Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2011年2月14日(月) ホルガー・シュカイとの出会いと三味線

2011-02-14 | ドイツ・ベルギー
あれは1995年のことだった。
それほど前のことを今もありありと思い出す。
そんな経験は誰にでもあるのではないか。

CDで長唄(三味線)を聴きながら、
ドイツのケルンに暮らすロック・ミュージシャンで、サンプリング音楽界のマエストロといわれる Holger Czukay (ホルガー・シュカイ)にインタビューした日を思い出した。
「Seven Sees」のドイツ特集の時だった。


記事にした内容の何倍ものおしゃべりが続き、インタビューの後、私も「月曜日の朝」という彼が作曲した曲を歌い、さらに、彼にとっては非常に若い、私と同世代の奥さんと三人で、行き着けのケルンのXX広場近くの「寿司屋」へ行き、日本酒を楽しみ、さらに会話ははずんだ。

ホルガーは、1960年代「Can]のベースプレイヤーでデビュー。
70年頃だったか、若い時に、初来日。
その時に、非常に印象に残る音を聴いたと語った。
それは三味線の音だった。

彼は、極めて情緒的に語った。

「細い路地を歩いていると、夏の夕立。
埃っぽい匂いがして、亜細亜の夏を感じた。
そこに響いてきた三味線の音。
シャン、シャン、チャチャチャチャ・・・」


さすがミュージシャンだ。口三味線(くちじゃみせん)も的確に。

「雨と木の家々が続く日本の家並み、夕暮れ・・・
どこからともなく響く三味線の音。日本の原風景に思えたよ」


たった一週間程度の日本滞在でも、
観察の鋭さや、感性の豊かさで
物事を深く感じる人が居るものだ。

今思えば、その路地は祇園町あたりだったのではと想像する。

当時、私にとって花街とは、想像も付かない、知らない世界だったし、
三味線を持ったこともなかった。
取材の時のホルガーの言葉が、今の私に至る一つの伏線になっていたのかもしれない。

今、三味線持参でホルガーを訪ねたら、きっと喜んでくれるだろう。
ベースギターと「コラボだ~」と盛り上がるかもしれない。