写真は幾度も闘った大友さんの府議会議員選挙
今日もビラ配布である。寒い1日でバイクに乗ると風が冷たい。全部で3000枚今配る。途中知人のお宅にお邪魔してコーヒーを呼ばれる。「お元気ですか」234号では府議会選挙に関し、次のように書いている。
大友府議、今期で勇退
学生時代からのおつき合い
大友府議が引退することになりました。私は学生時代からの社会党、多くの選挙を経験しますが、その中で最もにぎやかで楽しかったのが大友さんの選挙でした。党の茨木総支部委員長だった大友さんの府議会選挙は労組、解放同盟、大友会、亘友会(女性後援会)が総力を挙げて取組み、選挙前には学生アルバイトも加わってきました。
当時の社会党は老壮青がそろい、知事選や市長選、安威川ダムへの対応で意見が対立しても和やかな雰囲気が続いていたものです。
92年の市長選挙で社会党分裂、
市議団で私だけが応援
それが一変したのが92年の市長選挙。大友府議が市長選への立候補を表明してからです。出馬を巡って、社会党や支援団体に亀裂が生じました。私は大友府議に出馬に反対といい続けたものの、立候補すれば応援するのが当然と思っていました。
府議と秘書、府議と市議、委員長と書記長として苦楽を共にした個人的な思い、また大友さんが出るのに社会党と対立している自民、公明、民社と組んでどうするのだ、という社会党員としてのプライドがあったからです。
事態は重冨市長が多選批判や「現金年賀事件」で退き、山本助役の擁立、自民、公明、社会から大労組、解放同盟まで野合し、「大友は街中を歩けないようにする」という言葉まで聞こえてきました。
党の茨木総支部は助役推薦反対を決定したものの、大阪府本部は推薦決定を見直さず、最終的には自主投票に。この選挙で社会党市議団は分裂、大友府議を支援したのは私だけで、残りの議員は自民、公明と組んで山本助役を担ぎました。大友さんはわずか3千票余りで惜敗しましたが、私にとっては最も燃えた選挙になりました。
この市長選で自民党と組んだ反大友派が府議選でMさんを担ぎ、選挙の度に大友さんと対立したことから、今回の府議選でも大友府議や後援会がMさんの支援に回ることはないと思われます。
いずれにしても長い間の議員活動に大友さんには「お疲れ様でした。これからもお元気で」とねぎらいのことばを贈りたいと思います。
畑中たかおさんが府議選に
私の先輩議員で8期勤めた畑中たかおさんが府議選に向けて活発に動いています。畑中さんとは長らく議会運営委員会で一緒に活動し、議会の活性化に向けて協力してきました。特に議員のいのちともいうべき発言時間の制限や議員定数の削減、議場への日の丸掲揚では、多数の自公民保守派と対決し党派を超えた同志として闘ってきました。また安威川ダム・国際文化都市の建設問題、情報公開、子どもの豊かな環境をめざしての請願署名なども共通の立場で論陣を張ったものです。
私は27年間の議員活動の中で、多くの議員と出会い、尊敬する議員も少なくありません。しかし畑中さん以上の識見、能力を持っている議員は他にいませんでした。それに加えて、議員には行政と論陣を張り、議会でも「多数派なにするものぞ」という、向こう意気の強さも求められます。これは「主義主張は譲られない」という信念の強さでもあります。この点でも畑中さんは一流で、同志として頼もしいものがありました。
ともすれば楽に当選したい、当選したら役につきたい、市議会から府会へ、国会へと、市民を忘れて煩悩のままに動く議員が多い中で、地域の中でこつこつと赤旗を配り、共産党の一党員としても地道な努力を続けており、人格的にも尊敬しています。なお畑中さんは同志社大学の先輩にもあたります。
立候補が噂される現職市議もいますが、評判は今ひとつ。3月議会が始まりましたが、3分の2の議員が本会議質問する中でどちらも質問せず、怠慢と言われても仕方ありません。大友市長選だけでなく、どんな選挙の前でも質問だけは手を抜かなかった私としては感心できません。
今回府議選は平和憲法を守り生かして、安心共生の社会を築くのか、それとも戦争のできる国、格差拡大の競争社会なのかが問われる選挙です。
共産党には意見の違いや、平和勢力結集に向けて消極的すぎるなど不満もありますが、税金を食いものにする自公民とは天地の差があります。私は府会選で畑中さん、参議院選挙では社民、共産など平和勢力の結集をめざす
9条ネットでがんばります。
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