玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

今、マルクス

2017-01-14 18:21:47 | Weblog



新しい経験をすると、その経験を自覚させてくれる本を求めていく傾向が自分にはあります。

この年末からずっと向かい続けているのがマルクス。原典はなかなか読みにくくて、文体や背景が理解できていないとなかなか理解がすすみません。が、そのマルクスの「資本論」の解説・注釈本により、だいぶ理解が深まってきています。マルクスの「資本論」って、三冊本としてあるとすると、マルクスが直に書いたのは最初の一冊。残りの二冊はマルクスの草稿をエンゲルスがまとめて出したものなので、なかなか読みにくいものになっているといいます。

このことを知って思い出したのがハイデガーの「存在と時間」。あの本はハイデガー研究者の木田元さんによると、たしか、大学の教授資格を取るために急いで書いたことにより、少し論理的な整合性に無理があり、より難解になってしまったといいます。その後、本人の講義により、本当はこういう流れで仕上げる構想だったということが明かされつつも、やはり最終的にまとめ上げることはなかったといいます。ハイデガーが成し遂げたかったことが、本の形ではできなかったということでしょう。しかしそれでもそのままの形で残したのはやはり、そこに思想の原点があり、重要さは変わらないということだといいます。

「資本論」もそういった意味では完全に仕上がったとはいえない形で残っている。近現代の思想史において、21世紀の今においても最も重要で影響力があるいってもいいマルクス「資本論」とハイデガー「存在と時間」がある意味未完の大著であるという事実。さらに面白いのは日本人研究者が未完を補う素晴らしい研究をしていることです。ハイデガーは木田元さんが「存在と時間」は本来こういう形で書かれたのではないかという試論を出しているし、マルクスにおいては宇野学派で知られる宇野弘蔵氏が「資本論」で曖昧だったところを科学的に論理整合性をもたせるために、これもひとつの試論を出されています。マルクス研究において、日本にも様々な運動や活動、そして弾圧が存在したけれど、研究そのものにおいては比較的自由にやれていた事実があるようで、それが世界においても稀なる「資本論」研究大国になったようです。

このマルクスを通っているか通っていないかで、社会に対する見方が全く違ってくることを自分は経験しました。安保闘争や学生運動、はたまた日本赤軍から共産党や社会党、そして自民党など、そういった体制のこと、保守や革新という言葉で何を表現しているのかが、少し見えてきました。大方の人がそうであろう労働者と資本家の関係。そして労働に対する搾取を前提とした資本主義体制。実際はマルクスは取り上げていない国家や官僚の存在に対しての今の現実。

まだまだマルクスに関わる本を乱読している最中です。自分が経験した全く新しい経験が何なのか。その事がこの社会において一体どういう意味をもつのか。時代が変わるとは何なのか、新しい時代において最も必要なことは何なのか。そういったことを今はマルクスを通して学んでいます。知れば知るほど、知らないことが多いことを知り、どこまでいってもわかったとは言いにくいことだけど、少しずつ立体的にみえてくる世界の理解があって、これは面白いのでやり続けていく楽しさでもあります。学生でも学者でもないから、好きなように学べる今の方が、学生の時よりずっと楽しいです。
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