通に取れるようになり、下手にごまかしたり、嘘などつけなくなりました。
彼なりに筋が通らないと、「え?え?」「なんで?」としつこく聞いてきます。
特に電車関係は、しつこい。
ケーキを食べたり、プレゼントをもらったりする時の息子の表情、反応がたまりません。
「ひぇ~!イェ~イ!」
体で喜びを表現します。
まるで北朝鮮の「喜び組」の方々を見ている気分になります。
万歳しながら、手をヒラヒラさせて。
僕にとって、誰かが喜んでいる姿を見ることほど、嬉しいことはないかもしれない。
家族や仲間が喜んでいる姿。
それだけで、心が幸せ感で満たされます。
仕事で、自分が楽しければいい、
儲かってればいい、
仲間なんていなくても自分の成果があげられればいい、
という人もいます。
(ある意味、それがつづけられることって、すごい)
僕の場合、それだけでは物足りません。
誰かが喜んでくれて、初めてやりがいを感じるのです。
たった一人の人でも喜んでくれれば、それだけでいい。
どんな何かを成し遂げても、誰にも喜んでもらえなければ、僕には意味がないのです。
他律的?
プロアクティブじゃないって?
きれい事すぎるって?
そうかもね。
それでもいいよ。
だって、大切な人たちの笑顔を見ることが、僕のワクワクの原泉だから、しょうがないんです。
さっき、トイレに行く時、カミさんと息子と娘が同じ格好で寝ていました。
息子が寝ながら笑っています。
とても幸せな気分になりました。
彼らの姿を、ぼ~っと見つめました。
思います。
これ以上、何を求めるものがあるのだろうか、と。
大切な人が、幸せであること。
それが、一番の僕の喜び。
大切な人が、幸せというものを感じられること。
それが、僕の使命なのかもしれません。
家族の成長と仲間の成長を通して、自分の成長を知ります。
家族の喜びと仲間の喜びを通して、自分の喜びを感じます。
外界が内面の世界を表わし、内面の世界が外界に影響を与える。
幸せというものは、今、ここの、心の中にしかない、ただ感じるものなのだと、つくづく思います。
4歳になりました。
最近は、コミュニケーションも普通に取れるようになり、下手にごまかしたり、嘘などつけなくなりました。
彼なりに筋が通らないと、「え?え?」「なんで?」としつこく聞いてきます。
特に電車関係は、しつこい。
ケーキを食べたり、プレゼントをもらったりする時の息子の表情、反応がたまりません。
「ひぇ~!イェ~イ!」
体で喜びを表現します。
まるで北朝鮮の「喜び組」の方々を見ている気分になります。
万歳しながら、手をヒラヒラさせて。
僕にとって、誰かが喜んでいる姿を見ることほど、嬉しいことはないかもしれない。
家族や仲間が喜んでいる姿。
それだけで、心が幸せ感で満たされます。
仕事で、自分が楽しければいい、
儲かってればいい、
仲間なんていなくても自分の成果があげられればいい、
という人もいます。
(ある意味、それがつづけられることって、すごい)
僕の場合、それだけでは物足りません。
誰かが喜んでくれて、初めてやりがいを感じるのです。
たった一人の人でも喜んでくれれば、それだけでいい。
どんな何かを成し遂げても、誰にも喜んでもらえなければ、僕には意味がないのです。
他律的?
プロアクティブじゃないって?
きれい事すぎるって?
そうかもね。
それでもいいよ。
だって、大切な人たちの笑顔を見ることが、僕のワクワクの原泉だから、しょうがないんです。
さっき、トイレに行く時、カミさんと息子と娘が同じ格好で寝ていました。
息子が寝ながら笑っています。
とても幸せな気分になりました。
彼らの姿を、ぼ~っと見つめました。
思います。
これ以上、何を求めるものがあるのだろうか、と。
大切な人が、幸せであること。
それが、一番の僕の喜び。
大切な人が、幸せというものを感じられること。
それが、僕の使命なのかもしれません。
家族の成長と仲間の成長を通して、自分の成長を知ります。
家族の喜びと仲間の喜びを通して、自分の喜びを感じます。
外界が内面の世界を表わし、内面の世界が外界に影響を与える。
幸せというものは、今、ここの、心の中にしかない、ただ感じるものなのだと、つくづく思います。