平和とくらし  #茨木市議会議員 #山下けいきの日々是好日

平和憲法が私の原点。鹿児島の吹上浜、桜島が原風景。毎週阪急3駅、JR2駅の5駅をのぼりを背負ってアピールランしています。

教訓Ⅰ作詞/作曲 加川良

2007年05月30日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
 午前中「お元気ですか」の配布。午後から9条ネット・近畿 参議院選勝利、9条への思いを国政に届ける集いの準備。

 安倍政権は戦前の靖国史観にどっぷりと浸かったメンバーが大半で、自分は安全地帯に身をおいて、「私指揮する人、国民は戦場に行く人」が100%のように思えます。傲慢な人たちです。

 国民が自公を支持する限り、やがて来る軍国時代に「教訓Ⅰ 作詞/作曲 加川良」はどうでしょうか。以下私が時々訪問する 青春音楽館から 「教訓Ⅰ 作詞/作曲 加川良」によせる館長のメッセージ

昭和20年3月21日
陽光うららかな日 美しく立派に散るぞ
そう言って 一番機に向かう友の胸に
俺は まだつぼみだった桜の一枝を 飾って贈った
明日は俺の番だ
死ぬ時が別々になってしまったが
靖国神社で逢える
その時は きっと 桜の花も満開だろう

3月26日 
花 さわやかに開く日 お父さん お母さん
ただ今より出発します
この世に生を受けて23年
まさか お父さんやお母さんより 早く死ぬとは思ってもみませんでした
お母さん 泣くなと言うのは無理かもしれません
でも どうか よく死んでくれた!
そう言って下さい
私達は祖国を護るために死んでゆくのですから

4月2日
春雨のけむる日 幸か不幸か 俺は まだ 
今日も生きのびている
だが 雨が上がり 虹が橋をかけ
あかね色の夕焼け空が広がる時に 俺は必ず征く
後に続くことを信じて
俺達の死を 決して 犬死にしてもらいたくないのだ
海軍少尉 小野栄一 身長五尺七寸
体重十七貫五百 きわめて健康!

             「同期の桜(台詞)」-鶴田浩二

仁侠(やくざ)映画のスターで、NHKドラマ「男たちの旅路」でも渋い名演技を見せてくれた俳優の鶴田浩二(本名小野栄一)さんが、「同期の桜」という軍歌のメロディーをBGMにして、歌うのではなくて、朗読をしていたのが、この日記あるいは手紙または遺書のような文章でした。

鶴田さんは、「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しい ものを欲しがるもんでございます。」という名セリフ入りの「傷だらけの人生」で日本レコード大賞大衆賞も受賞しています。

しかし、やはり、本業は俳優だけに、歌わなくて済む分、セリフに集中できたからでしょうか、いつもの朴訥とした語り口の中に、力強い独特の鶴田さんのセリフ回しの朗読は見事でした。

そして、朗読の文章から、自然と一編のドラマが浮かんできて、ぼくは当時、左翼思想・反戦思想に魅かれていたはずなのに、なぜか心情的には右翼になっている自己矛盾に悩んだものです。(笑)

     貴様と俺とは同期の桜
     同じ兵学校の庭に咲く
     咲いた花なら散るのは覚悟
     みごと散りましょ国のため

     貴様と俺とは同期の桜
     同じ兵学校の庭に咲く
     血肉分けたる仲ではないが
     なぜか気が合うて別れられぬ

     貴様と俺とは同期の桜
     同じ航空隊の庭に咲く
     仰いだ夕焼け南の空に
     未だ還らぬ一番機

     貴様と俺とは同期の桜
     同じ航空隊の庭に咲く
     あれほど誓ったその日も待たず
     なぜに死んだか散ったのか

     貴様と俺とは同期の桜
     離れ離れに散ろうとも
     花の都の靖国神社
     春の梢に咲いて会おう

      「同期の櫻」-作詞/西条八十 作曲/大村能章

1945年(昭和20年)8月15日に終戦を迎え、アメリカによる占領と復興政策が続き、ようやく1952年(昭和27年)にサンフランシスコ平和条約が発効して、独立国として国際社会に復帰しました。

1956年(昭和31年)に発表された「経済白書」で「もはや戦後ではない」と言わしめ、戦前をしのぐ経済復興を成し遂げましたが、戦後の軍国主義批判の流れの中で規制されていた軍歌も懐かしのメロディーという形で、ラジオやテレビ放送で復活しました。

戦後ベビーブームの団塊の世代以降の「戦争を知らない子どもたち」が、軍歌を歌えるのは、親の世代が歌えるからということよりも、そのラジオやテレビの放送の影響の方が大きいからだと思います。

また、大音量で軍歌を流しながら、傍若無人に走り回る右翼たちの街宣車や、大衆娯楽のパチンコ店のBGMの影響もあるとは思いますが。(笑)

もちろん、全国的な広がりを見せた学生運動、吹き荒れた学園紛争では、軍歌と対峙する、いわゆる反戦歌も盛んに歌われました。

こぶしを振り上げて、戦争反対というシュプレヒコールに合うような反戦歌があったり、また、戦争の悲惨さを悲しげに歌うような反戦歌もありました。

   命はひとつ 人生は一回
   だから命を棄てないようにネ
   慌てるとつい フラフラと
   御国のためなのと 言われるとネ

そんな中で、なんともスローテンポで、牧歌的な雰囲気すらする、この歌が登場したのは新鮮でした。

しかし、そんな歌のイメージに関わらず、強烈なメッセージが含まれ、かなりの重みもある歌です。

大切ないのち、かけがえのない人生を、かって「御国」のために棄てることが美徳のように扱われた時代を想い起こさせ、その危険性を語り口調で、教えさとすようにしながら、警鐘を発しています。

   御国は俺達 死んだとて
   ずっと後まで残りますヨネ
   失礼しましたで 終わるだけ

   命のスペアはありませんヨネ


そして、国家とは何なのか、国を守るとは何なのかを問い、国を守るために死に追いやられる個人に対して、国家は何をするのかを鋭く問いかけます。

   命をすてて男になれと
   言われた時には震えましょうヨネ
   そうよ私は女で結構

   女の腐ったので構いませんよ


今では耳にしなくなりましたが、「戦後強くなったのは女性と靴下である。」、という言葉がありました。

戦前のシルクから戦後のナイロンのストッキングへ置き換わったことと、戦後民主主義の中での男女同権の動きを、やや揶揄するような表現で、いまならこの言葉さえも、セクハラになりかねないですね。(笑)

まして、いまは「女の腐った」などという表現をすれば、すぐに社会問題化しそうですね。

でも、女々しい(めめしい)だとか、男らしくないだとかの慣用表現は、いまだに使われています。

もっとも、性転換手術の技術もすすんで、また、性同一性障害による手術の社会的・制度的認知もすすんでいますから、こんな表現も遅かれ早かれ、「歴史的表現」となるのでしょうか。(笑)

   死んで神様と言われるよりも
   生きてバカだと言われましょうヨネ
   奇麗事ならべた時に
   この命棄てないようにネ

死んで仏様になる、成仏するというのは、仏教の教えにありますが、死んで神様になるというのは、本来的には、神道的な発想ではないような気がします。

むしろ、天満宮、天神の社などでの学問の神様、菅原道真の祀り方のように、崇敬や顕彰の意味もあるでしょうがむしろ畏怖が基本にあるように思います。

戊辰戦争で殉じた官軍兵士の霊を慰めるために、東京招魂社として創建された神社は、のちに改称して靖国神社となり、その後に続く、幾多の戦争による戦死者を国家として慰霊するための施設となり、やがて国家神道の象徴たる神社となります。

名誉の戦死をすれば護国の鬼、英霊として、神様として、祀り上げることを代償にして、士気を高めて戦争へと駆り立てるための、いわばマインドコントロール施設としての役割を担ったといえると思います。

いろんな意見があるかと思いますが、歴史的には、靖国神社は、純粋に戦没者を追悼し慰霊するためだけの施設ではなく、国家が戦争を遂行するための国策、軍国主義政策の推進のために利用してきた経緯のある施設であり、この認識が、いわゆる「靖国問題」の本質であると、ぼくは考えます。

そんな歴史的経緯も踏まえずに、あるいは意図的にすり替えて、その施設を参拝して、戦没者を追悼することのなにが悪いんだ、他国から参拝について批判されるいわれはないのだと、開き直る政治家がいて、これに理解を示す国民がいます。

確かに、遺族感情からすれば、お国を守るために死んで、だから英霊と祀られたのだから、国家が責任を持って慰霊するのは当然だと、思わずにはいられないことは、心情として、理解できます。

いまさら、その死が何の役にも立たない、無駄な死に方、犬死だったと言われることに、腹立たしさやむなしさを覚えることにも、共感できます。

しかし、その一人の兵士の死が、敵味方多くの兵士の死につながり、そして兵士でない敵味方多くの市民の死にまでつながっていったことも、決して忘れてはいけません。

人と人とが殺しあうのが戦争なのです。
だからこそ、戦争が悲惨なのです。

そして、冷静になって歴史を振り返えってみたときに、その歴史の分岐点で、選択肢の誤りはなかったのか、ほかにとるべき道は、方策はほんとうになかったのか、それを検証すべきです。

そして、二度と悲惨な戦争を起こさないという不戦の誓いと反戦の行動を続けていく、それが、戦争によって亡くなられた方々の至誠に報いることであり、真の慰霊につながることだと、ぼくは思います。

   青くなってしりごみなさい
   逃げなさい 隠れなさい


ときとして立ち止まることも、場合によって後退することも必要なときがあります。

それも勇気がいることなのです。


ひとつの結論を早く導き出すことが、なにも決断力や実行力があることではありません。
性急にして、拙速に、とりかえしのつかないことをするよりも、熟慮しながら、地道に進めばいいのです。
壊して創る方法もあれば、創ってから壊す方法もあり、多様な進め方があっていいはずです。

戦没者の慰霊とはなにか、慰霊の方法や手段として、どんなことが考えられるのか、どう行動していくのかを、悲惨な戦争の歴史の教訓に学びながら、国民みんなで考えていくべきときだと思います。

多くの戦没者の方々の平和の礎のおかげで、半世紀以上も平和な時代を享受できた世代の私たちが、またその礎となって、次代へ、子どもたちへ、平和を引き継ぐことが、いま求められています。


加川良さん、1947年(昭和22年)11月21日生まれ、滋賀県出身のフォークシンガーです。
高田渡さんのマネージャーをつとめ、1970年(昭和45年)の第2回中津川フォークジャンボリーで、飛び入り出演して発表したのが、この「教訓Ⅰ」です。

翌年の第3回中津川フォークジャンボリーでは、「人間、なんて、ララララララララー♪」と絶叫する吉田拓郎さんと人気を分かちあっていました。
ちなみに、吉田拓郎さんのメジャーレーベル移籍の第一弾「元気です。」というアルバム」には、「加川良からの手紙」という曲が収録されています。

     拝啓 僕はとても残念でした
     あの日 君が
     ホワイトジーンでなかったことを
     スカートもいいけれど
     ホワイトジーンなら もっと
     カッコ良かったと思います
        「加川良からの手紙」-よしだたくろう


ともかく加川さんの、青くなってしりごみなさい、逃げなさい、隠れなさい、などと、まるで臆病者として生きることへの教訓的すすめが、「反戦の闘い」を声高に叫び、機動隊と「戦争ごっこ」していたデモ隊よりも、実に新鮮で、カッコ良かったと思います。(笑)

(初稿2005.7 未改訂)

教訓Ⅰ 作詞/作曲 加川良

命はひとつ 人生は一回
だから命を棄てないようにネ
慌てるとつい フラフラと
御国のためなのと 言われるとネ
青くなってしりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい

御国は俺達 死んだとて
ずっと後まで残りますヨネ
失礼しましたで 終わるだけ
命のスペアはありませんヨネ
青くなってしりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい

命をすてて男になれと
言われた時には震えましょうヨネ
そうよ私は女で結構
女の腐ったので構いませんよ
青くなってしりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい

死んで神様と言われるよりも
生きてバカだと言われましょうヨネ
奇麗事ならべた時に
この命棄てないようにネ
青くなってしりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい

1971年(昭和46年)

写真は大会当日に坂手港についたマラソンランナーたち サイクリングターミナルから

コメント (2)
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9条への思いを国会にとどける近畿の集い

2007年05月30日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
6月2日の「9条への思いを国会にとどける近畿の集い」の案内と連絡に追われる。大きなイベントをかかえていると落ち着かない。一体どれだけ来てもらえるだろうか。手配で抜けているものはないだろうか。単なる一員としての参加はいかに楽かと思ってしまう。

 午後、6月議会の説明会と市政相談の処理、「お元気ですか」(学校給食を考える特集号)の配布依頼。夜、新社会党の府本部執行委員会で参議院選挙、東大阪市議選について相談する。

 写真は小豆島坂手港の夕焼け

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安倍内閣は総辞職しかない。

2007年05月29日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
  安倍内閣の支持率が急落である。本業とすべき年金、医療、介護といった国民福祉は切捨て、趣味の右翼改憲三昧だから当然だろう。
 
 現職閣僚がカネの問題で前代未聞の自殺となれば支持率は更に急降下だ。「安倍首相がかばったのは松岡大臣ではなく、自分の首相の座だった」として内外の酷評は高まるばかり。外国からも小ばかにされるのがおちである。歴代自民党首相も相当だったが、これだけ無能、無策に加えて判断能力の欠如も明らかになった首相もない。自民党が参院選を考えるのであれば内閣総辞職か、内閣不信任決議の動きをして、党の顔も一新する以外ない。と、思う。私の心配するところではないが・・・。

 「新社会」の配布、集金。参議院選挙で連絡調整。反核平和の火リレーの準備。夜は学校給食について話し合い。

 

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9条ネットが10名の公認候補を発表  松岡農相自殺

2007年05月28日 |  #憲法 #平和 #民主 #人権 #茨木市議会議員
 現職大臣の自殺というショッキングな事件が起きました。危機管理ゼロのぼっちゃんがつくった、やたら内弁慶かつ戦争好きの最低最悪内閣ですが、「安倍内閣って一体なに」の声は更に高まりそうです。

以下、松岡農相の自殺に関しての毎日新聞の記事から

 安倍晋三首相は、松岡利勝農相が緑資源機構の談合事件に絡む政治献金を受け取っていた問題や光熱水費疑惑で与党内から辞任要求が出ても、擁護し続けた。柳沢伯夫厚生労働相が「産む機械」発言や公的年金の支給漏れ問題で批判を浴びていることから、「辞任ドミノ」を招き政権が弱体化しかねないと懸念したからとみられる。だが自殺という結末を迎え、首相の対応は裏目に出た形だ。

<中略>

 自民党町村派の幹部が「地方を回れない農相、都会を回れない厚労相を抱えていては、参院選は厳しい」と参院選前の内閣改造に絡めて両閣僚を更迭するよう進言しても、首相は笑って聞き置くだけだったという。
 だが各種世論調査で3~4月に内閣支持率が横ばいや上昇に転じ、「首相のぶれない姿勢が評価された」と首相周辺が喜んでいたさなか、公的年金保険料の大量の納付記録が不明になった問題で支持率が急落。松岡農相の自殺が重なり、政権の受けた打撃は計り知れない。

「本当にショックだ」(首相周辺)、「首相にはかばい過ぎた責任がある」(津島派幹部)、「参院選にどう跳ね返るかわからない」(町村派若手議員)との見方が錯そうしている。【佐藤千矢子】

 私が呼びかけ人となっている9条ネットが今夏の参議院議員選挙の公認候補を記者会見で発表しました。お名前と経歴は以下の通りです。なお全国紙には明日の朝刊に載る予定です。

 07年参議院議員選挙・全国比例区公認予定候補者

天木 直人 あまき なおと 59歳 
 1947年山口県生れ。京都大学在学中の1969年、外務省入省。元駐レバノン特命全権大使。米国のイラク攻撃は間違いであり、日本はそれを許してはならないとして意見具申し、勇退を迫られた。その後出版した『さらば外務省』がベストセラーに。

石川 一郎 いしかわ いちろう 65歳   
 1942年山形県生れ。県立高校卒業後、東北電力に60歳まで勤務。37歳で鶴岡市議会議員に立候補し、以降連続7期当選。64才を以て市会議員を勇退。2003年、基本財産1億円の「社会福祉法人月山福祉会」として県知事認可を得、05年から理事長。

栗原 君子 くりはら きみこ 61歳
 1946年広島県生れ。県立安田女子高校卒、熊野町町議会5期、参議院議員1期。現在、新社会党中央本部委員長、重慶大爆撃の被害者と連帯する会・広島代表。

小松 猛 こまつ たけし 64歳
 1942年愛媛県生れ。名古屋工業大学2部工業化学科卒業。1975年4月から1999年4月まで、豊明市議会議員。2005年7月から「とよあけ9条の会」 呼び掛け人。

小山 広明 こやま ひろあき 65歳
 1942年岩手県生れ。74年 大阪泉南市市長選が「無投票」との報道に接したため立候補。落選。82年 会社(谷本鉄鋼株式会社)に労働組合を結成し委員長に。また、関空反対運動にかかわる。88年 選挙7度目にして、泉南市議選に初当選。その後5期(2位)連続当選。5期目途中で市長選に出馬、落選。07年、大阪府議選に出馬、現職との一騎打ちで41.8%を獲得。

ZAKI ざき (本名:野崎 昌利) 44歳
 1963年北海道生れ。作曲、編曲家、プロデューサーとして、SMAPや海外ではMEJAなど多くのアーティストの作品や、CM音楽を手掛ける。現在は弾き語りを中心とした、半農半漁の自給自足シンガーソングライダー。最近ではTV番組の”10万円で暮らせる田舎町”や”銭形金太郎”などに出演、全国に活動が紹介される。

鈴田 渉 すずた わたる 37歳
 1969年大阪府生れ。北九州市立大学大学院法学研究科修士課程(憲法学)終了、山口大学大学院博士課程(平和学)在学、9条の会・北九州憲法ネット代表世話人。

成島 忠夫 なるしま ただお 64歳
 1942年静岡県生れ。1960年 静岡高校3年のとき、安保反対の6・15行動のなかで樺美智子さんの死を知り、一高校生として静岡市内の街頭デモに参加。1967年、全学連(三派系)副委員長。現御前崎市の中部電力浜岡原子力発電所の水蒸気爆発事故がおこり、座視できず、阻止行動に参加。

藤田 恵 ふじた めぐみ 67歳
  1939年徳島県生れ。中央大学法学部卒、NTT職員、毎日新聞特約記者。木頭村村長に当選、細川内ダム計画を中止させる。みどりのテーブル徳島代表、水源連顧問。  →詳細


 07年参議院議員選挙・兵庫選挙区公認予定候補者

原 和美 はら かずみ 57歳
 1950年福井県生れ。神戸外国語大学卒業。1983年4月、神戸市議会議員に初当選(北区選出)。以来、連続5期当選。2003年11月、衆議院議員選挙(兵庫1区)をはじめ、2004年7月の参議院選挙(兵庫選挙区)、2005年9月の衆議院議員選挙(兵庫1区)に、護憲派の立場から立候補。現在戦争への道を許さない・兵庫おんなたちのネットワーク代表、I女性会議兵庫県本部顧問、合成洗剤追放北区の会会長、平和への共同・ひょうごよびかけ人代表。

写真は原 和美さん 9条ネット・兵庫から



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レースも宿も楽しかった小豆島オリーブマラソン

2007年05月27日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
  今年で30回の記念大会を迎えた小豆島オリーブマラソン。真夏を思わせる太陽を浴びながら走りました。

 私は月間100k弱しか走っていない常時練習不足のいい加減ランナー。木曜日にビラ配りで15キロ走った疲れがとれないままスタート。疲れはないぞと自分に言い聞かせて走りました。1㌔4分30秒でタイム1時間35分が大目標。残り6キロまでは順調でしたが、最後はペースダウン。それでも1時間36分47秒と昨年よりは3分弱タイムを縮め上出来といえるもの。なお成績は50代男子で46位 、総合253位、ハーフ男子総合238位でした。

 同宿となったランナーは京都伏見、横浜、尼崎から。尼崎の方はどちらも弱視のご夫婦ランナー。ミントの視力障がいのあるMさんの話をしたら、伏見の方が「近所の人でよく知っている」・・・と、なり、世間は狭いなとビールを飲みながら走ること、世間話に花が咲き楽しいオリーブマラソンとなりました。

 なお、公民館の体育部会の会議があり、JR茨木駅からその足で玉島小学校に向かいました。

 写真はゲストの千葉真子さん。

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山下HPで9条への思いを国会にとどける集い、候補者を紹介

2007年05月26日 |  #憲法 #平和 #民主 #人権 #茨木市議会議員
 昨日、9条ネット・近畿、9条ネット・大阪懇談会と二つの会議をこなしました。雨の中、来てくれた方に感謝です。

 HPのトップで6月2日の集会の内容をお知らせし、出演する人のHPも分かる範囲でリンクしました。候補者として、それぞれの思いも述べられています。見ていただければありがたいです。

 今日はオリーブマラソンに出発。参院選は気になりますが、割り切って楽しむ事にしました。それでも頻繁に東京から連絡が入り、28日の記者会見に向けて詰めの調整に追われました。

写真は安威川袖ふれあい駅伝。マイクを握っているのは元旭化成の陸上部の高尾憲司さん。
以下、「おしえて!ランナーズ!!2006年6月」からの抜粋(2006年6月24日放送)

W(若林順子):昨年の8月まで旭化成の陸上部に所属されていました高尾憲司さん。実業団時代は、セビリア世界陸上にも出場されていました。お正月の全日本実業団駅伝では、区間賞を何回もとってらっしゃいます。退部されて、地元・京都に戻ってこられました。もう・・・京都の生活には、慣れました?

T(高尾憲司さん):そうですねえ。12年間実業団にいましたから、人生のほぼ半分を向こうにいたわけですので、帰ってきた~というより、新しい環境に帰ってきた~という感じですね。

W:実業団の生活って、厳しかったんでしょうねえ。
T:プロですからね。普通の感覚ではないですね。切り詰めて、自分を追い込んでどれだけやれるか~ですから。大好きなビールも大きな目標の大会までは、一切、カットしてました。

W:やはり、食事の面も・・・。
T:走るという動作は、簡単な動作ですけど、スポーツの基本ですから、それだけに体調管理がむつかしいんです。

W:どんな練習を?
T:一日30キロ走ってました。多いときは、合宿とかでは、60キロ。厳しいというより、目標に向かって、やることが生きがいでしたので、大きな故障をして、苦労したこともありましたが、楽しい実業団生活だったと思います

W:そして、京都に戻られて、5月、安威川駅伝で走ってらっしゃるのを見て、びっくりしました!! T:(笑)あれは、会社のほうから、出てくれ~といわれて、でたんですが、すごい緊張しましたよ。どういうふうに走ったらいいのか、難しくて・・・・。一応、世界を経験したものとして、思いっきり走っていいものかどうか。何をムキになってるんだ~と思われるんじゃないかとか、かといって、ゆっくり走ると、なめてるのか・・・となるし。。。でも、結局、勝負師なので、走り出したら、ムキになって、思いっきり走っちゃいました。(笑)

W:いや・・・思いっきり走ってらっしゃったんで、感動しました!!
T:じゃ~~これからも、思いっきり走ります~。


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労働貴族はびこる連合に未来はない

2007年05月25日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
 かつて権利の全逓と言われ郵政労働者が誇りを感じていた全逓。名称を変えたのはまだしも、当局の労務部といわれた全郵政に頭を下げて合併する様を見て、この歌を引っ張り出しました。

 昔「総評、社会党」、今「連合・民主党」に変節した労働貴族、議員にささげる歌です。全電通、全逓、自治労、日教組、国労・・・。かつて勇名を馳せた労働組合が弱くなった原因の一つ、労働貴族。そして自・公とちゃらちゃらする民主党議員。日本政治の混迷はまだまだ続きそうです。

180°回転

詞・曲 高田渡


♪ かつての組合書記長 今の会社重役
組合員をおだてた経験で社員に訓示する
180°回転這い上がる
昨日の友は今日の敵となる
 
労働歌よりは小唄の稽古して
団交のときは反対側の席に
180°回転這い上がる
昨日の友は今日の敵となる
 
昔攻撃された言葉を
相手に浴びせ ポーカーフェイスで馴れ合いの猿芝居
180°回転這い上がる
昨日の友は今日の敵となる
 
大衆の拍手の代わりに 自家用車で迎えられ
赤旗でなく ゴルフのクラブを振り回す
180°回転這い上がる
昨日の友は今日の敵となる

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『美しい国』とは、国民を管理し、愛国心を強要し、戦争に行かせる国のことか

2007年05月24日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
 「お元気ですか」配布。夜、西日本入管センターを考える会の会議。9条ネットの各種対応に追われる。「お元気ですか」議会報告号遅ればせながら原稿書き。

 私たちの9条ネットは10名の候補者を確定する最終段階に入っている。この28日には記者会見して、9条、平和憲法を広げる候補者名を明らかにする。元駐レバノン大使の天木直人さんザキさんも予定候補者である。1本筋の通った、かめばかむほど味のある面々ばかり。問題は有権者のかむ気力(政治センス、知性)にかかっている。

 一方自民と民主は金と権力に飽かせて公認候補を目いっぱい立てる。玉石混交ならまだしも、粗製濫造である。甘く見える正体は合成甘味料、着色料、それに体内深く染み込んだ小選挙区制の毒の所為に他ならない。

 これまでの「反自民」発言は棚に上げて自民党から出る候補者もおれば、少数者の権利を守るとして自らは改憲民主党から出る候補者もいる。こんな候補者を見ていると「国会議員は己を飾る単なるブランドかいな」と突きつけたくなる。そう思うのは私だけだろうか。

以下は全くその通りといいたくなる『日刊ゲンダイ』5月23日号から

悪政暴政下に荒れ狂うこの国の世相
現実はものすごく「醜い国」だ


安倍首相は丸川珠代元アナに、「美しい国づくりを手伝ってほし
い」と参院選出馬を頼んだらしい。丸川元アナは「前向きに考える」
とか言っていたが、このやり取りには鼻白む。

何が「美しい国」づくりだ。安倍が首相になってからというもの、
この国は美しくなるどころか、どんどん醜悪になっているではない
か。

例えば、凶悪事件の数の多さ。先週末に起きた愛知立てこもり事
件といい、その前の東京・町田の籠城といい、日本は完全に銃社会
だ。長崎市長が銃殺され、都内では暴力団同士の銃撃事件が相次い
でいる。愛知の立てこもりで逮捕された大林は、実弾を少なくとも
22発も持っていた。

福島では母親を殺した高校生が生首を持って警察に出頭した。生
きたまま首を切り落とし、腕を切断したうえ、ペンキを塗って鉢植
えに刺していた。身の毛のよだつ犯行だが、近ごろは似たような事
件が続発している。

妊娠していた元妻を殺して大阪湾に沈めた無職男が兵庫で逮捕さ
れたし、18歳の少女を暴行して小指を切断した三重の少年少女らが
捕まった。いずれも今月の事件である。

1月には東京・渋谷の歯科医師宅で兄の予備校生が短大生の妹を
殺してバラバラにした。外資系会社員の夫を妻が殺し、切り刻んだ
事件も記憶に新しい。3月に英国人英語講師リンゼイさんを惨殺し
た職業不詳、市橋達也は今も逃亡中だ。

こんな陰惨な事件が頻発しているのに、安倍はシレッと「美しい
国」とか言う。家の中はグチャグチャに家庭崩壊しているのに、外
面だけは取りつくろっているバカ親みたいだ。


●デタラメ政治が助長している犯罪の多さ

1件、2件ならいざ知らず、これだけ凄惨な事件が連鎖して起こ
るのは、間違いなく政治にも責任がある。犯罪心理学に詳しい聖学
院大客員教授の作田明氏はこう言うのだ。

「世の中が競争社会になり、子供たちの間でも勝ち負けがハッキリ
し始めた。福島の母親殺しの少年は中学時代にちやはやされたが、
高校生になって大勢の中で埋没し、自分を見失った。大人たちも勝
ち負けに焦り、世の中全体がギスギスしている。彼らのストレスは
自分よりも弱い者や身内に向かう。政治がこうした暗い世の中、競
争社会を助長しているのです」

元暴力団の犯行はともかく、青少年の犯罪の多さは、背後に教育
の荒廃や競争至上主義、格差社会への不安などがある。似たような
犯罪がしょっちゅう起こっているのが何よりの証明だ。

最近は、滋賀の電車内で起きた連続レイプ事件や、大阪のステー
キ屋で店長が客の女性を監禁、レイプした事件もあった。みんなが
飢えと貧困にあえぎ、モラルもなく、やけっぱちになっている発展
途上国みたいだ。


●ドサクサ紛れで監視強化の悪辣政治

恐ろしいのは安倍の居直りだ。自分の失政を棚に上げて、教育現
場の荒廃を家庭のせいにしようとしている。教育再生会議は子育て
指針「親学」なるものを持ち出してきて、議論になった。

「徳育」の復活ももくろんでいる。逆らう教師を排除し、教育への
国の介入強化も狙っている。その一方で、犯罪防止を錦の御旗に社
会の監視強化に突き進むつもりだ。

立正大教授の金子勝氏(憲法)がこう言う。

「安倍首相の言う『美しい国』とは、誰もが安心して住める犯罪の
ない国のことではなく、国民を管理し、愛国心を強要し、戦争に行
かせる国のことなのでしょう。教育基本関連法案を見ても絶望的に
なってきます。教員に階級制を設ければ、イジメがなくなるのか。
あまりにも安直です。教師が出世ばかりを考えていたら、子供はま
すますおかしくなっていきます」
安倍の「美しい国づくり」には怪しいニオイがプンプンだ。


●このままでは中高年フリーターの自殺が増える

安倍政権は経済政策も「ヒドイ」の一語だ。首相になる前は再チ
ャレンジなんて言っていたくせに完全にスットボケている。この怠
慢は犯罪的だ。

「地方経済の疲弊は、安倍政権になってからますますひどい状況に
なっています。地場産業は崩壊している。こういうときこそ、政治
の力が必要なのに、小さな政府を口実に何もしようとしない。格差
是正に取り組むそぶりを見せながら、具体的なプロセスを示してい
ない。そんな中、景気のピークアウトが鮮明になってきた。これは
深刻です」(立大敦授・山口義行氏=経済学)

最近は中高年フリーターなる言葉がある。新卒の雇用は増えてき
たものの、リストラされた中高年が取り残されて、あぶれている。

相変わらず自殺する人の数も多い。日本では98年以降、毎年約3
万人が自殺をしている。人口10万人当たりの自殺率は、欧米諸国と
比較すると突出している。安倍政権は先月末、「自殺総合対策大綱」
の素案をまとめたが、「9月10日から1週間を自殺予防週間にあて
る」など愚にもつかないことを羅列していた。「美しい国」なんて、
笑わせるのだ。

中高年はリストラされたらオシマイだから、今ある会社にしがみ
つく。サービス残業は当たり前。その結果、うつ病などの過労自殺
(06年度)は対前年比1.6倍になり、脳・心臓疾患による労災認定
件数は過去最多になった。厚労省は他人事のように「長時間労働や
成果主義の浸透などが主な原因」とか言っている。フザケタ話だ。


●またバブルがはじけ醜悪な不正が露呈する

安倍政権は氷のように冷酷だ。大企業の決算を後押しするために、
円安政策をとり続け、そのためにデフレを容認している。

日銀が利上げしようとすると、デフレ懸念を口にし、封じ込めて
しまう。超低金利が続けば、年金生活者は干上がってしまうし、円
安に拍車がかかる。輸入品が高くなるだけではない。外国企業やフ
ァンドは格安で日本企業や不動産を買えるようになる。政府が日本
を叩き売っているようなものだ。

買収危機にさらされている企業は、株価を上げようと必死だ。
その一方で、マネーゲームも過熱している。設備投資なんてバカ
バカしいから、手っ取り早いパソコン投資で儲ける。あるいは不動
産投資であぶく銭を狙う。裏にはハゲタカファンドや新興企業、暴
力団もいる。有象無象がそれぞれの思惑で入り乱れ、怪しい相場を
つくっている。

「そのバブルもそろそろ崩壊するとみられています。結局、マトモ
な景気回復ではなかったことが割れると思います。その時、パンド
ラの箱が開く。日興コーディアルがいい例ですが、粉飾や不正が露
呈する。マトモな経営者は今の経済状況を相当深刻に考えている。
ところが、安倍政権は経済政策を担う大臣の顔すら見えてこない。
経済人は呆れていますよ」(経済ジャーナリスト・有森隆氏)

腐っているのは役人も一緒だ。社保庁の技官が逮捕され、緑資源
機構のお手盛り談合にも呆れた。石を向いても左を向いても、世の
中、腐りきっている。安倍は責任を取るべきだ。日本をかくも醜悪
な国にして、よくもまあヌケヌケと居座れるものだ。

この期に及んで、改革だとか教育再生だとか、トンチンカンなこ
とを言い続ける安倍の魂胆は、目くらましだ。自分の失政に矛先を
向けさせないための方便である。こんなデタラメ政権は引きずり降
ろし、解散・総選挙で出直さなければダメだ。

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9条が改悪されようとしているのに、のほほんとしているわが国民

2007年05月23日 |  #憲法 #平和 #民主 #人権 #茨木市議会議員
新社会党近畿ブロックの会議が昼から。全国、近畿の状況を確認しながら、6月2日の9条ネット近畿集会に全力をあげることに。

 支持者からありがたいメールをいただいたのでご紹介します(一部変更していますが・・・)。ほんとに元気が出ます。

「9条ネット」のご案内、ありがとうございました。本日(5/21)賛助金を9条にちなんで9口払い込みました。ごくわずかな金額でほんの「気持ち」程度ですが、これだけでも役立てていただければ、と思います。

 いま、三浦綾子さんの書いた「銃口」という本を読んでいます。上下2巻のかなりぶ厚い本で、まだ上巻の半分も読んでいませんが、先のほうをナナメ読みすると、昭和一桁から十何年あたりの日本人について「日本と中国が戦争してるってのに国民はのほほんとしている・・・」といった旨の記述がありました。

 今の日本にとてもよく似ていると思いました。9条が改悪されようとしているのになんでこの国の大半の「奴ら」は何とも思わないのか。物語としては非常におもしろい本なのですが、その他の場面でも、戦前(と今に共通する)日本の暗さを知るにつけて、ページをめくる気が重くなっていく一面を感じます。

 現状だけ考えると、正直、萎え萎えになりそうですが、まだ「9条ネット」もあれば、既存の護憲勢力もあるので、できることをしていこうと思います。

 できる限りのことといいたいところですが、職場が忙しすぎて「9条ネット」の活動をお手伝いすることは今のところできそうにありません。

 ということで、ご案内にありました集会には参加できません。集会の様子をホームページ等でお知らせいただければ幸いです。実際に活動をしている山下さんのような人たちが一番大変かと思います。力になれず気が引けますが、がんばってください。

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「教え子を再び戦場に送るな」

2007年05月22日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
 午前中は市民相談(児童福祉の件)。午後から9条ネットの関係で事務作業、機関紙「新社会」の配布。

 教育三法案の改悪反対の声を大きくしなければと思っていると次のようなHPが目につきました。

 私のHPの音楽館ではじめの方に取上げている★☆★青春音楽館★☆★の中にある「まぼろしの翼と共に」に対する青春音楽館館長のコメントです。

 教育現場が度重なる法律の改悪でガタガタにされ、事実ではない神話から軍隊の非人間性を覆い隠す近現代史など支配者にとって都合のいいウソがまかり通る、そんな暗黒時代に、もうなっているような気がしますが、おかしいと言う声を出し続けたいと思います。

ここから青春音楽館館長のコメントです。

夏休みの職員室。

部室の鍵を借りに入ったぼくは、入り口近くの掲示板のポスターを貼り直している先生と目があった。

「あれ、N、今日は部活なの?。」

声をかけてくれたのは、一年のときの副担任で、日本史の女の先生のHだった。

クラスの男子女子を問わず、名前に、君やさんをつけずに呼び捨てにするのは、体育会系でない文科系のぼくには、かなりの驚きで、それまでに会ったことがないタイプの教師だった。

ぼくはうなづいて、「鍵をとりにきました。」と言って、彼女のそばを通り過ぎようとしたときに、彼女がとめかけていた押しピンが、ピシッと勢い良く鋭い音を立てて外れ、ぼくの足元に転がってきた。

ポスターがパラリとめくれて、慌てて両手で押さえている彼女に、ぼくは押しピンを拾って近づき、その押しピンを力いっぱい掲示板に押し込んだ。

「N、ありがとう、助かったわ。さっきから、このポスターが、風でなんども剥がれかけて、困ってたのよ。」

そう言って彼女は、一歩下がって、貼り直し終えたポスターを眺めた。

「教え子を再び戦場に送るな」という文字が大きく書かれてあり、そして、いわさきちひろの描いた子どもの絵が添えられた図柄のポスター。

ぼくは、それがなんとなく懐かしい風景を見るような気がして、何気なく、「教え子を再び戦場に送るな」という文字を、声を出して読んだ。

「あらっ、Nは、このスローガン知ってるんやね。」

ぼくは、小学校の頃からか、なんどか、学校や街角で、こんな感じのポスターを見ていることを告げた。

「そういえば、Nたちは、このスローガンが生まれた1951年には、まだ生まれてなかったんやね、もっとも、わたしもまだ、学生の頃やったけどね。」

そういって、彼女は、遠い日を眺めるような目つきをして、窓の外をちらっと見た。
蝉時雨の中を、演劇部の女性部員たちが、発声練習をしながらランニングしているのが見えた。

   今でも僕は思い出すのさ
   あの時のことあの日君
   僕と同じ学生だった
   国のためと死んでいった

1951年(昭和26年)1月24日、日本教職員組合、いわゆる日教組は、「教え子を戦場に送るな」の運動方針を決定し、反戦平和への活動に取り組んだ。

1951年(昭和26年)といえば、第二次世界大戦の連合国側49か国との間で日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結されて、ここに至り、連合国との戦争状態が終了し、アメリカによる占領が終わって、主権を回復することになる。

同時に、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約、いわゆる日米安保条約も締結された年だった。

その前年である1950年(昭和25年)は、GHQの指令により、いわゆる「アカ」と呼ばれた共産党員とシンパ(同調者)を公職や企業から追放するレッドパージ(red purge)、いわゆる赤狩が行われて、やがて朝鮮戦争が勃発し、自衛隊の前身である警察予備隊が発足するという状況であった。

「でも、今から思えば、あの頃の日教組には、まだみんな危機意識があって、まともな人も多かったんだなって思うよ。」

彼女が、日教組においては、共産党系反主流派にあたる日本高等学校教職員組合の左派の幹部であることは知っていたが、生徒に対して、そんなことを語ることに、ぼくは少し戸惑っていた。

「そうや、Nに、これあげようか。」

彼女は机の脇机から、少し黄ばんだ藁半紙の印刷物を取り出して、ぼくに見せた。
その紙には、労働歌のような歌詞とともに、次の詩が印刷されていた。

     戦死せる教え児よ
                竹本源治 作
     逝いて還らぬ教え児よ
     私の手は血まみれだ!
     君の縊(くび)ったその綱の端を
     私も持っていた
     しかも人の子の師の名において
     嗚呼!
     「お互いにだまされていた」と
     言訳がなんでできよう
     慚愧 悔恨 懺悔を重ねても
     それがなんの償いになろう
     逝った君はもう還らない
     今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
     涙をはらって君の墓標に誓う
     「繰り返さぬぞ絶対に!」

「この詩は、戦前の教育、お国のために、天皇のために死ぬこと、つまり皇国史観に基づく軍国主義教育に手を貸して、教え子を戦場へ送ってしまった高知県の中学校の先生が作った詩よ。」

その藁半紙の印刷物を二つに折ってから、ぼくに手渡しながら、彼女はなおも言葉を続けた。

「そんな思いの先生たちが、戦後、集まって、それを悔いて反省し、もう二度と、そんな悲しいことが起こらないようにと、平和と民主主義の教育を推進することを決めたのよ。でも、それが、いままた危なくなってきているような気がするのよ。」

彼女はそれから、脇机から新書本を取り出して、ぼくの前に並べた。

「日本史の参考書として何がいいかって、尋ねていたでしょ、受験参考書として適当かどうか分からないけど、この本なんかいいかなって思う。」

彼女が並べたのは「日本の歴史」と書かれた岩波新書の3分冊だった。

「その井上清という京大教授は、私が在学していた頃はまだ助教授で、いまは変わってしまってダメになったけど、その本を書いていた頃は、まともなこと書いているから、Nには推薦するよ。」

その本は、マルクス主義の唯物史観に基づく日本の歴史書であり、通説と異なる記述もあった。

偏向しているといえば偏向しているかもしれない。

ただ公正中立を装ったものよりも、旗幟鮮明な立場で書かれたものの方が、洗脳の危険性はあるにしても、より真実に近づける場合もある。

受験参考書としては不適当であったが、記述する立場が一貫しているから、興味深く読める本だった。

それから彼女と、学生運動のこと、共産党のこと、受験のこと、将来のことを、いろいろと話をしてくれて、部活の時間が迫って、去り際に彼女は言った。

「Nには期待しているよ。頑張って。」

しかし、結局、ぼくは、彼女の期待を裏切って、民青同盟(日本民主青年同盟)に加わらないどころか、その後、反旗を翻すような活動をしたし、また大学でも、教職課程を選択せず教師にもならなかった。

でも、彼女に出会えたことは、自分の思想・信条を固め、信念を高めるのに、大いに役に立ったと思う。

最後に会ったのは大学時代で、すでに鬼籍に入られたと聞いているが、彼女には感謝している。

日教組は、1991年(平成3年)、日本労働組合総連合会(連合)加盟に反対する組合が離脱して、日本高等学校教職員組合の左派(日高教左派・一橋派)とともに、全日本教職員組合(全教) を組織して、分裂した。

時代の変化と流れの中で、やむをえないと思うが、平和と民主主義、教え子を再び戦場に送らないという理念だけは、共有していってほしいと願わずにはいられない。

   君は若くたくましく
   短い命だったが
   まぼろしの翼と共に
   炎の中に消えてしまった

かっての日本には、満20歳の男子は徴兵検査を受けて、身体能力別に甲乙丙丁戊の五種類に分けられ、甲から順次徴兵されていく制度があった。

この徴兵時に来る命令書が、いわゆる召集令状で、その紙が赤いので、「赤紙」と呼ばれた。

すでに、1938年(昭和13年)には、戦争遂行のために、国家のすべての人的・物的資源を、政府が統制運用できることを規定した国家総動員法が施行されていたが、学生などは徴兵が猶予されていた。

しかし、1943年(昭和18年)には、学徒戦時動員体制確立要綱が閣議決定されて、「国家存亡のとき、学生もペンを捨てて入隊せよ」とのスローガンの下に、徴兵年齢に達した大学・高等専門学校の学生(理工科系・教員養成系以外)も徴兵された。

そして、いわゆる神風特攻隊で知られる体当たり自爆攻撃の特攻隊の悲劇へとつながる。

中心となったのは、学徒動員で予備士官になった10代後半から20歳前後の若者だった。


特攻は志願を建前としていたが、戦時の時流の中では、果たして本人の真意がどこにあったのか、真紅の血を流し、燃え盛る真っ赤な炎の中に消えてしまった、いまとなっては、それは残された遺書などから推測するしかない。

しかし、彼らが、あの時代を、あのようにして生き、死んで逝ったことは、世界中から戦争の参加が根絶されるまで語り続けていかなければならないと思う。


   君はあの時私に言った
   恋人と別れてきたと
   僕は今も覚えているさ
   あの時君のまなざし

多くの悲しいドラマがあったと思う。

そして、そのドラマを、ただ単に、お国のために命を捨てた純粋な若者たちの愛国心物語と、美化するだけでは、ぼくは彼らが浮かばれないと思う。

彼らのことを忘れてはいけない。
そして、彼らに、報恩感謝しなければならない。

その上で、彼らが死ななければならなかったのは、いったい、なぜだったのかを、問い続けなければならないと思う。

   君が死んだ次の夜に
   かなしい涙であの娘は死んだ
   もういやだこんな世界は

   もう二度と見たくない

特攻隊として散華した恋人のあとを追うようにして、死んだ女性も多かったらしい。

また、特攻隊として戦地に赴く夫や、恋人のために、彼らが、後顧の憂いなく、心置きなく死ねるようにと、彼らより先に自殺した女性もいたということだ。

こんな世界はやはり間違っている。
こんな世界はやはりもう二度と見たくない。

だから忘れずに、問いかけ続けたい。
いつもの夏に、あの日の夏を…。



「五つの赤い風船」は、大阪出身の西岡たかしさんを中心としたフォークグループで、1967年に結成し、1972年に解散しました。

「五つの赤い風船」と「赤い鳥」と「紙風船」とが、ごっちゃに混同されている方も多く見受けられますので…、あとは自分で調べてください。(笑)

「五つの赤い風船」には、学校の音楽の教科書にも採用された代表曲「遠い世界に」があり、またこの「まぼろしの翼と共に」のほか、「血まみれの鳩」という反戦歌の名曲もありますが、こちらは、かなり暗くマイナーな曲調で、元気なときにしか聞けません。(笑)


まぼろしの翼と共に


作詞/作曲 西岡たかし


今でも僕は思い出すのさ
あの時のことあの日君
僕と同じ学生だった
国のためと死んでいった

君は若くたくましく
短い命だったが
まぼろしの翼と共に
炎の中に消えてしまった

君は若くたくましく
短い命だったが
まぼろしの翼と共に
炎の中に消えてしまった

君はあの時私に言った
恋人と別れてきたと
僕は今も覚えているさ
あの時君のまなざし

君が死んだ次の夜に
かなしい涙であの娘は死んだ
もういやだこんな世界は
もう二度と見たくない

君が死んだ次の夜に
かなしい涙であの娘は死んだ
もういやだこんな世界は
もう二度と見たくない


1970年(昭和45年)

コメント (1)
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参院選の準備に追われ始める

2007年05月21日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
行政視察で市が相手市に送った資料の数字に間違いを見つけ、事務局から相手市に対して連絡するよう訂正を申し出る。よく見ればわかるミスなのに視察後に分かるというのは私も含めて恥ずかしい話だ。

 参議院選挙の関係で連絡調整に追われる。身体は一つだけにかかえている全てが中途半端になるのではと心配になる。

 ごみ収集の件で担当部長に再度要望を伝え、学校給食の請願署名(案)、機関紙「新社会」の集金準備などほとんど役所での一日となった。

 夜、みんなで学校給食を考える会の会合。
 

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平田台管理組合の総会。

2007年05月20日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
 午後1時から4時まで平田地区公民館で開かれた。心配した議決権行使書は三分の一以上の人が活用しておりホッとした。新年度は監事の任務が待っている。

写真は昨日の安威川袖ふれあい駅伝

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平野さんが元気な顔を見せてくれた安威川袖ふれあい駅伝

2007年05月19日 |  #ラン #ウォーク #サイクル #のぼり #茨木市
 心配された天気も駅伝にはちょうどいいぐらいに回復。「平野さんも今日来たら元気になるかも」と話していたら、なんと連れ合いさんと顔を出され、ボランティアとして手伝ってくれた。

 平野さんは一年ほど前から病気療養中のマラソン仲間。私を四万十の100kウルトラマラソンにも誘ってくれた。この駅伝大会やユース100m競技会の事務局など、多くのイベントで裏方をこなし、多くのランナーが気にしていた。平野さんを見つけて人の和もできるなど、元気になって本当にうれしかった。

 この大会の参加チームも40になり、200名の規模に膨れ上がったユニークな手作り駅伝である。私もミント秋のチームで元気に走った。タイムはぼちぼちである。

 終わってから河川敷でのビアパーティも楽しい。

 参議院選挙で大阪選挙区から立候補する服部良一さんの選挙戦略を検討する会議がPLP会館であり、参加。徐々に選挙一色の日々になりそうだ。

 写真は平野さん。

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どれだけの人が安倍政権の本質を知ってるのだろう

2007年05月18日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
  西日本新聞が教育基本法の改正案が委員会を通過した際に掲載したものを見つけました。教育基本法の改悪、学校教育法など教育3法案の動きなど支配者に都合のいいように法律が次から次へと変えられていくことに怒りと、予想される事態に恐怖すら感じる昨今です。

写真は平和公園内にある在日韓国人被爆者を悼む慰霊碑

以下、西日本新聞から
 「教育の憲法」と呼ばれ、戦後教育を理念的に支えてきた教育基本法の改正案が、14日の参院特別委員会で可決された。参院本会議で採決され、成立する運びだ。

 1955年に保守合同で誕生した自民党は、この法律の改正を結党以来の悲願としてきた。歴代の首相が改正を志し、模索しては挫折してきた経緯を考えると、大願成就といえるだろう。

 「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱え、「戦後生まれの初の総理」を自任する安倍晋三首相の政権下で改正が実現することに、政治的な潮目の変化を読み取ることも、あるいは可能なのかもしれない。

 しかし、戦後のわが国にとって「歴史的な」という形容すら過言ではない法律の改正であるはずなのに、国民が沸き立つような期待感や高揚感を一向に共有できないのは、なぜだろう。

 「今なぜ、基本法を改正する必要があるのか」「改正すれば、わが国の教育はどう変わるのか」。こうした国民の切実な疑問が、残念ながら最後まで解消されなかったからではないか。

 政府や与党は、過去の重要法案に要した審議時間に照らして「審議は尽くした」と主張する。だが、ことは憲法に準じる教育基本法の改正である。

 幅広い国民的な合意の形成こそ、不可欠な前提だったはずだ。私たちは、そのことを何度も繰り返し主張してきた。国民の間で改正の賛否はなお分かれている。政府・与党が説明責任を十分に果たしたとも言い難い。

 教育は「国家100年の大計」である。その基本法を改めるのに「拙速ではなかったか」という疑義が国民にわだかまるようでは、将来に禍根を残さないか。改正が現実となる今、それが何よりも心配でならない。

 現行法は終戦間もない1947年3月に施行された。「われらは、さきに、日本国憲法を確定し」という書き出しの前文で始まり、憲法で定める理想の実現は「根本において教育の力にまつべきものである」と宣言した。

 教育勅語に基づく戦前の軍国主義教育に対する痛切な反省と断固たる決別の意識があったことは明らかだ。

 だが、「個人の尊厳」や「個人の価値」を重視するあまり、社会規範として身に付けるべき道徳の観念や公共心が軽視され、結果的に自己中心的な考えが広まり、ひいては教育や社会の荒廃を招いたのではないか。そんな改正論者の批判にもさらされてきた。

 改正教育基本法は、現行法にない「愛国心」を盛り込み、「公共の精神」に力点を置く。「個」から「公」へ軸足を移す全面改正ともいわれる。

 愛国心が大切だという考えは否定しない。公共の精神も大事にしたい。しかし、それらが教育基本法に条文として書き込まれると、国による教育の管理や統制が過度に強まることはないのか。時の政府に都合がいいように拡大解釈される恐れは本当にないのか。

 「それは杞憂(きゆう)だ」というのであれば、政府は、もっと丁寧に分かりやすく国民に語りかけ、国会も審議を尽くしてもらいたかった。

 折しも改正案の国会審議中に、いじめを苦にした子どもの自殺が相次ぎ、高校必修科目の未履修や政府主催の教育改革タウンミーティングで改正論を誘導する「やらせ質問」も発覚した。

 一体、何のための教育改革であり、教育基本法の改正なのか。論議の手掛かりには事欠かなかったはずだ。

 にもかかわらず、「100年の大計」を見直す国民的な論議は広がらず、深まりもしなかった。

 むしろ、教育基本法よりも改めるのに急を要するのは、文部科学省や教育委員会の隠ぺい体質や事なかれ主義であり、目的のためには手段を選ばないような政府の姑息(こそく)な世論誘導の欺まんだった‐といえるのではないか。

 現行法は国を愛する心や態度には触れていないが、第1条「教育の目的」で「真理と正義」を愛する国民の育成を掲げている。政府や文科省、教育委員会は、そもそも基本法のこうした普遍的な理念を理解し、率先して体現する不断の努力をしてきたのか、とさえ疑いたくなる。

 教育基本法の改正は、安倍首相が公言する憲法改正の一里塚とも、布石ともいわれる。

 「連合国軍総司令部の占領統治下で制定された」「制定から約60年も経過し、時代の変化に応じて見直す時期にきた」といった論拠でも共通点が少なくない。

 しかし、法律の本体よりむしろ、占領下の制定という過程や背景を問題視するのであれば、最終的に反対論や慎重論を多数決で押し切ろうとする今回の改正もまた、「不幸な生い立ち」を背負うことにはならないのか。

 永い歳月が経過して環境も変わったから‐という論法にしても、「100年の大計」という教育の根本法に込められた魂に照らせば、「まだ約60年にすぎない」という別の見方もまた、成り立つのではないか。

 教育基本法の改正が性急な憲法改正論議の新たな突破口となることには、強い危惧(きぐ)の念を抱かざるを得ない。

 「教育の憲法」の改正は、本当に脱却すべき戦後とは何か‐という重い問いを私たち国民に突きつけてもいる。

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広島県岩国市の教育センターを視察

2007年05月17日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
 今日は岩国市の教育センターの視察。中心になったのが不登校児童の適応指導で、効果が上がり対象児童が減少しているとのこと。親の無関心、家庭教育の欠如が不登校児童の背景にあるとの説明でした。教育センターには不登校児童が通っており授業がなされていました。また集団での授業に適応しない児童は別な部屋で自習です。

 合併が進み、隣接の町村が市域に編入され、小学校の児童数は島の1人から1000人まであると聞かされびっくりしました。

 岩国は工業、観光、米軍基地の3つの顔を持っているとのこと。私は学生時代、原水禁大会から足を伸ばしてその米軍基地を見にきたことがあります。新聞販売店の仲間も一緒で基地前の反戦喫茶(確か「ほびっと」という名前)が目的で、説明を聞きながらそのことを思い出していました。

 帰ってから市民相談2件の処理、反核平和の火リレーの打ち合わせ。

 なお早朝、少々雨に降られましたが原爆ドーム、慰霊碑、平和公園、市民球場、広島城のランニングコースを走りました。2日間で25キロは超えたようです。

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