すべてはうまくいっている

EVERYTHING IS GOING WELL

近くにいてくれる大切なひとに、花を贈ろう

2011年05月23日 | 日記
今日、大宮駅で21時過ぎの埼京線の快速を待っている列に、
明らかにまわりから浮いている、花束を持っている二人の中年の男性がいました。
お二人は同僚のようです。
なんとなくその会話が聞こえてきました。
どうやら、お二人とも奥様におくるお花のようです。
別に誕生日でも結婚記念日もないらしい。
お一人が奇麗な花を見つけたので、もう一人も一緒に買ったらしい。

なんて、素敵なんだろう・・・。

奇麗な花を見つけて、自然に買うことになったその男の人。
同僚の方を見て、自分も釣られて買おうと思ったもう一人の男の人。

花を持っている男性は素敵です。
電車で花を持っている男性を見ると、こちらも幸せな気分になります。
一体誰を幸せにするのだろうと、いろいろ想像してしまいます。
送別会の大きなお花だって、想い出が伝わってきて素敵です。
花をもらって、不幸になるシーンはあまり想像できません。

自分が花を買ったのはいつだろう。
そういえば、家族や同僚に、花をおくったのはいつだろう。

以前、ある女性に言われた言葉を思い出しました。

「遠くにいる大切な人に贈る花は、打算。
近くにいる大切な人に贈る花は、真実。」

ふと、冷や汗をかきました。

何時も一緒にいる大切な人に、花を贈っているだろうか。
何時も一緒にいる大切な人に、感謝を表しているだろうか。
身近な人たちに感謝を形にしているだろうか。
身近な人たちの喜びを共に味わっているだろうか。
遠くにいる偉い人に形だけの「花」を贈る人間になっていないだろうか。
あなたの隣にいる大切な人に心のこもった花を送っているだろうか。

残念ながら、今日は最寄り駅の花屋さんは閉まっていました。

明日は、花を買って帰ろう。
あなたも、一緒に、あなたの大切な人に花を買って帰りませんか?
いつも近くにいる大切なひとに。

帰国

2011年05月21日 | 日記
今日、イスラエルから帰国しました。

12年ぶりのイスラエルでした。
まったく別のイスラエルがそこにはありました。
ベングリオン空港は新しくなり、街並みも大きく変わりました。
でも12年もたてばそれは当り前ですね。。

まったく変わってしまったのは人。
僕がお世話になった取引先の担当者は亡くなられ、一緒にいっていた先輩はもう10年も前に退社。
同じ取引先でも担当者が違うだけで、一緒に行く同僚が違うだけで、同じ国への出張が12年前と全く違う出張になりました。

人を通して経験は変わり、人を通して自分を知る。
同じ国に来て、まったく違うことを感じるのも、おもしろいですね。
毎日仕事の後の同僚、取引先とのノミニケーションが楽しかったこと。
12年前はそんな余裕がありませんでした。
出張に来ると自分の時間ができます。自分の再確認できるそんな時間はとてっも貴重です。

明日は父の納骨式。
慌ただしかったこの6か月。
明日、節目を迎える気がします。

パイナップル

2011年05月04日 | 日記
ゴールデンウィーク、実家に帰り母と子供たちと、総合公園へ。
植物園にあったパイナップルをみて一人感動。
パイナップルってこんな風になっているんだ・・・。
大きな木に一度にたくさんなるのかと思っていました。
息子からは、「僕見たことあるよ」の一言。
ははは、と苦笑い。
気づいていない思い込みはまだまだありそうです。


ゆるしてあげようよ。

2011年05月01日 | 日記
先週の飲み会では、笑いに笑い、泣きました。

アラフォーにもなれば、皆それぞれ自分の持ち場で、それぞれの責任があります。
あれをやらなければならない、あれを守らなければならないと、皆大変。

僕自身も、中小企業で働いていて、大した肩書は持ってないませんが、それなりのシゴトと責任を持たされてプレッシャーを感じることもあります。
最近、イロイロといやになって氣持ち悪くなり、トイレに駆け込むことがありました。

でも飲み会で話をしながらセイリして、それって自分の問題だとやっぱり気づく。
他人に、自分の問題を映しているだけなのです。
沢山の「ねばならない」を他人に映し出して、それを守らない他人にむかついてしまう。

同僚に何度も嘘をつかれること。

同僚は、別にわざと嘘をつこうと思ってはいないと思います。
仕事の流れで、結果的にそれが当初の話とは違って嘘になってしまうこともあると思います。
でも、その「嘘」から何度か人間不信になりそうになる。

それは、嘘をついてはならない、という自分の中の「ねばならない」があるから。

でも、自分も嘘を結構ついている(汗)。
そんな時、心はザワザワ。
だから、他人には過剰反応してしまいます。

ビールを継がれながら、友人に言われました。
「嘘? だからなに? べつについたっていいんだよ。なんでもないよ。イミないじゃん。」

「え・・・」
しばらく固まりながら、数分後には大笑いしながら、涙がでるほどワライました。

いろいろと自分をしばっているんだなぁ~、と再発見。

嘘をついてはいけない。
がんばらなくてはならない。
間違ってはいけない。
仕事は速くできなければならない。
礼儀ただしくなければならない。
いい人でなければならない。
やさしくなければならない。
強くなければならない。

友人たちと馬鹿話をしながら、改めて実感。
おれって、今ここにいて、いいんだ。
あたりまえだけど、なんか感動。
受け入れてもらっている感じ。

今日も子供たちと狂ったように踊りまくって、
「パパ大好き」と言われれ、またなんか感動。
ただ、その瞬間をバカみたいにたのしんでいるだけでした。
お互いに受け入れあっている関係、みたいなね。

自分の中にない基準、他人のねばならないに縛られると疲れます。
僕のようなまじめな人は(コラー)苦しみます。
他人から与えられた何かになろうと思うと、つらくなります。

「だれでもないよ」と思えるとき、その瞬間に自分になります。

変な基準に合わせて、自信をなくしていないだろうか。
他人に合わせて、自分をきらいになっていないだろうか。

友人や家族の中でこそ、自分へのフィードバックがありますね。
たいせつなことです。

「ゆるしてやれよ」

友人に言われたその言葉。
そういえば、15年前位にも、何かの時に言われたっけ。

許してあげようよ。自分をね。