いただいたのは5、6年前ですが、捨てられないで大事に取っていたものです。
kさんの思いは私の思いと重なります。史実に一知半解の人ほど「自分は愛国で他人は反日」というレッテル貼りをしたがるものです。そんな人には「身捨つるほど」の祖国とはどんな国なのか、どんな国だったら多くの人が「身捨つるほど」の誇りを抱くのか考えてほしいものです。
国を検証することもしない「愛国」など、議論になりません。もちろんいとも簡単に国民の「身」を捨てさせる国であってはならないことは自明のことです。個人の生命を守ることが国の役割なのですから。
「身捨つるほどの祖国はありや」
高槻市 k(71歳)
しばらく前の新聞に載った川柳を読んで、六十年前の子どもの頃に引き戻された。
「起立させやがて直立不動させ」(小池あきら)
東京都をはじめ全国の学校の卒業式で見られる光景を皮肉った句である。
教育委員会からチェック役が出向き、国歌斉唱の命令がかかっても起立しない生徒に、来賓席の議員が「立ちなさい!」と大声をあげるというありさまは、マンガチックであるが笑ってばかりもおられない。
イラク戦争以来の常軌を逸した政府の振る舞いには寒気すら感じる。「生まれる前のことなど知ったことか」と言わずに、戦中派の話にも少しは耳を傾けてほしい。
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一九四五年、私は京都の国民学校の六年生だった。卒業まぎわの三月十三日の大阪大空襲で母親の里が、六月十八日の四日市空襲で父親の里が焼け落ちた。叔父は満州牡丹江省の虎林で、従兄は輸送船で南方へ送られる途中、台湾沖で死んだ。
その知らせを受けても涙はこぼれなかった。アジア解放の聖戦と信じさせられていたから、その大義に殉じた叔父と従兄は一族の誉れだと誇らしかった。中学へ進み「国家のために潔く散り靖国神社で逢おう」と友人と肩を叩きあった。「俺たちが戦場に馳せ参じるまで戦争が終わらないように」と祈った模範的な皇国少年だった。
だから、八月十五日の無条件降伏がどんなに衝撃的であったか想像してもらえると思う。混乱と虚脱の日々だった。そして恐ろしい飢餓がやってくる。大阪の空襲で焼け出され、わが家に身を寄せた祖母と伯母が、栄養失調で相次いで死ぬ。そして、戦時中の勤労動員が原因で病に倒れた姉が死ぬ。十八歳-薬も滋養物も与えられない見殺し同然の最期だった。
一九四七年、新憲法施行。私は姉の霊に誓った。「姉さん。これでもう戦争で誰も殺さず、誰も殺されない。青春のなかったあなたに代わって、若者が戦で死ぬことのない世が続くようにする」。
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靖国に参拝した小泉首相が「二度と再び戦争の惨禍を起こさないと誓うために詣った」という心情に嘘はなかったと思っている。ならば、なぜイラク侵攻を図ったアメリカに直言しなかったのか。たとえあの国に大量破壊兵器なるものがあったとしても、あの国の独裁者が恐怖の支配を行っていたとしても、勝手にミサイルをぶちこむ権利は、どこの国にもない。同盟を結んでいるからこそ諌めるべきなのだ。また川柳を引くが、そうでないから「一人去り二人去りポチだけ残り」(志甫彬)と揶揄されるのですぞ。
昨年の十二月ヽ自衛隊がイラクヘ派遣された。どうにも我慢ができなくなっていたところに、反対の署名運動をやりましょうと呼びかけてくれた人があった。私も妻も「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンに共鳴して組合員になった。声をあげる責任もある。二人して暮の駅頭に立った。以来月に一回、退職教職員の有志と一緒に運動を続けている。
そのさ中の四月、イラクで三人の日本人が人質となる事件が起こった。凄まじいまでの非難が浴びせられたという。解放された人が帰ってきた時、わざわざ空港まで「自業自得」などと書いたプラカードを掲げて出迎えに行った人がいるという。そんな暇があったら人助けの一つもしたらどうですかと言いたくなる。それをたしなめるどころか「かような反日分子に血税を使うのか」と言い出す政治家が出た。
十年前の阪神淡路大震災の際、全国から何十万という人が被災地へ駆けつけた。神戸にはたくさんの韓国・朝鮮人が住んでいるが、日本人もコリアンも国籍や民族の違いを超えて互いに助けあった。あの時私は「この国で生きてきてよかった」とこみあげる思いをとめることができなかった。この国が、そこに住む人が愛しかった。
人質になった人たちに「自己責任」を問うてもよいとすれば、その資格のあるのは、例えばこの時、余震治まらぬ街へ危険を冒して入った無名のボランティアの人たちであろう。---
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このところの情けなく悲しいありさまに、寺山修司ではないが、「身捨つるほどの祖国はありや」とつぶやきたくなる。政治を預る人たちが、私たちを一体どこへ連れていこうとしているのか。われわれは黙ってそれにつき従っていくのか。
六月八日、ブッシュ大統領との会談で小泉首相が多国籍軍への参加を表明。国会での審議もしないでとの批判に「持ち帰って相談してみますなんて言えますか」と開き直る。八月十三日、普天間基地の米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落。首相、夏休み中だとかでだんまりを決めこむ。国連安全保障常任理事国になって何をしようというのか。ひっさげて行くべき憲法九条・非核三原則・武器輸出禁止三原則を捨てて、国際社会で名誉ある地位を占められると考えているのだろうか。こんな国にするために、私たちは戦後廃墟の中から立ち上がって働き続けてきたのではない。
最後に、極めてまじめな提案をしたい。
もし改憲を問う国民投票が行われる事態になった時はぜひとも子どもたちに投票権を与えてほしい。「戦争のできる普通の国」になったとして、恐らく政治家は誰一人戦場に赴かないだろうし、九条改めるべしと一票を投じた人も自ら志願する者はたぶんあるまい。その時、銃を執らされるのは今の子どもたちだと思うからである。
(二〇〇四年十月五日)
山下けいきさん
「お元気ですか」200号、よくぞ続けてこられましたね。
15年間の結晶を前に、目を見張っております。毎号うん、うんとうなずきながら元気をもらっています。このところの常軌を逸した政府の振る舞いには寒気をもよおしています。がまんができなくなった仲間たち高槻の退職した教職員の有志と毎月1回街頭に立って、イラクからの自衛隊撤退と憲法を守ろうという呼びかけをしています。
大阪府全体の退職教職員の会も「憲法第9条を誇りに」の運動の一環として、憲法とともに生きてきた世代の思いや証言を出版します。同封しました「身捨つるほどの祖国はありや]は、それに投稿した原稿です。
「何で破防法の時のようなゼネストや、60年安保の大きなデモが起こらんのやろ]と嘆く人がいます。その人に私はこう言っています。「私たちのささやかな署名運動やビラを見て考えてみたり、なんらかの行動を起こす人が出てくるかもしれないやないか。いま大事なのは、憂い怒っている人が、自分の出来得ることでいいから声をあげ行動に移すことじゃないのかな。その積重ねや広がりなくしてうねりはやってこないと思うよ」 と言いつつ「どうしてみんな平気でおられるのかなあ]といらだつこともあります。
そんな時、山下さんや新社会の方々の活躍にいつも勇気をもらって、頑張らなくっちゃと思っている人です。
【今日の動き】「お元気ですか」の配布。安威川の沿線をビラニックです。
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