平和とくらし 茨木市議 *山下けいきの日々是好日

平和憲法が私の原点。鹿児島の吹上浜、桜島が原風景。毎週阪急3駅、JR2駅の5駅をのぼりを背負ってアピールランしています。

ビラ配りで有罪判決は許せない

2006年06月30日 |  #玉島 #平田
 朝刊に公務員のビラ配りで有罪判決とある。ビラ配りは思想信条、表現の自由の最たるもの。これを制約することなど本来あってはならない。もしあるとすれば、それ相当の理由がなければならない。一体公務員がビラ配りで誰にどれだけの迷惑をかけたというのか。一方警察は何日も大量動員し、こそこそとビデオ撮影。プライバシーへの配慮など微塵もない。どちらが社会常識を逸脱しているかは明らかだ。警察は権力の僕と化し、裁判所は憲法の番人ではなく権力の番人、ちょうちん持ちになっている。この国の民主主義が地に堕ちて久しい。

 昼から役所で仕事。役所から支給されているノートパソコンが先日入れ替えとなった。性能が良くなったのはいいが、データやソフトの入れ替えは面倒くさい。しかも初期設定が何の関係もないプリンターになっていたためにB4印刷ができなかった。今日はUSB端子への差込がゆるくなっていたためにデータの読み込みがうまくいかない。その都度、事務局の世話になり申し訳ないと思う。

 夜はHPで反核平和の火リレーのページ作り。多くの写真から何枚か選び、サイズを小さくし、濃淡など加工する。結構時間をくったが楽しいものである。

 写真は反核平和の火リレー、市役所南館前

衆議院大阪9区補欠選挙に向けて

2006年06月29日 |  #玉島 #平田
午前中は教育委員会青少年課の情報開示。昼からは社民党との(仮称)いのちと平和の近畿ネットの打合せ。大阪9区の補欠選挙で意見交換、候補者の擁立に向けて話が弾んだ。天六界隈は七夕の飾り付けですっかり夏気分、大阪も30度を上回る夏日となった。写真は天神橋商店街3丁目

茨木市役所から島本町役場まで反核平和の火リレー

2006年06月28日 |  #平和 #民主 #人権 #憲法
 毎年恒例の反核平和の火リレー。まずまずの天気でスタートしたものの、昼からは夏の太陽が照りつけすっかり日焼けしてしまった。茨木では同じ元気市民会派の桂、小林の両議員も参加、限界まで走ってくれ、高槻では野々上議員も枚方方面のランナーに、一段とにぎやかになった。

 毎年参加してくれる障がい者の生活の場は「どかどか」、「ぽかぽか」に加え、今年から「ふかふか」も参加。年間行事に組み入れてもらっている。今年も茨木市役所から阪急茨木市駅まで歩き、走り、車いすにのって、平和とあたりまえの社会参加をアピールした。原爆被害者の会、行政の皆さんの協力も含めてこの取組みが成り立っており感謝している。

 夜は郵政民営化によって大岩郵便局の集配がなくなり住民へのサービスが低下する問題で郵便局の仲間と一緒に相談。ビラ配布も含め大岩局管内への働きかけを進めることを決める。会議の後で飲みに行く。
 

相次ぐ殺伐とした事件

2006年06月27日 |  #玉島 #平田
有名女医の娘さんを誘拐した事件は無事解決したもの、高校生による一家放火殺害事件、東大阪大学を舞台とした生き埋め事件と、殺伐した事件が相次いでいる。それぞれに背景はあるだろうが、カネ、短絡した思考を感じてしまう。
 明日の反核平和の火リレーのビラが残っていたので夕方配布する。

写真はよくビラ入れする白川高層住宅 

旬刊「社会通信」から

2006年06月26日 |  #平和 #民主 #人権 #憲法
昨日の雨にたたられたのか、やや風邪気味で外に出て行く気力がない。家でサボっていたブログを書き足し、HPに手を加える。牧口一二さんとは昨日が初めての出会いだったが、懇親会でゆっくりと話が出来た。少数派ほど世の中の不条理に対する怒りが強いのではと話しながら思う。HPにも牧口一二さん関係のものをリンクする。
 今日届いた社会党の頃からの旬刊「社会通信」(1977年12月に第三種取得)971号に「連合と悪法」という一文があり、「二つの保守政党が「改革」の名のもとに、反動政策を競い合う。・・・。木にたとえれば幹は同じ。枝葉に違いを作ってるだけだ。月日とともに枝葉は伸び大地は暗黒の世界となる」と書いている。労組・連合も同様で、内部で意見が分かれ、反動の流れにまかせているとある。少数だと嘆くよりも、少数だからこそ、出来る事もあると思いたい。なお私の国民保護関連条例の反対討論も掲載されていた。

写真は東京都文京区・湯島神社

牧口一二さんの話を聞きました

2006年06月25日 |  #玉島 #平田
 早朝ビラ配布。マンションの集合ポストで知合いの方に会う。夫が癌と診断され療養中とのこと。元気な方だっただけにびっくりする。病状の回復を祈るしかない。
 小雨がぱらつく中、安威川をきれいにする会でごみ拾い。中流部だったが最近の雨でごみが浮き上がっており、拾いやすかった。
 昼から脳腫瘍で済生会に入院中のHさんをKさんと一緒に見舞う。心配したが思ったより元気。また一緒に走れたらと思う。
 いばらき自立支援センター・ぽぽんがほぽんの総会。第二部として牧口一二さんの記念講演があった。「人間は一人では生きていけない。それは障がいがあっても、なくても一緒だ。そのことが分かっていない健常者がまだいる。また障がいを理由に資格が失われる欠格条項がまだ残っており無くしていきたいと」と話された。後で食事と懇親会に参加。

以下、毎日新聞 2006年6月19日 東京朝刊より

戦後60年・私の原点:グラフィックデザイナー・牧口一二さん
 ◆地面はって友と遊び、被災障害者を支援
 ◇人間は信じられる生き物--牧口一二さん(68)

 敗戦後の大阪。焼け野原が一面広がっていた。社宅近くの原っぱで、小児まひで歩けない少年の僕は、地面をはいずり回って、友だちとトンボを採ったり、三角ベースの野球をして思いっきり遊んだ。フナ釣り、虫採り。全身泥だらけになった体験が「人は自然の中で生かされているんだ」という僕の考えの原形を形作ったと思う。

 小児まひにかかったのは1歳。就学を迎えた6歳の時、小学校入学を拒まれ、9歳でようやく小学生になれた。両足が不自由になった僕を、お袋はどう思ったのだろう。大人になって何度か聞いた。お袋は「忘れたわ」としか言わない。でも「どんな前途が待っていようと、この子と一緒に生きていくんや」。お袋がそう覚悟を決めたことは間違いない。

 1970年代。障害児の将来を悲観した親が、わが子を殺す事件が多発した。美術学校を出て、絵の仕事に就いた僕は悔しかった。「親が少しつっかえ棒をしてくれたら、障害児も生まれてきて良かったと思えるのに」と。障害イコール不幸では決してない。障害児殺しを防ぎたい。その思いで、障害者運動に携わってきた。

 30年以上にわたる日本の障害者自立運動がつかみ取った「自立」観は、まさに金字塔だと思う。重度障害のある仲間が打ち立てた価値観だ。それは「苦手なことは人の力を借りていい。人と人とのつながりを豊かにしていこう」というもの。逆に健常な人の方が、すべてを自分で背負い、自己責任という名の下で誰もが孤立していく方向のゆがんだ「自立」観に縛られているのではと思う。

 95年の阪神大震災は大阪で被災した。「やはり緊急時は障害者は後回しにされてしまう」と怖かった。そうならないためにも、被災障害者を支援する基金をつくろうと、永六輔さんや小室等さんらと「ゆめ風基金」を作った。今までに2億円が寄せられ、台湾やトルコなど海外・国内の被災障害者に救援金を届けた。

 震災は備えの必要性とともに、僕に「人間は信じられる生き物なんだ」と改めて感じさせた。家族が倒壊家屋の下敷きになりながら、少しでも生きている可能性のある他人の救助に全力を尽くす人がいた。大阪の電車に乗っていても優しい視線が互いに注がれ、温かい空気が流れていた。

 今、格差社会が広がるこの国で、障害者運動がつかんだ価値観を伝え続けたい。【聞き手・遠藤哲也】

美沢団地で住民と市役所との話し合い

2006年06月24日 |  #玉島 #平田
ビラを白川と学園町に配布。昼から美沢団地集会所での団地通り抜け道路(沢良宜野々宮線)を巡って住民と市役所との話し合いに参加、やり取りを傍聴する。夜は玉島公民館の体育部会の会議。秋の三点バレー、ソフトボール大会の内容について協議する。写真は玉島幼稚園

反核平和の火リレーで要請

2006年06月23日 |  #玉島 #平田
午前中ビラ配布。昼から反核平和の火リレーで担当課に要請書提出。夜は新社会党府本部執行委員会。写真は視察で早起きし走りながら写したもので東大医学部戦没同窓生の碑 

身体と対話しながら日々を送る

2006年06月22日 |  #玉島 #平田
寝不足もあってか肩こりがきつい。それで昨日、1時間ほど身体をほぐしてもらった。昔から身体は比較的柔らかい方で、前屈で膝に顔は着くし、立位で手のひらが地面にも着いた。しかし最近は走る関係で足のストレッチはしても全身の柔軟体操は何もしていない。画面に向かってキーを叩く時間も多く、筋肉や血液の流れが偏っていたのだろう。昨日はほぐしてもらった効果が出てかなり柔らかくなった。今日も思い切り身体を伸ばし気持ちがいい。50を過ぎた事もあって身体と対話しながらの日常にしたいと思う。写真は東京台東区不忍池
トラックバック (1)

保育所請願の討論を巡って空転

2006年06月21日 |  #玉島 #平田
最終本会議。10時に開会したものの、直後、共産党・阿字地議員の三島保育所保護者会から出されていた請願に賛成の討論を巡り空転する。討論の内容が議案外だと与党議員が騒ぎ出したのが発端。確かに冒頭部分に違和感はあったが、他人の討論の内容に干渉して短縮しろとか内容を変えろというのは道理にあわない。共産党も譲りようがない。どうしても納得できなければ阿字地議員の討論終了後、ルールに則って発言したらいいだけの事である。議会運営委員会、幹事長会、また議会運営委員会と開催された後に再開。阿字地議員の討論で怒号が飛び交う場面もあったがとにかく前に進んだ。

 その後で意見書を巡って議員同士のやり取り。私は人権侵害の救済のための法的整備で中村議員に質問、共謀罪の慎重審議を求めて趣旨説明し、菱本議員と木本議員の質問に答弁したが、完全燃焼とはならなかった。

写真は文京区竹久夢二美術館
トラックバック (1)