気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く30 その12 「四年ぶりの再会です!!」

2019年03月04日 | 大洗巡礼記

 カノウヤから引き返して坂本文具の前を通り、黒沢米穀店の前で、上図の三つの宇津木優季パネルを撮影していると、お店の方が出て来られ、そのまま雑談になりました。今までに何度もこのお店で買物や宅配便発送の手続きをして利用していたため、先方は私をよく覚えていて下さいました。

 

 次の江口又進堂でも、同様に「あーら、星野さん、お久し振りー」と言われました。大洗の名物歴女マダムの江口さんが笑顔で迎えて下さいました。二年間の空白の理由を訊ねられ、その大体の報告をすることから話が進みました。

 

 そのうちに、話はいつもの歴史談義に移りました。今回は大洗の古墳や遺跡などを話題にしてきましたが、最近にそういった歴史セミナーが大洗で開催されたのだそうです。江口さんはその時の資料やパンフを見せて下さいました。
 要するに、大洗を代表する古墳として知られる日下ヶ塚古墳や、それに隣接する車塚古墳を含めた、磯浜古墳群とされる四世紀代の墳墓集中エリアに関する最近の学術的成果の中間報告でした。

 私は30年近く奈良県に住んでいましたので、奈良の主な古墳はだいたい見て回りましたが、複数の古墳が集まるエリアというのは、大体は在地の豪族もしくは氏族のテリトリーに重なるケースが多く、付近には必ず氏神的存在とされる神社、氏寺的存在とされる古代寺院の存在が知られます。
 大洗においては、磯浜古墳群の近くに磯前神社があり、いずれも海に面した立地をもちますので、両者は何らかの関連をもっていたと思われますが、考古学的にはまだ確証が得られていないようです。

 

 あと、鹿島神宮の事も話題になり、古代の鹿島から活動範囲を広げて大和へ雄飛した中臣氏の歴史について語り合いました。周知のように、奈良の春日大社の祭神は鹿に乗って常陸国鹿島から来臨したと伝えられ、その大和における創設祭祀を中臣氏が担ったとされています。
 中臣氏はやがて藤原氏を名乗って律令政府の中核となり、八世紀の平城京遷都を実現させて古代日本の国家建設に大きな役割を果たします。いまの春日大社が藤原氏の氏神であることとは別に、その位置が平城京全体を一望出来る御蓋山の麓にある点は、かつて鹿島の神奈備に神域を構えて常陸平野を広く見渡していた中臣氏の基本性格を色濃く反映していると言えます。

 色々話した後、江口さんは楽しそうに「やっぱり星野さんが居ると歴史の話が色々捗るわ」と言いました。捗るのは結構ですが、実際には歴史談義に飢えている江口さんに捕まっている形なので、長居をしてしまいがちになります。

 

 今回も、書棚にはガルパン関連のコミックなどがずらりと並んでいました。普通の本屋ではまず見かけない量で、大型書店でもこれほど置くだろうか、という量で「プラウダ戦記」1巻などが揃っていました。

 江口さん曰く「ウチならこれぐらいパーッと売っちゃうだろうから、ってんで問屋さんが卸してくるんだよね。基本的に他の所より多く配分してるからねー」でした。
 ガルパン系の刊行物は、ガルパンファンが大勢集まる大洗のこのお店で一番売れるに決まっているからでしょう。イベント時や週末になればドンドン売れて、在庫もすぐに無くなるそうです。

 

 巡礼者に一番人気があってよく売れているのが、「リボンの武者」シリーズたそうです。すぐに無くなってしまうので、仕入れ発注の回数が一番多いそうです。
 確かにそうかもしれないな、と納得しました。ガルパンのスピンオフ作品はいまでは数多く知られますが、殆どが単行本で2巻前後にまとまって完結しているため、「リボンの武者」のように10巻超えでいまも連載中である作品は、むしろ珍しいです。

 

 おお、例の秋山優花里の戦車講座ですな・・・。こんな戦車オタクの女子高生なんてリアルには有り得ないわけですが、私のサークル交流仲間のモケジョさんたちがガルパンにはまって戦車オタクになってきているので、リアル秋山優花里が何人も居るような感じになってきています・・・。

 

 とりあえず、二年ぶりの訪問を記念して自撮りに臨みました。背景のガルパングッズ類は、あまり入れ替えていないようで、さほどの変化は目立ちませんでした。

 

 続いて鳥孝に行き、稲石さん夫婦と久闊の挨拶を交わして、色々と盛り上がりました。
「星野さん、ここんとこずうっと来てくれなかったじゃない?あれぇ、どうしちゃったのかなあ、って心配になっちゃってね。ガルパンの方も古くからの方はみんな来ないようになっちゃったからね、ついに星野さんもそうなっちゃったか、って思ってたのよ」と笑う奥さんでした。
「なにしろね、他のファンの方も何人か星野さんの事話してたのよ。ブログの記事が別のアニメの聖地巡礼になってるから、もう大洗へ来ないんじゃないか、なんてねー。星野さんのフォロワーさんって、けっこういらっしゃるからね、皆が似たようなこと話してるよー」
「はあ、そうだったんですか・・・」

 

 話しているうちに、その「フォロワーさん」の一人が店内に入ってきて、お互いに驚きました。千葉のOさんでした。拙ブログにも定期的に情熱的なコメントを下さっている熱心な読者の一人で、いまでもメールや電話でのやり取りが続いています。

 今回の訪問に関して、事前に「出来たら会いましょう」ということで連絡をしていたのですが、先方の予定が直前まで不明だったため、私の方は諦めていたのですが、Oさんは前日に急に大洗行きの時間がとれたとかで、前夜に連絡のメールを下さいました。
 ところが、それは私の自宅のパソコンに送られており、その時既に私は水戸行きの夜行バスで京都を発ってしまっていたので、Oさんからの連絡メールに気付かすじまいになりました。それで必ずあるはずの返信が無いのをOさんも不審に思ったそうですが、とりあえず時間がとれたので大洗へ行き、偶然にも鳥孝にて邂逅となった次第です。本当にラッキーなことでした。

 

  Oさんとは、四年前にウスヤの店先にて会って以来でした。久しぶりの再会に話題も弾み、稲石さんそっちのけで色々と語り合ってしまいました。アニメやミリタリーや模型などの造詣は私よりも深い方で、ガルパンの諸情報に関しては、千葉から頻繁に行っている関係で大変に詳しいです。
 なので、だいたいは私が聞き手で、時には生徒として色々教えて貰う、というパターンですが、今回もそんな感じになりました。
 とりあえず、四年ぶりの再会を記念してともに写真におさまりました。

 

 続いてガルパンのガレージキットの話になり、上図の店内展示の磯辺典子キャプテンのキットについても詳しい話を伺いました。私はこういったキャラクター系のガレージキットに詳しくないので、色々と勉強になりました。

 

 そのうちにOさんが、「実は逸見エリカのキットがあるんで持ってきたんで、貰ってくれませんか」と言いました。私がこの時期に大洗に居るのは確かなので、Oさんも合流出来た場合に備えて幾つかのお土産を用意して下さったのでした。
 恐縮しつつ、御厚意に甘えて、去年のワンフェスで確保されたという、逸見エリカのガレージキット2点を受け取りましたが、いずれも初めて見る品でした。

「こういうガレキ、私は作ったこと無いんですよ・・・」
「なら、ひとつ作ってみて下さいよ。いい経験になるんじゃないですか?」
「そうですね」
「そう、作ってやって下さいよ。そんで「かま家」さんに寄贈されたら如何ですか?」
「ああ・・・」
 そういう手があったか、と感心しました。「かま家」に逸見エリカのパネルがあるのです。「かま家」にも何度か訪れていますが、ファンからの寄贈品は余り無く、ティーガーⅡの1/35スケールプラモデルがあったぐらいかな、と思い出しました。だから、逸見エリカのフィギュアガレージキットを作って寄贈を、というOさんの勧めは、よく理解出来たのでした。それはいいなあ、と思いました。

 問題は、私自身にフィギュアガレージキットの製作経験が全く無い事です。いずれ、模型サークルのガレージキット経験者にノウハウを教えて貰うことにします。  (続く)

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マジノ女学院 ソミュアS35(... | トップ | マジノ女学院 ソミュアS35(... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (トオル)
2019-04-07 22:59:56
ホシノ様、大洗巡礼復帰おめでとうございます。2年ぶりと云う事なので、大洗が知らないうちに変化した点と全く変わり映えしてない点もお気付きかと思います。ただ共通して言える事は変化の有無にかかわらず、人気アニメの聖地認定を受けた町の商店街の方々はいつでもファンを温かく迎えてくれる点でしょうか…。
でもそれは街の方々が無許容に受け入れたのではなく、ファン自体も無償の協力で信頼関係を積んで築き上げた結果に他なりません。大洗の場合だと海開き前の海岸清掃や各店舗への寄贈による応援・テコ入れ、応援する店舗へのアドバイスや助言、イベント繁忙期での店舗参加のお手伝い等多岐に渡ります。
お節介のものも若干はあるでしょうが、ガルパンと関わった店の多くは肯定的な評価が多い様です。聖地としてファンから認定される初期の段階では多くの人やファンに足を運んで貰う為の努力や苦労は並大抵のものではないそうです。確実や保証が無いからです。ファンの助け船が最も必要とされるのがこの初期にあたる時期なのでしょう。私が考えるにはこうした初期のファンの応援がその後のアニメ巡礼地の多くの方々の認定評価に必要不可欠な要素なのかなと思います。

アニメ巡礼地の名評価は初期段階のファンの無償の協力や地元商店街との信頼関係を結んで構築された産物だと思います。それは戦国期の築城にも似ている様にも見えます。全国津々浦々にある名城の所以たる城には優秀な築城家または領主が存在し、その下には結束力が固い家臣団が控えています。
名城をアニメ巡礼地に例えるなら、築城家が常盤氏で家臣団が大里氏率いる大洗観光協会及び大洗町商工会にあたるのでしょう。
名巡礼地と知られる作品はガルパンの大洗以外にも『らきすた』の旧鷲宮町、『けいおん』の豊郷、『ラブライブ』の沼津、『おねティ/おねツー』の信濃大町とこれ以外にもまだまだありますが、TV放映や映画上映から終了5~10年後でも巡礼者が訪れる町がアニメ巡礼地として後世に名を遺すのではないでしょうか?
返信する
Unknown (ホシノ)
2019-04-16 09:50:27
御指摘の通りですね。大洗は確実にアニメ巡礼地としては成功例の代表格に入りますので、映画上映から終了5~10年後ところか、それ以上でも巡礼者が訪れると思います。でもけいおんの豊郷とは違った展開の流れになりますね。豊郷のほうも成功例には違いないですが、いまでは残念な傾向も出ていますので。

築城家が常盤氏で家臣団が大里氏率いる大洗観光協会及び大洗町商工会にあたる、とはうまい表現で的を得ていると思います。これは豊郷ではイメージ出来ませんが、ゆるキャンの身延では似たような構造がありますから、身延もアニメ巡礼地としては成功例に入ると思います。
返信する

大洗巡礼記」カテゴリの最新記事