インテリア再現製作の続きです。車体底面の補強桁と左右側面のサスペンションスプリングを全て取り付けましたので、Sさんのアドバイスにしたがってエンジン架台の製作に移りました。
Sさんの記録メモにて、エンジン架台の構造と寸法が分かっていましたので、それにみあうパーツをジャンクパーツに見つけておきました。以前にプラウダ高校チームのBM-13カチューシャを製作した際に生じた、ロケットランチャーのレールの余りパーツでした。
上図の右上にあるのが、その余りパーツです。それをカットして長短の材を2本ずつこしらえ、丸い肉抜き孔を拡げて形状を整えました。
そして、底面の補強桁に組み付けて架台の支持桁をセットし、そのうえに長い材を上図のように取り付けました。Sさんによれば、エンジン本体はこの架台の上に乗せて抑え板で固定してあるだけ、という状態だったそうです。すぐに外して交換が出来るように、という理由からであったそうです。
戦時中に、相当数のカミが内火艇として海上にて作戦行動していたなかで、エンジンの故障が多発して問題になったそうです。その理由を、Sさんは次のように語られました。
「・・・カミの発動機は、九五式軽戦車のと同じで馬力は大きかったんですがね、もともと陸上の戦車用の発動機ですからね、水とか湿気に弱いんです・・・。防水処置がなんにも施して無いんですから、艇内の浸水とかが波で揺れて発動機にかかったりした後はもう大変なんです。すぐに洗い流して塩も落とさないといけない。波の高い日に航行してたら、たまに真上から海水かぶったりしますんでね、防水カバーは必須でしたが、湿気の高いのはもうどうにもなりませんでしたね・・・。あっという間に錆が出てくる・・・。ですから、海軍の内火艇用の防水もしっかりしてる小型発動機に換装したりしたんですな。・・・・かなりの艇が交換していた、と聞きましたね・・・。・・・我々の艇ですか?いや、幸運にも故障があんまり無かったですからね、最後まで交換はしませんでしたけどね・・・。・・・ああいうふうにすぐ取り外せる仕掛けになっていたのは、実戦においては相当役に立っていたと思いますよ。発動機を陸に揚げて整備出来たしね・・・・」
カミのエンジンが交換し易い状態であったのは、まず計画では潜水艦に搭載して運び、作戦海域で浮上後に海上へ発進させるという想定があり、搭載運搬中はエンジンや電装品を取り外して潜水艦の艦内に収容する規定になっていたためだそうです。
Sさんによれば、輸送船で運ぶ場合においても、エンジンは外して整備する事があったそうなので、とにかくエンジンを取り出し易いようにエンジンデッキも三枚のハッチから成っていて、全て開放すれば、エンジンを解体せずにそのままクレーンで吊り揚げられたのだそうです。
なので、エンジンデッキには装甲板は全く無く、むしろ排熱用のグリルがあってハッチ自体も薄いものでしたから、空襲で敵機にそこを狙われたらもうオシマイ、ということでした。
操縦装置の工作に進みました。先述したように、カミの操縦装置は九七式中戦車のものをそのまま生かして流用していたそうです。
Sさんによれば、操縦席および起動軸のギアボックスは九七式中戦車のものと同じだったそうなので、記録メモ図を参照しつつ、ファインモールドのインテリアパーツを使用し、あとはブラ材やシャンクパーツの改造などで作りました。
色々と細かい箇所なので、この範囲の製作中に2度Sさんのお宅に持参して、チェックして貰いました。間違えた部分もあったので、指摘してもらい、修正の要領も教えていただきました。
この一連の工作を通じて分かったのは、大体のジャンクパーツも日本軍車輌のそれが使えるという点でした。カミも日本軍の車輌ですから当然と言えば当然なのですが、Sさんに言わせると、日本軍の車輌は色々あったけど、部品とかは互換性があったり、共通の部品を使ってるのが少なくない、ということでした。特に足回りや操縦系の部品は、砲や機銃などの武装と違って型式ごとに変えたりするものではないから、転用例が多かったのではないか、というお話でした。
なので、今回のインテリア製作において多くの日本軍車輌キットの不要パーツが有効に使えたのは良かったです。最初はブラ材で自作しなければならないのかと覚悟していましたので、かなり助かりました。
しかし、エンジンの製作はそう簡単にはゆきませんでした。同じエンジンのキットやパーツが全く出ていませんから、設計図を見て部品の自作から始めました。6気筒のシリンダー部分も、上図のようにランナーに銅線を巻いて作りました。
エンジンの本体や各部品も、ひとつひとつブラ材から削り出して作り、色も塗りながら出来具合を確かめました。タミヤの丸棒と角棒がけっこう役に立ちました。これらの製作に8時間かかりました。
上図左下にボヤけて見えるのは、操縦装置のパーツです。これはファインモールドの九七式中戦車のインテリアパーツが手元にあったのをそのまま使用して着彩しました。
部品作りに8時間、組み合わせに3時間を費やして、なんとか形になった三菱のカミ向け空冷直列6気筒ディーゼルエンジンです。この時点でもまだ変換器と発電機とビルジポンプを付けていませんので、進捗度は7割ぐらいでした。
さらに4時間をかけてエンジン各部を全て仕上げ、別に作った水陸併用変換器およびスクリュー推進軸と仮に組み合わせてセットしてみた状態です。エンジン本体は実物と同じく架台の上に乗せてあるだけですので、取り外しも自在です。
操縦装置や変換器本体は九七式中戦車のそれと同じものが使われていたので、ファインモールドの九七式中戦車のインテリアパーツを使い、変換器は改造しました。
Sさんによれば、操縦装置は陸上にあがってから車輌として行動する際に使い、海上にいる場合はアクセルだけを艇長の指示で踏んでエンジンの出力を上下させたそうです。上図のように水陸併用変換器のレバーは前に倒してありますが、これを後ろに引くと、変換器のギアがスクリュー推進軸に移ってかみ合わさります。
車輌として行動する場合は操舵手が操縦席につきますが、内火艇として運用する場合は機関兵が操縦席についてアクセルのみを操作し、操舵手は砲塔か艇尾に移動して舵を操る、という配置になっていたそうです。
なので、艇内に隔壁が全く無い点が、そうした乗員の移動には有利だったそうです。行動しながら機関兵がエンジンの整備を行う事も可能だった点は、海軍の艦艇と同じでした。
ただ、艇内が蒸し暑くなるのは避けられなかったそうです。
この状態に仕上げて、Sさんに見て貰ったところ、OKをいただきました。ホッとすると同時に、全身の力が抜けました。このインテリア製作だけで述べ18時間を費やしたからです。
それで、三日ぐらいは休もうと思い、実際に三日間、製作を中断しました。 (続く)