goo blog サービス終了のお知らせ 

asano.net

読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

187冊目:「ドラゴンクエストⅩを支える技術」

2022-02-26 18:17:52 | 
総評:★★★☆☆ 総評としては普通。
面白い度:★★★★☆ 面白く読めた。
読みやすい度:★★★★☆ 技術の本だが読みやすかった。
ためになる度:★★★☆☆ いくらかためにはなった。
また読みたい度:★☆☆☆☆ 読み返すはあまりないかなと思う。


図書館で見つけたので面白そうだったので読んでみることにした本。
ドラクエⅩの開発をしていた「青山公士」さんって人が『WEB+DB Press』という雑誌に連載していたものをまとめて本にして出したもの。

ドラクエⅩは自分はやったことは無いが、周りにハマっている人は数人いた。
今でも活況らしいので、機会があればやってみたいと思う。

そんなドラクエⅩはどのように作られ、運営されているのか、同じシステムを扱う者としてとても興味深く読めた。


印象で言うと、オンラインのRPGはどこかとっつきにくそうなイメージがあり、ファイナルファンタジーとかは、かなり大人向けの作りだなーというイメージだが、ドラクエⅩはかなり初心者でもとっつきやすそうなビジュアルだしUIだなと思う。

UIなんて従来のドラクエをそのまま踏襲しているので、その点ドラクエ人口は日本でとてつもないと思うので、とても間口が広いオンラインRPGだと思う。
そんなドラクエブランドを介したオンラインRPGは製作者側もユーザー側もとてもハードルが高かったはずだ。
今は確固たる人気を築けていると思うが、開発側の努力や、かけているお金は並々ならぬものがあると思う。


ドラクエで言うと、自分は8まではやっているのだが、それ以降のタイトルはプレイしていなかった。
今までプレイして感動したのは4のリメイクも良かったが、何よりも8の完成度だった。

8はストーリーとしては一本道でシステムもそこまで斬新なものはなかったが、ドラクエの世界を全て3Dにしたというところがとても驚きで、鳥山明の世界と今までのドラクエの世界を裏切らない出来だったのが、本当に驚いた。
8の世界を歩き回るあの冒険をしている感は本当にすごいと思う。

そんな8と同じような感覚でⅩやⅪができていると思うとやはりちょっと気になるのだった。


まあそんなんで本の感想を書く。

内容としては、とても分かりやすく、あまりシステムを知らない人でもなるべく分かりやすく書かれていたので、とても読みやすかった。

アーキテクチャとしては、C#とLuaという言語を使っており、DBはOracleのExaDataだった。
Luaという言語は自分は知らなかったが、C#とOracleは知っていたがやはりかなり固いアーキテクチャだなと思った。
C#って結構マニアックよりな言語だと思うので、ちょっと意外だった。


ドラクエⅩはメモリ管理がかなりシビアらしく、メモリが足りなくなってシステムダウンすることもあったということだった。そのためにJavaとかではなくC#を使っているんだなあと思った。

あとオンラインRPGということでサーバとの通信も常に行っていなければならず、サーバに送信する情報、クライアントだけで保持すればいい情報をしっかりすみ分けて、サーバに送信する情報はなるべく最小限にしているということだった。あとはよく書き換えるコードの部分をスクリプト言語のLua、重要な処理だったり、処理速度を早くしたりする所をC#で書いていたり、柔軟にプログラムの担当範囲を変えているのが面白かった。

またドラクエⅩでの特筆すべきシステムとして、「押し合い」があるということだった、「押し合い」はかなり画期的なシステムらしく、今までの他のオンラインRPGでは実装がされていなかったようなシステムで、簡単に言うと自分たちのキャラクターをオンライン上の他のキャラクターがかち合うと相手の進路を妨害できたりというしくみらしい。

この実現がかなり難しいらしく、サーバとクライアントの通信をうまく使って実現できたということだった。

まあそんな所がこの本を読んで面白かった点だった。
他にもグラフィックの書き方(トゥーンレンダリング)とか、キャラのモーションとか、アイテムの管理方法とか、色々興味深いことが書かれていて、ドラクエⅩはこういった技術や仕組みを使っているんだなあと知ることができた。
ざっと見た所、本当にそこまで難しい技術や管理はしていないように感じられたので、自分もスクエニに入って運用できるんじゃないか?と思った。


まあそんなんで、オンラインRPGやドラクエⅩはやったことなかったが、ちょっと身近に感じられらるような本でしたとさ。
そしてこれからも色々運営していくのも難しいと思うが、スクエニには面白いゲームを作り続けてもらえるよう頑張って欲しいと思いました!

そんなんで以上☆


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

186冊目:「人間はどこまで耐えられるのか」

2022-01-28 15:58:25 | 
総評:★★★★☆ とても興味深い内容だった。
面白い度:★★★★★ テーマが面白かった。
読みやすい度:★★☆☆☆ 学術書なので読みにくいとは思う。
ためになる度:★★★★★ 「気圧」の概念が面白かった。
また読みたい度:★★☆☆☆ 読み返すはあまりないかなと思う。



近くの図書館でタイトルがおもしろそうだったので借りてみてみた本。
「フランセス・アッシュクロフト」という海外の方が書いたものが翻訳された本だった。

人間がどれくらいまで高く登れるか、深く潜れるか、暑さ、寒さに耐えられるか、どのくらい早く走れるか、宇宙では生きていけるのかについて、専門的な知識から考察された学術書になる。

実際に行われた実験まで書いてあり、とても興味深く見ることができた。


一番印象に残っているのは、人間が生きていけるか、生活できるかについては「気圧」がかなり重要なファクターになっているという点だった。
上記の高く登れるか、深く潜れるか、というのは、「気圧」が人間の耐えられる範囲までが限界ということで、これが一番の重要な要素だということだった。

気圧は人間の体の機能の正常に保っておくために必要で、これがなければ体液が外に出たり、なにやら体内のものが外に出てしまったりするため、まずは無ければいけないとのことだった。

どれだけ深く潜れるかについても、水の中では、気圧が深く潜るに従って増えていくので、その気圧に対して肺の中の空気とか、いろいろなものが圧縮されるため、それで人間の体内に不調をきたしてしまうとのことだった。

なので、宇宙では生きていけるのか、についても何よりも「気圧」が人間の耐えられる範囲内であれば、という前提のため、宇宙空間で仮に人間が放り出されたとしたら、まずは気圧が満たされていないため、体内のものが外に出て行ってしまうなりするといった内容が書いてあった。と思う。

なので、自分は、人間が生きていけるかどうかは、呼吸ができるかだと思ってはいたが、人間が耐えられるかどうかで大切なのはまず「気圧」なんだなあと思った。


ドラえもんなんかで空を飛ぶ描写があったりするが、タケコプターで飛んでも大気圏の所まで行けるかというとそうではなく、ある程度空の上の方に行くと気圧が低くなるので、高山病のような症状になり、すぐに不調をきたしてしまったり、急に意識を失うといったことになるということだった。

てか上下に急降下、急上昇するのも気圧が一気に変化するのでそんな急激な変化に人間は耐えられないんだろうなあと思った。
まあそんなんで、アニメや漫画などで空を飛ぶシーンなどはとても気持ちよさそうに見えるが、、実際には爽快に空を飛ぶなんてことはできないんだろうなあと思った。


そんなんで、特に抜粋する箇所は無いが、新しい概念を得ることができた、ためになる本でした。

そんなんで以上☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

185冊目:「<パワーポーズ>が最高の自分を創る」

2021-12-11 21:26:39 | 
総評:★★★★☆ 新しい概念を得られたことがとても大きかった。
面白い度:★★★☆☆ 面白さは普通。
読みやすい度:★★★☆☆ 読みやすさは普通。
ためになる度:★★★★★ かなりためになった。
また読みたい度:★★★★☆ またちょいちょい読みたいと思う。


久しぶりの感想の投稿となる。


その間本を見ていなかったかというとそういう訳ではなく、本は見ているのだが、ちょっと書く状況にならなかったというか、、まあゆっくり書く時間を取れなかったり、本が手元になかったり、、といった理由で久しぶりの投稿になってしまった。


今回の本の前もちょいちょい読んでいる本はあるので、そちらの感想はまた別途書こうと思う。


前にFOOT×BRAINの番組でおススメされていた本。
購入して読んでみた。
エイミー・カディさんがTEDというプレゼンテーションのイベントで講演した内容をまとめた本。


感想としては、とても面白い考え方を学ぶことができた。
「パワーポーズ」とタイトルにあるが、簡単に言うと、パワーのみなぎるポーズを取ると、実際にパワーがみなぎってくるよということが書かれた本。

鬱病の人の鬱の回復についても、パワーポーズを取るようにした人と取っていない人を比べると、鬱の症状もパワーポーズを取る人の方が軽くなったといった実験結果があるらしく、「病は気から」ではなく「病はポーズから」といった内容が書いてあった本。

これって結構すごいなと思っていて、精神的にダウンしていても、無理やりにでもパワーポーズ(例として両腕を腰に当てて旨を張るワンダーウーマンのポーズ)を取ると、気が上向きになってくるということで、今まで考えていた「心の持ち方→振る舞いや見た目に現れる」という概念をくつがえし、「ポーズを取る→心が変わってくる」という順序で気を上向きにできるということを知り、これは今後、有効的に使っていこうと思った。


内容としては上記のようなことが色々な実験結果を例に書いてあった。

あとはエピソードとして、ボストンの街のある場所がとても治安が悪く、ギャングの抗争等でどうにもならない地区があり、そこで立ち上がった牧師が、対話や活動を通じて治安の改善を実現していく、、という内容があり、これが面白かった。

対話をすること、実際に現場に行くこと、行動を通じて自らの意思を貫き通すという活動を続け、牧師の活動が周りに広がり、ギャングの心を動かし、抗争が無くなったりしたという映画になりそうな話が面白かった。
牧師はジェフリー牧師としい、このエピソードは「ボストンの奇跡」 として有名な話となっているとのこと。


そんなエピソードも色々盛り込まれていた面白い本だったが、最後にためになった部分を抜粋する。

・ラクシュミーの報告を聞きながら、私はまったく違う感想を抱いていました。ここで挙がった自信や安心感、情熱や意気込みといった特性は、その起業家が投資に値する人物かどうかを、言葉よりも端的に説得力を持って示しているのではないかと感じたのです。これらの要素が、その人が自分のアイデアの価値や一貫性、そしてそれを実際に形にして成果を出せる力をどれだけ本当に信じているかを示していて、それがひいてはビジネスプランそのものの質を示すことになったのではないかと考えたのです。
 私たちはときに、落ち着いた、熱のこもった自信をごく自然に表に出せる場合があります。ラクシュミーの調査やほかの研究からは、これが大事な要素であることがうかがえます。どの起業家が投資家の援助を得られるか、または採用面接なら、面接官に評価されて最終面接に呼ばれ、採用に至るかを左右する要素のようです。でも、こうした特性をそこまで高く評価して大丈夫なのでしょうか?単なる表面的な好感ではないのでしょうか?先の投資や採用面接の結果を見ると、表面的な好感でないといえそうです。自信に裏打ちされた熱意は、高い確率で成功につながる指標になります。起業家を対象にした調査では、自身をともなう熱意は、やる気、熱心に取り組む意欲、みずから進んで動く力、壁にぶつかったときの粘り強さ、充実した精神活動、創造性、チャンスと目新しいアイデアを見抜く力があることを示すという結果が出ています。

・ジェフリーたちが夜ごと歩いていたのは、当時治安の悪化していたボストンでも有数の危険な地域でした。そこで出会う若者は、少なくとも外見上は、血も涙もなく怖いものなどないように見えました。普通なら直感的に、自分も負けないくらい強くタフな人間に見せよう、敵に回したら怖いぞと思わせようとするかもしれません。でも、この場合、それは賢い出かたではありません。こうした若者はつねに暴力と隣り合わせで生きてきています。力で対峙されてもひるんだりはしません。
 ジェフリーたちはまったく逆のことをしました。暴力に対して、優しさと穏やかさ、そして彼らが何を思い感じているのかを心から知りたいという気持ちで接したのです。これは衝撃的と言っていいほどでした。若者たちは予想もしていなかったはずです。それまでの概念や常識を打ち破るアプローチでした。最初は若者の目にも弱腰な人間だと映るかもしれないことはジェフリーもわかっていましたし、それで構わないと思っていました。それまで誰もやってみたことがないし、もしかしたらうまくいくかもしれないと考えたのです。~(中略)~
 私たちは初対面の人に会うと、すばやく二つの点を確認します。「この人は信頼できるか」と「この人は尊敬できるか」です。私たちの研究では、前者の基準を温かさ、後者を有能さとそれぞれ呼んでいます。
 私たちは通常、会ったばかりの人に対して「有能というよりは温かい人」か「温かいというよりは有能な人」のどちらかで評価を下します。「温かさと有能さが同じくらい」とみなすことは通常ありません。どちらかに分けたいというのが人間のもつバイアスなのです。人と知り合うとまず、どちらのタイプかに分類します。ティツィアーナ・カシャーロは組織に関する研究で、両者をそれぞれ「愛すべき愚か者」「有能な嫌われ者」と呼んでいます。
 場合によっては、冷たくて能力もない「無能な嫌われ者」や、温かくかつ有能な「有能な人気者」もいます。「有能な人気者」は周囲から信頼と尊敬の両方をえているため、何かを一緒に進めるにもやりやすく、仕事もはかどりますから、最高のカテゴリーになるわけです。
 といっても、二つの基準を同等の重さで評価しているわけではありません。私たちはまずその人の温かさ、つまり信頼できるかどうかを評価します。こちらの方が大事な基準だと考えているのです。オスカー・イバラらは、私たちが能力を示す語(クリエイティブな、技量のあるなど)よりも、温かさや人間性を示す語(親しみのある、誠実など)を先にすばやく認知し処理していると指摘しています。
 私たちが有能さより温かさを優先するのはなぜでしょう?進化論の見地からすると、自分が生き延びるためには、相手が信頼に値するかの方が重要だからです。信頼できない相手は、有能な場合は特に危険をもたらす可能性があるため、距離を置いたほうがいいのです。人は能力のある人を評価します。能力が不可欠な場面ではとくにそうです。でも有能かどうかは、相手が信頼に値するかどうかを判断したあとで注目することなのです。

・パワーは自由な思考を促す
 パワーを欠いていると認知機能のはたらきが低下しますが、パワーがあれば認知機能のはたらきは強化され、複雑な状況でも適切な選択ができる能力を高めてくれます。社会心理学者のパメラ・スミスは、パワーの有無が私たちの思考にどう影響するかを調べた研究を数多く行なっています。スミスによれば、パワーがないと感じている人と比較して、「パワーのある人は情報をより抽象的に処理しており、情報を統合して要点を抽出し、パターンと関係性を探りだしている」といいます。
 パワーがあれば、恐れず、自立していられ、外からのプレッシャーや期待に動じず、さらにはクリエイティブになれます。たとえばこんな実験があります。マーケティング会社の職に応募しているという仮定で、被験者に鎮痛剤やパスタなどの新商品の名称を考えてもらいました。製品ごとに名称の例が与えられています。たとえばパスタはどれも最後か「na」「ni」「ti」のいずれかで終わる名前、鎮痛剤は「ol」か「in」で終わる名前です。するとパワーのある状態にプライミングされたグループは、与えられた例を使うよりも独自の新しい名前を考え出したといいます。パワーを感じていると、私たちは自分の考えや感情を表すのに自意識過剰になることなく、自由に考え、力を発揮できるのです。

・個人的なパワーがない状態は、社会的なパワーを有するときと同様、危険をともないます。クレアモント大学院大学行動・組織科学研究科のタレック・アッザムらは、自分にパワーがないと感じている人ほど、外から来た「よそ者」や移民に対して不安を覚え攻撃的になる傾向があると指摘しています(この傾向は男性により顕著に出ています)。
 そこで私はこんなふうに思い描いています。個人的なパワーは無限で、どんな形であれほかの人を支配する必要がないため、もっとほしいのに足りない、と感じることはありません。個人的なパワーを確保するために人と競い合う必要はありません。どんなときでも自分のものなのです。ほかの誰かが奪うこともできません。それをわかっていれば、その力をほかの人と共有したい、同じ感覚をほかの人にも知ってほしいという気持ちになるのは難しくありません。そうすると、個人的なパワーは社会的なパワーと違い、人に伝染すると思うのです。個人的なパワーに満ちているほど、他の人もそういられるように手助けしたくなるのではないでしょうか。

・権力は明らかにする―。これは納得がいきます。この章でお伝えしてきたように、個人的なパワーがあれば最高の自分に近づける一方、個人的なパワーを欠いていれば自分の姿はゆがめられ、本当の姿は見えなくなってしまうと私は思っています。
 でももし権力が、パワーが明らかにするのなら、私たちが本当の姿を知ることができるのは真に力のある人だけ、ということになります。逃げたり弁解したりせずに自分をさらす強さがあるのは、真に力がある人だけだからです。自分を他社の目にさらす勇気を自信をもっているのです。
 こう考えると、個人的なパワーを得る道のりはプレゼンスへの道のりでもあります。そうして私たちは本当の自分を見いだし、自由に発揮できるのです。

・一方、デスクトップのパソコンを使たグループでは九四パーセントもの人が自分から呼びに来たのです。結果はグラフのとおりです。大きい端末を使うほど、自分から主張する人が増える傾向があるといえそうです。さらに、大きな端末を使った人のほうがみずから動いて呼びに行くだけでなく、長く待たずに行動に移す傾向もみられます。端末が小さくなると、それを使うために必然的により身体を小さくした姿勢になり、縮こまった内向きの姿勢を長くとっているうちに自分にパワーがないように感じてくる―これが私たちの導いた結論です。
 これは何だか皮肉な話です。私たちの多くは、小型のモバイル機器を日々駆使して、生産性や能率を上げようとしているはずです。それが、こうした機器をたとえ短時間でも使うことによって、自己主張の意欲が弱くなるかもしれない、ひいては生産性や能率を下げてしまう可能性もあるというのです。

・二〇〇五年ごろ、それまでの数々の研究結果にもとづいて、経済学者と心理学者のグループがある理論を掘り下げる動きが起こりました。「人々の行動をよい方向へ変えるのに一番効果的なのは、態度や選好を大きく転換するよう求めることではなく、ほとんど気づかないくらいにささやかなやりかたで健全な方向へ誘導することではないか」という考えかたです。このアプローチにもとづく手法は劇的でも大胆でもありませんし、引き出される結果も最初は小さなものです。ですが、時間が経つにつれて変化は広がり、大きくなります。変化が変化を読んで大きなねりになり、やがて人々の行動だけでなく社会的な規範までをも変えていきます。社会規範が変われば、コミュニティを超えてきた人々の行動の変化はさらに広がり、定着します。あたらしい「現状」になるのです。~(中略)~
 たとえば、ナッジ・ユニットが試行した事例として、市民の多くが期限内に税金を納めていますよ伝えるメッセージを発信しただけで、期限内に税金を支払う人が大幅に増え、税収が二億一〇〇〇万ポンド増えた例があります。それほど費用のかからない介入法としては、なかなかの成果です。

・ごく小さなナッジを通じて少しずつ変化を起こせれば、仕事上の成功もそうですが、自信や安心感、自己効力感の向上、いい人間関係、健康、幸福感などにつながるのではないか、という発想でした。たいていの人はナッジが変化を起こせるなどと期待してはいませんから、実際に効果が現れたり変化が起きたりすると驚きます。「へぇ、本当に効果があるんだ!」と思うのです。
 私はこれを「セルフナッジ」と呼ぶことにしました。セルフナッジとは、自分のボディランゲージや心の持ちかたをほんの少し変えて、目の前の心の状態や行動をよい方向へ少しだけ変えることです。わずかな変化ですが、やがて大きな違いにつながります。もっと大胆で体系化された変化や、長期的な人生の目標、実際はそう思えていないのに形の上だけ取り入れる自己肯定などと違い、セルフナッジは私たちが自然に持っている特性にはたらきかけます。セルフナッジする場合、現実と目標の差は小さくてすみます。行動する前から気が重くなるようなゴールではないので、途中でやめてしまう可能性も低くなります。その結果起きる行動の変化は本物で、持続性があり、その後も拡大されていくのです。


その他にも色々ためになりそうな内容があったと思うが、ここまでとしておく。
小さな変化、ポーズを取ることから、自分にパワーを呼び込み、精神や気力、内面に力を得ていくことを、今後忘れずに自分も実践していこうと思いました。

そんなんで以上☆



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

184冊目:「頭に来てもアホとは戦うな!」

2021-09-10 17:01:12 | 
総評:★★★★☆ 予想外に面白かった。
面白い度:★★★★☆ いい感じに面白く読めた。
読みやすい度:★★★★★ 直接的な表現が多く読みやすかった。
ためになる度:★★★★☆ まあまあためになった。
また読みたい度:★★★★☆ また読んでもいいなと思う。


メルカリで別の本とセットで購入した本。

著者の田村耕太郎さんは知らなかったが、元議員さんで、その前の経歴も輝かしいものがある人だった。

そんな政界を学んだ田村耕太郎さんが今までの経験から学んだ人間関係のコツ?についてまとめた本だった。

田村耕太郎さんは自分は見たことは無いが、この本の文体から、かなり過激な人なんだなあと思った、結構攻撃的な文体だった。
でも書いてあることは結構的を射ていて、なるほど、と思うことが結構あり、印象は激情家な反面、中身は結構クールなんじゃないかと思った。

率直な感想としては、思ったより面白かったしタメになった。という本でした。


ちょっと昔に読んだ本なのであまり詳細は覚えていないので、感想はここまでにしてためになったという箇所を抜粋する。

・この世は仁侠映画のようにできていないことに気付いたこの人が使い始めたテクニックは、幽体離脱。カッとしたときほど、自分の肉体を離れて自分を上から見る自分を強く意識するようにしているという。相手がいて、自分がいて、衝突しようとしている構図を、すっと霊魂のように自分から抜け出して、それこそ3Dで上から時間を止めてみるのだという。
 そこで初めて「我に返れるのだ」という。「こりゃまずい。相手に嫌われる」「もう戦いは始まりそう」ということを瞬時に理解して、その姿を上から見て冷静になれるのだ。
 怒りが込みあげてきたときに、自分を上から3D映像で客観的に観察するという手法は、自分のものにするのに時間はかかるが、できるようになったら非常に有効だ。常に練習していると自然にできるようになっていく。
 しかも、この技は身につけておいたほうが何かと便利だ。この方法は何も「無駄な戦闘防止」に用途が限られるわけではない。ここ一発の勝負のときすべてに使えるのだ。
 例えば、大事なプレゼンや講演をしているとき、”自分の前に座っている聴き手”の視点をもてるようになる。聴衆の立場で話ができるようになるのだ。そうなると、緊張してしまうこともなく、どこがポイントか理解しながら、そこに情熱を込めたり、スピードをコントロールしたりしながら、いい話ができるようになる。大事な友人や交際相手との勝負のときも、幽体離脱を使うと、冷静に相手の立場に立って自分を見ながら自分をコントロールできる。

・こういう経験から確実に言えるのは、頭のいい人は世の中に掃いて捨てるほどたくさんいるということだ。頭がいいことにはそれなりの価値があるが、絶対的な価値ではない。真の叡智、他社から抜きんでるための人生最高価値は、単なる頭の回転ではない。記憶力や発想力だけではないのだ。
 事を成すために、経営者だろうが、学者だろうが、政治家だろうが、行政官だろうが、必要な能力がある。それは「相手の気持ちを見抜く力」だ。この能力を持つ人が一番賢い人であり、この力さえあれば、あなたの人生は「鬼に金棒」である。

・今を時めく官房長官の菅義偉議員からも多くを学んだ。それは「地位は人を変えなない」を実践されているところだ。私は「地位は人を変える」と思う。いい意味でも悪い意味でも。ただ、菅先生の場合はいい意味では変わり、悪い意味では全く変わっていない。
 地位によって悪い意味で変わらないためには、相当な努力と経験が必要だ。私など典型例だが、地位により人はのぼせ上がる。議員になる前、特に新聞記者をやっていたおきは、私は政治家の偉そうな態度が人一倍気に入らなかったのだが、えてしてそういう人ほど、自分がその身になると偉そうになってしまうものだ。自省の念をもってこの文章を書いている。
 政治家で偉ぶる人は劣等感が優越感に代わるだけで、本質的にはコンプレックス持ちだということだ。しかし、菅先生ほど誰に聞いても態度が変わらない政治家はいないのではなかろうか?その出自は日本の政界では異例である。秋田の農家に長男として生まれ、高校を卒業後、「東京で自分の力を試してみたい」と築地市場で台車を押しながら学費稼ぎをして夜学に通い、秘書を経て地方議員から国会議員に上りつめる。
 通常、常に腰を低くしていた秘書上がりの政治家は、記者上がりの政治家が権力批判から権力側に行くのと同様、反動から偉ぶるものが多いと言われるが、菅先生の場合は違う。苦労が人間を悪い方向に変えていないのか、苦労を苦労と思われなかったのか、その理由はわからないが稀有なことだと思う。
 私は内閣府大臣政務官として経済財政政策に加えて、地方分権も担当した時に、当時総務大臣であった菅先生とのお付き合いが始まった。日銀の金融政策に影響力を与えようと組織した勉強会で、私を会長にして菅先生が一切の縁の下の力持ち役を引き受けてくださったことがある。部下の手柄を自分のものにする人が多かった当時の自民党の中で、自分の手柄を部下の手柄にされようとして菅先生の、”永田町ではあり得ない”姿勢に感動を覚えた。
 こういう姿勢が、世襲の名門議員から百戦錬磨の遅咲き党人派議員にまで人望があることの原因だと思う。だからこそ、決して永田町デビューは早くはないのに、当選回数から見れば、異例の非常に速いスピードで出世をされているのだと思う。その人望の背景には、苦労を知っているのに卑屈にならず、誰に対しても態度を変えない点があると思う。
 どんな職業でも、本人が「自分を見失う」瞬間に坂から転げ落ちていく。実際この目で、そういう理由での見事な転落を政界でも実業界でもいくつか見てきた。一方で「自分を見失わない」人は坂を着実に登っていく。
 今でも政財界のパーティや講演会等でたまにお会いさせていただくことがあるが、時の大物官房長官にして本当に今も昔と態度は変わらない。いろんな人が多様な意図を持って持ち上げようと殺到しているであろうに、その中で決して「自分を見失わない」ように己を制している様子はさすがと言うしかない。
 「自分を見失っていない」姿の背景にある”自分の律し方”に非常に関心がある。いいことがあっても厳しいことがあっても、自分を見失わない菅先生の姿勢を常に見習いたい。

・だから、そもそもよほどのことがない限り会議は開かない。タイムコストの浪費が競争の敗北や成長の減速につながるという意識が社内に共有されているのだ。また、グローバルに事業を展開しているので社内関係者の間に時差があり、広大なアメリカ国内でも時差があるので、簡単に皆の時間を同時に拘束できない。
 このように無駄な会議を開かないための秘訣は、まず徹底的に情報を関係者に渡すこと。会議の目的には会議に参加するメンバーからの情報収集もあるので、徹底的に情報をCEOやその周辺にこまめに伝えておけば、「あいつを呼んでもこれ以上聞くことはないな」と思われる。
 また、CEOやその周辺からの質問に対しては、できるだけ迅速に丁寧に答える。自分が所管する業務に関して決断する人たちに、疑問を持たれないくらいのレベルまで自分が正確に知る範囲で答えておくのだ。
 そして会議に呼ばれそうな雰囲気になったら、会議で私から聞きたいことを徹底的に事前に来てもらう。そして的確にそれに答える。それでもわからなかったことは「またすぐ聞いてくれ」と伝えておき、それにできるだけ的確に答える。
 これを習慣づけておけば、必要な事前情報をたっぷりもったものが集い、無駄なやりとりもなく、皆でクリエイティブな解決策を考えることができる。時間の使い方として大きな意義があり、ビジネスパーソンとして成長する機会ともなろう。

・日本のアマゾンの書評になれている人は、本場アメリカのアマゾンの書評がほとんど実名だと言われたら驚くのではないか?実際、私の日本人の知人たちもこの事実にまず驚きを見せる。レストランのレビューもアメリカでは実名だ。日本でレストランレビューとして有名な食べログでも、実名のレビューはあまり見たことがない。
 日本でも、本やレストランのレビューを実名で書いているブロガーもいるし、サイトもあるが、最大手のレビューサイトはほとんどが匿名だ。
 そもそもアメリカでは実名による評価ではない限り誰も重きを置かない。匿名による評価など本人や本人のライバルが書いていると思われても仕方がない。実名で書評を出すことにより、書くほうに責任感とそれからくる緊張感が生じる。レストランでも本でも自らをさらして評価するので、お里が知れることになるからだ。
 日本では何につけてもネット上のレビューは匿名なので、それらしいことが書いてあれば参考にするしかない。もちろん、匿名でもアメリカの実名に負けないくらいフェアで深い分析に基づく評価が書いてあるものもある。むしろ、これくらいのことを書くなら最初から実名にすればさらに信頼が増すのに、と思うこともある。ただ、そういうものより、感情的で浅いレビューのほうがはるかに多いと思うが。
 日本はそれなりに大きくて広い国なのだが、人と人との関係が密で濃く、フェアなレビューも人格攻撃と受け止めてしまうくらい議論に慣れていない。そのため他人による批評を受け止める度量が狭いので、実名で実のある厳しいことが書けない風土なのだろう。

・ここから学べることは、間違っても負け組に乗らないことだ。勝ち組の候補者があなたを心の底から憎んでいて100パーセント間違いなく冷や飯を食わされる可能性が高いなど、よほどのことがあれば別だが、意気に感じたり妙な正義感を出したりして、負け組に乗っかってはいけない。
 苦手な人物がいたとしても、積極的に勝ち組に関与していくのだ。人生、”意気に感じること”も大事だが、社会人になってそういう感傷的な勝負に出てしまっては失うものが大きすぎる。何のために自分はその組織に入ってその仕事をやっているのか、このことに常に集中しよう。
 権力者に逆らったり嫌われたりしたらいい仕事はできない。思想・信条がいかに合う人がいても、その人に力がなければ組織の中で目指すことを実現できる可能性は低い。だとしたら、自分の仕事の価値や意義を向上させてくれる力を持った人の傘下に入るべきだ。

・このように、上手に自己主張するには慣れしかない。人の面前で自分の思いを上手に伝えるには訓練が必要なのだ。人前で緊張しても、言いたいことを忘れずに、理路整然と正確に、コンパクトにわかりやすく伝える訓練をしておこう。一番いいのはTEDやYouTubeで上な短時間のスピーチをたくさん聞くことだ。
 最初のジョークで自分と聞き手の緊張をほぐして心をつかみ、結論からわかりやすく相手に理解してもらえるように話してみる。そして、その理由や根拠を理路整然とかつ面白おかしく親しみをもって伝えていこう。
 このとき何よりも大切なのは、本気度だ。マニュアル通りのフレームワークやできすぎたパワーポイントが本気度を下げてしまうことがある。それよりもどうしても伝えたいものやその理由にフォーカスしよう。
 テクニック的な出来は7割くらいでいい。つかえても、ページを飛ばしても、多少数字が間違っていても、それよりも情熱がカギを握る。「どうしても伝えたい」「わかったほしい」「やりたい」、そういう気持ちを120~150パーセントの本気度で伝えるのだ。逆に言えば、120パーセント越えのエネルギーを投入しないと人の気持ちは動かせない。
 人は数字やグラフで説得されるときもあるが、何度も言うが、所詮どんなに頭のいい人間であってもコンピュータとは違う。感情に支配されているのだ。だからこそ、感情を揺り動かすのだ。

・リフレッシュは徹底的に仕事や責任を忘れることから始める。そのためには、自分がいる場所を変え、付き合う人を変え、一日のリズムも変えるべき。これを実践するためには時差があるような場所に行ったらいい。そうすれば、自然と付き合う人も変わるし、時差が生活のリズムも変えてくれる。それくらいしないと頭の中を空っぽにしてリフレッシュできない。空港へ行って飛行機に乗るまで、飛行機の中、と段階を経て自分の心のモードは自然とリフレッシュモードへ切り替わっていく。
 家で休んだり、近場で遊んだりするのもいいが、慣れた場所にいたらどうしてもいつもの生活のリズムが襲ってくる。私は最近は心が折れるというような体験はあまりないが、忙しすぎたり、仕事の重みを感じすぎたりして、本当にくたくたに疲れ果てることがある。そういうときは思い切って場所を変える。海外に行ったり、日本の人里離れた山奥に行ったりする。そしてパソコンやスマホを手放し、仕事や日常から離れる。

・だからこそ、やりたいことを見つけようとするのは、エネルギーも時間も無駄な気がしてならない。それより今、目の前にあることを精一杯やるべきだ。勉強でも仕事でもいい、目の前にあることに没入してみるのだ。ないものねだりをして何にも全力を尽くせない状態になるのが、一番時間もエネルギーももったいない。何度も言うが、たった一度の人生とは、宇宙スケールで見れば奇跡のような存在で、時間もエネルギーも大切にしないといけない。


一通り書いたが、なんか新しい考え方を学べたような気がする。
そんなんで今回の感想は以上☆。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

183冊目:「ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略の条件」

2021-04-09 16:00:16 | 
総評:★★★★★ 長かったがとてもタメになった!
面白い度:★★★★☆ 面白く読めた。
読みやすい度:★★★☆☆ 長いのだが読みやすい方。
ためになる度:★★★★★ これはためになった。
また読みたい度:★★★★☆ 必要なときに読み返したいと思う。


ビジネス書としてかなり評価が高く、以前から読んでみたかった本。メルカリで買って読んでみることにした。楠木建さんという方が書いている。


簡単に言うと、業績の良い企業はよいストーリーがあるよということ。そしてその理由を順序立てて分かりやすく解説してくれている本だった。

この本では例としてアマゾンやデル、スターバックス、サウスウエスト航空とかが挙げられており、これはこれでなるほどと考えられる。その他日本で言うとガリバーインターナショナル(現IDOM)、マブチモーター、アスクル、ブックオフなどがそういったストーリーが良い企業に当たるらしい。パッと聞き、そこまですごい企業のイメージは無いが、業績はすごいようだ。


最初はなんで?と思うような導入から始まり、この本を読み進めていくにつれて、なるほど!と最後にはしっかり理解できる。この本自体もストーリがしっかりしていて、長いようだが思ったよりスムーズに読み進めてしまった。

「競争戦略」というタイトルが付いているだけあって、今勉強している中小企業診断士の経営戦略の科目で学んだワードもいっぱい出てくるため、今学んでいることとの親和性もあり、それもあって自分としては読み進めやすかった。


ざっくりというと、まず、
戦略には大きく分けて、SP(Strategic Positioning)とOP(Organizational Capability)という2つがある。
SPは自社のポジショニングにフォーカスする戦略。
簡単に言うと、他社との「違い」を強みとする戦略。

OPは自社の組織力にフォーカスする戦略。
こちらは自社の社内プロセスを強みとする戦略。

SPは他社と違うことをすることで、その会社の独自性を発揮し、まだ前例がないところに早期進出をして早めにシェアを取るというような戦略となる。
例としては弱いかもしれないが、既存の携帯のキャリア3社に対して、安くサービスを展開して違いを作り出そうとしているMVNOみたいなものだろうか。
しかし、SPで独自路線を走っていても業績が上がってきたらすぐに模倣してくる企業が出てくる。そういった企業に対して、シェア争いをしなければいけないし、そのための必要経費もかなり大きくなってきてしまう。
SPを重視するのは戦略としてはいいが、その後の他者との激しい競争に巻き込まれる可能性が大いにある。

OPは組織のプロセスに着目し、他社ではまねできないプロセスを作り出すことで大きく優位性を作り出そうとするものだ。
こちらは一般的に言うトヨタ生産方式などが例としてある。
これはトヨタ生産方式が大きく業績を上げる要因になっており、外の企業はそれが業績が良い要因というのは分かるのだが、どのようにして実現しているのかわからず、すぐに真似することができないものだ。

この本では、このOPがあると持続的に企業を成長させることができると書いてある。
ストーリーの良い企業は、他の企業が真似できない「模倣困難性」というものがあるのだ。

そんなSPとOPの説明から始まり、最後の方では、スターバックスやIDOMが他の企業の追随を許さないのは、他の企業が真似しようとしても真似できない「キラーパス」と呼ばれる仕組みがあるということが書いてあった。

これは簡単に言うと、他の企業がスターバックスやIDOMがやっているビジネスモデルを真似しようとするのだが、一見して非合理的なことを行っているため、他の企業は真似する企業のビジネスを完璧に真似できず、それが結果、ビジネスの一貫性を損ねてしまう結果になり、スターバックスやIDOMに追いつけないという結果になってしまうということだった。

そのキラーパスの例としては、スターバックスは全店舗直営店として運営していることだったり、IDOMは、自社で中古車を売る売り場を持たず、すべてオークションで車を売るというものであった。
スターバックス以外の会社はスターバックスを真似しようとするが、全店舗直営店だとお金もリスクもあるため、フランチャイズでコーヒー店を展開しようとする。そうすると、スターバックスのブランドにあるような従業員の教育や店内の雰囲気等の統一が取れず、スタバに近づくことはできないということになる。

スタバもスタバで全店舗直営店で店を運営することはリスクになっているのだが、それがスタバのブランドを高める結果となり、結果、うまくビジネスができているのだ。その全店舗直営店というのがスターバックスのキラーパスということだ。


IDOMでは、購入した中古車の販売店を自ら運営することはせず、全てオークションに出して、購入した中古車を短期間で売り切るということをする。
他の中古車販売業者は、IDOMの中古車買い取りスキームを真似しようとするが、自社の販売店を持ってそこで中古者を打った方が利益率を高く売ることができる可能性があるため、オークションでも販売店でも車を売ろうとする。そうすると、車が思ったように売れない場合在庫になるため、車の回転率が悪くなり、結果効率的なビジネスができなくなる。という矛盾を抱えてしまうのだ。

なので、他の企業が真似しようとしても簡単に真似できない模倣困難性が存在するため、それがキラーパスを持つ企業が圧倒的な業界優位を築いているという、なるほどと思わせるようなストーリーがあった。

なので、SP、OPだったり、キラーパスなどといった考え方や、なぜ他の会社は真似できないのか?といった具体的な事例が書いてあったので、この本を読んで新しい考え方を身に付けることができたし、またとても分かりやすく理解できたのだった。


そんなんで概要は以上になるが、最後にためになった部分を抜粋する。
・「違いをつくて、つなげる」、一言でいうとこれが戦略の本質です。この定義の前半部分は、競合他社との違いを意味しています。競争の中で業界平均水準以上の利益をあげることができるとしたら、それは競争他者とのなんらかの「違い」があるからです。他社との違いがなければ、経済学の想定する「完全競争」となり、余剰利潤はゼロになります。だから違いをつくる。これが戦略の第一の本質です。
 ここで強調したいのは戦略のもう一つの本質、つまり「つながり」ということです。つながりとは、二つ以上の構成要素の間の因果論理を意味しています。因果論理とは、XがYをもたらす(可能にする、促進する、強化する)理由を説明するものです。個別の違いをバラバラに打ち出すだけでは戦略になりません。それらがつながり、組み合わさり、相互に作用する中で長期利益が実現されます。

・戦略をストーリーとして語るということは、「個別の要素がなぜ祖語なく連動し、全体としてなぜ事業を駆動するのか」を説明するということです。それはまた、「なぜその事業が競争の中で他社が達成できない価値を生み出すのか」「なぜ利益をもたらすのか」を説明することでもあります。個々の打ち手は「静止画」にすぎません。個別の違いが因果論理で縦横につながったとき、戦略は「動画」になります。ストーリーとしての競争戦略は、動画のレベルで他社との違いをつくろうという戦略思考です。
 サッカーにたとえるとわかりやすいでしょう。相手チームに勝つために、どこのポジションにどういう選手を配置するかという問題は戦略を構成する「点」です。しかしそこで選ばれ、配置された選手たちが繰り出すパスがどのようにつながり、ゴールへと向かっていくのかは、点を結びつける「線」の問題です。サッカーの戦略というのは、要するにそのチームに固有の「攻め方」となり、「守り方」として理解できます。戦略の実態は、個別の選手の配置や能力や一つひとつのパスそのものではなくて、個別の打ち手を連動させる「流れ」、その結果浮かび上がってくる「動き」にあるのです。

・いつの時代も「最新のベストプラクティス」が世の人々の話題になります。しかし、そのほとんどは流行にすぎません。一年か二年で忘れられてしまいます。「ベストプラクティス」が意味を持つのは、それがきちんとした因果論理で自社の戦略ストーリーに組み込まれたときだけです。しかし、皮肉なことに、ベストプラクティスというカテゴリー適応的な発想は、それ自体にストーリーの因果論理をないがしろにするという性質を持っているのです。流行のベストプラクティスに飛びつくだけでは、いつまで経っても独自のストーリーは出てきません。

・ストーリーという視点が大切になる最後の理由は、いたって単純な話です。何よりも、ストーリーという視点は、戦略をつくる仕事を面白くします。戦略をストーリーとして考え、組み立てるということは、そもそも創造的で、楽しい仕事です。難しい目標設定を与えられ、眉間にしわを寄せた渋い顔で戦略を考え(させられ)ていう人が多すぎるように思います。単純に要員を列挙したり、テンプレートしたがってひたすら分析したり、他社のベストプラクティスをベンチマークしたり自分でも半信半疑の前提に従ったシミュレーションを繰り返す。戦略づくりがこうした仕事であれば、自然に面白がって取り組める人は、よっぽどのマニア以外、ほとんどいないと思います。
 しょせんビジネスなのです。戦争でもあるまいし、戦略は「嫌々考える」ものではありません。まずは自分で心底面白いと思える。思わず周囲の人々に話したくなる。戦略とは本来そういうものであるべきです。自分で面白いと思っていないのであれば、自分以外のさまざまな人々がかかわる組織で実現できるわけがありません。ましてや会社の外にいる顧客が喜ぶわけがありません。

・企業がめざすべきゴールとは、本当のところ何なのでしょうか。勝ち負けを判定する基準として大切そうなものをとりあえず七つばかり並べてみました。
①利益
②シェア
③成長
④顧客満足
⑤従業員満足
⑥社会貢献
⑦株価(企業価値)

皆さんはこのうちどれが最も大切だと思いますか。人によっては「すべて大切だ」と答えるかもしれません。ここで挙げた七つはいずれも何らかの意味での「成功」の基準ですから、すべて大切だといってしまえばそのとおりなのですが、あえて優先順位をつけるとすれば、一番大切なのはこのうちのどれか、という質問です。
 競争戦略の考え方では、答えは①の「利益」です。もう少し詳しくいうと、「長期にわたって持続可能な利益」です。戦略論ではSSP(Sustainable Superior Profit:持続可能な利益)といったりします。長期とは具体的に何年くらいかと聞かれると困ってしまうのですが、少なくとも四半期の単位の瞬間風速的な利益ではなく、五年、一〇年と持続可能な利益を追求するというのがまっとうなゴールの置きどころです。

・日本を代表する、ある大企業での事業戦略を検討するミーティングに招かれたとき、私は興味深い経験をしました。戦略を議論するばであるにもかかわらず、多くの人々がほとんど戦略を語らず、戦略でないものの話に終始したのです。プレゼンテーションは、一人三〇分程度だったのですが、多くの事業責任者が最後の一〇分から十五分を「どの辺をめざしていくか」という目標設定の話に費やしました。すでに強調したように、事業のゴールは究極的には長期利益なのですが、これ以外にもシェアとか成長とか資本効率とかさまざまな数字が出てきます。それらの数字を達成するためには、その事業全体を構成するいくつかの製品分野や事業分野ごとにどれだけの数字を出すべきなのか、部門ごとにブレイクダウンされた目標に説明がそれに続きます。さらには、そうした数字に日付が入り、この四半期にはこれだけ、次の四半期ではここまで、といった時間軸に沿った目標も明示されます。そうした数字に加えて、もっと定性的なビジョンやミッションについても語られます。
 体系的な目標設定が不可欠なのはいうまでもありません。目標が設定されなければ、戦略もありえません。しかし、ここではっきりさせておきたいのは、目標の設定それ自体は戦略ではないということです。「二〇〇X年第2四半期までに営業利益率一〇%確保!これがわれわれの戦略だ」というのは、要するに戦略ではなく目標を言っているわけです。
 ところが、実際の仕事の局面では、目標をきちんと立てていると、あたかも戦略を立てているかのような気になってくるということがよくあります。つまり、「目標を設定する」という仕事が、「戦略を立てる」という仕事とすり替わってしまいがちなのです。その結果、戦略がはっきりしないままで終わってしまうというパターンです。今思えば、バブル期にとんでもない拡大路線を突き進んだあげく玉砕してしまった企業には、戦略を突き詰めることなく目標が独り歩きしてしまったというケースが多くありました。
 報告会でのプレゼンテーションに話を戻すと、目標の後に続くのは、決まって「どういう組織体制でいくのか」という話でした。たとえば、これまで製品別に組織されていた営業部門を顧客サービスを強化するために顧客のタイプ別に再編成する、ある製品分野を強化するため、それに対応した事業部長直属の独立したチームをつくり、そこに精鋭を集中的にとうにゅうするといった話えす。このような組織的な手立ては、戦略を実行するためには大切な要素です。しかし、戦略そのものではありません。この手の組織編制の話もまた戦略にすり替わりがちです。

・サッカーの例で考えましょう。監督の仕事は、いうまでもなく、チームを勝利に導く戦略を構想し、それをチームに浸透させることです。日本代表チームの監督が、選手に「どういう戦略でワールドカップに臨みますか?」と尋ねられている状況を想定してください。もし監督が「日本代表チームの戦略、それは決勝トーナメントのベスト8進出だ。以上!」と言い切ったとしたら、選手は肩透かしを食わされた気持ちになるでしょう。目標にすぎないからです。
 監督が「今度の代表メンバーはこの11人で、それぞれをこういうポジションにつける。途中で、こういうタイミングで、こういうメンバーチェンジを考えている。これが日本の戦略だ」と言ったとします。変な感じがしますね。これは戦略ではなくて組織編制の話だからです。「今度の相手は韓国だ。彼らはこうやって攻めてくるだろう。グランンドはホームだから、コンディションはこうなっていて、当日の湿度や温度はこうなっているだろう。それが日本の戦略だ」というのは、戦略ではなく、環境の分析です。「最近のサッカーの世界的な潮流はツートップだ」(ベストプラクティス)とか「代表チームはやる気満々だ。ますます気合を入れていきます!」(気合と根性)というのも、戦略というには明らかに違和感があります。
 サッカーの例で考えれば自然な話なのですがいずれも戦略ではないのです。ところが、現実のビジネスとなると、戦略を構想すると言いながら、右で挙げたような「戦略でないもの」にばかり目が向けられて、その結果、戦略がよくわからなくなってしまうことは少なくありません。

・すでにお話ししたように、「違いをつくる」ということが競争戦略の本質なのですが、そこから先は「違いの中身」や「違いのつくり方」について、二つの異なるパラダイム(基本的なものの見方)があります。茶道の世界に表千家と裏千家があるように、競争戦略論にも二つの違った「流派」があるのです。「表千家」と「裏千家」とでは、ここで観た二種類の違いのどちらを重視するかが違ってきます。
 結論を先取りすれば、この二種類の違いのうち、「種類の違い」を重視するのが表千家で、こうした考え方を「ポジショニング」と言います。一方の裏千家は、どちらかというと「程度の違い」に競争優位の源泉を求める考え方で、ここでカギとなるのが、「組織能力」という概念です。詳しくはこれからお話ししていきますが、ここで押さえておきたいポイントは、この二つの基本的な戦略論では意図する違いのタイプが異なる、ということです。
 表千家と裏千家との違いを説明するために、レストランの例を考えましょう。料理がとてもおいしいという評判で流行っているレストランがあるとします。なぜ評判が良いのでしょうか。その料理を考案したシェフのレシピが優れているのかもしれません。使っている素材や料理人たちの腕やチームワークが良いのかもしれません。シェフのレシピに注目するのがポジショニング(SP:Strategic Positioning)の戦略論です。これを、以下ではSPの戦略と呼びます。厨房の中に注目するのが組織能力(OC:Organizational Capability)に注目した戦略で、これをOCの戦略と呼びます。順位それぞれの中身を見ていきましょう。

・液晶モニターの視野確度が広い、プレインストールしてあるソフトの種類が多い、バッテリーの耐久時間が長い、耐久性が高い、薄くて軽い、といった一連の違いは、ポジショニングという考え方からすれば、戦略ではありません。なぜならば、そうした違いは、身長や年齢や体重と同じように、いずれも程度の違いにすぎないからです。SPの戦略論は、程度問題としての違いをOE(Operational  Effectiveness)と呼び、SPとは明確に区別して考えています。戦略はSPの選択にかかっており、OEの追及は戦略ではない、というのがポジショニングの考え方です。つまり、戦略とはdoing different thingsであり、doing things betterではないという発想です。
 なぜ、ポジショニングの戦略論はSPの違いを重視するのでしょうか。少なくとも三つの理由があります。第一に、OEは賞味期間が短いということです。薄くて軽くてバッテリーが長持ちするPCは確かにベターではあります。競合他社より薄く軽く長持ちするように自然と頑張るでしょう。この意味で程度問題としての違いをめぐる競争は、PC業界の業界最小最軽量競争のように「いたちごっこ」になりやすく、はっきりとした違いをつくれずに消耗するだけで終わってしまう危険性があります。
 第二に、SPがはっきりしていないと、企業はすべての要素をベターにしようと努力の方向を拡散してしまい、その結果、報われないことにお金をつかってしまうという問題です。「視野確度が他者よりも広い」ということそれ自体は、決して悪いことではありません。しかし視野確度を一度広げるには、それなりの開発コストがかかっているはずです。バッテリーの持続時間を一分増やす、インストールしてあるソフトを一本増やす、一ミリ薄くする。一グラム軽くする、こうしたことはいずれもコストを伴っています。そのコストが果たして報われるかどうか、それはSPに立ち戻ってみないと分からないのです。

・SPの戦略とは活動(activity)の選択、つまり「何をやり、何をやらないか」を決めるということです。マブチはある種類の小型モーターに特化し、それ以外のタイプのモーターには手を出していません。標準化にこだわるということは、カスタマイズした製品は手がけないということです。この例からわかるように、明確なポジショニングによる違いを構築するためには、「何をやるか」よりも、「何をやらないか」を決めることがずっと大切です。
 なぜかというと、SPの戦略論を支えているのは「トレードオフ」、つまり「あちら立てればこちらが立たぬ」という論理だからです。標準化とカスタマイゼーションを同時に推し進めることはできません。投入できる資源には限りがあるので、同時にすべてのことをやるのは不可能です。資源が分散し、利益が相反します。裏を返せば、「何をやらないか」をはっきりさせれば、他社との違いを持続させることができるという論理です。

・ここまで、表千家にあたるSPの考え方を説明してきました。これに対して、裏千家にあたるのがOC(組織能力)です。SPが「他社と違ったことをする」のに対して、OCは「他社と違ったものを持つ」という考え方です。SPがシェフのレシピだとすれば、OCは厨房の中に注目する支店です。冷蔵庫の中にある素材とか料理人の腕前に違いの源泉を求めます。
 SPの戦略論が企業を取り巻く外的な要因(その最たるものが業界の競争構造)を重視するのに対して、OCの戦略論はきぎょの内的な要因に競争優位の源泉を求めるという考え方です。SPの考え方を説明するときに松井選手の例を使いました。野球という種目を選択する、外野手という(文字通りの)ポジションを選択する、同じプロ野球でも日本ではなくアメリカのメジャーリーグを選択する、ヤンキースに所属する
といった「活動の選択」がSPだとすると、松井選手のバッティングセンス、スイングスピード、その背後にある動体視力や筋力、さらには精神的な成熟に注目するのがOCの戦略論です。

・SPの戦略の中身は、何をやって何をやらないかという意思決定です。すでにお話ししたように、この考え方に立てば、OE(他社よりもベター)な戦略にはなりえません。「何をやるか」よりも、「何をやらないか」のほうに戦略的な意思決定の本質があります。なぜかというと「何をやらないか」の選択がトレードオフをつくるからです。トレードオフをつくれば、「あちら立てればこちらが立たぬ」になるので、他社に対する違いを持続することができます。
 これに対して、OCはむしろSPの持続性に懐疑的な立場をとります。いくらトレードオフをつくっても、そのSPが成功したら、他社もなんとかして同じ活動を選択してくるのではないか、という懸念です。OCは違いとして、前に使った言葉でいえば、OEを重視しているといえます。SPかOEかという分類ではOEであっても、そのOEが他者にまねできないものであればそれはOCであり、利益の源泉となりうる、という考え方です。時間をかけてでも、容易にはまねできないルーティンを構築していくことが戦略の焦点となります。
 このようにSPとOCと対比していくと、それぞれの考え方の根底にある基本思想の違いが浮かび上がってきます。SPの戦略の本質を一言でいえば、「いかに競争圧力を回避するか」という思想です。放っておくと競争圧力をもろにかぶってしまいます。だからこそ独自の位置取りが必要になります。うまい位置取りをすれば、正面からの殴り合いをせずに済みます。この意味でSPの戦略論は「競争の戦略」というよりは、本質的には「無競争の戦略」なのです。
 OCは競争を回避するのではなく、むしろ「男には戦わなければいけないときがある」(女もそうですが)という構えて、競争圧力を受け入れ、それに対抗しようとする戦略です。殴り合いはしょせん避けられない、だから受けて立とう、その分他社がまねできないような強力パンチに磨きをかけていこう、という話です。より「競争的」な競争戦略といってもよいでしょう。

・現実の戦略はSPとOCとの組合せであるのが普通です。そもそも一方が他方よりも「正しい」とか「強力な」論理だということではありません。優れた経営にとってはどちらも必要です。ただし、ここで大切なことは、それぞれが競争優位をもたらす論理が異なるということです。だからこそSPとOCという「違いの違い」について理解し、意識して戦略を組み立てることが大切になります。異なる二つのレンズを装着したメガネをかけることによって、初めてきちんと焦点が定まり、競争優位の本質が見えるのです。
 競争優位をSPとOCの組合せとして考えると、企業が強いとか弱いとかというときに、図2.4のようなマトリックスで考える必要があります。つまり、企業の強さ(もしくは弱さ)の中身には大別して四通りあるということです。いうまでもなく、右上が理想的な状況です。シェフのレシピもユニークだし、厨房の中も強いという企業です。左下は何もない企業、単純に「弱い」企業です。左上は、レシピを見ると独自で魅力的だけれども、それを実際に料理する実際の能力に欠けています。反対に右下はレシピはぱっとしないが、冷蔵庫には優れた材料が詰まっており、料理人たちの腕も悪くないという企業です。

・WTP - C = P
 これが最も根本的な利益(P)の定義です。この式にあるWTPというのは、Willingness To Pay すなわち顧客が支払いたいと思う水準を意味しています。顧客が何らかの価値を認めるから収入が発生するわけで、その大きさはWTPによって決まります。当然WTPを獲得するためには何らかのコスト(C)がかかります。煎じ詰めれば、利益は「WTPからそれにかかるコストを引いたもの」です。
 このように利益を定義すると、利益創出の最終的な理屈は、競合よりも顧客が価値を認める製品やサービスを提供できるか、あるいは競合よりも低いコストで提供できるかのいずれかとなります。つまり、ゴール直前のシュートには、大別して「WTPシュート」もしくは「コストシュート」の二つがあるということです。これを図式的に表現したのが図3.2です。左にあるのが、その業界で競争してる企業の平均的な姿です一定のWTPが発生し、それに対してコストがかかっています。この差が利益です。戦略のゴールは業界の標準以上の利益をあげることですから、日本の矢印のギャップをいかに大きくするかというのがここでの基本的な問題となります。

・ストーリーを構築する第一歩としてシュートの軸足を定めなければならないのは、①WTP、②コスト、③ニッチ特化による無競争、の三つのシュートの間にトレードオフの関係があるからです。もちろん①と②を同時に実現できればそれに越したことはないのですが、WTPシュートにつながるパスとコスト低下につながるパスとの間には、あちら立てればこちらが立たぬの関係があるのが普通です。①および②と③のシュートの間にもトレードオフがあります。「成長を実現しつつ、無競争で利益を出す」というのには無理があります。フェラーリの例にあるように、成長に対するストイックな姿勢が、無競争のニッチを維持する前提条件だからです。
 「すき間市場をねらう」というような言い方で、ニッチの戦略は多くの会社でしばしば議論に上ります。しかし、多くの場合は「ニッチに特化する」といった次の瞬間に、「年間二〇%成長をめざす」というように、筋が通らないというか、論理がねじれた話になりがちです。本当にニッチに焦点を定めて無競争による利益を追求するのであれば、成長はめざしてはいけないことだからです。成長し、ある程度の規模の市場になれば、競争相手が利益機会を求めて参入してくるはずですから、ニッチがニッチでなくなってしまいます。そうなれば、そもそもの利益創出の最終的な論理も崩れてしまいます。ストーリーの最後にくるシュートは、あくまでも「なぜ儲かるのか」という論理にこだわるものでなくてはなりません。最後のところでの利益創出の論理が甘くなると、ストーリー全体が台無しになってしまいます。

・ストーリーとは、二つ以上の構成要素のつながりです。「パスのつながり」こそがストーリーとしての競争戦略の分析単位になります。個別のパスの良し悪しは、それ自体では評価できません。そのパスの有効性は、他のパスとのつながりの文脈でしか決まらないからです。静止画と動画の分かれ目がパスのつながりです。個々のパスは「静止画」にすぎません。パスが縦横につながり、シュートまで持っていけたとき、戦略は静止画から動画のストーリーになります。
 ストーリーが優れているということは、パスが縦横にきちんとした因果論理でつながっているということを意味しています。戦略ストーリーの評価基準はストーリーの一貫性(consistency)です。一貫性の次元として、次の三つが考えられます。

 ・ストーリーの強さ(robustness)
 ・ストーリーの太さ(scope)
 ・ストーリーの長さ(expandability)

 つまり、強くて太くて長い話が「良いストーリー」というわけです。それぞれについて順に説明していきましょう。

1、ストーリーの強さ
 今、話を単純にして、XとYという二つの構成要素の間のつながりを考えます。ここでつながりとは、XがYを可能にする(促進する)という因果論理を意味しています。たとえば「量産すればコストが下がる」という因果関係は、規模の経済という論理に基づいています。
 ストーリーが「強い」ということは、XがYをもたらす可能性の高さ、つまり因果関係の蓋然性が高いということです。「量産すればコストが下がる」という因果関係は、「テレビCMをやればWTPが上がる」という因果関係よりも、一般的にいって確からしく、したがって、より「強い」ストーリーだといえるでしょう。もちろん本当にそうなるかどうかは、やってみなければわからないのがビジネスの常なのですが、論理的な蓋然性でいえば、全社の方が強そうです。

2、ストーリーの太さ
 優れた戦略の二つ目の条件は、ストーリーの太さです。「太さ」とは、構成要素間のつながりの数の多さを指しています。一石で何鳥にもなるパスがあれば、ストーリーは太くなります。

3、ストーリーの長さ
 ストーリーの長さとは、時間軸でのストーリーの拡張性なり発展性が高いということを意味しています。反対に、パスの間に強いつながりがあっても、将来に向けた拡張性がなければ、それは「短い話」で終わってしまいます。
 ここでいう話の長さというのは、ある戦略を説明するときに要する物理的な時間の長さを意味しているのではありません。「くどくど説明しなければいけないような戦略は成功しない」というのはそのとおりです。論理があいまいで、説明にダラダラと時間がかかってしまうという意味での「長い話」が良くないのはいうまでもありません。論理がきちんと突き詰められていれば、話はシンプルになります。その意味での「短い話」はむしろ歓迎です。
 ここでいう短い話とは、ストーリーを構成する因果論理のステップが少ないということを意味しています。逆に、長い話とは、因果論理が前へ前へとつながっていき、ストーリーに拡張性や発展性があるということです。「それで、どうなるの?」という問いに対して、次々と答えが繰り出される、これが話しの「長さ」です。

・個別の構成要素を首尾一貫した因果論理で結びつけ、競争優位へとまとめ上げる。これが戦略ストーリーの役割です。図3.10でいえば、戦略ストーリーはSPやOCの構成要素と競争優位との間に介在するものとして位置づけられています。第1章でもお話ししたように、「違いをつくって、つなげる」という二つの戦略の本質のうち、ストーリーとしての競争戦略は後者に軸足を置いています。
 戦略はwhat、how、where、when、whyといったさまざまな問いかけに答えなくてはなりません。前章でもお話ししたように、この図では業界の競争構造をひとまず競争戦略の外部にある変数として扱っていますが、どの業界で競争するかという土俵の選択は、文字通りwhereを問題にしています。いつその業界に参集するかというタイミングの選択も重要な問題ですので、これも入れて考えれば、業界の競争構造はwhereとwhenに焦点を当てています。
 SPは「何をするか」「何をしないか」という活動の選択にかかわる打ち手ですから、ここではwhatが主要な問題となります。典型的にはSPは「自社で内製するのか外部から調達するのか」というようなトレードオフの選択ですから、whichに対する答えといってもよいでしょう。一方のOCは自社にユニークな「やり方」から生まれる違いですから、戦略のhowを問題にしています。
 これに対して、戦略ストーリーではwhyが一義的な問題となります。SPやOCの一つひとつの違いがなぜ相互につながり、全体としてなぜ競争優位と長期利益をもたらすのか。戦略ストーリーとはそうした因果関係の束にほかなりません。

・顧客を組織化して囲い込むにしても、それに先行して「誰に」と「何を」を突き詰めなければコンセプトは動画にならないのです。そこまでの価値を認める顧客は誰か、なぜ彼らを囲い込めるのか、なぜ彼らが継続的にお金を払うのか、サービスを個別化することによって顧客に提供できる独自の価値とは具体的に何か。コンセプトはこうした一連の「なぜ」に対する答えを含んでいなければなりません。「なぜ」が希薄なコンセプトでは、リアリティのあるストーリーは切り拓けないのです。
 数値目標の設定はストーリーを実際に動かすうえで必須の作業工程ではありますが、「数字」だけではコンセプトになりえません。数字それ自体は「誰に」「何を」「なぜ」に全く言及していないからです。コンセプトはあくまでも会社の外にいる顧客に提供する本質的な価値の定義です。会社の中で自分たちが達成すべき目標の設定ではありません。いうまでもなく、数値目標を設定したからといって自動的に価値を生み出せるわけではありません。独自の本質的な価値を提供できた結果として、数字が出てくるのです。前にも強調しましたが、「数字よりも筋」です。優れたコンセプトが筋の良いストーリーを駆動していけば、数字は後からついてきます。この順番が逆転してしまえば本末転倒です。数字も実現できません。

・筋のよりストーリーに独自のコンセプトは欠かせません。戦略ストーリーにおけるコンセプトの重要性はいくら強調してもし過ぎることがありません。どうしたら優れたコンセプトを構想できるのでしょうか。これにしても法則や必勝法、飛び道具のようなものはもとよりないのですが、コンセプトを考えるときに大切にしておいたほうがよい論理であれば、いくつかお話しすることができます。以下では、コンセプトづくりにとって大切なことを三つに集約して指摘したいと思います。
 第一は、これまでの話と重なりますが、すべてはコンセプトから始まる、ということです。幸いにして、コンセプトづくりにはたいして投資は必要ありません。使うのは自分の頭だけです。サンクコスト(埋没費用)もほとんどありません。思いついたアイディアがうまく転がっていなくても、また考え直せばいいだけです。
 反対に、コンセプトをないがしろにしたままストーリーづくりに取りかかってしまうと、失敗は高くつきます。勝ち目のない事業に進出したり、誰も欲しくないような製品を開発したり、工場や従業員などの固定投資をドブに捨てるといった、取り返しのつかないことになりかねません。コンセプトの構想はある意味で「安上がり」な仕事ですが、逆にいえば、どんなに投資をしても、アタマを使わなければ筋の良いコンセプトは生まれません。急ぐ必要はありません。コンセプトの構想にじっくりと時間をかけるべきです。本質的な顧客価値を捉えていると確信できるコンセプトが固まるまでは、ストーリーの細部を考えても意味がありません。コンセプトがしっかりしていないストーリーはしょせん砂上の楼閣です。
 裏を返せば、「これだ!」というコンセプトが固まれば、ストーリーづくりの半分は終わったも同然だということです。夏目漱石の『夢十夜』に運慶の話が出てきます。運慶が無遠慮に鑿を振るって仁王を彫っているのを見て、主人公は「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と不思議に思います。しかし運慶はいちいち眉や鼻を鑿でつくっているのではなく、そのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを鑿と槌の力で掘り出しているのでした。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから間違うはずもないわけです。
 優れたコンセプトは仁王が初めから埋まっている木材のようなものです。コンセプトが本質的な顧客価値を捉えていれば、ストーリーの主要な構成要素がそこから自然と姿を現すはずです。

・コンセプトは、顧客の喜ぶ姿が映画のシーンのように浮かび上がってくるような言葉でなくてはなりません。そのためには、そもそも誰を喜ばせるか、価値を提供するターゲットをはっきりさせる必要があります。前述したアスクル、サウスウエスト、スターバックスといった企業のコンセプトは、いずれもターゲット顧客を明確に定義したからこそ出てきたものです。ここまでなら、戦略やマーケティングの教科書で繰り返し指摘されていることです。しかし、ストーリの起爆剤となるようなユニークなコンセプトを構想するためには、もう一方踏み込むことが大切です。
 「誰に嫌われるか」をはっきりさせる、これがコンセプトの構想にとって大切なことの二つ目です。ターゲットを明確にするということは、同時にターゲットでない顧客をはっきりさせるということでもあります。ターゲット顧客から徹頭徹尾喜ばれるということは、ターゲットから外れる顧客にはっきりと嫌われるということです。人間でも同じです。誰かに非常に愛されている人は、誰かから嫌われているものです。誰からも好かれている人というのは、本当のところは誰からも好かれていないのかもしれません。誰に嫌われるかを意図する。これが筋の良いコンセプトを描くための最も効果的な入口であるというのが私の考えです。

・筋の良いコンセプトを構想するために大切なことの三つ目、多分これが最も大切なことだと思うのですが、それは「コンセプトは人間の本性を捉えるものでなくてはならない」ということです。なんとなくよく耳ざわりの良い「良いこと」を羅列するだけでは、ユニークなコンセプトにはなりません。人間の本性とは、要するに、人はなぜ喜び、楽しみ、面白がり、嫌がり、悲しみ、怒るのか、何を欲し、何を避け、何を必要とし、何を必要としないのか、ということです。

・「スーパーマリオブラザーズ」など、任天堂の数々のゲームソフトのヒット作の開発をリードした宮本茂さんは、ゲームのコンセプトをつくるときにユーザやユーザに近いところにいる営業部門からのフィードバックを聞いてはいけないと言っています。

 面白いとはどういいうことか、そのゲームはなぜ面白いのか、ここをきちんと詰めたコンセプトがなければゲーム開発は始まらない。その答えは結局われわれの頭の中しかない。納得のいくコンセプトなり「お題」が決まればあとはそれを粛々と形にするだけ・・・(中略)・・・コンセプトを考えるときには、営業部隊やユーザーの声は聴かない。営業はライバルとの競争の前線にいるので、他社のゲームソフトに負けたくないという気持ちが強い。どこかでヒット作が出てきて、それがたまたま長くて凝ったムービー(ロールプレインゲームのオープニングやエンディングなどで使われる映画のような画面)を使っているとなると、「うちももっと長くてすごいムービーをつけるべきだ」という話ばかり出てくる。・・・(中略)・・・ユーザーの声も真に受けてはいけない。ユーザーは「もっと高品質で動きにストレスのない画面にしてほしい」というようなことしか求めてこない。あれも必要だ、これも大切だ、ということになって、収拾がつかなくなり、結局コンセプトがぼやけてしまう。・・・(中略)・・・開発の途中でさまざまなユーザー層から選んだモニターに試作品で遊んでもらうことはあるが、そのときも「このゲームのコンセプトはこういうもので、こういうところが面白くて・・・」というようにこちらからの説明は絶対にしない。いきなり遊ばせて、その姿を映像にとって、それを何度も見る。どの辺で楽しんでいるのか、つまらなそうにしていないか、途中でゲームを中断してコントローラーを置いてしまうとしたらどの辺か、自分たちが作品に込めた面白さの意図が伝わっているか、ひたすら「姿を見る」ことでコンセプトの効きをチェックする。こうした作業の積み重ねがその次のコンセプトづくりの肥やしになる。

・スターバックスの戦略ストーリーの全体像をすでに読み取っている皆さんにしてみれば、直営方式の合理性はもはや明らかです。お話ししたとおり、フランチャイズ方式にしてしまえば、周囲のパスをどんなに繰り出しても、意図するコンセプトの実現はままなりません。
 しかし、ここがポイントなのですが、直営方式の合理性は、ストーリー全体の中に置いてみなければ、絶対に理解できません。ストーリーの筋の流れの中に位置づけて初めて、これまでお話ししてきたような直営方式の必要性と重要性が見えてくるのです。つまり、「それだけでは一見して非合理だけれども、ストーリー全体の文脈に位置づけると強力な合理性を持っている」という二面性、ここにこそクリティカル・コアの本質があります。
 なぜ「一見して非合理」が重要になるのでしょうか。その理由は競争優位の持続性に深くかかわっています。違いをつくっても、それがすぐに他社に模倣されてしまうようなものであれば、一時的に競争優位を獲得できても、すぐに違いがなくなり、元の完全競争に戻ってしまいます。そうなると利益は期待できませんから、簡単にはまねできないような違いをつくるということが戦略の重要な挑戦課題です。これが競争優位の持続性という問題です。

・「それだけを見ると一見して非合理なのだけれども、ストーリー全体の文脈では強力な合理性を持つ」というクリティカル・コアは、部分の合理性と全体の合理性が別ものであるということに着目しています。戦略全体の合理性は、部分の合理性の単純合計ではありません。逆にいえば、誰にとっても合理的な要素だけでできているストーリーは面白みに欠けるということです。
 クリティカル・コアが非合理に見えるのは、競争相手にミスや勘違いではなくて、それが非合理であるという合理的な理由(ちょっとややこしい表現ですが)があるからです。部分的な非合理を他の要素とつなげたり、組み合わせることによって、ストーリー全体で強力な全体合理性を獲得する。これがストーリーの戦略論の面白いところです。
 ストーリーの本質は「部分の非合理を全体の合理性に転化する」ということにあります。昔から「損して得取れ」とか「負けるが勝ち」とか「肉を切らせて骨を断つ」(これはちょっと違うかな?)というような言い回しがありますが、こうした言葉はクリティカル・コアと共通の論理を示唆していると言えそうです。いずれにせよ、この意味で、クリティカル・コアはストーリーにひねりを加える「転」であり、シュートの決定的チャンスをつくり出す「キラーパス」なのです。

・単に競争優位を獲得するにとどまらず、どうやってそれを持続的なものにしていけるのか。これまでも多くの戦略論がこの問いに答えようとしてきました。この章のクリティカル・コアの話をこれまでの話と重ね合わせると、図5.4にあるような競争優位の階層を描くことができます。競争優位のあり方には五つの異なるレベルがあり、持続性が低いものから高いものへと階層をなしています。
 レベル0は単に「景気がいいから儲かっている」というもので、利益の源泉が丸ごと外部の一時的な環境要因に依存しています。景気が悪くなれば利益が出ない状態に逆戻りしてしまうわけで、競争優位以前の段階です。レベル0では定義からして持続的な競争優位は期待できません。
 一つ上のレベル1は、業界の競争構造に利益の源泉を求めるというスタンスです。第2章でお話ししたように、世の中には利益が出やすい構造にある業界もあれば、もともと出にくい構造に置かれている業界もあります。業界の競争構造をよく理解すれば、参入すべき業界を慎重に選択することによって、利益を増大させることができます。
 GEのジャック・ウェルチさんは1980年代に「参入障壁が低くて多数乱戦になる事業はやらない」「市場や技術の変化の激しい事業はやらない」というように、手掛ける事業領域を大幅に絞り込みました。これは、業界の競争構造を重視する戦略の典型です。他社に先駆けて魅力的な業界に参入し、そこで強力な先行者優位を確保できれば、レベル1の競争優位は長期利益を可能にします。
 ただし第2章でもお話ししたように、利益性の高い魅力的な業界は誰にとっても魅力的ですから、他社もそうした業界にはぜひとも参入したいと考えるはずです。一時的に魅力的な競争構造にある業界でも、他社が次々に参入してしまえば荒らされてしまいます。それこそよっぽどの「先見の明」がなければ、業界の競争構造だけに依拠して持続的な競争優位を確立するのは難しそうです。
 このようにレベル0とレベル1は、企業の戦略構造というよりも、その企業を取り巻く外部要因注目した論理にとどまっています。レベル2以降が競争戦略の出番となります。
 レベル2は個別の構成要素に競争優位を求める経営です。第2章で詳しくお話ししたように、競争戦略の構成要素には、ポジショニング(SP)と組織能力(OC)という二種類があります。いずれもそれなりに競争優位を持続させる論理を含んでいます。
 SPに基づく差別化はトレードオフ上での論理に依拠しています。イヌであり、同時にネコでもあるということはできません。トレードオフ上ではっきりとした活動の選択をすれば、単に「他社よりも高品質」というような程度問題の違いと比べて、より持続的な違いをつくれます。
 これに対してOCを基盤とした差別化は、能力の暗黙性や経路依存性、時間とともに進化するというダイナミックな性格に持続的な競争優位を求めます。第2章で例として使ったセブンイレブン・ジャパンの仮説検証型発注や、日本の自動車メーカーの製品開発におけるフロントローディングによるリードタイムの短縮はその典型です。こうした企業のOCが競争優位の基盤にあるということは誰もがわかっているのですが、その正体は小さなルーティンに積み重ねなので、成果との因果関係が他者にはよくわかりません。「どこの誰かはしらないけれど、誰もがみんな知っている」(それにしてもこれ、うまいフレーズですね)というわけで、月光仮面のような強みです。しかも、時間をかけて練り上げられたものなので、一足飛びには同じ能力を手にすることはできません。
 個別の要素を超えて、ストーリー全体に持続的な競争優位を求めるのがレベル3です。要素を個別にまねすることはできても、それが複雑に絡み合った全体をまねするのはずっと難しくなるという考え方です。第3章で協調したように、このレベルでの競争優位の源泉は、個別の要素の中にあるのではなく、ストーリーの一貫性が生み出す相互効果にあります。構成要素の間には相互依存や因果関係が張りめぐらされているので、いくつかの要素をまねしても、全体がきちんとかみ合って交互効果を起こさなければ、同水準の競争優位は達成できません。
 最上位にあるレベル4の戦略は、構成要素の交互効果をもたらすようなストーリーを構築するにとどまらず、「一見して非合理」なキラーパスにそのストーリーの一貫性の基盤を求めます。ここでの持続性の源泉は、そもそも競合がまねしようという意図をそもそも持たないという「動機の不在」と「意図的な模倣の忌避」でした。こうして比較すると、階層の上位に行くほど、競争優位の持続性の背後にある論理が協力になっているということがおわかりいただけると思います。
 競争優位の階層にある五つのレベルは、どれか一つを選ぶというものではなく、積み重なる関係にあります。利益ポテンシャルが高い業界で、明確なSPと協力なOCを持ち、それが一貫したストーリーを構成し、キラーパスが効いていて、おまけに景気が良いとくれば、五つのすべてが満たされており、最強です。

・どうしたら「一見して非合理」なことをあえてするという決断に踏み切れるのでしょうか。キラーパスを繰り出すのに勇気がひつようだとしたら、その勇気はどこから生まれるのでしょうか。それは自らの戦略ストーリーに対する「論理的な確信」にしかない、というのが私の意見です。戦略ストーリーを構想する経営者は、自らのストーリーに論理的な確信を持てるまで、「なぜ」を突き詰めるべきです。これが第三の教訓です。
 これまでもお話ししてきたように、戦略ストーリーは構成要素の因果論理でできています。因果論理とは、なぜある打ち手が他の打ち手を可能にし、なぜその連鎖の先に長期利益が見込めるのか、「ストーリーの筋」を意味しています。一つひとつの打ち手がしっかりとした因果論理でつながったときに、ストーリーは動きだします。

・戦略の目的は、長期利益の実現です。紙芝居でいえば、最後に出てくる一枚は「・・・というわけで、長期利益がでましたとさ。めでたし、めでたし・・・」でなくてはなりません。まず取りかからなければならない仕事は、この直前のエンディングのありようを固めるということです。
 エンディングを固めるためには、実現するべき「競争優位」と「コンセプト」の二つをはっきりとイメージしなくてはなりません。実際に実現される順番でいえば、エンディングは文字通り最後にくるのですが、思考の順番としては、エンディングから逆回しでストーリーを構想するべきです。さまざまな打ち手をあれこれ考えるのは後回しです。
 なぜかといえば、戦略ストーリーの優劣の基準が「一貫性」にあるからです。一貫性こそが戦略ストーリーがもたらす持続的な競争優位の源泉です。先に競争優位とコンセプトを固め、一つひとつの構成要素が強い因果論理でエンディングにつながるようにしてあげれば、自然とストーリーがシンプルで骨太になり、一貫性が確保されます。
 実現すべき競争優位はわりと単純な話です。WTP(Willingness To Pay:顧客が支払いたいと思う水準)を上げるか、コストを下げるか、無競争状態に持ち込む(通常はニッチへの特化)か、選択肢は三つしかありません。しかし、競争優位を決めるだけではエンディングとしては不十分です。競争優位はこちらが設ける理屈にすぎません。なぜ儲かるのか。それは顧客に何らかの価値を提供するからです。

・小説を書いている人が調子に乗ってくると、あれこれと思い悩まなくても、登場人物が勝手に動いてストーリーを展開してくれるということがあるそうです。そうなればしめたものです。コンセプトが本質的な顧客価値を捉えていれば、登場人物が自然と動き、ストーリーがどんどん広がり、具体的になってくるはずです。
 登場人物の動きが見える、登場人物が自然と動きだすようなコンセプトから語り起こす。これが戦略ストーリーの必須条件です。戦略ストーリーが動画である以上、その起点にあるコンセプトも動画でなければなりません。多くの戦略の失敗の原因は、そもそも静止画的なコンセプトからストーリーが語り起こされていることにあります。
 ストーリーの中で登場人物を自然と動かすためには、本当のところ「何を」提供するのか、それを「誰が」「なぜ」喜ぶのかを突き詰めなければなりません。コンセプトが「誰に」「何を」「なぜ」の三つにこだわったものになっていることが大切です。第4章でもお話ししたように、「誰に」「何を」「なぜ」が抜け落ちて、「どのように」という方法ばかりが先行したコンセプトからは優れた戦略ストーリーは生まれません。

・「川に飛び込め」の精神が大切だ。迷わず飛び込んで向こう岸をめざす。もし川が思ったよりも浅ければそのまま走って渡ればよい。深かったら泳げばよい。泳いでみれば流れは案外緩いかもしれない。もし流れが急で泳ぎ切れなかったらどうするか。これが怖いからなかなか飛び込めない。だから経営が「はい、ここまで」という撤退のラインを決めておく必要がある。店舗を新たに出すとき、まず考えなければいけないのは立地でも家賃でもない。閉店のルールだ。一定のルールを満たしていない店は月に一回の「閉店会議」で問答無用で閉店する。うちでは閉店資金が毎月積み立ててある。いつでも店を閉められる。ある意味で失敗を認めている。失敗がルール化されていれば、思い切って川に飛び込める。

・かつて学部の学生(大学の一年生から四年生)に教えていた頃の話です。いろいろな事例を使って競争戦略を講義していたのですが、ある学生が手を挙げて、「先生、もっと抽象的に説明してもらわないとわかりません」と言いました。学部の学生には実務経験はありません。こちらとしては具体的な例を使って説明したほうがわかりやすいだろうと思って講義をしていたのですが、実務経験がない学生にビジネスの具体的なことを話しても、いまひとつリアリティがない。抽象レベルで理解すれば、ビジネスの実際を肌で知らなくとも本質がつかめるはずだ、だからもっと抽象的に説明して欲しい、というのがこの学生のリクエストでした。
 この学生の発言はなかなか筋が通っています。もちろん抽象論理だけでは戦略ストーリーはつくれません。現実のストーリーはもちろん具体的なアクションのレベルに落ちていなければなりません。しかし、具体的な事象はあくまでも特定の文脈の中でのみ意味を持ちます。他社の成功要因を自分のストーリーに水平的に応用しようとしても、異なった文脈をまたぐことになるので、そのままでは無理があります。具体的事象の背後にある論理をくみ取って、抽象化することが大切なのです。具体的事象をいったん抽象化することによって、初めて汎用的な知識ベースとなります。汎用的な論理であれば、それを自分の文脈で具体化することによって、ストーリーに応用することができます。
 このように抽象化と具体化を往復することで、物事の本質が見えてきます。ここで大切なことは、思考の推進力はあくまでも抽象化のほうにあるということです。具体的な事象についての情報であれば、漫然としていても日常生活の中でどんどん入ってきます。しかし、意識的に抽象化をしなければ本質はつかめません。三枝匡さんはこのプロセスを、具体的な事象を「冷凍」(抽象化)して、ひとまず「冷蔵庫」(知識ベース)に入れておき、必要なときに自分の文脈で「解凍」(具体化)して応用する、というメタファーで説明しています。具体的な事象は「生もの」なので、一度冷凍しないと、文脈を超えて持ち運ぶことができないというわけです。


抜粋は以上。書くのに4時間くらいかかった・・・疲れた。。
でもタメになる内容は多分に含まれていたと思う。
見返してエッセンスを忘れないように、自分の知識に定着できるようにしたいと思う。

本当に疲れたので今回はこんなんで以上☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする