Kyoko AIHARA's Diary (Writer&Photographer) 相原恭子(作家&写真家)のブログ 

ヨーロッパ紀行、京都花街と着物、ビールとグルメなどをテーマに執筆、撮影、国内・海外での写真展や講演等。今日も良い日!

2012年2月26日(日) その昔・・・PCを使うことになったのは・・・

2012-02-26 | ich 私

PCを使い始めたのは、
確か、1996年だった。

最初の本
ドイツ地ビール夢の旅」(東京書籍)が、
刊行されて少しした頃、
ドイツの自動車会社(Mercedes)から、
HPに連載して欲しいとの依頼がきっかけだった。


テーマはドイツ・ビール紀行
まずは、「会社のHPを見てください」
との連絡があった。

まさに好きなテーマだし、ドイツ地ビールについては、
ブラウマイスターや地元の人たちの協力が、
予想を遥かに超えてたくさんあった。

だから、取材が非常に潤沢で、
まだ書いていない、
さらに書きたいことがたくさんあった。
「まさに渡りに船」。


だが、私はPCを持っていなかった。

その頃、次の本の取材の準備や打ち合わせで、
PCを早々に買って、繋いで、
マニュアルを読む余裕が無かったから、
『困ったな~』と思っていると、
  「早く見て、メール下さい!」。

まさに、外圧(?)のようだと思いながら、
結果的に、PCをアレコレ選ぶ暇も無いまま、
大投資(?)をして、すぐに買った。

これが良かった。
そうでもしないと、
私はワープロなるものを使い、
そのままで、仕事も友達付き合いも、
事が足りていたために、
グズグズしていたに違いない。

PCを使うきっかけを作ってくれた、
当時の担当者(女性)には、とても感謝している。
  ・・・そして、その後、彼女とはお友達になり、今に至る。





2011年11月11日(金) 一周年記念  「恭子の日記」 

2011-11-11 | ich 私

2011年11月11日 
11 が並ぶ日に、一周年を迎えました。


半年経過の後、さらにアクセスが増えました。
今日も、「ようこそ! Willkommen!」


隣に座っている人に、なんとなく話しかける気分で、
または、
自分一人でつぶやく気分で、
または、
誰かに聞いて欲しいな・・・という気持ちで、
書き続けました。


ドイツや京都や、
私が好きな各地で、
今までに知り合った各地に人たちのことも
少し書きました。
書き始めたら、何冊にもなりそうな状況です。

機会があれば、その中で、
特に素敵な人たちのことも(匿名で)
これからさらに書きたいし、

印象に残った風景や
日々の感動も、
書きたいし・・・

感激、感動したことを
黙って胸のうちに閉まっておくことができないので、
ついつい、何か書いたり言ったりします。
そこから、あれこれ考えることになり、
学ぶこともすごく多かったと実感します。

ドイツ人住環境、建物修復、
ビールの愉しみ、
京都花街の着物や和のお稽古事・・・
これらは、自分も実践していますが。

そうそう、今、次の京都の本を書き始めていて、
来春、淡交社さんから刊行されます。
もちろん、ヨーロッパの仕事も続いているので、
また新聞、TV、雑誌や単行本でご覧いただけると思います。


さて、
今までのぞろ目の日で、思い出すのは

1988年8月8日 
 ハンブルクの美しいOXホテルに泊まっていました。
 この日付が話題になっていたので、手紙にプリントされるよう、
 ドイツの友人たちがホテルへファックスを送ってくれました。
 
1999年9月9日
 カールトンブックス/ロンドン「Geisha」の原稿執筆中。
 原稿の締め切り、さらに撮影にも追われていて、大変なことになっていたが、
 この日、「ビールの仕事」で大手ビール会社さんの某醸造所を訪ねました。
 1999年後半は、朝の5時過ぎごろまで仕事して、
 朝刊が届いた後に寝て、
 午前9時・10時に起きるという毎日が続いていました。
 今思えば、懐かしいけれど・・・。

2011年7月10日(日) 夏休みぃ~!

2011-07-10 | ich 私
子供の頃、夏休みは夢のようであった!

前にも書いたかもしれないが、学校に邪魔(?)されずに、
自分の趣味(?)に、没頭できるからだ。

植物採集、昆虫採集、金魚の世話をしたり、
ネコと遊んだり、小物作り(実は、私は針仕事が好き)、
童話を読んだり、絵を描いたり・・・

だが、親の立場になると・・・。

大学の同級生の息子さんが、大学生。

息子さんは、夏休み、週末、休講、祭日を楽しみにしているが、
お母さんは、
『せっかく月謝を払っているのに、もったいない!たくさん勉強してよ!』
と、ついつい、思ってしまうそうな。

でも、私たちも学生時代、夏休みを今か今かと待っていたし、
平日も、掲示板に「休講」と出ると、
喜んで喫茶店へ行ったね!



2011年6月13日(月) 思い出トランプ

2011-06-13 | ich 私
引き出しの奥から
昔々のトランプが出てきた。

幼稚園の頃か、
そのもっと前か、
・・・叔母が買ってくれたトランプだ。




「どれがいい?」
と聞かれて、私は迷った。

このトランプが酷く気に入ったのだが、
子供の目にも一目瞭然に、
他のトランプがいくつも買えるくらい、高価だったからだ。


お店の人が、
「バンピちゃんのや、ミッキーマウスのもありますよ」
と言ったのだが、私は興味がなかったので、
何と答えていいのかわからずに、黙っていた。

すると叔母が、
「では、これにしてください」
と、このトランプを店員さんに渡した。
とても、とても、うれしかった。

だから、毎日使い、
ジョーカー以外は擦り切れている。

今、このトランプを見ると、
ヨットの帆に書かれた小さな小さな文字から、
ドイツ語圏のどこかの湖だと思われる。
たぶん、バイエルンかチロルあたりだろう。

子供の頃から、こういう風景が好きで、
そして、後に私はドイツへ行ったのだなと、
何だか、自分で納得した。


2011年5月30日(月) 早慶戦

2011-05-30 | ich 私
東京六大学野球の春のリーグ戦は、
慶応が4対3で早稲田に勝って、
2シーズンぶり33回目の優勝を果たしました・・・
とのニュース。

原稿に追われて観なかったのだが、
優勝とは嬉しい!

我は 昔を想う オバサンになりにけり。

スポーツ観戦にはそれほど熱心ではないが、
学生の頃は、一応、東京六大学野球は観に行った。

だが、スポーツをするのは、とても好きであった。

小学校の頃は走っていれば嬉しかった。
400mリレーのアンカーになり、
市大会だったか何だったか忘れたが、
一位になった時は、「ああ、感激、爽快!」
凄く嬉しかった。
当時は、男の子達とサッカーもした。

小・中・高校生の頃は、体育の時間が、待ち遠しくて、
今か今かと待っていたものだった。

小学校の時、好きな科目は?と聞かれて
迷わず
「体育です!」
と答えたら、
「社会も、理科も好きでしょ?」と、
咎めるかのように、教師に言われた。
思えば、音楽でも、算数でも、何にでも興味があったが、
他の学科とは比べ物にならないほど
体育が好きだったのだ。

2011年5月11日(水) 相原恭子の日記(ブログ) 半周年記念

2011-05-11 | ich 私

ブログ(相原恭子の日記)を始めて、早くも半年。
ここまで続くとは思わなかった。


子供の頃から、
何かを
書くのも、
描くのも、
好きだったが、
たくさん、たくさん書いたかと思うと、
パッタリ辞めてしまったりした。

小学校の頃、絵を習っていて、油絵を描いたが、
中学になって辞めると、まったく描かなくなってしまった。

生来、短期集中、三日坊主(?)になりがちだったが、
報酬を頂き、本や記事を書き、写真を撮るようになってから、
プロとしては責任があり、
「集中・集中・また集中」という途切れぬ姿勢が生れたのかもしれない。


さらに、
ブログを熱心に読んでくれる友人知人が居るのかと思うと、励みになった。
いや、友人知人ばかりではない、私の想像をはるかに越えた閲覧数があり、
驚くとともに、ヤル気が出たとも言える。


皆さんに、感謝。
一人でも、読んでくれる人がいる限り、続けたいものです。

2011年4月8日(金) 道中

2011-04-08 | ich 私

今朝、たまたまTVをOn。
すると、白洲正子さんが画面で語っていた。

とても共感を持った魅力的な言葉が耳に残った。

どこへ行っても
何をしても
自分の糧になる・・・


変わりゆく日本で変わらない風景を
求めて


歌舞伎の花道、道中、道行
それだけで芸術。
私もいつも道中なの・・・


ーーーーーーーーー

自分の歩いている道は、どこへ繋がってゆくのか。
こうして生きて、時が刻まれてゆく。
それ自体が私の道中なのだと改めて思った。

2011年3月6日(日) 犯罪の影に女あり でなくて 犯罪の影に入試あり

2011-03-06 | ich 私
携帯電話を使った、入試事件があった。
めまぐるしく事件が起こるので、もう随分前のような気持ちになってしまうが・・・。

犯罪の影に入試あり・・・ということか
そこまで行き詰まって、とにかく合格したい・・・、ということか。

要領のよい人に利益がある・・・
そう思わせるような社会背景があるのだろうか、と想像すると、
何だか哀しい。

犯罪の影に女あり・・・
「冥途の飛脚」~封印切り~ も哀しい。

・・・身請けしようとしたことがもとで、ついに封印を切ってしまった、坂田藤十郎が花道を行き、その先には極刑が待っている。
その後姿を、玉三郎が縞の着物で見送る。
あのシーンは、行きどころのない「哀しみ」と、ドラマが生んだカタルシスから生じた「美」がありましたなぁ。

受験事件は美しさのかけらもないが
川端康成の「美しさと哀しみと」。
ああ、私が好む「美」は、どこかで哀しみに通じるのだろうか。

欧州の「真・善・美」とは異なる情緒が、日本にはあるのね。










2011年3月5日(土) 私の大学入試

2011-03-05 | ich 私
今は、受験シーズン、真っ只中。
いや、最後の追い込みか。


私が受験したのは、XX年前だった。
早朝から何度か東京へ出向くのは、それだけでエネルギーが必要だった。
(私は人ごみが、今も昔も、嫌い)
雪がかなり降った日もあった。

雪の中、遅れてはならじ。
某大学へ突進。試験会場へ、まさに駆け込まんと欲す・・・。

と、その時、
腕っ節のよさそうな、相撲部かレスリング部か(?) 
と思しき
体育会系男子学生が、突進してきて、
私の前に仁王立ち。両手を広げて、せき止めた

ここは、安宅の関か、逢坂の関か・・・

体育会系男子:
「あ~、ダメダメ。付き添いはあっちね!入れませんよ!ここから先は。受験生だけです」

私:
「エエッ? 私が受験するんです。早くしないと、遅れちゃう」
(私は必死であった)

体育会系男子:
「・・・受験票、見せてください」

私:
(イライラしながら)
「これです!」

体育系男子:
(写真付き受験票と、私の顔をよくよく見比べながら)・・・
「なら、いいですよ!」

よっぽと老けて見えたのね。
現役・高校三年生というのに・・・。

今もそうだが、寒いと、私は頬がほてって困る時がある。
それを、若い頃はかなり気にしていた。
だから、ちょっと白くお化粧して、白いタートルネックのセーター、黒のタイトスカート、真っ赤なロングコートに、赤いエナメルの大きなバッグを持って、受験に出向いたわけだった。





2011年3月4日(金) Wikipedia ...ウィキペディア

2011-03-04 | ich 私
時々、自分の名前を、Google で検索してみる。
とても読み切れないほどの記事が出てくるが、
2~3見てみようとクリックする。

熱心に本を読んでくださって、書いてくださったブログに遭遇すると、ひどく感激する。
締め切りまでに、徹夜してでも、取材、撮影、執筆をと、苦労したかいがあったと実感し、ありがたくなる。

不思議なのは、Wikipedia。
「この節の内容に関する文献や情報源が必要です。ご存知の方はご提示ください。・・・」
と書いてある。

去年の春だったか、その、自分のWikipedia を見た時、びっくり。
私の著書は一部のみ掲載。
そして、なんと、外国の方(私は全く知らない方)の著書、が私の著書一覧の中に掲載されていたのだった。

今、見てみると、その誤りは直っているし、プロフィールは、著書、新聞・雑誌の記事の著者紹介に書いてあるのと変わらない。NHK教育テレビに出演した時も、初回に私の紹介アナウンスが入っていたが、同じような紹介だったと思うけれど・・・。

さらに、交詢社やその他の紳士録などにも、私の経歴が載っている。

たとえば、情報源といえば、大学の教務部やドイツ観光局で、どうぞ調べていらしたらよいのでは?

こういうの、どうなってるのかしらん?

2011年3月2日(水) 茅ヶ崎 好き好き

2011-03-02 | ich 私
昨日、横浜に愛着を持っていると書いた。
祖先というか、根っこがあるわけだし、
高校まで近所の(歩いて行ける)学校へ通っていたということもある。

祖父が横浜の居留地にあった、英国貿易会社で働いていたということもある。
(この「カメロン商会」という会社と私との奇妙な縁は、書くと長くなるので、またいつかになるが)
というように、故郷「横浜」、ご縁は数々あれども・・・。

私の生活になくてはならないのは、静寂だ。

静かに、口も利かずに働き、家の掃除と飾りつけをして、庭の手入れと庭掃除を黙々と。
筆で字を書いて・・・という、隠遁生活(?)には、
静かな茅ヶ崎しかない。
美しい静寂。

好き好き。
ここが、
好き好き。



2011年3月1日(火) 故郷 横浜

2011-03-01 | ich 私
横浜に生れ育って、今も暮らしている私。

父の家も母の家も、十代をはるかに越えて(いや、二十代近いか?)
住み続け・・・「横浜」。

その昔、
三代続けば「浜っ子」と言ったらしいが
ええっ、たった三代(?)

私は「浜」に愛着を持っている。

だがしかし、今や、地方へ行くと必ず(というほど)
「東京の相原さんです」
と言われるようになった。

学生時代はそうではなかった。
ということは、人口増加と共に、
横浜は知名度(?)が下がったと思われる。

今や横浜市は東京都に次ぐ人口第二位の都市。
ところが、横浜という認識はどんどん弱まっているように見受けられる。

そういう横浜になったのは、
「今や三ヶ月住めば『浜っ子』と言いますからね~」
という妙な識者(?)の発言かいな?
それとも、東京の真似をするのを好む、新入りの横浜新住民(?)のせいかいな?
東京の辺境地にでも、なりたいのやろか?

誤解されては困るから敢えて書くが、
「誰をも受け入れる横浜は素晴らしい。誰もが住みやすい横浜は良い。」
そうあって欲しいと、私は心から思っている。

だが、キャラクターをなくす気かいな?

ここらで 「京都どっせ」
という京都人の心意気を見習った方が、ええんとちゃいまっしゃろか。
まさか、京都人に「大阪の人です」・・・なんて言うたら、叱られまっせ。



2011年2月24日(木) 生まれ変われるものならば・・・

2011-02-24 | ich 私
今朝、京都へ来る途中、新幹線の中の短いメールのヤリトリ。

お友達のAちゃん 
「生まれ変われるものならば、XXXをして、XXになって、XOXO・・・」
(何だか熱っぽい感じ)


Aちゃん 
「恭子ちゃんはどう?」

私 
「う~ん、たぶん、生まれ変わっても・・・、今と同じ道をたどるような気がするわ」

Aちゃん 
「ヘ~ッ。よっぽと幸せなのね!」

私 
「人と自分を比較することが下手なのよ。多分」

→ メール途切れた後で、『人の何倍も働かなければならない、だがしかし、収益は上がらない、という仕事をしているのに・・・なぜに?』 と我に返った私。結局、それが好きなのね。たぶん・・・。