すべてはうまくいっている

EVERYTHING IS GOING WELL

残酷な、優しい日常

2010年12月05日 | 日記
久しぶりにKenny G.なんて聞いています。
落ち着いて音楽を聴きながら、やっと我に返った気がします。
今、長い夢から覚めたような気分です。

2週間前に父が亡くなりました。
母がキリスト教徒なので、教会で葬儀を行いました。
キリスト教徒ではない父や私を暖かく迎えてくださった教会に今日は挨拶に行き、気持ちの区切りができた気がします。

あわただしい毎日でした。
急死した父に向き合いながら、嵐のように進んでいく毎日。
葬儀の準備に走り回りながら、ふと落ち着いた時に、悲しみが間欠泉のようにわき上がり、自分が自分でないような時がありました。

信仰持っている母は強く、父の死を運命と素直に受け入れ、ただ淡々と前を向いていました。
昔、カウンセリングや心理学の勉強をしたことがありましたが、肉親の死の前では、何の役にもたちませんでした。
母の信仰には、賛成も反対もしていませんでしたが、母の信仰に基づくその心の強さには、自分は足元にも及びませんでした。

非日常では、母のような信仰は、常人には理解を超える力を発揮します。
そして、これから待ち受ける日常に、母はどのように対していくのでしょう。

僕にとって、父が亡くなった一週間後に、会社に戻った初日の月曜日は、残酷なそして優しい一日でした。

1週間ぶりに仕事に復帰した時、会社の皆さんは優しい言葉をかけてくれました。
暖かい言葉をかけてくれたと思うのですが、自分自身ぼーっとしていて、よく耳に入っていませんでした。

そんな彼らにとっては、ただの月曜日。
僕との挨拶を終えた後、いつものように雑談にはいり、大笑いをしています。
彼らにとっては当たり前一週間の始まりの日。
雑談だって、笑いあうことだって、いつもの日常です。

でも、そんな当たり前の笑い声や雑談が、僕の心にとっても刺さりました。
倒れそうになりました。
まるで異空間にいるような気分でした。
不思議です。普段はまったく感じないことに反応してしまうのです。

でも、助けられたのも、そんな日常でした。

僕の仕事は、今が1年で一番忙しい時です。
そんな仕事のお陰で、非日常から現実に戻ることができました。
忙しさで、目の前の仕事に集中できました。
当たり前の日常で、我に戻ることができました。

そんな日常と非日常の間を行ったり来たりしていると、すれ違う人たちの、普段はわからない心の状態やあり方を感じることができるのが不思議です。
安定と不安定を揺れ動くと、ある意味世界が広がるのかもしれません。

今日、教会で母と礼拝を受けさせて頂いたとき、不思議な安心感を感じました。
牧師先生の聖書のお話は、僕の日常とはまったく離れたお話でしたが、自然と聴き入ってしまいました。
非日常だからこそ、安心感が得られたのかもしれません。

非日常を感じられる心があるから、日常を生きていけるのかもしれません。
日常にはないものを信じて行けるからこそ、今を生きていけるのかもしれません。

日常を生きていけるからこそ、形のないものを信じて行けるのかもしれません。
日常があるから、夢を持てる。

(うわ、ちょっと綺麗ごと)

また明日から日常が始まります。

生きていれば、いろいろなことが起きるもの。
今は、気がつかないことも、後でわかることもあるかもしれません。
日常と非日常の世界で揺れ動き、その時々の善し悪しに、一喜一憂する時もありますが、それも体験。

母のような信仰はありませんが、
「すべてはうまくいっている」。
そうと思える自分を、なんとなく「エライ!」っと感じています。