朝起きて、明るくなり始めた7時頃から、カメラ片手に周辺を散策してみた。冬の朝は近畿といえども寒く、防寒に注意して外へ出た。榊原温泉は昔は“七栗の湯”として知られ、清少納言『枕草子』117段に、「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と出ていて日本三大名湯の一つとして有名なんだ。鄙びた温泉街を少し歩くと、杉の大木に囲まれて佇む式内社「射山神社」があった。平安時代の927年(延長5)に人々が湯の神を祀り、現在も毎年2月にはクマザサで沸騰したお湯を参拝者にかける「御湯」という伝統行事が開催されると案内板に書いてあったが、それほど昔からの由緒を持った所なのだ。何枚か写真を撮りながら周辺を散策して、30分ほどで、宿へと戻ってきた。
すぐに朝風呂に入ったが、冷えた体が融けていくようでとても心地がよい。浴後は、食堂での朝食をとり、手早く荷物をまとめて8時半には宿を立った。
国道165号線へ出て東進し、23号線へぶつかって右折して鳥羽方面へと向かった。二見浦の先にある神前灯台の写真を撮ろうと防波堤の近くに車を駐め、海岸線へと出てみた。灯台の姿は見えるのだが、断崖絶壁上にあり、行き方がわからない。浜で海藻を拾っていた地元の人に聞いてみたのだが、要領を得ないのだ。仕方がないので、できるだけ近づいて下から望遠でとらえるだけにした。
撮影後は、国道に復してさらに東へ走り、離島へ渡る連絡船乗り場のある佐田浜へと至った。窓口で菅島行きの出航時間を確認したら、まだ1時間弱の余裕があるので、離島の旅館指定の市営第1駐車場へ車を入れ、鳥羽駅周辺の土産物屋をのぞいて時間をつぶすことにした。
佐田浜港発11時35分発の市営定期船に乗り、菅島へと向かったが鳥羽湾内の波は穏やかで、とても風光明媚だ。20分弱で到着し、下船後港の前の軽食喫茶で昼食をすませ、菅島灯台へと遊歩道を歩いていった。最初は海岸縁を巡る平坦路であったが、途中から急な上り勾配となり、アップダウンしながら、先端へと向かっていった。この島は東西約4kmの細長い島で、灯台はその東北端に立っている。1873年(明治6)7月に初点灯したレンガ造の現役では日本最古の洋式灯台で、かの“灯台の父”と呼ばれる英国人技師ブラントンの設計・建設によるものなのだ。「日本の灯台50選」にも選ばれている日本を代表する灯台で、歴史的文化財的価値が高いので、Aランクの保存灯台ともなっていて、以前から一度来たいと思っていた。
岬の尾根筋に小さな門があり、その奥に、ヨーロッパの古城を思わせる白亜の美しい灯台が見えてきて、あまりのすばらしさに息を飲んだ。国産の白色レンガを使っており、竣工式には、西郷隆盛など当時の政府高官が多数列席したという由緒あるものなのだ。無人化によって使用されなくなった退息所(灯台職員官舎)は、国指定重要文化財となり「明治村」に移築保存され、以前見学したことがある。
菅島灯台
ここから望む神島や伊良湖岬はとてもすばらしく、灯台や周辺の景色を何十枚もカメラに撮し込んだ。
灯台付近からの眺望
その後、遊歩道を巡り、監的哨跡(旧陸軍の施設で砲弾の着弾点を確認するための監視所)へも登ってみたが、ここからみる景色もすばらしかったのだ。廃墟となっているコンクリート造建物の屋上からは360度の眺望があり、鳥羽湾から答志島、伊良湖水道そして神島、伊良湖岬まで見渡せて感嘆の声を上げた。もちろん写真を撮りまくったことは言うまでもない。
監的哨跡とその眺望
撮影後、尾根路を西へ歩き、役行者の石碑のあるところから港への急坂を下っていった。港の前に菅島小学校があるのだが、校舎の一部に灯台がモチーフされていて興味を持った。そして、市営定期船乗り場へと戻ってきたんだけど、神島行きまでには少し時間があったので、待合室で待っていたが、出航時間が近づいても、殆ど人が現れない。まあ、この島から神島へ行く人も少ないんだろうけど...。
市営定期船
鳥羽から来た定期船は、ほぼ定刻どおりに港へ入ったが、帰省客で混み合っていて、通路にまで、人と荷物が溢れていた。それに乗り込み、14時20分に神島へ向けて出航したが、ここからは外海に出ることになるので、少し波が高くなり船が揺れていた。しかし、ほぼ定刻どおり15時前には神島港へと入っていった。
神島は伊勢湾の入口に浮かぶ、周囲約4km、人口500人余の小さな島で、標高170mの灯明(とうめ)山を中心として全体が山地状で、集落は季節風を避けるように北側斜面に集まっている。そして、なによりも三島由紀夫の小説「潮騒」のモデルになったことで、有名で昔から一度来たいと思っていたのだ。
神島へ着いて、今日の宿「山海荘」に荷物を置くと、さっそく島一周の散策に出かけた。ほんとうに急斜面にへばりつくように人家が密集して建っていて、歩道が急勾配でアップダウンしながらその間を縫っていた。まず、集落の東側にある八代神社へと行ってみたのだが、真っ直ぐ伸びた214段もの階段を登らなくてはならず、閉口した。ここで、元旦の夜明けにゲーター祭りと呼ばれる起祭りが行われるという。
社殿参拝後、時計回りに島を一周しようと、裏手の遊歩道を上っていったんだけど、勾配がきつく、断崖絶壁になって海に落ち込むような細道を進んでいく。しかし、伊勢湾、伊良湖岬から太平洋の景色はすばらしいのだ。しばらく行くと、神島灯台の門が見えたが、小説「潮騒」に描かれている灯台職員宿舎(退息所)は無人化に伴い撤去されていて空き地となっていた。その奥に白亜の灯台が立っていたんだけど、そこからの眺望がすこぶるよく、しばしたたずみながら何度もカメラに収めた。
神島灯台
さらに、遊歩道を進むと木製の階段となり、アップダウンしながら監的哨跡へと至る。ここは、旧陸軍省が砲弾の着弾点を観測した施設で、小説「潮騒」では、主人公とヒロインがクライマックスを迎える場所であり、映画の情景を思い浮かべながら見学した。コンクリート造の2階建となっており、屋上に上ることも出来て、眺めもすばらしいのだ。おりしも、西に夕焼けが広がっていて、その幻想的な雰囲気に何十回もシャッターを切った。 さらに歩いていくと、神島小中学校のあるニワの浜へ出るが、風が吹き抜けていて冷たい。ここは、小説「潮騒」で海女が集まって漁をしていた所で、そのダイナミックな景色と共に印象に残った。その後も、祝が浜、古里の浜と巡って港へと戻り、2時間弱の散策を終えた。
宿に戻って、散策の汗を流すために風呂へと向かったが、ここのは、4階にあって、港から伊勢湾まで見渡せる展望浴場なのだ。ゆっくりと浸かりながら、旅の疲れを癒した。 浴後、部屋で休憩していたら、1階食堂での夕食となったが、食卓には、刺身(スズキ、タイ)、サザエつぼ焼、エビ、タコ煮物、ガシ2尾煮物、スズキ切身焼物、など新鮮な海の幸が並べられ、酒も2合注文して、美味しく頂いた。
食後は、部屋に戻って、テレビを見ていたが、季節風が強く、ガラス戸を揺らすのが気になった。あまり風が強いと、波が高くなり、定期船が欠航するんじゃないかと...。そうしたら、どうしようなどと考えていたら、眠くなってきたので、床に就いた。
→続く
すぐに朝風呂に入ったが、冷えた体が融けていくようでとても心地がよい。浴後は、食堂での朝食をとり、手早く荷物をまとめて8時半には宿を立った。
国道165号線へ出て東進し、23号線へぶつかって右折して鳥羽方面へと向かった。二見浦の先にある神前灯台の写真を撮ろうと防波堤の近くに車を駐め、海岸線へと出てみた。灯台の姿は見えるのだが、断崖絶壁上にあり、行き方がわからない。浜で海藻を拾っていた地元の人に聞いてみたのだが、要領を得ないのだ。仕方がないので、できるだけ近づいて下から望遠でとらえるだけにした。
撮影後は、国道に復してさらに東へ走り、離島へ渡る連絡船乗り場のある佐田浜へと至った。窓口で菅島行きの出航時間を確認したら、まだ1時間弱の余裕があるので、離島の旅館指定の市営第1駐車場へ車を入れ、鳥羽駅周辺の土産物屋をのぞいて時間をつぶすことにした。
佐田浜港発11時35分発の市営定期船に乗り、菅島へと向かったが鳥羽湾内の波は穏やかで、とても風光明媚だ。20分弱で到着し、下船後港の前の軽食喫茶で昼食をすませ、菅島灯台へと遊歩道を歩いていった。最初は海岸縁を巡る平坦路であったが、途中から急な上り勾配となり、アップダウンしながら、先端へと向かっていった。この島は東西約4kmの細長い島で、灯台はその東北端に立っている。1873年(明治6)7月に初点灯したレンガ造の現役では日本最古の洋式灯台で、かの“灯台の父”と呼ばれる英国人技師ブラントンの設計・建設によるものなのだ。「日本の灯台50選」にも選ばれている日本を代表する灯台で、歴史的文化財的価値が高いので、Aランクの保存灯台ともなっていて、以前から一度来たいと思っていた。
岬の尾根筋に小さな門があり、その奥に、ヨーロッパの古城を思わせる白亜の美しい灯台が見えてきて、あまりのすばらしさに息を飲んだ。国産の白色レンガを使っており、竣工式には、西郷隆盛など当時の政府高官が多数列席したという由緒あるものなのだ。無人化によって使用されなくなった退息所(灯台職員官舎)は、国指定重要文化財となり「明治村」に移築保存され、以前見学したことがある。
菅島灯台
ここから望む神島や伊良湖岬はとてもすばらしく、灯台や周辺の景色を何十枚もカメラに撮し込んだ。
灯台付近からの眺望
その後、遊歩道を巡り、監的哨跡(旧陸軍の施設で砲弾の着弾点を確認するための監視所)へも登ってみたが、ここからみる景色もすばらしかったのだ。廃墟となっているコンクリート造建物の屋上からは360度の眺望があり、鳥羽湾から答志島、伊良湖水道そして神島、伊良湖岬まで見渡せて感嘆の声を上げた。もちろん写真を撮りまくったことは言うまでもない。
監的哨跡とその眺望
撮影後、尾根路を西へ歩き、役行者の石碑のあるところから港への急坂を下っていった。港の前に菅島小学校があるのだが、校舎の一部に灯台がモチーフされていて興味を持った。そして、市営定期船乗り場へと戻ってきたんだけど、神島行きまでには少し時間があったので、待合室で待っていたが、出航時間が近づいても、殆ど人が現れない。まあ、この島から神島へ行く人も少ないんだろうけど...。
市営定期船
鳥羽から来た定期船は、ほぼ定刻どおりに港へ入ったが、帰省客で混み合っていて、通路にまで、人と荷物が溢れていた。それに乗り込み、14時20分に神島へ向けて出航したが、ここからは外海に出ることになるので、少し波が高くなり船が揺れていた。しかし、ほぼ定刻どおり15時前には神島港へと入っていった。
神島は伊勢湾の入口に浮かぶ、周囲約4km、人口500人余の小さな島で、標高170mの灯明(とうめ)山を中心として全体が山地状で、集落は季節風を避けるように北側斜面に集まっている。そして、なによりも三島由紀夫の小説「潮騒」のモデルになったことで、有名で昔から一度来たいと思っていたのだ。
神島へ着いて、今日の宿「山海荘」に荷物を置くと、さっそく島一周の散策に出かけた。ほんとうに急斜面にへばりつくように人家が密集して建っていて、歩道が急勾配でアップダウンしながらその間を縫っていた。まず、集落の東側にある八代神社へと行ってみたのだが、真っ直ぐ伸びた214段もの階段を登らなくてはならず、閉口した。ここで、元旦の夜明けにゲーター祭りと呼ばれる起祭りが行われるという。
社殿参拝後、時計回りに島を一周しようと、裏手の遊歩道を上っていったんだけど、勾配がきつく、断崖絶壁になって海に落ち込むような細道を進んでいく。しかし、伊勢湾、伊良湖岬から太平洋の景色はすばらしいのだ。しばらく行くと、神島灯台の門が見えたが、小説「潮騒」に描かれている灯台職員宿舎(退息所)は無人化に伴い撤去されていて空き地となっていた。その奥に白亜の灯台が立っていたんだけど、そこからの眺望がすこぶるよく、しばしたたずみながら何度もカメラに収めた。
神島灯台
さらに、遊歩道を進むと木製の階段となり、アップダウンしながら監的哨跡へと至る。ここは、旧陸軍省が砲弾の着弾点を観測した施設で、小説「潮騒」では、主人公とヒロインがクライマックスを迎える場所であり、映画の情景を思い浮かべながら見学した。コンクリート造の2階建となっており、屋上に上ることも出来て、眺めもすばらしいのだ。おりしも、西に夕焼けが広がっていて、その幻想的な雰囲気に何十回もシャッターを切った。 さらに歩いていくと、神島小中学校のあるニワの浜へ出るが、風が吹き抜けていて冷たい。ここは、小説「潮騒」で海女が集まって漁をしていた所で、そのダイナミックな景色と共に印象に残った。その後も、祝が浜、古里の浜と巡って港へと戻り、2時間弱の散策を終えた。
宿に戻って、散策の汗を流すために風呂へと向かったが、ここのは、4階にあって、港から伊勢湾まで見渡せる展望浴場なのだ。ゆっくりと浸かりながら、旅の疲れを癒した。 浴後、部屋で休憩していたら、1階食堂での夕食となったが、食卓には、刺身(スズキ、タイ)、サザエつぼ焼、エビ、タコ煮物、ガシ2尾煮物、スズキ切身焼物、など新鮮な海の幸が並べられ、酒も2合注文して、美味しく頂いた。
食後は、部屋に戻って、テレビを見ていたが、季節風が強く、ガラス戸を揺らすのが気になった。あまり風が強いと、波が高くなり、定期船が欠航するんじゃないかと...。そうしたら、どうしようなどと考えていたら、眠くなってきたので、床に就いた。
→続く