21㎞の頂上で京都キャロットの藤井さんと
5時半に蕨岡中学校をスタート。後半の失速をできるだけ避けようと前半からゆっくりモード。今回も練習不足ですが前回よりは走りこんだ自信もあります。できたら前回よりもいい記録でと思う一方、フルマラソンの42キロを超えたら良しとしようの思いまで・・・。走りながら煩悩の世界にはまっていきます。
ところがペースを確認するためのストップウォッチが動いていない。気付いたのはスタートしてからだいぶ経ち、ほのぼのと白みかけたころ。号砲とともにストップウォッチを押したはずですが押していなかったのか弱かったのか。初めてのハプニングです。ただ5時半のスタートだったので所要時間はそこから計算、10キロ地点からストップウォッチでラップ計測してペースを確認しました。
10キロ付近の上りで京都キャロットの藤井さんを発見、21キロ過ぎの前半最大の山場となる最高地点の峠まで世間話をしながら並走しました。それからは一人旅。40㎞を過ぎると60㎞コースのランナーと合流してにぎやかになります。ミントの女性メンバーは集団でのラン。面白いことに幾度となく抜いたり抜かれたりとなります。ミントのメンバーだけでなく多くのランナーともそうで、こんなにも抜いたり抜かれたりが多いと感じたことは初めて。フルマラソンでも大抵、差は広がる一方になるもので、ここが100㎞・長丁場の持ち味なんでしょう。山あり谷もありと調子が大きく変化します。
10年前はスタートしてからゴールまでずっと雨、しかも途中からは大雨状態。それに比べたら今回は晴天で四万十川の清流を十分に楽しむことができました。前回は何も持たなかったのですが、今回はデジカメと自販機用の小銭を持っての走りで少しだけ余裕を持って楽しみながらのラン。それとミントメンバーなど知り合いが増えて声をかけたりしゃべったりと変化があります。その分タイム的には遅くなりますが、時間内に完走できれば上出来です。
ペースが上がったのは40㎞から50㎞、沈下橋を過ぎた峠は歩く以外ないほどの急坂で、ここぐらいからだんだんと足に堪えてくるのが分かります。走り方も乱れ、靴がもう一方の足首にあたり擦り傷で両足首がヒリヒリ、脇下、股下も擦り傷の痛みが走ります。それでも前回のような苦痛を感じなかったのはミントメンバーと一緒に走る時間帯があり、気が紛れたせいかもしれません。それと前回はほとんど雨、四万十川の自然が苦痛を和らげてくれることもありませんでした。
後半はエイドステーションのたびごとに冷水を頭や太ももにかけて体温を下げました。多くのサポーターに感謝です。特にまだ暗いうちから沿道で応援してくれるのには頭が下がります。そんな人情と自然に感謝しながらのウルトラマラソンでした。
前回よりも早くゴールしたいと思ってのスタートでしたが、徐々に厳しくなりました。それでも残りの5キロではなんとか12時間台の確信があったのですが、待っていたのが中村高校前の坂道。ゴールした時の計時は13時間を過ぎていました。
ゴール直後は動けないままでいたせいか、身体が硬直。しばらくすると悪寒が走ります。ミントの奥代さんからジャケットを借りましたが、まるで10年前と一緒。あの時は男性の奥代さんでしたが・・・。夜は食事はそこそこに就寝しました。
ネットの速報で確認したら以下の通りでした。
◆13時間00分51秒 (2001年は12時間48分01秒、ネットタイムは12時間47分31秒)でしたが今回のネットタイムはどれぐらいでしょうか。
◆20キロごとのラップタイム (2001年の記録)
0㎞~ 20㎞ 2時間17分34秒 (2時間13分23秒)
20㎞~ 40㎞ 2時間14分57秒 (2時間07分03秒)
40㎞~ 60㎞ 2時間30分22秒 (2時間26分58秒)
60㎞~ 80㎞ 3時間04分37秒 (3時間03分21秒)
80㎞~100㎞ 2時間53分21秒 (2時間57分16秒)
2001年に初めてのウルトラに挑戦した時はまだ元気だった平野さんと二人で参加。今年は一緒にゴールまで走ろうとデジカメに平野さんの写真データを保存していきました。天国で少しは喜んでくれるでしょうか。
≪被爆地福島の今を伝える地元紙など≫
福島民報 福島民友新聞 いわき民報
≪これまでの福島原発関連情報≫
◆全国の放射能(水道、雨の放射能)濃度一覧
◆山下HP反核・反原発サイト、放射能情報公開、反原発の歌
山下HP・「お元気ですか」 今日も元気だ のぼりラン のぼりラン備忘録
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5時半に蕨岡中学校をスタート。後半の失速をできるだけ避けようと前半からゆっくりモード。今回も練習不足ですが前回よりは走りこんだ自信もあります。できたら前回よりもいい記録でと思う一方、フルマラソンの42キロを超えたら良しとしようの思いまで・・・。走りながら煩悩の世界にはまっていきます。
ところがペースを確認するためのストップウォッチが動いていない。気付いたのはスタートしてからだいぶ経ち、ほのぼのと白みかけたころ。号砲とともにストップウォッチを押したはずですが押していなかったのか弱かったのか。初めてのハプニングです。ただ5時半のスタートだったので所要時間はそこから計算、10キロ地点からストップウォッチでラップ計測してペースを確認しました。
10キロ付近の上りで京都キャロットの藤井さんを発見、21キロ過ぎの前半最大の山場となる最高地点の峠まで世間話をしながら並走しました。それからは一人旅。40㎞を過ぎると60㎞コースのランナーと合流してにぎやかになります。ミントの女性メンバーは集団でのラン。面白いことに幾度となく抜いたり抜かれたりとなります。ミントのメンバーだけでなく多くのランナーともそうで、こんなにも抜いたり抜かれたりが多いと感じたことは初めて。フルマラソンでも大抵、差は広がる一方になるもので、ここが100㎞・長丁場の持ち味なんでしょう。山あり谷もありと調子が大きく変化します。
10年前はスタートしてからゴールまでずっと雨、しかも途中からは大雨状態。それに比べたら今回は晴天で四万十川の清流を十分に楽しむことができました。前回は何も持たなかったのですが、今回はデジカメと自販機用の小銭を持っての走りで少しだけ余裕を持って楽しみながらのラン。それとミントメンバーなど知り合いが増えて声をかけたりしゃべったりと変化があります。その分タイム的には遅くなりますが、時間内に完走できれば上出来です。
ペースが上がったのは40㎞から50㎞、沈下橋を過ぎた峠は歩く以外ないほどの急坂で、ここぐらいからだんだんと足に堪えてくるのが分かります。走り方も乱れ、靴がもう一方の足首にあたり擦り傷で両足首がヒリヒリ、脇下、股下も擦り傷の痛みが走ります。それでも前回のような苦痛を感じなかったのはミントメンバーと一緒に走る時間帯があり、気が紛れたせいかもしれません。それと前回はほとんど雨、四万十川の自然が苦痛を和らげてくれることもありませんでした。
後半はエイドステーションのたびごとに冷水を頭や太ももにかけて体温を下げました。多くのサポーターに感謝です。特にまだ暗いうちから沿道で応援してくれるのには頭が下がります。そんな人情と自然に感謝しながらのウルトラマラソンでした。
前回よりも早くゴールしたいと思ってのスタートでしたが、徐々に厳しくなりました。それでも残りの5キロではなんとか12時間台の確信があったのですが、待っていたのが中村高校前の坂道。ゴールした時の計時は13時間を過ぎていました。
ゴール直後は動けないままでいたせいか、身体が硬直。しばらくすると悪寒が走ります。ミントの奥代さんからジャケットを借りましたが、まるで10年前と一緒。あの時は男性の奥代さんでしたが・・・。夜は食事はそこそこに就寝しました。
ネットの速報で確認したら以下の通りでした。
◆13時間00分51秒 (2001年は12時間48分01秒、ネットタイムは12時間47分31秒)でしたが今回のネットタイムはどれぐらいでしょうか。
◆20キロごとのラップタイム (2001年の記録)
0㎞~ 20㎞ 2時間17分34秒 (2時間13分23秒)
20㎞~ 40㎞ 2時間14分57秒 (2時間07分03秒)
40㎞~ 60㎞ 2時間30分22秒 (2時間26分58秒)
60㎞~ 80㎞ 3時間04分37秒 (3時間03分21秒)
80㎞~100㎞ 2時間53分21秒 (2時間57分16秒)
2001年に初めてのウルトラに挑戦した時はまだ元気だった平野さんと二人で参加。今年は一緒にゴールまで走ろうとデジカメに平野さんの写真データを保存していきました。天国で少しは喜んでくれるでしょうか。
≪被爆地福島の今を伝える地元紙など≫
福島民報 福島民友新聞 いわき民報
≪これまでの福島原発関連情報≫
◆全国の放射能(水道、雨の放射能)濃度一覧
◆山下HP反核・反原発サイト、放射能情報公開、反原発の歌
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