玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

型稽古

2012-05-03 13:30:07 | Weblog

新陰流”三学円之太刀 一刀両断”


ある武術なり、ダンスなり、身体の動きを創っていくトレーニングの究極は自由な動きにあり。
その自由な動きに成っていくためには、下半身の土台を作る基礎的な鍛錬が必要。
それは型稽古を通して成っていく。

この型稽古を繰り返し繰り返し行う事で、身体が出来上がり、その基礎があってはじめて自由な動きが可能となる。
型稽古そのものに固執する事には賛否があるが、それは上級者の話し。
どのような達人も武術に関して言えば、必ず入り口はある流派の動きの基礎を学んでいる。
時折、型も関係なく動ける天才がいるにはいるが、天才を基準に動きの基礎を作る事はできない。

この単純で基礎的な事を、トレーニングの基本として、練習・レッスンの時間に取れ入れる事ができれば、知らず知らずに身体はできてくる。身体ができないうちに、場当たり的な動きばかりやっていては、基礎ができないうちに応用をやらす事になり、必ず身体に無理が生じる。

自分の動きは一流でも、優秀な指導者になるかならないかは、このような理解と、地道に初学者に付き合える忍耐があるかないかで決まってくる。その忍耐も自分の流派を伝えることなのだから、本当は楽しいはず。思い込んでもだめなんです。

今の時代、何でもすぐに習得を目指したり、また即戦力を求められたりという、変なスピードの時代。
でもやはり身体で全てを成す以上、必要な時間はあるのです。
この時間をどう捉えるかで、これからは決まる。
遠回りのようでも、実は近道だ。

本当に自由になるためには、時間と自覚が必要です。


という事なんです。
気付くと先が一挙に拓かれるんです。




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