この季節になると山の方は寒いんだけど、空気が澄んで、写真を撮るにはいいんだよね。今日は天気が良さそうだから、山梨県へでも行って、富士山の写真でも撮ってこようと思うんだけど...。でも、富士山って気まぐれで、写真を撮ろうと思って行って、なかなか顔を見せてくれないときもある。はたしてどうなることやら...。ただ、日曜日は下り坂で、曇りのち雨の予報なんだ。でも、翌日は、今年10月に出来たばかりの山梨県立博物館へ行く予定だから、多少雨でもいいかな、というつもりで、出かけることに...。
朝6時過ぎに自宅を出立し、渋滞の予想される高速道路を使わないで、山梨県へと向かったんだ。外環の脇道を西へ走り、小金井街道へ出てからは、南下して、関戸橋で多摩川を越えた。
その後は、相模原市から国道413号線へ乗って、“道志みち”へと入ろうとしたのだけど、城山で道を間違えた。それでもさまよいながら、なんとか復して、途中のコンビニで朝食を取ってから、県境を越え、山梨県へと入っていった。
もう3時間以上車を運転し続け、疲れてきたので、道端にあった。道志温泉「日野出屋」で立ち寄り入浴していくことにした。築100年という古建築で、黒光りした柱や梁に年輪を感じさせる。入浴料500円を払って、内湯の方へ入ったんだけど(別に露天風呂もある)、岩風呂になっていて、透明な湯が湛えられていた。のんびりと浸かって、旅の疲れを癒したんだけど、とても静かだった。
入浴後は、国道413号線をさらに西へ走り、山伏峠を越えて、山中湖へと至った。ここから、富士山の写真を撮っていったんだけど、その表情は、時々刻々と変わるので、ほんとうに油断できないんだ。最初に撮った山中湖東岸では、かなり雲に隠れていたんだけど、見ている内に変化していくんだよね。とにかくシャッターを切りまくったんだ。
山中湖東岸から見た富士山
その後、山中湖北岸でも撮ったんだけど、その頃にはかなり富士山の全貌がわかるようになってきた。ただ、ちと寒いのが辛かったんだけど...。
山中湖北岸より見た富士山
そして、場所を変え忍野八海へ行ったんだけど、富士山はよく見えるものの、完全逆光となっているので、思うように撮し込めなくって、あんまりいい写真は撮れなかった。
忍野八海から見た富士山
次に、「富士吉田市立博物館」を見学し、近くで昼食にうどんを食べてから、「富士山レーダードーム館」も見てみたんだ。
それから、河口湖へと至って、ロープーウェイで天上山へと上がり、富士見台駅の展望台から富士山を撮影した。ここでは、ほとんど雲もなくて、すばらしい富士山が全貌を表していたんだけど、逆光で、写真は今一だったかな...。
天上山から見た富士山
さらに、河口湖北岸でやや逆光の中で富士山をとらえてみました。河口湖周辺は、かなり人家があり、旅館やホテル、民宿などが建ち並んでいて、リゾート地帯となっています。湖にはボートを浮かべて楽しんでいる人達の姿も見受けられました。
河口湖北岸から見た富士山
撮影後、西へ走って、西湖に着いたときには、陽が傾きかけていて、湖畔に並べられていたボートが印象的だった。夏場には賑わっていた場所も、ひっそりと静まりかえって、湖面がさざやいでいた。ここから見る富士山は、裾野の山の重なりと、湖の調和がとてもいいように思う。
西湖西岸から見た富士山
その後、本栖湖へと至ったんだけど、陽が傾き始めた、本栖湖北岸での写真が一番よく撮れたと思う。ここからの富士山は、現在の野口英世の千円札裏側に描かれているものなんだけど、逆さ富士はめったに見られないとのこと...。この日は、ほとんど雲もなく、とてもきれいだったよ。
本栖湖北岸から見た富士山
その後は、日も傾きかけてきたので、撮影を終え、国道300号線を西へ走って、今日の宿のある雨畑湖温泉へと向かった。下部温泉近くを通り、国道52号線を横切って、南アルプス山麓にある早川町へと入っていったのだ。
ただ、先の豪雨で、土砂崩れがあって、道路が通行止めになっていて、途中から迂回路に谷底の河原を走らされたのは大変だったけど...。
それでも、なんとか陽が落ちる前に「VILLA 雨畑」へ到着することが出来た。ここは、ものすごい山の中のダム湖畔にあり、1983年に閉校した旧硯島小中学校を利用した温泉宿泊施設で、体育館、校庭、プールなども残されていた。でも、2003年に改造されたとのことで、結構きれいにしてあったし、町営の施設なので、1泊2食付き7千円と安かったんだ。
受付をすませてから部屋に案内されたんだけど、シングルベットが3つ並んだ洋室だった。和室もあるようだけど、トイレと洗面が付いていて、8畳ほどの広さがある。外は以前は校庭であったと思われ、教室を仕切って改造したのだろうけど、そうとは思えないほどしっかりと造ってある。
荷物を置いて、小休止してから、別棟となっている浴室へと向かった。これも、旧校庭の一角にある平屋建ての「すず里の湯」で、左右に男女別に分かれた内湯がある。純和風の造りで、まだ新しく女性用には露天風呂も併設されていると聞いていた。男性用浴室には、湯温の異なる2つの浴槽があり、結構広い。温泉分析書を見ると源泉14.2℃、pH7.44の単純硫黄泉(低張性・中性・冷鉱泉)で、沸かしてはいるものの、掛け流しになっていた。無色透明の入りやすい湯に、のんびり浸かり、旅の疲れを癒した。
浴後、しばらく部屋で休んでいたら、6時から食堂での夕食となった。食卓には、天ぷら、紅マスの塩焼き、名物の豆腐、野沢菜、酢の物などが並べられ、蕎麦も出てきた。料金にしてはまずまずで、お酒も2合頼んで、飲みかつ食べた。
食後は、部屋に戻って、ベットの上に寝っ転がり、テレビを見たり、本を読んだりしていたら、睡魔に襲われてきたので、眠りに就いた。
→続く
朝6時過ぎに自宅を出立し、渋滞の予想される高速道路を使わないで、山梨県へと向かったんだ。外環の脇道を西へ走り、小金井街道へ出てからは、南下して、関戸橋で多摩川を越えた。
その後は、相模原市から国道413号線へ乗って、“道志みち”へと入ろうとしたのだけど、城山で道を間違えた。それでもさまよいながら、なんとか復して、途中のコンビニで朝食を取ってから、県境を越え、山梨県へと入っていった。
もう3時間以上車を運転し続け、疲れてきたので、道端にあった。道志温泉「日野出屋」で立ち寄り入浴していくことにした。築100年という古建築で、黒光りした柱や梁に年輪を感じさせる。入浴料500円を払って、内湯の方へ入ったんだけど(別に露天風呂もある)、岩風呂になっていて、透明な湯が湛えられていた。のんびりと浸かって、旅の疲れを癒したんだけど、とても静かだった。
入浴後は、国道413号線をさらに西へ走り、山伏峠を越えて、山中湖へと至った。ここから、富士山の写真を撮っていったんだけど、その表情は、時々刻々と変わるので、ほんとうに油断できないんだ。最初に撮った山中湖東岸では、かなり雲に隠れていたんだけど、見ている内に変化していくんだよね。とにかくシャッターを切りまくったんだ。
山中湖東岸から見た富士山
その後、山中湖北岸でも撮ったんだけど、その頃にはかなり富士山の全貌がわかるようになってきた。ただ、ちと寒いのが辛かったんだけど...。
山中湖北岸より見た富士山
そして、場所を変え忍野八海へ行ったんだけど、富士山はよく見えるものの、完全逆光となっているので、思うように撮し込めなくって、あんまりいい写真は撮れなかった。
忍野八海から見た富士山
次に、「富士吉田市立博物館」を見学し、近くで昼食にうどんを食べてから、「富士山レーダードーム館」も見てみたんだ。
それから、河口湖へと至って、ロープーウェイで天上山へと上がり、富士見台駅の展望台から富士山を撮影した。ここでは、ほとんど雲もなくて、すばらしい富士山が全貌を表していたんだけど、逆光で、写真は今一だったかな...。
天上山から見た富士山
さらに、河口湖北岸でやや逆光の中で富士山をとらえてみました。河口湖周辺は、かなり人家があり、旅館やホテル、民宿などが建ち並んでいて、リゾート地帯となっています。湖にはボートを浮かべて楽しんでいる人達の姿も見受けられました。
河口湖北岸から見た富士山
撮影後、西へ走って、西湖に着いたときには、陽が傾きかけていて、湖畔に並べられていたボートが印象的だった。夏場には賑わっていた場所も、ひっそりと静まりかえって、湖面がさざやいでいた。ここから見る富士山は、裾野の山の重なりと、湖の調和がとてもいいように思う。
西湖西岸から見た富士山
その後、本栖湖へと至ったんだけど、陽が傾き始めた、本栖湖北岸での写真が一番よく撮れたと思う。ここからの富士山は、現在の野口英世の千円札裏側に描かれているものなんだけど、逆さ富士はめったに見られないとのこと...。この日は、ほとんど雲もなく、とてもきれいだったよ。
本栖湖北岸から見た富士山
その後は、日も傾きかけてきたので、撮影を終え、国道300号線を西へ走って、今日の宿のある雨畑湖温泉へと向かった。下部温泉近くを通り、国道52号線を横切って、南アルプス山麓にある早川町へと入っていったのだ。
ただ、先の豪雨で、土砂崩れがあって、道路が通行止めになっていて、途中から迂回路に谷底の河原を走らされたのは大変だったけど...。
それでも、なんとか陽が落ちる前に「VILLA 雨畑」へ到着することが出来た。ここは、ものすごい山の中のダム湖畔にあり、1983年に閉校した旧硯島小中学校を利用した温泉宿泊施設で、体育館、校庭、プールなども残されていた。でも、2003年に改造されたとのことで、結構きれいにしてあったし、町営の施設なので、1泊2食付き7千円と安かったんだ。
受付をすませてから部屋に案内されたんだけど、シングルベットが3つ並んだ洋室だった。和室もあるようだけど、トイレと洗面が付いていて、8畳ほどの広さがある。外は以前は校庭であったと思われ、教室を仕切って改造したのだろうけど、そうとは思えないほどしっかりと造ってある。
荷物を置いて、小休止してから、別棟となっている浴室へと向かった。これも、旧校庭の一角にある平屋建ての「すず里の湯」で、左右に男女別に分かれた内湯がある。純和風の造りで、まだ新しく女性用には露天風呂も併設されていると聞いていた。男性用浴室には、湯温の異なる2つの浴槽があり、結構広い。温泉分析書を見ると源泉14.2℃、pH7.44の単純硫黄泉(低張性・中性・冷鉱泉)で、沸かしてはいるものの、掛け流しになっていた。無色透明の入りやすい湯に、のんびり浸かり、旅の疲れを癒した。
浴後、しばらく部屋で休んでいたら、6時から食堂での夕食となった。食卓には、天ぷら、紅マスの塩焼き、名物の豆腐、野沢菜、酢の物などが並べられ、蕎麦も出てきた。料金にしてはまずまずで、お酒も2合頼んで、飲みかつ食べた。
食後は、部屋に戻って、ベットの上に寝っ転がり、テレビを見たり、本を読んだりしていたら、睡魔に襲われてきたので、眠りに就いた。
→続く