第三軍道の極楽橋を渡って東へ進みました。このあたりが旧深草村の街区のほぼ中央にあたっていたそうです。
第三軍道の東は南北に通る伏見街道に接します。京と伏見を繋ぐ交通路として戦国末期に豊臣政権によって整備されたルートですが、古代以来の大和大路ルートの西側に並行しているため、廃れた大和大路に代わる新道としての役割も果たしたようです。江戸期には西国大名の参勤交代のルートにもなり、また水運や商業が発達して賑わった伏見のメインルートでもありました。その面影は、いまも街道筋の各所に残る社寺や古民家に偲ばれます。
伏見街道を北上して名神高速道路の高架下をくぐって少しゆくと、上図の聖母女学院の門前に着きます。アニメにもよく登場する聖地なので、ミカさんやユキさんはすぐに分かったようです。
「あっ、なんか見たような建物やなー、アニメに出てた・・・」
「あれじゃない?たまこまーけっと。北白川たまこたちの学校・・・・」
ユキさんの指摘通り、この建物は京都出町桝形商店街を主舞台としたアニメ「たまこまーけっと」の主人公たちが通う高校のモデルとなっていて、劇中にもそのままの姿で登場します。
この建物が、かつての第十六師団司令部でありました。近年までは近くに師団長官舎も残されていましたが、解体されて消滅しています。さっそくエリさんが質問してきました。
「星野さん、あのう、この建物があるってことは、ここらあたりは米軍の空襲を受けてなかったんですか?」
「まあ、京都自体が他の地域に比べるとあんまり空襲受けてませんからね・・・」
「ここに第十六師団が置かれたのは、やっぱり交通の便が良かったからですか?」
「そうです。江戸期に既に交通の要衝になっていましたからね。京都市の平安京エリアは三方を山に囲まれていますからあんまり身動きが出来ない。それに比べると伏見は開けてて、鴨川や巨椋池への港湾もあって街道は四方に伸びている。近江、大和、摂津への連絡も容易なので、陸軍としては豊臣政権の伏見城の例を参考にして、すぐに軍を動かせる伏見に注目したわけでしょうね」
「ここに第十六師団が置かれた時に、ここに住んでた人たちはやっぱり立ち退きになったのですか?」
「そうです。かなり揉めたらしいですよ。最終的には地元有力者の調停がうまくいって、反対運動も一部にとどまりましたけどね、不満はずっと残ったらしくて、戦後に全国各地で軍施設が自衛隊施設になる流れの中で、ここ伏見では猛烈な反対運動があって、結果的に第十六師団関係の施設や土地は、学校や大学などの敷地になったんです」
「あっ、すると龍谷大とか京都教育大とかがあるのは、そういうことだったんですか・・・」
「はい、大学だけでなく、このあたりの小中学校とか公的施設は、だいたい第十六師団の敷地跡に位置していますね・・・」
要するに、かつての軍都は、戦後に教育施設の集中地に生まれ変わったわけです。戦後日本の歩みの姿の一つを象徴するような変遷と言えましょう。
聖母女学院本館は、普段は学校施設として使われていますから、その見学は予約するか、地元の歴史見学ツアーなどに参加しないと出来ません。それで今回は門外から一瞥するにとどめ、伏見街道を引き返して南下しました。第三軍道との辻も過ぎて少しゆくと、ミカさんが「あっ、あれ、軍人湯って書いてある」と上図の看板を見つけました。街なかの銭湯の一つで、戦前から営業している数少ない施設のようです。私も初めて知りました。
「第十六師団の軍人さんたちが使ったからこういう名前なんやね・・・」
「すると兵隊さんたちは、入浴中でも上官が居たら敬礼したのかな、あははは」
「知波単学園みたいやな・・・」
モケジョさんたちは口々に思いつきを話していましたが、軍隊の施設での階級別の区分は厳格だったはずなので、こういった銭湯においても、士官と下士官兵卒とに浴室が分けられていたのではないかな、と思います。 (続く)