明日の映画「内部被ばくを生き抜く」上映の準備で資料などの印刷、パネルの件で連絡、その他の事務作業など。
関西電力前に行ってきました。大飯原発再稼働反対を叫ぶ人々であふれ、道路を隔てた歩道もいっぱいでした。7時半で行動は終わったのですが、終了後に駆け付けた人も多く2500名ぐらかなと思っています。
ただ叫ぶだけではもったいないと脱原発のぼりを背負い、1000万署名を呼びかけました。最初はどうかなと思っていたのですが、なんと署名をしたいと列ができる時間帯もあり、62名の方に協力してもらいました。茨木、高槻、顔なじみの方はもちろんですが、多くの人と話ができるのはいいものです。
びっくりしたのが家族が鹿児島の方や、私のふるさと・加世田、吹上浜、サンセットブリッジ、さんぱるといったローカルな話題で盛り上がったこと。また大阪市のがれき受け入れ説明会が警官の大量動員で、一般市民の参加がしにくい中で運営されているとの話が聞けました。
若い人がいっぱいでしたが、一時だけではなく、いろんな問題に関心を持って活動してほしいものです。
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片づけの中で出てきた「かくも長き良心の不在」から、戦争の語り部として活動された本多立太郎(故人)の原稿です。
「戦争」答えられるのはあなた 本多立太郎(論壇)
私は現在八十四歳、今日は健康だが明日の保証はない。言うべきことを言うのはいまをおいてない。歳をとるとはそういうことである。
私の世代はいわゆる戦争世代であって、ほとんどの男女が程度の差こそあれ、国家の名のもとに生命、財産の危機に立たされた。失われた生命は数百万に上り、すべてを烏有(うゆう)に帰した者は数限りない。
戦後、平和を通して、戦争は遠く過去のものになったといわれているが、わずか六、七十年を経たに過ぎない。歴史の悠久の流れに比すれば一瞬の間だ。戦争体験者にとっては昨日の出来事である。
例を私にとれば、一九三九年(昭和十四年)五月、勤務先の東京の新聞社で受け取った赤紙から、戦争は始まった。最初は中国江南、いったん帰って再召、今度は千島列島の北端、占守島で敗戦を迎え、上陸してきた当時のソ連軍に捕らえられてシベリアに抑留、強制労働のあげくに四七年八月、命からがら帰国した。前後七年、一生の最も貴重な歳月を無為に過ごしたことになる。
最近、この歴史的事実の見直しを唱える者がいる。この戦争の事実を事実として伝えることを「自虐的史観」と称して、民族の誇りを故意に傷つける者と批判する政治家や学者、文化人らが現れた。しかし、体験者が体験した事実は、置かれた位置、時間、身分などの差によって形は各々違っても、その行為の目的は一つ、他国への侵略であった。今日、それをいかに否定し弁明しようとしても、現にそれに参加した私たちがまだ生きているのである。
われわれは大陸の戦場で、この手で村を焼き、この手で人の命を奪ったのだ。あらゆる暴虐な手段が「戦争」の二字によって正当化された。私は数々の罪を犯し、遠からずこの心の傷を抱いたまま土に入ることになる。もちろんこの記憶を消し去ることは出来ない。
ワイツゼッカー元西独大統領は言う。「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去に目を閉ざす者は結局のところ現在も見えなくなります」
十二年前、わが家の孫にこうした罪を犯させてはならぬと気付いた。やがてわれわれ戦争体験者が死に絶えた後、知らぬが故に、男は一生に一度、軍服を着て銃を執らなければ男にならねえ、などと言い出さないと限らない。現にわれわれの見えないあたりでそのための法的手続きが用意され、国家の名による平和教育もその中身が変質されつつある。「過去を変えたり起こらなかったことにするため」の、いわゆる自由主義史観が日本近現代史をゆがめようとしている。
まさにこのままでは「現在をも見えなく」されようとしているのだ。私の体験を語ることで真実を証明しようと考えた。
孫ばかりではない。その親の世代が戦争を知らない。知らぬが故の誤りを防ぐのは知る者の務めだ。ことにわれわれの眼前で無数に果てた死者はその無念を語れない。彼らに代わって語るのは生きた者の義務である。
そして語り出した。求められるままに、相手が一人でも一杯のラーメンを配達するように、だから出前だと称して。幸い私より周囲が動いてくれた。口コミで広がり、マスコミも報道してくれた。反戦平和とか忠君愛国とか、スローガンめいたものには一切触れず、ただ事実のみを今日の若者たちの前にそっと置く。その置かれた事実をどう受け取るかは聞いた者に任せる。
ただ、やって気付いたのだが、戦争は、その事実を何の粉飾もなくありのまま語れば、それが戦争批判になる特質を持つということだ。今日までの出前の客は正確にそれを悟りこたえてくれている。あとはそれを次世代に語りついで頂くということである。八六年二月から十二年十カ月、五百六十回延べ七万人余の皆さんに語らせてもらった。
あらためて同世代の方々にお願いしたい。あなたの孫や周囲の若者たちはみな半世紀前の祖国の日々を正確に知りたいと願っている。それに答えられるのはあなたしかいない。
(ほんだ・りゅうたろう 「戦争の出前話」語り部 和歌山県在住=投稿)
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