平和とくらし 茨木市議 *山下けいきの日々是好日

平和憲法が私の原点。鹿児島の吹上浜、桜島が原風景。毎週阪急3駅、JR2駅の5駅をのぼりを背負ってアピールランしています。

学校給食調理員さんの話をきく

2007年06月30日 |  #玉島 #平田
  写真は南茨木駅で 左は小山広明さん
 10時から学校給食調理員さんの話をきく会。現場の調理員さんや保護者、みんなで学校給食を考える会の方も含めて会場はいっぱいになった。今後、役所の説明資料などを丁寧に読み合わせ、問題点を追求していくことになる。また試食会も計画される。

 昼からは9条ネットで宣伝活動。小山広明予定候補と市内各地を回る。

議会事務局に対して情報の公開を求める。

2007年06月29日 |  #玉島 #平田
これまで幾度となく情報公開請求手続きをしてきたが、議会事務局へは今回がはじめてである。情報公開を拒むために事務局は本会議の質疑答弁など一切テープにとらないで、速記者に丸投げする。まさに前代未聞の椿事、児戯にも等しいことを続けている。なおこれは議会事務局の責任ではなく、議長の責任であり、議長に対しては公開質問等々も考えている。

 夜、新社会党の大阪府本部執行委員会と全党員会議。参院選の闘いについて意思統一を図る。

以下は青春音楽館より 「あの人の手紙」―かぐや姫


   泳ぐ魚の群に 石を投げてみた
   逃げる魚達には 何の罪があるの
   でも今の私には こうせずにはいられない
   私の大事なあの人は 今は戦いの中


おそらく平時には、泳ぐ魚たちを、微笑みを持って眺めて、餌を与えるような心優しき人でも、ひとたび戦時に入ると平常心を失うのでしょう。

もっとも、恋人や、夫や息子たちが、戦場にて、生死を賭けた戦いの中にあることを思うときに、平静、平常心でいられるわけがありません。

戦争が悲惨なのは、戦争への行き場のない憤怒や憎悪が、弱いものに対して、その残虐性や暴力性として転嫁されてしまうことです。

まさに戦争が社会の狂気を作り出すのです。


   戦場への紹待券という
   ただ一枚の紙きれが
   楽しい語らいの日々を
   悲しい別れの日にした


戦場への招待券、つまりは召集令状は、薄紅色に近い赤色の紙に、黒の文字で印刷されていたことから「赤紙」と呼ばれていました。

現存する「赤紙」は、召集された本人が兵営に持って行ったために、極めて少ないようです。

召集令状で徴兵された兵士、つまり応召兵士は、俗に一銭五厘と云われ、これは、当時の郵便はがき料金が一銭五厘であり、はがき一枚で調達し使い捨てできる兵士という意味で、すなわち職業として軍務に就いている職業軍人らが多い下士官や古参兵が、応召兵に対して、差別的な言動を伴って、よく使った言葉とのことです。

もっとも、召集令状そのものは、郵便で届けられるものではなくて、市町村の役場の兵事係から、本人あてに直接に届けられたそうで、本人が住所地に不在の場合には、家族らが本人あてに郵便はがきや電報で報せなければならない義務があったそうです。

そして、理由なく召集に応じなかった場合は、罰金刑もしくは拘留という罰則がありました。
また、その兵役拒否の行動が戦時における不穏な活動としてみなされ、治安維持法などの対象として、罰せられることもありました。


   あなたの好きな 白百合をかかさず
   窓辺に 飾っていたわ


銃後(じゅうご)の守りという言葉がありました。

銃後とは、直接戦闘に加わっていない一般国民、または、戦場になっていない国内のことで、いまでいえば、後方支援ということになるでしょうか。

戦前は、女性は参政権を与えられず、銃後の守りを固めることが大和撫子の美徳だとされていました。

第二次世界大戦における日本は、圧倒的な軍事的戦力差のあるアメリカと、無謀にも、人的な総力と、精神力で戦おうとしました。

そして、いざとなれば、蒙古襲来(元寇)のときのように、突然に神州防衛のために神風が吹いて敵艦船が沈没し、また焼夷弾を降らせるアメリカの戦略爆撃機B29を竹槍で落とそうとしていました。

親などに聞くと、こんな荒唐無稽な話を当時の人も信じていたわけではないようです。
しかし、ただ、それを口に出すことすら、愛国心の名の下に、非国民の非難の下に、許される雰囲気ではなかったということです。

終戦後、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を三大柱として、日本国憲法が制定されました。

戦争について考えるとき、直接的な表現で規定された憲法前文及び第9条の平和主義、戦争の放棄をすぐに思い浮かべますが、国民主権、基本的人権の尊重も、再び戦争の惨禍が起こることのないように誓って、規定されたものです。

国家の政策を決定するのは最終的には主権者たる国民であり、また思想信条、表現の自由、投票の自由も保障されています。

天皇主権の名の下に一部の政治家、軍人の暴走を許し、戦争反対を主張する一部の政治家、宗教者、文化人、経済人の基本的人権を蹂躙して弾圧して、戦争に突き進み、多くの犠牲者をみたことの反省から、保障された制度です。

このような制度のもとで、もし、国民が、国政選挙の投票に行かないのも投票の自由である、などとうそぶいていると、いつのまにか再び、軍靴の足音と軍歌の音色が聞こえてきそうです。

邪魔くさいから、面倒だから、投票したい人がいないから、たかが一票くらいと、そんな言い訳をする人が増えて、投票率の低下傾向が続いてます。

しかし、国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動しているのです。

その代表者を選ぶ選挙に棄権していては、何も行動していないのと同じであり、またその代表者に対して、白紙委任をしていることにほかなりません。

一票を投じて、その選んだ人を監視して、その人の行動がおかしければ、次には違う人に投じて落選させていく、それが国政に民意を反映させるための有効な手段です。

つまりは、青春音楽館のマスター(館長)が、選挙の度ごとに、ともかく「投票に行こう!」、と呼びかけている所以です。


   ありがとう私のあの人
   本当はもう死んでいるのでしょう

   昨日 手紙がついたのあなたの
   死を告げた手紙が

出征した兵士が戦死すると、市町村の役場の兵事係から、戦死公報というものが届きます。
激戦地の場合は、遺骨が戻ることはまれで、骨箱には木や石が入っていたこともあったそうです。

どんな国家大義があろうと、ひとりのにんげんのいのちよりも、大切なものはないはずです。

しかし、地球上では、いまだ国際紛争を解決する手段として、戦争が起こっています。
そして、多くの人が戦争の惨禍に遭っています。

我が国では、戦後が長らく続いていますが、いまだ戦中の国々もあり、また戦前の国々も多くあります。

平和な日本から、国際平和に向けての取り組みを行っていくこと、それが先の大戦で亡くなられた方々への真の慰霊につながることだと思います。

安らかにお眠りください。
そして、子孫が再び同じ過ちを起こさないように、見守ってください。
ぼくたちも、ぼくたちの子孫に、あなたがたが、もたらしてくれたこの平和を必ず伝えてまいりますから…。



この曲は「かぐや姫」としては、おそらく唯一、ストレートな反戦歌と呼べるものでしょう。

もちろん、歌詞内容としては、召集されて戦地に赴き、散っていった恋人のことを歌ったラブソングとも言えなくもないのですが、罪なき恋人たちを戦争に巻き込んで、そして、永遠に引き裂いた戦争の悲惨さ、理不尽さが、切々と伝わる名曲だと思います。

南こうせつさんは、1986年(昭和61年)から、毎年、広島で慰問コンサートを開いてきました。

     ちちをかえせ ははをかえせ
     としよりをかえせ こどもをかえせ
     わたしをかえせ
     わたしにつながる にんげんをかえせ
     にんげんの にんげんのよの あるかぎり
     くずれぬへいわを へいわをかえせ
                「原爆詩集」より 峠三吉

こうせつさんは、あるとき訪問した老朽化した原爆養護ホームで、人間の尊厳を無視するような大部屋で暮らさなければならない被爆者の姿を見ました。

このことをきっかけに、コンサートを開いて、その収益金の一部を広島市に寄付し、原爆養護ホームの新設に貢献してきました。

戦後60年にあたる2005年(平成17年)8月6日には、伊勢正三さんと、山田パンダさんにも協力を依頼して「かぐや姫」を復活させて、世界平和、核兵器廃絶を願う「かぐや姫」のコンサートを開きました。

南こうせつさん、「おいちゃん」らしい反戦平和活動だと思います。


あの人の手紙

作詞 伊勢正三
作曲 南こうせつ

泳ぐ魚の群に 石を投げてみた
逃げる魚達には 何の罪があるの
でも今の私には こうせずにはいられない
私の大事なあの人は 今は戦いの中
戦場への紹待券という ただ一枚の紙きれが
楽しい語らいの日々を 悲しい別れの日にした

殺されるかもしれない 私の大事なあの人
私たち二人には 何の罪があるの
耐えきれない毎日は とても長く感じて
涙も枯れた ある日突然帰ってきた人
ほんとにあなたなの さあ早くお部屋の中へ
あなたの好きな 白百合をかかさず
窓辺に 飾っていたわ

あなたのやさしいこの手は とても冷たく感じたけど
あなたは無理してほほえんで 私を抱いてくれた
でもすぐに時は流れて あの人は別れを告げる
いいのよ やさしいあなた 私にはもうわかっているの
ありがとう私のあの人
本当はもう死んでいるのでしょう
昨日 手紙がついたのあなたの 死を告げた手紙が


1972年(昭和47年)

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「新社会大阪」の原稿書き

2007年06月28日 |  #玉島 #平田
私は文章を書くのが苦手だ。テーマを与えられて書いて欲しいといわれるとそれだけで気が重くなる。人間イヤなことは後回しにするのもので、私もその1人。明日がぎりぎりの2つの原稿を書くのにだいぶ時間がかかってしまった。それでも書いてほしいといわれるうちが華なのかもしれない。

 原稿書きだけでは身がもたないので、ビラ配りにでかける。学校給食民営化についての勉強会案内のビラ、9条ネット、「お元気ですか」の3種類だ。配りながら、小学生のいそうなお母さんを見ると話しかけた。「学校給食民営化についてどう考えたらいいのかわからないのです」と、正直な返事である。急いてはことを仕損じる。既成事実の積上げで一方的に進めるのは間違いの元。教育委員会は関係者の声を丁寧に聞くべきである。


9条ネットのビラ配布、宣伝行動で汗をかく。

2007年06月27日 |  #玉島 #平田
  9条ネットのビラ配布、宣伝行動で汗をかく。宣伝カーの運行表を作成。なかなか山積みの仕事がかたづかない。6月議会の様子を知りたいとの電話があった。本会議録音テープを事務局がまったく持たず、速記者に丸投げしている問題も放置できないので動きたいと思う。

アメリカ下院外交委員会「慰安婦」決議案採択に対し、安倍首相がたくさんある決議の中の一つとコメントしていたが、この程度の首相しかいない日本はなんと恥ずべき国なんだろう。

★★(以下転送歓迎です)★★
アメリカ下院外交委員会「慰安婦」決議案採択を歓迎します!!
2007年6月27日
旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会
連絡先 090-8124-7752  http://
shogenkyoto.blog70.fc.com

私たちは、旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会です。この全国同時企画は、韓国のナヌムの家(被害女性たちが共同生活を営む家)を訪れた若い世代の呼びかけから始まりました。今年で4年目を迎えます。2004年は新潟・東京・神奈川・静岡・京都・大阪・広島・高知・福岡・沖縄。翌年は三重、名古屋も参加しました。
2006年は全国の参加のみならず、韓国の大学や高校でもたくさんの若者が被害女性
の声に耳を傾けました。日々、彼女たちにも私たちにも残された時間がないことを痛感しています。

アメリカ下院での決議内容は以下の3点です。

民主党のマイク・ホンダ議員が提案した内容は、日本政府は、「明瞭で曖昧でない形でその歴史的責任を正式に認め、公的に謝罪し、」「日本軍人のための強制売春や人身売買はなかったとする主張には公的に反駁すべき」「現在と将来の世代を教育すべきである」

これに対し、ラントス委員長らが修正案を提出。(1)日米同盟がアジア太平洋地域に占める重要性の確認(2)日本の首相がこの問題で公式謝罪すれば、これまで繰り返された日本側の声明と誠実さへの疑問を解く助けとなる-などを盛り込みました。採決結果は賛成39、反対2の大差でした。

日本政府はかつて被害者へのお詫びの気持ちを表し、後の世代にも伝えると国際社会に対してもはっきりと伝え、すべての中学校の歴史教科書に一度は「慰安婦」問題を記述しました。しかしその後、その歴史記述を削除させる運動がおき、現在はほとんどの教科書から消すれてしまいました。

この運動の中心にいたのが、安倍首相であり、今の政権の中心にいる議員たちです。かれらは「慰安婦」問題の日本国や日本軍の責任を否定する言説を繰り返し、そのことで責任を問われることがありませんでした。
1991年に韓国の被害者たちと支援者たちによって政治問題化して以降、日本政府は調査を行いました。この政府調査は、政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成全五巻(女性のためのアジア平和国民基金編) として刊行されています。しかし、最近の政府関係者の言動は、自らの調査を否定する暴言が繰り返し行われています。

こうした日本の現状にアジア各国、在米アジア人たちが不信感を募らせ、アメリカの議員の活動の後押しをしています。その議員たちの中心となっているマイケル・ホンダ議員は日系米人の強制収用という自身の被害体験が、米政府による公的な謝罪と賠償により尊厳が回復され和解ができた経験から、この問題に取り組んでいます。

日本はアジア・太平洋地域を侵略し、2000万人の人々を虐殺した史実があります。そして20万人以上の女性を性の奴隷にしました。本人が望まない移動は全て「強制連行」です。あの情勢下で人の移動を管理・監督していたのは日本政府で、民間の業者を統率していたのも日本軍です。強制に「従軍」させられた少女たちは、その人生の多くを戦地で奪われました。その責任は、どんな言葉を使っても逃れることはできません。

アメリカの下院議会で「慰安婦」決議に反対していた人たちも、安倍首相の暴言で目が覚め、多数が賛成に回ったことをご存知でしょうか。日本政府がやるべきことは、高額なロビイストを暗躍させることでも、ブッシュ大統領に謝ることでも、アメリカのメディアを通じて歴史を歪曲することでもないはずです。

日本社会はこれ以上、罪を上塗りすることを止め、謝罪すべき相手に誠意ある謝罪と賠償をし、その人生を余儀なくされた被害女性たちに「あんな酷いことを、二度と繰り返さない」と約束しなければなりません。それは、非人道的な過去と向き合い、その清算を試みることは戦争への参加を余儀なくされた、傷ついた一人ひとりの人間性の回復になります。それは、現在の日本に住む人間の人権を守ることでもあると私たちは考えています。

いま、日本政府はアジア・太平洋地域のみならず、私たちの未来も奪う危険な道を選んでいると言わざるを得ません。そのことに強い懸念を表明します。

6月24日の朝早く、高雄に住んでいらっしゃった謝珠阿媽が亡くなりました。1925生まれのかたで、17歳のときに海南島で「慰安婦」被害にあった方です。
もう一人韓国に住む黄順伊(ファンスニ)ハルモニも亡くなりました。ハルモニは、享年86歳でした。次々と被害女性が亡くなっており、このままでは私たちは謝罪する相手を失ってしまいます。

アメリカ下院決議を日本政府が受け入れ、一日でも早い問題の解決のため行動するように、私たちは世界中の、日本中の行動する市民たちと共に粘り強く働きかけていきます。

尾辻、梅村は保守・準保守と判断、歴史をゆがめる民主議員こんなにも

2007年06月26日 |  #玉島 #平田
写真は服部良一後援会事務所びらき

茨木、摂津で9条ネットの宣伝行動。入管センターを考える会の会議。

平和の結集ブログによる民主候補 尾辻かな子、梅村聡の評価について

. これまで私は尾辻の自らを含む性的マイノリティへの視点、人権感覚を評価し、その姿勢は憲法9条擁護の理念とも共通するものがあるだろうと判断し、尾辻を【準護憲派】に分類してきた。しかし、尾辻は、先頃週刊金曜日が参院選立候補予定者を対象に実施した憲法9条に関するアンケート調査にも回答せず、ブロガーら87名が連名で実施した憲法9条改定の是非を問うネット・アンケートにも回答を寄せていない。尾辻のこうした姿勢は自ら唱える「性的マイノリティへの視点」にも「人権感覚」にも相反する。また、民主的な政治改革を担おうとする候補者としても相応しい態度ともいえない。

.尾辻の公式ブログには「平和な世界の実現を目指」すという政策が掲げられているが、こうした主張は改憲派も唱えるのであり、護憲派の主張とみなすことはできない。

③《改定前》 【判断保留】   梅村聡 《大阪府》 男 1975年2月13日 新  医師

《改定後》 【保守・準保守】 梅村聡 《大阪府》 男 1975年2月13日 新  医師

理由:梅村は大阪のミニコミ紙「うずみ火」が京阪神の参院選立候補予定者を対象に実施した憲法9条に関するアンケート調査にも回答せず、週刊金曜日が実施した憲法9条に関するアンケート調査にも回答していない。また、ブロガーらが実施したネット・アンケートにも回答を寄せていない。議員候補者には当然、あらゆる機会をとらえて自らの政治理念や政策を有権者にわかりやすく説明する説明責任(アカウンタビリティー)が負わされている。そうした説明責任の重要性を理解できない候補者を民主的候補とみなすことはできない。
以上は平和の結集ブログから

 民主党候補の9条に対する見解は沈黙が多く、明確な護憲派はごく少数にとどまる。国会で公認権を持つ改憲派の党代表に逆らって行動できる議員は限りなくゼロだろう。

以下の報道は前にも取上げたが、全面広告を出した民主党議員が明らかになったので、再掲する。 

慰安婦強制性否定の全面広告=日本の議員・言論人有志―米紙(時事通信)

 戦時中の従軍慰安婦問題で、日本の超党派国会議員有志や言論人グループなどが14日付の米紙ワシント ン・ポストに、慰安婦らが日本軍によって強制的に慰安婦にされたこと を示す歴史文書は存在しないなどとする全面広告を出した。

 この広告は「事実」と題され、平沼赳夫元経済産業相(無所属)、島村宜伸元農水相(自民)、河村たかし衆院議員(民主)ら超党派の議員 グループのほか、政治評論家の屋山太郎氏やジャーナリストの桜井よし こ氏ら言論人が賛同者として名を連ねている。

【民主党】(13名)
石関貴史   民主 衆議院 北関東 
泉健太   民主 衆議院 近畿(京都3)
河村たかし  民主 衆議院 東海(愛知1)
北神圭朗   民主 衆議院 近畿(比)
神風英男   民主 衆議院 北関東(比)
田村謙治   民主 衆議院 東海(比)
牧義夫    民主 衆議院 東海(愛知4)
松木謙公   民主 衆議院 北海道(比)
松原仁    民主 衆議院 東京都(比)
吉田泉    民主 衆議院 東北(比)
笠浩史    民主 衆議院 南関東(比)
鷲尾英一郎  民主 衆議院 北陸信越(比)
松下新平   民主 参議院 九州(宮崎)

もし民主党内に護憲派を称する人がいるなら、私は問いたい。あなたは歴史を塗り変え、真実に目を閉ざし、性的奴隷とされた人を幾重にも辱める身内の民主党議員に抗議したことがあるのか。

国民のお金である政党助成金(国会議員一人当たり年間4500万円)で、同じ釜の飯を食い続け、そこで沈黙しているなら全く同罪ではないか。

これは単に国会議員だけに問うているのではない。都道府県会や市町村議会の議員、そして党員、さらには支援する労働組合、団体、そこの構成員に対しても私は問うているのである。それなしに平和や戦争責任など言って欲しくない。それは大いなるごまかしにすぎないからだ。


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アンケートに 民主党は応えないか、9条変えるべき そうなんでしょうね

2007年06月25日 |  #玉島 #平田
 写真は日曜日の兵庫集会から 成島忠夫、小山広明参議院比例予定候補
 9条ネット大阪の会議が昼から、小山広明予定候補も入れて相談。
夕方は学校給食民営化を巡って教育委員会との話し合い。引き続き「みんなで学校給食を考える会」で請願文書の検討。

 以下、届いたメールから

 ミニコミ「うずみ火」に、京阪神の参院選立候補予定者に、憲法に関して聞いたアンケート結果が載っていました。
 自民党、公明党は、回答を寄せずで、全候補者14名のうち、半分の7名しか回答せず、です。
 大事なので、結果を転載します。

大阪:回答したのは社民党の服部良一、共産の宮本たけし(もちろん9条は堅持すべき)、無所属の林省之助(9条改正すべき)、で、民主党梅村さとし、自民谷川秀善、国民新党白石純子、公明白浜一良応えず

兵庫:回答したのは9条ネットの原和美、共産堀内照文(9条堅持)、自民鴻池祥肇、民主辻泰弘回答なし

京都:共産の成宮まり子、9条堅持、民主党の松井孝自、改正すべき、自民西田昌司、無回答

 う~ん、民主党、回答していないと言うのがショボイ。自民との「差別化」するなら、9条堅持は有力だと思うのですが、それより、民主でも回答していないのが情けないです。9条を変えるべきと、堂々と言っている連中がエラク見えます(?)。
 おそらく、他の地域も似た結果と思いますが、参考にしてください。

原 和美さん、9条ネットの勝利にむけて

2007年06月24日 |  #玉島 #平田
午前中、東大阪市議選に立候補予定の田崎かな子さんの事務所びらき。昼から天六ユニオンの総会、神戸の原 和美参院選兵庫選挙区予定候補の決起集会、夕方から自立支援センターの懇親会に参加。終日雨だった。

3がつ行動をよびかける女たちより、緊急行動のお知らせが入った。 

  7・8緊急行動決定!!
みんな集まれ、年金一揆だ!
    第1段~ 街頭アピール
7月8日(日)午後3時 大阪駅前集合(4時半まで)

    年金、介護、雇用不安… 本当に許せないことばかり!
    払った年金返せ! 国の「振り込め詐欺」ゆるさん!
    すべての人に生きていける年金よこせ! 責任者でてこい!
    こんなデタラメ許るせない、 怒りを行動へ。 みんなあつまろう!
            よびかけ:「3がつ行動をよびかける女たち」
  
===================================
6月20日、相談会で学習と討論の結果、上記のような行動に取り組むことになりました。自民党・公明党への抗議行動も考えていきます。7・8は第一段です。
 どんどん周りの方にこえをかけて、メッセージ・ボードやのぼり旗を持って駆けつけてください。安倍内閣に怒りの大きさを示しましょう。
チラシは、26日にできます。ホームページにも掲載しますので、たくさん配ってください!

【他の行動のよびかけ】
★7月1日(日)午後1時~ 剣先公園。「えんかげんにせい!警察・検察・裁判所」集会とデモ
★7月4日(水)午後7時~ 大阪駅前陸橋上。水曜デモ
★6月26日にアメリカ下院外交委員会で日本の「慰安婦問題弾劾決議」が採決される見込み。 それを受けて、27日(水)午後7時~大阪駅前陸橋上で安倍政権の責任を求める街宣を行う 予定。(よびかけ:日本軍性奴隷制度の解決を求める会イン大阪) 

★★★
20日相談会での年金制度の学習はおぼろげに知っていたことも全く知らなかったことも含め、また年金窓口で矢面に立たされている労働者の話も聞いて、とても勉強になり、また行動への意欲も沸いてきました。当日の模様を、初参加の南さんがブログに書いてくださいました。これをお借りして、一部書き変えて報告としま~す。みなさんからも年金や介護での投稿お待ちしてます。
ちょっと長いけど、ぜひご一読を!

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 年金は戦争中軍事費の調達や、戦時インフレを抑制するために始まった。1961年に今の25年の通算年金制度ができた。
 1973年には350万人が参加した年金デーのゼネストがあった! それによって年金額が2・3倍に引き上げられ、物価スライドや賃金スライド制が導入され、児童手当や高額医療自己負担限度額などが制定され、社会保障制度、福祉の一環として年金制度が確立した。
 それが80年代には、年金は自立・自助の問題にすり替えられ、いや年寄りが多くなったら年金制度が危ないといって保険料を上げたり学生を強制加入させたり、厚生年金を納めていた人でも結婚して仕事やめたら国民保険を基礎年金とされたり、支給開始年齢を繰り延べられたり、要するに、企業や国の負担を減らして、国民の負担を多くする改悪が続いた。
 94年には、「高齢者は金を持っている」と支給開始年齢が引き上げられ、失業給付を受けたら年金が停止されたり、保険料も大幅に引き上げられた。96年には、政府が運用を失敗して赤字になったつけを、労働者に回し、いろんな共済制度を厚生年金と一本化するなどの年金改悪などが始まった。年金は、少しでも負担を減らそうとするけちな企業や、めちゃくちゃな運用をして失敗した国と年金をかけている労働者の闘いの歴史だったといえる。今たたかいは押さえつけられ、社会保険庁を民営化すればいいと言う論調に捻じ曲げられているようだ。
 
 他の国との比較でも年金を納める期間が25年と長いのは、「先進」諸国では日本だけで、アメリカや韓国では10年、ドイツでは3年と短い。(25年はひどいよね・・)
 社会保険庁の地方事務所に勤めている人の話。今、年金記録が消えた問題で、矢面に立たされている労働者は、辞めたいと思うくらいつらい。しかし必死で記録を探している。記録を探すには、特に女の人なんかは、姓も変わっていたり、結婚や出産で会社を変わっていたりするので、長年社会保険事務所に勤めてきた人の職人技と時間が必要であるのに、窓口対応は、みな派遣労働者で、記録を探しだすことは不可能に近いということ。
 また社保庁民営化の問題では、すでに民間の会社に保険料請求をに請け負わせ、徴収する労働者は歩合制で働かされているので(電話かけて通じていくら、話ができていくら、徴収できていくら、ということ)、末期がんの患者に徴収するようなきつい徴収が行われたり、また個人情報もめちゃくちゃに扱われてしまう危険があることなどを教えてもらった。(こういう仕事はだから公務員がやらなければならないと言うことがよくわかった・・・)
 「こんなことになってよく暴動が起こらないもんだといわれるけど、窓口はそれに近い状態だ、ストライキしたいぐらいだ」とおっしゃってました。(最近窓口に来る市民は、「窓口に言ってもしゃあない、首相と厚労相の連絡先を教えろ」という人が増えているとか。前は断っていた課長が、最近は公式住所を教えているそうです)
 また今の若者たちが、厚生年金もない雇用状態で働かされており、将来は年をとればみな生活保護を受けなければいけない状態で、その生活保護も国民年金並みの月額6万程度に抑えられようとしているなど根本的な話にもなった。
 参加されている方は、みんな元気な大阪のお姉さん、おばさんで、「年金一揆を起こさなアカン!」「米騒動のときのように女から起ちあがらなアカン!」「国家的振り込めサギや、国民が国への信頼を失ってしまった今、誰かが行動に出て、旗を振らないといかん!」と気勢があがり、7月中に、自民党、公明党への抗議行動などを行うことになりました。(
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平和憲法派の大結集に向けて

2007年06月23日 |  #平和 #民主 #人権 #憲法
 写真は服部良一事務所開き 「比例区は9条ネット、大阪選挙区は服部良一さんで」と挨拶しました。

前府議大友康亘氏を慰労する会に出席。新社会党の私から自民党まで参加し、参院選前とあって候補者も顔を出していた。

 その中に大友さんと同じく今回勇退した隅田康男前府議(社民党大阪代表)も出席されていた。隅田康男前府議(社民党大阪代表)は私の尊敬する議員の1人でもある。幾度も落選し、その後は一人区の此花で社会党、社民党として府議会の議席を確保してきた。このご時世、社会党、社民党としてがんばり続けてきた信念は、幾度も語り合ってきただけに頭の下がる思いだ。

 このごろは若い人も議員の世界に出てくる。若い人が出てきてもいいし、それは私も望んでいる。ただ、隅田康男前府議とは対極で、知性もなければ、庶民の苦労も分からない。舞い上がっているだけなら、別の世界もあるしといいたくなることが多いのは残念である。

 学校給食民営化を巡って打合せ。

 なお以下の提案を大いに広めようと運動が起こっています。平和憲法派の大結集に向けて私も大いに宣伝したいと思います。

ムービー:2007参院選投票指針
民主党へは1人区でだけ投票しても野党は勝てる
2007参院選投票指針――9条護憲派「3分の1」突破と与野党逆転




「世界難民の日」記念シンポジウムの資料作成

2007年06月22日 |  #茨木市議会
  終日、「世界難民の日」記念シンポジウムの資料作成。まだ届いてない原稿、予定よりページの増えたもの、当日に回すものがでてくる。当初の予定どおりにはいかない。それでも連絡調整しながら内容を確定し、印刷、折り、セットと工程をたどり完成。私はこんな作業は苦にならない。どちらかといえばすきなのだが、やる事がたまっており少々焦り気味である。夜は第1回玉島まつり運営委員会。

「醜い日本」の恒久化に腐心する議員44名 に関するメール

2007年06月21日 | 日々雑感
 午前中、西日本入管センターとの交渉に関する原稿書き。世界難民デーにあわせて大阪、東京とイベントが予定されており、その資料作成の準備を進める。夜は障がい者団体ほくせつ24の会員、的川さんが自立生活10周年ということで祝賀会に顔を出し、すぐに「みんなで学校給食を考える会」に参加。議題が多く閉館間際まで話し合い。

こんなメールが届きました。
「醜い日本」の恒久化に腐心する議員44名
米議会での非難決議を阻止しようという狙いで、6・14のワシントンポスト紙に従軍「慰安婦」問題に関する5つの事実、なる意見広告を出した人達がいます。(タイトル:THE FACTS

「5つの事実」を要約すると
1.当時の政府や軍指導者からの戦時命令を保管しているアジア歴史資料センターでのアーカイブ検索で、女性を強制的に拉致し慰安婦として働かされたことを示す文書は一つとしてない。

2.逆に、女性をその意思に反して強制して働かせることのないよう民間業者に対して警告している文書が多数発見された...これらの指令が忠実に実行されたことを明示する新聞記事が多くある。

3.上記の規律に違反する例はあったが、すでに死刑を含む重罰に処されている。
(オランダ領東インド-現在のインドネシア-セマラン島でオランダ人を強制的に拉致し「慰安所」で働かせていた。この慰安所は軍の命令により閉鎖され、責任のある将校は処罰された。これらの戦争犯罪に関与した者はその後オランダ法廷で裁判にかけられ、死刑を含む重い判決を受けた。)

4.ホンダ議員は当事者の証言を根拠としているが、慰安婦の証言は反日キャンペーン後、劇的に変化してきた。下院公聴会で証言した慰安婦たちは、最初は業者に連れ去られたと証言していたが、後に誘拐犯は「警官の制服に見える」服を着ていたと主張するようになった。

5.慰安婦は公娼制度の下で働いており、当時、公娼制度は世界中で当たり前であった。
一般市民の強姦を防止するため多くの国が軍用の売春施設を設置していた。(例え
ば、1945年、占領軍当局は日本政府に対し米軍兵による強姦を防止する目的で衛生的で安全な「慰安所」を設置するよう要請していた。)

●事実と論理によりすべて反論されているものだと思いますが、米国人には詳しいことはバレていないとでも思ったのでしょうか。

●「事実を知らせたいだけだ」と言っていますが日本(政府・軍)の罪と責任を否定ないし軽減しようとしているだけです。
要するに「犯罪の公式記録文書がない」「犠牲者が勇気を出して発言し始めるのに年月を要した」「ほかにも同様の犯罪を犯していた国・軍が存在した」「女性の人権は特に戦時下においてしばしば侵害されてきたのであって特異な現象ではない」ことを反映しているに過ぎず、日本の裁判所でのこれまでの事実認定を覆すものではありません。ことの本質が手段・方法の態様(暴力的強制か否か)にあるのでないことはい
うまでもありません。

●日本の裁判所では犠牲者の法的な請求権を否定する一方、従軍「慰安婦」問題における政府・日本軍の関与と凄惨な被害実態は立証されています(04年、05年東京高裁)。

●日韓協定等により法的に免責されているから、というだけで政府としての公式謝罪も補償もしなくてよい、というなら、法律がどうであれ機能しなくてはならない、良心や道義といったものを日本政府は持ち合わせていないと宣言していることになります。

某軍事メルマガに「自民党や民主党の国会議員をはじめ、学者、ジャーナリスト(含む櫻井よしこ先生)、政治評論家の先生方総勢63名の署名入り」とあるので、その恥知らずは誰だ、と思って調べてみたら、議員は下記の44名でした(多い!)。米国議会での非難決議は安倍政権に打撃を与える意味では歓迎ですが、このような議員達の思想と行動の誤りを指摘し、世界の人々と真に豊かな人間関係を構築できる土壌を耕すのは私達日本の一般市民の責務だと思います。外圧依存では意識変革までには至らないでしょう。それでぼちぼちFAX攻撃を開始しようと思います。参考に名簿を載せておきます。多くの方々が利用してくださることを願って。

愛知 和男 FAX: 03-5996-7341
赤池 誠章  FAX: 03-3508-3733
石関 貴史  FAX: 0270-25-6224
泉 健太  FAX: 03-3508-3805
稲田 朋美 FAX: 03-3508-3835
江藤 拓  FAX: 03-3591-3063
大塚 高司  FAX: 03-3508-3615
岡部 英明 FAX: 03-3508-3844
小川 友一  FAX: 03-3508-3440
鍵田 忠兵衛 FAX: 03-3508-3383
亀岡 偉民 FAX: 03-3508-3941
河村 たかし FAX: 03-3508-3537
北神 圭朗  FAX: 03-3508-3268
木原 稔  FAX: 03-3508-3357
木挽 司  FAX: 03-3508-3305
坂井 学  FAX: 03-3508-3962
島村 宜伸 FAX: 03-3616-8511
神風 英男 FAX: 03-3508-3827
杉田 元司 FAX: 03-3508-3277
鈴木 馨祐 FAX: 03-3508-3425
薗浦 健太郎 FAX: 03-3508-3451
平 将明  FAX: 03-3508-3507
田村 謙治  FAX: 03-3508-3847
土井 亨  FAX: 03-3508-3434
土井 真樹  FAX: 03-3508-3701
戸井田 とおる FAX: 03-3508-3325
中川 義雄 FAX: 03-3593-2010
西村 真悟  FAX: 03-3508-3897
西本 勝子  FAX: 03-3508-3213
林 潤  FAX: 03-3508-3960
平沼 赳夫  FAX: 03-3502-5084
古川 禎久  FAX: 03-3506-2503
牧 義夫  FAX: 03-3508-3433
松木 謙公  FAX: 03-3508-9033
松下 新平 FAX: 03-5512-2433
松原 仁  FAX: 03-3580-7336
松本 文明  FAX: 03-3508-3239
松本 洋平 FAX: 03-3508-3239
武藤 容治  FAX: 03-3508-3829
山本 ともひろ FAX: 03-3508-3290
吉田 泉  FAX: 03-3508-3530
笠 浩史  FAX: 03-3508-7120
鷲尾 英一郎 FAX: 03-3508-3062
渡部 篤  FAX: 03-3508-3987

向井真澄



また別の方からのメールです。

いよいよ、アメリカでは慰安婦問題の決議案が上程されそうです。

(略)

以下のように、安倍首相が「証拠がない」といって否定した「狭義の強制性」を明白に、かつ、リアルに認めています。

最高裁判決によって確定したこの事実を、安倍首相はどうして「証拠がない」などといえるのでしょうか。

2 本件の事実経過に関し,原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
(1) 日本は,昭和12年7月の廬溝橋事件をきっかけに中国との間で交戦状態に入り(以下これを「日中戦争」という。),華北地方にも戦線を拡大していった。日本軍は,同年10月初めころから山西省に侵攻し,八路軍との一進一退の攻防を経て,同省北部山地の抗日勢力に対する前戦基地として,昭和16年9月,同省盂県北部の進圭村に拠点を設けた。

(2) 被害事実
ア 上告人X1
上告人X1は,1927年(昭和2年),山西省盂県で生まれ,同地で育った。
1942年(昭和17年)旧暦7月のある日,同上告人の姉の夫が八路軍に協力しているとの密告に基づき,武装した日本兵と清郷隊(地元の住民により組織され,日本軍に協力した武装組織)が姉夫婦の家を襲い,その際,同上告人は姉の家族とともに進圭村の日本軍の拠点に連行され,監禁された。当時15歳であった同上告人には婚約者がいたが,まだ婚姻しておらず,性交渉の経験はなく,初潮も迎えていなかったが,その夜から,隊長を含む複数の日本兵らによって繰り返し輪姦された。同上告人は,連行されてから約半月後,家族の助けにより,いったんは解放され帰宅できたが,その後更に2回にわたり進圭村に連行され,同様に監禁,強姦される被害にあった。
同上告人は,同年旧暦9月中旬ころ解放されたが,現在,上記監禁及び強姦に起因すると思われる重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状が存在する。

イ 亡A
Aは,1929年(昭和4年),山西省盂県で生まれ,同地で育った。1942年(昭和17年)旧暦3月のある日,多数の日本兵がAの住む村に侵入し,八路軍に協力していたことを理由に,父らとともに捕えられた。同人は,当時13歳で性交渉の経験はなく,初潮も迎えていなかったが,複数の日本兵によって殴る蹴るの暴行を加えられた上,強姦された。その後,同人の母が銀700元を日本軍に支払ったことで,解放されたが,その間約40日にわたり,繰り返し強姦,輪姦の被害を受けた。同人は,1999年(平成11年)5月11日に死亡したが,生前,上記監禁及び強姦に起因すると思われる重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状が存在した。

また、戦争当時海軍中尉であった中曽根康弘元首相は、1978年にまとめられた「終わりなき海軍」という本の中で慰安所を設置したことを自慢してこのように述べている。

「インドネシアのバリクパパン、3000人からの大部隊が、やがて原住民の女を襲う者や博打にふける者が出てきた。そんな彼らのために私は苦心して慰安所を作ってやったこともある。彼らはちょうどたらいの中にひしめく芋であった。卑屈なところもあったり、ずるい面もあった。そして私自身、その芋の一つとして、ごしごしともまれてきたのである」

中曽根康弘を筆頭に、自民党長老はみんなが知っている事実です。

また関連サイトは山下のHPのリンク集にあります。