西日本入管センターを考える会、ラフィックが共催して入所者の健康を全く考えていない入管の処遇などを考える集会が開かれた。入管センターが石田医師の面会を拒絶した事もあって多くの人の協力を得て入管に申入れをすることを決める。この日の資料の印刷、オープンしてからこの10年間の経過報告が私の仕事。それにしても集会、交流会、また打合せ会議と10時までの長丁場でほんとにお疲れ様だった。
2007年参院選で護憲平和の共同候補を擁立しようと7月7日のシンポジウムが予定されており、国会の議員会館で呼びかけ人の一人として記者会見に参加した。国会前では共謀罪を委員会で強行採決する動きもあり、反対の団体がアピールとビラ署名活動、その隣では共産党系の全労連、全教の団体が教育基本法改悪反対のリレートークをしており、それぞれ激励する。記者会見後は館内での社民、市民団体が主催の共謀罪反対の集会に参加、民主も共謀罪反対で壁を隔てて集会をやっていた。辻元清美衆議院議員の部屋でコーヒーをいただき、6時半からの7月7日のシンポジウムの準備会に参加。帰りのこともあって2時間ほどしか参加できなかった。国会がある東京に比べて、大阪の動きはまだまだ低調だが、この連休、私も宣伝を強めたいと思う。
NHKで流れていた。センバツ野球を前にして交通事故に合い、出場出来なくなった兄を語る弟の思い出である。その時のセンバツの入場行進曲が松山千春の「季節の中で」で、ベッドで開会式を見つめる兄の背中が震えていた、勝つ事もあれば負ける事もあるのが人生といった場面があった。風呂で聞くラジオからなので正確とはいえないが・・・。「勝った数だけ負けた数がある」のだから、負けた事を残念がることもない、その通りだと思う。さだまさしの歌(「甲子園」)にも「参加校の中で一度も負けないチームは一つだけ。消えたチームも負けた回数はたったの一度だけ」のフレーズがある。
私が学生の頃読んだ本の中で、小田実が空襲で焼け死んだ骸を見つめながら「人間チョボチョボ」の思想にゆきついたとあった。私もそう思う。人間、肩書き取ったら、少々の差はあるが年相応、みんな中年になり、年をとる。しあわせ、ふしあわせはせいぜい他人の3倍ぐらいまで、それも塞翁が馬、禍福はあざなえる縄の如しである。人間、負けを知らなかったり、一員に過ぎないことをやめると傲慢になっていく。上昇志向の人間を見るとつくづくそう思う。
今日は「お元気ですか」の発送に向けて、印刷、セット、帯布まきをする。私はこの一連の作業が好きである。帯布をまいた「お元気ですか」を30部ゴムでくくり、それを整えてダンボールの箱に詰めるのだが、この時の充実感はなんともいえない。
私が学生の頃読んだ本の中で、小田実が空襲で焼け死んだ骸を見つめながら「人間チョボチョボ」の思想にゆきついたとあった。私もそう思う。人間、肩書き取ったら、少々の差はあるが年相応、みんな中年になり、年をとる。しあわせ、ふしあわせはせいぜい他人の3倍ぐらいまで、それも塞翁が馬、禍福はあざなえる縄の如しである。人間、負けを知らなかったり、一員に過ぎないことをやめると傲慢になっていく。上昇志向の人間を見るとつくづくそう思う。
今日は「お元気ですか」の発送に向けて、印刷、セット、帯布まきをする。私はこの一連の作業が好きである。帯布をまいた「お元気ですか」を30部ゴムでくくり、それを整えてダンボールの箱に詰めるのだが、この時の充実感はなんともいえない。
よく聞かれるが、私は「お元気ですか」の議会報告号を作成、HPへのアップが済んでなんとか議会が終わった実感がわく。他の議員の動きはなかなか見えてこない。議会報告の新聞を作るでなし、HPを更新するわけでもない。もちろんHPと無関係の議員も多い。それでも当選するのは、もともと議会でがんばって欲しいと願う有権者が絶対的に少ないこと(投票率は半分以下が常態)と、一方でがんばっているという錯覚があるからだろう。党首が変わるだけで、党のイメージも変わり、薄氷とはいえ補欠選挙で勝利を収めた民主もこの好例だが、薄っぺらの政党、議員、そして有権者にストレスを覚えてしまう。
我が社会党は「流した汗が報われる政治」を長らく掲げていた。軽薄短小をイメージでごまかせる社会よりも、愚直さが正当な評価を受ける社会であって欲しい。この思いがますます強くなっている。圧倒的多数の国民は誰からも評価されることなく額に汗して働いている。そのことを心に刻みこんでいる議員でありたい。写真はJR尼崎駅の事故現場近くに咲いていた菜の花
我が社会党は「流した汗が報われる政治」を長らく掲げていた。軽薄短小をイメージでごまかせる社会よりも、愚直さが正当な評価を受ける社会であって欲しい。この思いがますます強くなっている。圧倒的多数の国民は誰からも評価されることなく額に汗して働いている。そのことを心に刻みこんでいる議員でありたい。写真はJR尼崎駅の事故現場近くに咲いていた菜の花
午前中、「新社会大阪」の原稿を作成、メールで送る。昼から「お元気ですか」の印刷、機関紙「新社会」の集金準備、夕方からは新社会党大阪府本部の執行委員会。写真はJR福知山線尼崎での犠牲者を悼む家族が添えた花とメッセージ
午前中は安威川の掃除を予定していたが開始の10時に雨が上がる見通しが立たず、中止に。前もって参加予定の人には連絡したが、現地に足運んでくれた人もいて大変申し訳ないことをしてしまった。
住んでいる平田台も草取りで汗を流す。昼から集会に参加。多くの労働者、市民が集まった。関西規模の平和集会で顔を会わすメンバーも多い。集会の後、事故現場まで追悼デモ、そして献花、突然命を奪われた犠牲者の無念さを思う。私たち以外にも学生だろうか、2、3人で献花に来る人たちともすれ違う。
流れ解散した後で、泉南の市長選に立候補している小山さんの応援に出かける。事務所は大きな幹線道路に面した一等地、数人がビラやポスターの準備をしていた。私と候補者、そして運転手の3人で宣伝に廻る。最近オープンしたスーパーや、かなり規模の大きいイオン、駅前でスポット演説。小山候補は今度は勝てる選挙だと言うが、現職に市議を辞職した2人の三つ巴の選挙戦、泡沫なしの接戦である。やはり泉南は南の果てで帰り着いたのは10時を軽く回っていた。
住んでいる平田台も草取りで汗を流す。昼から集会に参加。多くの労働者、市民が集まった。関西規模の平和集会で顔を会わすメンバーも多い。集会の後、事故現場まで追悼デモ、そして献花、突然命を奪われた犠牲者の無念さを思う。私たち以外にも学生だろうか、2、3人で献花に来る人たちともすれ違う。
流れ解散した後で、泉南の市長選に立候補している小山さんの応援に出かける。事務所は大きな幹線道路に面した一等地、数人がビラやポスターの準備をしていた。私と候補者、そして運転手の3人で宣伝に廻る。最近オープンしたスーパーや、かなり規模の大きいイオン、駅前でスポット演説。小山候補は今度は勝てる選挙だと言うが、現職に市議を辞職した2人の三つ巴の選挙戦、泡沫なしの接戦である。やはり泉南は南の果てで帰り着いたのは10時を軽く回っていた。
「期待し裏切られたのも知らず、いまだに小泉改革を支持している50%の無知な庶民と煽り続ける御用学者とマスコミ人の亡国的行動を許していていいのか」(4/21)、「問題の国民投票法、教育基本法改正、共謀罪の新設などなど、まともな討議もなしに次々強行されたら、この国のマトモな庶民は自由に生きてはいけない」」(4/20)と書くのは日刊ゲンダイである。
マスコミ各紙が社会の木鐸としての役割を投げ捨てる中で、歯に衣着せぬ批判をするのは我が「新社会」や社会新報、赤旗といった政党の機関紙を除けば日刊ゲンダイぐらいだろう。私は日刊ゲンダイの配信を受けている。権力批判こそジャーナリズムの真髄であるとすれば、今のマスコミは日刊ゲンダイ以下といわなければならない。権力の記者会見を批判抜きに伝え、権力が数の力で自らの利益を最優先して国民の生活をボロボロにするのを黙認し、盗聴と密告、警察国家をもたらす共謀罪に反対の特集も組まない。そんなマスコミなぞ真っ平ごめんだと思う。
今日は「お元気ですか」の印刷、淀川水防事務組合議会、玉島公民館役員会と続いた。写真は墨田区役所の平和へのメッセージ展から 三遊亭楽太郎さんの作品
マスコミ各紙が社会の木鐸としての役割を投げ捨てる中で、歯に衣着せぬ批判をするのは我が「新社会」や社会新報、赤旗といった政党の機関紙を除けば日刊ゲンダイぐらいだろう。私は日刊ゲンダイの配信を受けている。権力批判こそジャーナリズムの真髄であるとすれば、今のマスコミは日刊ゲンダイ以下といわなければならない。権力の記者会見を批判抜きに伝え、権力が数の力で自らの利益を最優先して国民の生活をボロボロにするのを黙認し、盗聴と密告、警察国家をもたらす共謀罪に反対の特集も組まない。そんなマスコミなぞ真っ平ごめんだと思う。
今日は「お元気ですか」の印刷、淀川水防事務組合議会、玉島公民館役員会と続いた。写真は墨田区役所の平和へのメッセージ展から 三遊亭楽太郎さんの作品
夜、府本部で自治体選挙の対策会議。候補者から状況を聞く。堺、八尾、吹田、東大阪などどうしても勝ちたいと思う。堺市は政令都市になったこともあり既に候補者の動きが活発化している。7つの区単位の選挙区になるが、最も得をするのが公明党。右向け右の上意下達政党だから、全部の区で当選するかもしれない。坊主丸儲けだある。2名から7名となればここだけで大躍進になる。大きな政党だけが得する選挙制度は民主主義とはやはり相容れない。日本は国政だけでなく自治体でも民主主義とは無縁の社会になりつつあるようだ。サラ金ビルと化した茨木市駅前のソシオ
午前中、「お元気ですか」の原稿を書く。3月議会の報告なので、質問や討論の原稿が下敷きになる。またブログなど既に書いたものから幾つか選び、手を入れるので、日頃の集大成で「お元気ですか」の半分以上が出来上がる。昼過ぎから(仮称)いのちと平和の近畿ネットの打合せで大阪府庁内の社民党議員控室に行く。淡路から天下茶屋に電車を乗り換え、「お元気ですか」の原稿に手を入れていると何やら小難しい話が聞こえてきた。前を見るとなんとこの1日に講演会に来てもらったフリージャナリストの西谷文和さんではないか。お互いにびっくりして挨拶する。
市民力の会から3月議会など、市政について聞きたいということで集まりがあった。よその会派は都合が悪かったり、与党内で「やめとこや」という話があったようで、参加はなく元気市民の3人のみとなった。傍聴された方から、①与党議員の威圧的な野次に腹が立った、②答弁はもっと丁寧に、の意見があり、パブリックコメントもおざなりで本当に市民の意見を求めているのか疑わしい、市民の声を大切にする姿勢をとの声があった。
市民力の会を途中で退席し、茨木しよう会の定時総会に参加し、会計監査の報告を行った。総会の後、自立支援センターぽぽんがぽんの会員説明会にも参加。みんなと交流する。支援法への対応に追われた一年、また追われるこの一年間になりそうである。
この後、脳腫瘍で急遽入院され、一ヶ月余りの入院生活を余儀なくされたものの、職場復帰するまでに回復したHさんを祝う活性会の食事会に参加した。Hさんはマラソンやユース100m、反核平和の火リレーなどで一緒に動いている仲間で、本当に献身的なボランティア活動家。私が四万十100キロマラソンに参加したのもHさんの誘いかあったからで、いい経験をさせてもらい喜んでいる。全快とはいえないが以前と全く変わらない元気な様子にみんなホッとした。このまま元気であって欲しい。
市民力の会を途中で退席し、茨木しよう会の定時総会に参加し、会計監査の報告を行った。総会の後、自立支援センターぽぽんがぽんの会員説明会にも参加。みんなと交流する。支援法への対応に追われた一年、また追われるこの一年間になりそうである。
この後、脳腫瘍で急遽入院され、一ヶ月余りの入院生活を余儀なくされたものの、職場復帰するまでに回復したHさんを祝う活性会の食事会に参加した。Hさんはマラソンやユース100m、反核平和の火リレーなどで一緒に動いている仲間で、本当に献身的なボランティア活動家。私が四万十100キロマラソンに参加したのもHさんの誘いかあったからで、いい経験をさせてもらい喜んでいる。全快とはいえないが以前と全く変わらない元気な様子にみんなホッとした。このまま元気であって欲しい。
HPのリンクコーナーを項目ごとに4分類し、議員のコーナーではわが同僚議員もリンクした。同僚議員からどんなリアクションがあるのか、ないのか。議員のHPは仕事上いろいろ見る。実にまめな議員から選挙前、4年に一遍、トップページと経歴だけ書き換えるだけの議員もいる。なんのことはない、選挙ポスターなのだ。議会情報や日頃の仕事を公開し、市民の声を吸い上げて活動の参考にする気はさらさらないのだろう。
くれぐれも断っておくが、これはわが同僚議員のことではなく全国各地の議員HPを見ての感想である。もちろんわが同僚議員のHPは何回も訪問しているが、残念ながら更新されていないのが大半だ。更新されても年に3、4回ぐらいである。中には2年ぐらいだろうか、工事中で大変ご迷惑をかけているHPもある。2年もかけているのだからさぞかし立派なものが出来るに違いない。私は支持者からの「これなら無い方がましだ」の苦情を心配するが余計なおせっかいなんだろう。時間と心の余裕のある人は篤とご覧いただきたい。
私の議員活動もこの4月で27年目に入る。ちまたには年期の節目毎に議員活動○○年記念と称してレセプションを開く議員が多い。これに合わせて国や府の表彰もあるから兼ねてやる人もいる。議員としてやるのであるから、議会でこんな質問をした、これは私の功績だ、実績だという記念誌がなければ格好がつかない。日頃何もしてない議員は職員の協力も得て作成するから、当局をチェックした質問よりも議会役職のページに力点が置かれる。だからレセプションで受け取って、退屈な美辞麗句を馬耳東風で聞き流しながら斜め読みの材料となる。持ち帰ってくれたはいいが、いかつい本と並べて書庫に寝かせているのはいいほうで、ほとんど(?)が次のごみ収集日までの短命となる。議員本人も承知の上だから記念誌にはろくなものがない。
私はレセプション、行事の類は嫌いである。どこかしら事実や本音ではなく、うそっぽく、しかも参加者の大半がそれを承知し、何割かは義理か厄介で参加する。議員レベルの小権力者から国家単位の権力者まで、ほんとは「裸の王様」だから、真実や本音ではなく虚偽と建前がなければ権力は維持できない。彼らがセレモニーを好み、大衆を動員して悦に入るのはそれがあるからだ。そして大衆動員で集まった人は洗脳されていく。ゆっくりと自分で物事を考えない人ほど権力の好餌にされるのは洋の東西を問わず歴史の常である。
ただ私は一度だけ副議長就任、議員活動10年を記念してやったことがある。90年のことである。当時の茨木社会党は左右の対立はあったものの、それが分裂することはまだまだ考えられない時代だった。それが急展開するのは92年4月の市長選に、大友府議が立候補を表明してからのことである。この一連の動きに関する材料は大事に取っており、「茨木の教育をだめにした男」よりは事実に基づき、誰がどのような発言をし、行動したか記述できる自信がある。茨木社会党の歴史と共に時間があれば書きたいテーマである。
そんなこんなで私は記念誌を作らない代わりにHPを作っている。分厚い記念誌よりは経費的にも安くつき、好きなだけ見てもらえるからである。
この日、夜の辻元清美講演会の反省会に向けて、会計の整理、資料の作成をする。多くの人にお世話になり心から感謝です。協力していただいた皆さんありがとうございました。
写真は墨田区役所の平和へのメッセージ展から うつみ宮土理さん
くれぐれも断っておくが、これはわが同僚議員のことではなく全国各地の議員HPを見ての感想である。もちろんわが同僚議員のHPは何回も訪問しているが、残念ながら更新されていないのが大半だ。更新されても年に3、4回ぐらいである。中には2年ぐらいだろうか、工事中で大変ご迷惑をかけているHPもある。2年もかけているのだからさぞかし立派なものが出来るに違いない。私は支持者からの「これなら無い方がましだ」の苦情を心配するが余計なおせっかいなんだろう。時間と心の余裕のある人は篤とご覧いただきたい。
私の議員活動もこの4月で27年目に入る。ちまたには年期の節目毎に議員活動○○年記念と称してレセプションを開く議員が多い。これに合わせて国や府の表彰もあるから兼ねてやる人もいる。議員としてやるのであるから、議会でこんな質問をした、これは私の功績だ、実績だという記念誌がなければ格好がつかない。日頃何もしてない議員は職員の協力も得て作成するから、当局をチェックした質問よりも議会役職のページに力点が置かれる。だからレセプションで受け取って、退屈な美辞麗句を馬耳東風で聞き流しながら斜め読みの材料となる。持ち帰ってくれたはいいが、いかつい本と並べて書庫に寝かせているのはいいほうで、ほとんど(?)が次のごみ収集日までの短命となる。議員本人も承知の上だから記念誌にはろくなものがない。
私はレセプション、行事の類は嫌いである。どこかしら事実や本音ではなく、うそっぽく、しかも参加者の大半がそれを承知し、何割かは義理か厄介で参加する。議員レベルの小権力者から国家単位の権力者まで、ほんとは「裸の王様」だから、真実や本音ではなく虚偽と建前がなければ権力は維持できない。彼らがセレモニーを好み、大衆を動員して悦に入るのはそれがあるからだ。そして大衆動員で集まった人は洗脳されていく。ゆっくりと自分で物事を考えない人ほど権力の好餌にされるのは洋の東西を問わず歴史の常である。
ただ私は一度だけ副議長就任、議員活動10年を記念してやったことがある。90年のことである。当時の茨木社会党は左右の対立はあったものの、それが分裂することはまだまだ考えられない時代だった。それが急展開するのは92年4月の市長選に、大友府議が立候補を表明してからのことである。この一連の動きに関する材料は大事に取っており、「茨木の教育をだめにした男」よりは事実に基づき、誰がどのような発言をし、行動したか記述できる自信がある。茨木社会党の歴史と共に時間があれば書きたいテーマである。
そんなこんなで私は記念誌を作らない代わりにHPを作っている。分厚い記念誌よりは経費的にも安くつき、好きなだけ見てもらえるからである。
この日、夜の辻元清美講演会の反省会に向けて、会計の整理、資料の作成をする。多くの人にお世話になり心から感謝です。協力していただいた皆さんありがとうございました。
写真は墨田区役所の平和へのメッセージ展から うつみ宮土理さん
昼のNHKで鹿児島県「薩摩川内市」からと、竹林の育成と竹の子堀が紹介されていたが、合併後の「薩摩川内市」にしらじらしさを感じてしまう。私の田舎である鹿児島県加世田市も合併して「南さつま市」と名前を変え、加世田市や隣接の大浦町、坊津町、金峰町、笠沙町も消えてしまった。大浦は鯨の漂着、坊津は高僧鑑真のイメージがあるが、一々無内容な「南さつま市」を冠した地名になる。合併前、加世田市出身者の集まりに市長が来て「南さつま市」を宣伝したが、会場は長い話にうんざりしていた事もあるがブーイングしか聞かれなかった。彼は出身者の心情に無理解であることをさらしたようなものである。
地名には地域の人たちが守ってきた歴史と伝統が根付いており、周りにもそれが長い時間をかけて浸透している。「歴史と伝統を守る」と自民党はいうがまさにその破壊者こそ自民党に他ならない。合併によって更に過疎と過密が進む事は火を見るより明らかだろう。過疎が進行し生活が不便になれば人は住めなくなる。やがては廃村の憂き目を見ることだろう。平和憲法を破壊し尽くした軽薄短小の小泉氏は、「ブッシュのぽち」だけでなく「平成の大合併」という愚挙でも名前を残す事だろう。
地名には地域の人たちが守ってきた歴史と伝統が根付いており、周りにもそれが長い時間をかけて浸透している。「歴史と伝統を守る」と自民党はいうがまさにその破壊者こそ自民党に他ならない。合併によって更に過疎と過密が進む事は火を見るより明らかだろう。過疎が進行し生活が不便になれば人は住めなくなる。やがては廃村の憂き目を見ることだろう。平和憲法を破壊し尽くした軽薄短小の小泉氏は、「ブッシュのぽち」だけでなく「平成の大合併」という愚挙でも名前を残す事だろう。
駅頭で「西日本入管センターは外国人の家族をばらばらにするな」と署名とビラまき。あいにくの雨でマイクを使った宣伝は中止。この後、面会活動、申入れ、記者会見も予定されていましたが、私は役所で事務作業に取り掛かりました。
昼から中央公園で開かれていたコープ自然派フェスタに参加、顔なじみの人と世間話をしました。会場では使い捨てをやめようとリユースなどの取組みがなされていました。2時を過ぎてあやめ橋の近くで「しよう会」の花見。おいしいビールと津山のお酒をいただきました。