岐阜県海津市にある「治水神社」を訪ねた。
この地域はかって、木曽川・長良川・揖斐川に囲まれて
度重なる洪水による、氾濫の被害を受けていた、幕府は
宝暦3年(1,753年)治水工事のお手伝方を遠く離れた
薩摩藩に命じた、この工事は水との苦闘・難工事の連続
工事費も大幅に増加し責任者であった平田靱負(ヒラタイクエ)
は責任を取って工事終了後自害した。
三川分流工事は、今なを立派に機能を果たしている、
この神社はこの功績を称え、平田靱負を祭神とし亡く
なった八十余名の義士が祀られ、地元では毎年春と秋
には大祭が開かれている。
これが縁で岐阜県と鹿児島県は姉妹県となって交流が
続いている。
左は長良川右は揖斐川
宝暦治水工事を紙芝居風にまとめてあります、
クリックすると拡大されます
和傘の提供をお願いしております。ふるくなった
傘が お手元にございましたら提供ください・・
という祭がありまして、その祭の傘の半分が
岐阜県から送られてきていると聞きました
何故岐阜県??から始まって、この河川改修
治水工事が、徳川幕府の命により薩摩藩が
苦難末に完成させた、そして時の工事責任者
であった平田靱負の自刃にまで及んだ
それ以来 鹿児島と岐阜の固い絆で結ばれ
いろんな交流を通じて今でも続いていると・・
今度は岐阜のゆかりの土地を訪ねて見たいものです
そうですか、岐阜県との交流で祭りの傘が役立って
いるのですね、機械の無い当時の工事は筆舌に尽
くせない難渋な物だったと予想されます、工事中には
幕府側からの妨害も有ったとの事です、当時をしのんで参拝して来ました、機会がありましたら是非お訪ねください。