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asano.net

読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

192冊目:「私の財産告白」

2022-06-13 16:39:17 | 
総評:★★★★★ 色々良かった。
面白い度:★★★★☆ 面白かった。
読みやすい度:★★★★☆ 読みやすかった。
ためになる度:★★★★★ めっちゃためになった。
また読みたい度:★★★★☆ 初心にかえりたいときにまた読みたい。



投資を勉強したいと考えているのだが、その投資を学んでいく上で、これだけは読んどけと名著となっていた本。

投資の成功者と呼ばれる本多静六さんが書いた本で、本多さんは明治維新の頃のかなり昔に活躍された方だった。

1866(慶応2)年、埼玉県生まれ、苦学の末、1884(明治17)年に東京山林学校に入学。一度は落第するも猛勉強して首席で卒業、その後、ドイツに私費留学してミュンヘン大学で国家経済学博士号を得る。
1892(明治25)年、東京農科大学(現在の東大農学部)の助教授となり、「月給4分の1天引き貯金」と1日1頁の原稿執筆を開始。研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍、日比谷公園の設計や明治神宮の造林など大きな業績を残すだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。1927(昭和2)年の停年退官を期に、全財産を匿名で寄付。その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した。1952(昭和27)年1月、85歳で逝去。

と、上記は本のカバー頁の本人紹介の分をそのまま抜粋した。
これを見ただけで、何やら凄い人で、自分を顧みず一生をかけて日本のために尽くされた方とっ察することができ、とても頭が下がる思いである。
そんな経歴から人間性が拝見できる方の考え方がまとまったエッセイ的な本なのであった。


と、本を読んでもタメになる内容がめっちゃあったので、内容についてはあまり書かなくても、その部分を抜粋するだけで内容としては十分かなと思い、その分だけ抜粋する。

・人間の一生をみるに、だれでも早いか晩いか、一度は必ず貧乏を体験すべきものである。つまり物によって心を苦しまされるのである。これは私どもの長年の経験から生まれた結論である。子供のとき、若い頃に贅沢に育った人は必ず貧乏する。その反対に早く貧乏を体験した人は必ずあとがよくなる。つまり人間は一生のうちに、早かれ、おそかれ、一度は貧乏生活を通り越さねばならぬのである。だから、どうせ一度は取る貧乏なら、できるだけ一日でも早くこれを通り越すようにしたい。ハシカと同じようなもので、早く子供の時に貧乏を通り越させてやったほうが、どれだけ本人のためになるかわからぬ。まことに若いときの苦労は買ってもやれといわれているが、貧乏に苦労し、貧乏し抜いてこそ、人生の意義や事物の価値認識をいっそうふかめることができるのです。貧乏したことのある人間でなければ、本当の人生の値打ちはわからないし、また堅実に、生活の向上をめざしていく努力と幸福は生じてこないのである。
 貯金生活をつづけていく上に、一番のさわりになるものは虚栄心である。いたずらに家柄を誇ったり、いままでのしきたりや習慣にとらわれることなく、一切の見栄をなくさえすれば、四分の一天引き生活くらいはだれにでもできるのである。自分のネウチが銀もしくは銅でしかないのに、暮らしのほうは金にしたい。金メッキでもいいから金に見せかけたい。こういった虚栄心から多くの人が節倹できないのである。銀はどうせ銀、銅なりに暮らせばいいのであるが、さらに人生をより安全にし、生活をより健全にしようとするならば、むしろ一歩を退いて―事実は一歩を進めて―実力以上の銅なり、鉄なりの生活から出発していくべきだろうではないか。戦後のなにもかも新規蒔き直しの生活には、とくにこの決心と勇気が必要であると思う。

・しかし、その具体的な説明に入る前に、何事にも成功を期するには、ぜひこれだけは心得おくべしといった、大切な処世信条の一つを披歴しておく。それは、何事にも「時節を待つ」ということだ。焦らず、怠らず、時の来るを待つということだ。投資成功にはとくにこのことが必要である。

・しかし、そうした大変動ばかり心配していては、何事にも手も足も出せない。したがって、投資戦に必ず勝利を収めようと思う人は、何時も、静かに景気の循環を洞察して、好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時機を逸せず巧みに繰り返すよう私はおすすめする。

・いったい、財産をつくる目的の最初は、だれしも生活の安定とか、経済の独立とかにおかれるものであるが、それがいつしか、「子孫の幸福」につながる親心に発するものとなってくる場合が、大部分である。
 すなわち、できるだけ多く財産をこしらえて、できるだけ多く子孫に伝えたいといった世俗的な考えに変化してくるものである。恥しながら、私にも多少そうした愚かさが萌さないでもなかった。私もわが子孫の幸福について考えるに、まず子孫を健康に育て、完全な教育を施し、かつ相当な財産を分与してやりさえすれば、それで十分幸福にさせられるものと早合点したのである。これははなはだ間違った考えで、最後の相当な財産の分与などはまったく顧慮する必要がなく、それはかえって子孫を不幸に陥れるものだと漸次気付くにいたったのである。
 「幸福とはなんぞや」という問題になると、少しやかましくなるが、それは決して親から譲ろうと思って譲れるものではなく、またもらおうと思ってもらえるものでもない。畢竟、幸福は各自、自分自身の努力と修養によってかち得られ、感じられるもので、ただ教育とか財産さえ与えてやればそれで達成できるものではない。健康も大切、教育も大切、しかし、世間でその中でも最も大切だと早合点している財産だけはまったく不要で、それよりももっと大切なのは、一生涯絶えざる、精神向上の気魄、努力奮闘の精神であって、これをその生活習慣の中に十分染み込ませることである。

・ゼイタク生活の欲望や財産蓄積の希望についてもそうであって、月一万円の生活をする人が二万円の生活にこぎつけても幸福は二倍にならぬし、十万円の財産に達しても、ただそれだけではなんの幸福倍化にはならない。むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せられるものである。
 つまりは、現在ある地位の高下によるのではなく、動きつつある方向の如何にあるのである。したがって、大金持ちに生まれた人や、すでに大金持ちになった人はすでに坂の頂上にいるので、それより上に向かうのは容易ではなく、ともすれば転げ落ちそうになり、そこにいつも心配が絶えぬが、坂の下や中途にあるものは、それ以下に落ちることもなく、また少しの努力で上へ登る一方なのだから、かえって幸福に感ずる機会が多いということになる。

・ともかく、一度金を借りにくるくらいの人は、必ず二度、三度と借りにくる。そのときには再び貸さねば先の分まで死ぬということになって、再三無理をして貸し出してしまう場合が多い。そうして、自分にもこれ以上、もう貸す力がなくなるという頃には、いつしか切っても切れないという深い関係に陥ってしまう。こうして世の中の人々の多くが、善意に始まって、ちょっと金を融通したことからついに自分までも倒産の憂き目をみるに至るものである。私もここのところに気付いいたため二度目にキッパリと断り、最初の恩借を無視されたばかりでなく、かえって大いに怨まれた場合さえしばしばあった。
 いずれにしても、少し金ができてくるとだれにも必ずこの賃借のトラブルが起きてくる。こうした際、何人も心を鬼にして最初から一切融通に応じない方針を厳守するよう、私は私の体験からみなさんにおすすめする。またそれが本当にお互いのためでもある。

・しかし、金儲けは理屈ではなくて、実際である。計画ではなくて、努力である。予算ではなくて、結果である。その秘伝はとなると、やっぱり根本的な心構えの問題となる。
 そこで、私のお説教は例によって、まず「処世の要訣」におちた。二億円からの大金持ちになろうというからには、なんとしても積極的に、人並み以上の大活動を覚悟しなければならぬ。頭も体も人一倍に働かさねばならぬ。しかも暮らし向きは消極的に、人並み以上にできるだけつめてかからなければならぬ。家族一同気を揃えて、最低生活に甘んじなければならぬ。
 こうして、「ならぬならぬ」を辛抱強く実行して、やがてはその希望を必ず達するという確信の下に、明るい生活を続ける。そうすれば、霊肉一致、心身一如、ないしは身心相互補助の理によって、健康も得られ、活動力も生まれ、すべてによい判断もうかんできて、大願成就疑いなしと焚きつけたのである。

・それゆえ、私は体験社会学の一章としてこういいたい。「失敗なきを誇るなかれ、必ず前途に危険あり。失敗を悲しむなかれ、失敗は成功の母なり。禍を転じて福となさば、必ず前途に堅実なる飛躍がある」と。

・「論語と算盤」―これは渋沢さんが、どこへ行ってもよく振り回された事業繁栄の道、処世の要締といったものであったが、「利」をもって立つ実業家を、さらに「理」と「情」をもって導き、自らもまたその実践につとめられたのはなかなか見上げたものである。渋沢さんはよくこういっていた。
 「事業というものは、儲かるものでなければ成り立たない。儲からなくてただ有意義だというのでは、結局長続きしないで、せっかくの有意義が有意義でなくなる。儲かる上に有意義ならなおさら結構だが、なんとしてもまず事業は儲かることが先決問題だ。しかし、この儲けを一人占めしようなどと企てては結局失敗である。儲けるのはみんなで儲けなければならぬ。またみんなで儲かるようなものでなければ、いい事業、いい会社にはならない」

・「先生は何事も正直がよいとおっしゃるが、そこには多少色付けが必要ですよ。修繕物をもって来られたお客の前で、ヘイさようでとすぐ直していては、商売が成り立ちません。とくにラジオ屋などは、ネジ一ついじくればすぐ直るとか、銅線一本とり替えればすぐきこえるといった場合が多く、そんなことをお客の前でやれば一分とかかりません。客は喜んで、いくらかときかれますが、あまり簡単なので、ことに懇意な間柄など、つい、いやまたあとで御一緒にということになってしまう。
 だから世慣れた電気屋になると、ちょっとフタを開けて、ハハ大したことはありませんが、だいぶあちこち損んでいるようですから、しばらく預からして頂きますというようなことになる。そうすれば修繕量も気兼ねなくもらえるし、店先も賑やかで、いかにも繁盛しているようで景気がいい。かといって別に不当の料金は頂きませんよ。本当に家賃と、日当と、税金になりさえすれば当節有難いんですから。
 もっとも先生は、そこをもっと正直にやって右から左へ片づけてやったほうが正直を宣伝し、勉強が売り物になって、かえって大繁昌するんじゃないかとお𠮟りになるかもしれませんが、万事商売というものはこうしたもので、いまの世の中、そんな聖人君子のようになり切ってはとても食ってはいけません。商売人には、正直にも多少の色をつけんとやっていけません。先生もその辺のところをみんなに教えてくださいよ」
 ときたのである。私もこれにはぐうの音もでなかった。なるほど、実際の商売とはそんなものかと感心した。何事にも多少の色付けが必要―努力に加うるこの世渡り術の工夫、いわれてみれば私にもそれはよく呑み込めた。
 前にも述べたように、世の中にはどこにも裏表がある。がむしゃらにただ正面から押し通せばよいというものでもない。一つの城を攻めるにも必ず大手と搦手がある。複雑な社会を一本調子で進み得ると早合点してはいけない。特に商売などをする人には商売術の研究が必要である。もちろん「正直は最良の商路」ではあるが、その正直にときと場合により、しかるべき色付けが大切であるようだ。

・そこで私は、いまさらながら、「私の社会体験学」として力説したい。―それは、いかなる場合、いかなる職務でも、自分自身にその実力さえあれば、与えられた当然の地位は敢然と引き受けるべし、ということである。
 つまらぬ儒教流の古いこだわりをすて、聖人君子を志さない限りは、仕事の上で決して無用な謙遜などしてはいけない。遠慮なく進んで、できるだけ自分で満足のいく位置を確保すべきである。もしそこに、尽くさなければならぬ師弟の礼や、友人間の情誼があったとすれば、それは十分他の途によって尽くされるであろうし、また尽くされなければならぬ。心にもない一時的な偽善行為で、決してその場だけを繕うことをしてはならない。
 生じっかな「見てくれ」の美行は、かえってわれわれ凡人には、自他ともに不都合な結果をもたらすのである。大いに働き、大いに勤めるためには、仕事の上の遠慮は一切無用である。少年にして高科に登るは不幸かも知れぬが、登るべき高科に登らぬのもまた不幸であろう。まして、少年たらずして中年者たるにおいてをやだ。とにかく、偽善的なケンソンはつまらぬ。

・私の体験によれば前にもしばしば述べたように、人生の最大幸福は職業の道楽化にある。富も、名誉も美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない。道楽化をいい換えて、芸術化、趣味化、娯楽化、スポーツ化、もしくは享楽化等々、それはなんと呼んでもよろしい。すべての人が、おのおのその職業、その仕事に、全身全力を打ち込んでかかり日々のつとめが面白くてたまらぬというところまでくれば、それが立派な職業の道楽化である。いわゆる三味境である。そうしてこの職業の道楽化は、職業の道楽化それ自体において充分酬われるばかりでなく、多くの場合、その仕事の粕として、金も名誉も、地位も、生活も、知らず識らずのうちにめぐまれてくる結果となるのだから有難い。

・なんでもよろしい、仕事を一所懸命にやる。なんでもよろしい、職業を道楽化するまでに打ち込む、これが平凡人の自己を大成する唯一の途である。世の中には天才だけにしかできぬという仕事はあまりない。少なくとも、職業と名のつく職業であれば、すべては平凡人の努力によって、完全にこれを道楽化する処までいけるものだ。今日の学問からいうと、本当の天才は、天才的な遺伝要素が必要で、われわれ凡人は本当の天才にはなれない。だが、いかに不得手なことでも、一所懸命やれば上手になれ、好きにもなれ、天才にはなれなくとも、まず天才に近いものにまではなれる。私もいろいろな体験からこうと気付いたのであるが、後にゲーテの『天才論』をみたら、やはり「天才とは努力なり」と、同じような結論がでていて、はなはだしくわが意を得た次第だった。

・有志家にはだれもなりたがるものである。しかも、有志家的野望といってもだんだんで、町内会の世話役、同業組合の幹部、何々委員会の委員といったところから、小は町村会の議員、大は国会の衆・参議院などまでいろいろの公職がある。自分からなろうと望む場合もあろうし、また周囲から推し立てようとする場合もあろう。いずれにしても、それに心動かすのは、十中の八九まで権力と名誉へのあこがれからである。したがって、私は単なる名誉心や権勢欲にかられての、この有志家気取りや政治家志望を厳に戒めたいと思うのだ。
 平凡人の進む道はあくまでも「柄相応」でなくてはならない。
 元来、名利は与えらるべきもので、求むべきものではない。自ら求めて得た名利は、やがてこれを失わざらんことに汲々としなければならず、しかも、それは瓶中の花のごとく、いつかはしおれてしまう。幸福の実は決して生るものではない。それゆえ、われわれはあえて名利のために働くのではなく、仕事が―与えられた職務が―面白くてしようがないから働くという信条、すなわち、努力が楽しみという境地ですべてを押していきたい。そこに、おのずから自他繁栄の道も拓かれ、名と、利と、徳とが一致する人生も生まれてくるのである。
 あせることはない。無理をすることはない。何事も「渠成って水自ずから至る」ものである。一人一業を守って、それに専心打ち込んでおれば、万福招かずして来るものである。町内会で立てられることも、同業者内に重きをなすことも、一社内に確固たる地位を占めることも、みなそれぞれの本業本務を立派につとめ上げてのことである。しかもそれは、自ら求めずして、その人の上におのずと現れてくるのである。
  以前からよく、私はこの有志的、政治的進出の可否について、多くの小成功者連から相談を持ち掛けられることがあるが、その都度、いつも私は、だれにも二足草鞋を戒めて、その人の本業精進をつよく希望するのである。


以上、結構書きすぎてしまった。。。
色々ためになることも書いてあったし、なんか改めて人の道とは、といったことを学べた本であった。

本当に知りたかった投資のことが学べたか?というと?といった感じだが、不朽の名著を読むことができて良かったなと思いました。

そんなんで以上☆
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191冊目:「なぜ、日本の職場は世界一ギスギスしているのか」

2022-04-22 15:41:30 | 
総評:★★☆☆☆ そこまでの印象はなかった。
面白い度:★★★☆☆ 普通だった。
読みやすい度:★★★★☆ 読みやすかった。
ためになる度:★★☆☆☆ そこまでためになる内容はなかった。
また読みたい度:★☆☆☆☆ 読み返すことはしないかなと思う。



JISTAという会合で著者の方の講演があり、その参加特典でいただけた本。

日本の職場は世界で一番ギスギスしているという前提の下、それはなぜか?どうしたら解消できるのか?について書かれた本。

色々職場がギスギスする要因は色々あると思うがその大きなものが、昔ながらのしきたりややり方を押し付けられているというのがあると思う。
昨今リモートワークもメジャーになってきているが、それを良しとしない環境だったり、旧態依然とした報連相ややり方を上長が縛るなどしそれが若い世代との軋轢を生んだりするというのが、この本でよく言われている内容だった。

まあそりゃそうで、50~60代の方々の仕事のやり方と20代くらいの若者の感性は著しく異なると思う。
それは昭和や平成時代の頃など今まで以上に顕著になっていると思う。

その意識の違いや考え方の違いをいかにギャップ無くしコミュニケーションを取っていくかが大きな課題になると思うが、それを無くすのは難しいんだろうなあと思う。

年長者は新しいデジタル機器をやツールを使いこなさなければならないし、若者の立場に立って考えることも難しいだろう。
若者に年長者のそれを求めるのも難しいし、時間もかかると思うし、と、なんか平行線をたどりそうな問題だが、まあ「いかに無駄をなくし効率的に動くか」という目的を共有して、それを第一に考えるのが一番の近道になるのかなと思う。

でも自分は「無駄をなくし効率的に」を至上第一に掲げるのもちょっとおかしいと思っている。
この文章を書きながら思ったことだが、いかに「みんなが納得する方法でできるだけ無駄をなくし効率的に」がいいと思うが、まあそれも本当に難しいんだろうなあと思う。。

そんな取りとめない内容は以上にして、面白かった内容を抜粋する。

・このような組織で起きるのが「○○はAさんに聞いて、Aさんにしか分からないから」です。本来、仕事はよほど専門性が高いものでない限り、その部署に属する誰もができなければならないし、ある程度の知識を持っていなければなりません。しかし日本の組織の場合、「○○はAさんにしか分からない」「◇◇はBさんがいないとどうにもならない」ケースが珍しくありません。
 これではAさんやBさんが休んだ場合、出社するのを待つしかありません。これは異常な事態ですが、なぜか日本の組織では当たり前と捉え、AさんもBさんもそこに自分の存在価値を見出しています。

・テレワークによる組織の求心力や生産性の低下が懸念される中、実際にテレワークをしている人は、「社員の健康を考え、不要不急の出社はしなくてもよい」と考える企業の姿勢に感謝し、企業のために頑張りたい気持ちになっていると考えられます。また「会社や上司が自分をプロとして信用してくれる」「自立した大人として接してくれる」そうした安心感が働く人たちの組織に対するエンゲージメントを高めているとも捉えられます。
 幸福感の高い社員の生産性は平均31%、売り上げは37%、創造性は3倍高いことは、カリフォルニア大学教授のソーニャ・リュボミルスキー、ミズーリ大学のローラ・キング教授、イリノイ大学のエド・ディーナー特別教授による225件の学術研究の詳細なメタ分析によって明らかになっています。さらに、テレワークは幸福度を高め、働く幸せをもたらすデータがあります。
 だとすれば、テレワークによる生産性の低下を引き起こしている原因は何かをしっかりと分析したうえで改善をしていけばいいのです。そこを解決できれば、テレワークは職場のギスギスの解消にも大いに貢献してくれるはずです。


一旦こんな感じでしょうか?
職場環境はモチベーションや生産性に大きな影響があると思うので、そこは仕事をする上で改めて考えて改善や新しい仕組みを考えていくのはいいと思いました。

そんなんで以上☆
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190冊目:「内臓とこころ」

2022-03-29 16:32:10 | 
総評:★★☆☆☆ あまり覚えていない。。
面白い度:★★☆☆☆ 普通にすいすい見れた。
読みやすい度:★★★☆☆ 読みやすくはあった。
ためになる度:★★☆☆☆ 内臓と宇宙リズムの関連性が分かった。
また読みたい度:★☆☆☆☆ 読み返すことはしないかなと思う。



以前読んだ179冊目の「生命とリズム」と同じ作者が書いた姉妹本のような本。


前回と同じような内容が書かれていたが、簡単に言うと内臓のリズムは宇宙とつながっているよということが主題として書かれていた。

なんか突拍子もない説だが、読み進めるとなるほどそうだなということが分かってきた。
ちょっと感想としてはあまりこれが分かった。。というのは無いが、話の中で一つ、内臓の中でも、腸が大事な所だ。というのが書いてあったと思う。。


あまり覚えていないので、興味深かった内容を抜粋して終わりとする。
・最近、朝食拒否とか登校拒否とかの問題がやかましくいわれていますね。朝めしだけというのなら、困ったことぐらいで済ませることもできましょうが、こと登校の問題になると、そう簡単にはゆきません。何か原因があるのか、いろいろせんさくします。専門家たちは、その性格形成をつねに問題にする。"朱に交われば赤くなる・・・"といった具合に、幼児からの生活環境ーたとえば、両親の性格だとか、家庭環境だとか、さらに社会環境だとか・・・いろいろ分析しますね。しかし、私は、周囲のそうした「外部環境」が大切であれば、それと同じように、本人の「内部環境」つまり肉体の問題も大切ではないかと思う。というよりものの順序からゆくと、この肉体の情況を知ることのほうが、はるかに先決です。こんなわかりきったことが、どうも学校教育の大切な場で、まるきり欠落しているようですねェ・・・~(中略)~
 以上で胃袋の感覚がどんな性格を持ったものかおわかりいただけたかと存じます。この運動によって、いわゆる"おなかがなる"つまり快適な空腹感がもたらされるわけですが、これはしかしご馳走の匂いを嗅ぐだけでいつでも起こるというものではない。「日リズム」と「年リズム」の強い影響を受けていることがわかります。それらの波の谷間には、どんなご馳走の匂いを嗅がされても知らん顔をしているが、その代わり、山の時には、すべてがご馳走に見え、なにを食べてもおいしい。
 つまり"食欲"という、ひとつの内臓感覚をとっても、遠い宇宙の彼方との共振によって、支えられていることがよくわかります。胃の内外の出来事だけで起こるものではけっしてない。いいかえれば内臓の働きには、なにか遠い彼方と結ばれた不思議な側面が見られるようです。内臓の感受性といった時、この問題を抜き考えることはできないと思います。

・このことは、もう皆さん方もご存じでしょう。植物には「独立栄養」すなわち「光合成」の能力があるので、動物のように人さまのものを横取りする必要がない。いいかえれば動物がその日その日の糧を求めて、草食・肉食の別なく、あちこちさまようように、自分のからだを移動させる必要がまったくない。このため植物のからだには「感覚・運動」にたずさわる器官が、もう最初から完全に欠如しているのです。
 植物の本来の姿は、このことを抜きに考えることができない。と申しますのは、私たち人間も動物と同じですが、この「感覚・運動」のしくみを持っているために、どれほど目先の変化に振り廻されているか・・・これまでいやというほどご経験されてきたと思います。このことを裏返しますと、植物の世界にはまったくこれがない。山火事がやってきても平然と植わっているし、柿泥棒が登ってきても知らん顔している。ではいったいなにをやっているのか・・・それはまことに明瞭です。つまり、ここで問題にしている「宇宙リズム」とのハーモニーに、まさに全身全霊を捧げ尽くしている、ということになるわけです。そのからだは、いってみれば天地を結ぶ巨大な循環路の毛細血管にたとえられる・・・。
 こうして「食と性」のリズムが、宇宙リズムと完全に一致するようにできているのが、植物の本来の姿であることがわかったのですが、私どもはこの宇宙的な生のリズムを「生の波動」と呼んでいるのです。

・このように、動物たちの「食と性」の周期も、これくらい"暦"がはっきりしています。あるものは太陽と地球との関係、あるものは地球と月の関係で、それぞれ厳密にきまっています。そこへもってきて最近、火星だとか土星だとか、あるいは土星の衛星だとか、かなりたくさんの順列組合せができてくる。そのいずれかの周期に沿って、それが行われるということです。
 ここまできますと、もう動物の体内にこうした宇宙リズムが、初めから宿されていると思うよりないでしょうね・・・。そして、その場が内臓であることはいうまでもない。もっと厳密にいえば、内臓のなかの消化腺と生殖腺でしょう。この二つの腺組織の間を、そうした食と性の宇宙リズムに乗って「生の中心」が往ったり来たりしているのです。


そんな感じでしょうか?
一旦今回はこんな感じで以上☆
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189冊目:「落合博満 バッティングの理屈」

2022-03-16 15:51:06 | 
総評:★★★★☆ なかなか深い。
面白い度:★★★☆☆ 比較的面白く読めた。
読みやすい度:★★★☆☆ 読みやすかったが、野球をやってないとちょっと難しいかも。
ためになる度:★★★★☆ 結構ためになった?
また読みたい度:★★★☆☆ また読みたいかは普通。



確か何かで名著となっていたので、読んでみた本。

三冠王に何度も輝いたプロ野球界のレジェンド、落合博満さんが自ら考えたバッティングについての理論がまとめられた本。
落合博満さんが、長い野球人生の中でたどり着いた結論だけあって、言葉の重みが違う、理論がとてもすんなり理解できる。

落合さんってこんなに理論家で頭がいい人なんだと感心した。
そもそもが「週間ベースボール」という雑誌で連載されていた内容を単行本化した本らしい。まさか雑誌の連載でこんなに内容の深いものが載っていたとはと驚きだった。


自分は小学生の頃、少年野球をしていたが、「打つ時はピッチャー返し」や「上から下にバットを振れ」と言われていたが、子供ながらに、ピッチャー返ししたらピッチャーに取られちゃうじゃん、とか、上から下にバット振ったら球を打ち上げてホームランにできないじゃんとか心ながらに思っていたが、当時はなぜ?と聞き返すこともしなかった。
そもそも野球が好きではなかった。。。

そんな長年?の疑問をこの本は解決してくれるのだった。
ピッチャー返しというのは真ん中に返す意識をすることによって、ファウルになる可能性が低くなるという答えだったり、上から下にというのは、トップの位置を高く保てば、すべてのボールに対してバットを振り下ろすことで速い球に対応できたり、、という答えだったりしたのだった。


少年野球の監督、コーチたちも、技術のコツを子共に教えたりはするが、なぜそうなのか?っていうのを説明できなかったんじゃないかと思う。
落合さんはそういった野球で一般的にいわれている技術のコツを自ら考えて答えを出しているんだろうなあと思い、自分はその思慮深さに驚いたのだった。

しかし自分はこの本を読んだ所で野球をやりたいとは改めて思わなかったが、理論の裏付けとなる考えの導き出し方を知れてなかなかためになる本だなあと思ったのだった。

てか結局落合さんはすごいなと思った。プロ野球選手になっていなくても、実業界で成功を残せた人だと思う。なんかプロとしての考え方が違うし、野球に対する姿勢も本当にすごい。プロ野球選手になるとちやほやされると思うが、そんな所とは一線を引いて自分自身や野球を冷静に俯瞰して見れている。なぜこんな人格がどうやって醸成されたのかはこの本では分からなかったが、そりゃこの人が教えれば野球チームも強くなるだろうなと思った。


そんなんで、興味深かった内容についていかに抜粋する。

・これはプロ野球に限らず、一般社会でも同じだと思うのだが、どんな仕事でも大きな成果を上げたいと思えば、いかにシンプルにやり切るかを追求するだろう。そして、シンプルに仕事を進めるためには、準備の段階でとことん考え抜き、何の不安もなく仕事に打ち込む態勢を整えなければならない。営業でプレゼンテーションを任されたら、上司や先輩に相談しながら進め方を決め、リハーサルを何度かこなして本番に臨むはずだ。ところが、バッティングで言えば、そのような準備が疎かにされており、本番である試合において考え込んだり、悩んだりしてしまう。だから難しくなってくる。

・私たちの頃のように、野球を体で覚える時代は終わりを告げたと感じている。現在は、体を頭で野球を覚えていく時代だろう。その際に大切なのは、技術的にいいものと悪いものを見極める目だ。そしていいものを貪欲に採り入れる姿勢は大切にしながら、悪いもの、つまり"禁じ手"を見極めて、それをまねしないようにする反面教師的な目も持ち合わせることが必要だ。ほかの選手のスイングを見て、「ここがいい、ここはよくない」と的確に指摘できること、それが"いいバッティング評論家"になることなのである。

・ただ、その"見る目"で観察したことを的確に選手に伝えているかどうかがポイントだ。他人に物事を伝えたり教えたりする際には、相手によって接し方や言葉の使い方を変えなければならない。自分の教え方ではなく、相手に合わせた伝え方が必要なのだ。そうした指導をするためには、選手の技術面だけでなく、人間的な部分や性格などもしっかりと把握していなければならない。つまり、あらゆる面での"見る目"が必要なのである。

・調子のよくない選手を見つけると、指導者のよく「基本に戻りなさい」とアドバイスする。この"基本"とは何か。多くの選手や指導者は、打つ、投げる、走るといった技術に関することだと認識しているだろう。だが、それは違う。本当に基本に戻るならば、人間としての生活の"基本"、すなわち食事と睡眠から考えなければいけない。もちろん、暴飲暴食や寝不足は論外だが、スランプになったら、まずは食事と睡眠を練習と同じレベルで考え、体力を戻していくことから取り組むべきなのだ。食事と睡眠の重要性は、誰でも理解しているはず。こうしてあらためて書いておけば、つい忘れがちになる人も再認識してくれるだろう。

・すでに、理想的なスイングをするためには、捕手寄りの腕は体の内側でたたむべきだと指摘したが、これはヒジの抜けを良くするための最大のポイントだ。ヒジの抜けが悪いとどうなるのか。強い打球が打てないのはもちろんだが、なんとかヒジを抜こうとするあまり、どうしても体を開いてしまうのである。これは、精度の高いバッティングをするためには大きなマイナスだろう。
 また、投手寄りの腕をトップの位置に入れる際、肩を一緒に動かしてはならないことも書いた。自分の視界が変わり、ストライクゾーンのジャッジメントに狂いが生じるからだが、同時にこの悪癖も捕手寄りの腕のヒジの抜けを悪くする。つまり、捕手寄りの腕のヒジをスムーズに抜くためには、この2つのことに注意しなければならない。そして、日本人の打者が最も不得意なのがこのポイントだ。

・ここまで説明してきたことをまとめておく。
 ①打球を90度の扇形の中に打ち返すのなら、バットもこの90度のエリアの中でさばくという意識が大切である。ゆえに、フォロースルーではバットのヘッドが投手に向かうのがいい。つまり、バットを振り抜く理想的な方向はセンターである。
 ②トップの位置はできるだけ深く入れるべき。より深くという感覚は、投手寄りのヒジがしっかりと伸びること、と言い換えることができる。また、投手寄りの方を動かさず、両腕でトップの位置に入れなければならない。投手寄りの方が動く選手の多くは、トップの位置に入れる際に捕手寄りに方が入りすぎるのだが、これでは顔も引きずられて動いてしまうため、構えた時と視界が変わってしまうという欠点が生まれる。また、この時は捕手寄りの腕のヒジの抜けも悪くなる。
 ③トップの位置の高さは、『ストライクゾーンの上限より高く』が理想ではないか。なぜなら、ストライクゾーンの上限よりも高い位置にトップがあれば、すべての高さの投球に対してバットを振り下ろす感覚で対応できる。さらにトップの位置が低いと、高めのボールに対してグリップを寝かせて振り出さなければならない。すると、腕を上に振り上げることでバットのヘッドは下がり、スピードのあるボールへの対応には苦労する。また、投手寄りのワキが開いてしまうため、スイングが波を打つという悪癖も身に付いてしまう。
 ④トップの位置から振り出す際、捕手寄りの腕は体の内側でたたむべきだが、これはヒジの抜けをよくするための最大のポイントである。ヒジの抜けが悪いと、強い打球が打てないのはもちろんだが、なんとかヒジを抜こうとするあまり、どうしても体を開いてしまう。また、この注意点は②と深い関係性がある。
 ⑤トップの位置からミートポイントへ一直線に振り出すスイングは、両肩を動かさず、投手寄りの腕のヒジを開かないようにしてグリップをミートポイントにぶつけていくという感覚で身に付けられる。その際、ポイントを見据えている目の前をバットが通過していけば、スイングは無駄なく正しい軌道を描いているといえる。

・また、プロ野球界を見てもそうなのだが、最近の選手は走る量が少ない。入るという動作は、投手にしても野手にしても基本となるものであり、私論だが体の強さは走り込んだ距離で決まると感じている。何事も基本をおろそかにしてはいけないが、これは体作りについてもいえる。まず"走る"ということを第一として考えたい。


他にも見ていけばいっぱい興味深い内容はあったが、ちょっときりがないのでここまでとする。なんか野球だけの論理にとどまらず、人生においても重要な考え方とかが書いてあったなあと色々考えさせられた本でした。

そんなんで以上☆


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188冊目:「PythonによるAIプログラミング入門 ディープラーニングを始める前に身につけておくべき15の基礎技術」

2022-03-15 15:17:41 | 
総評:★★☆☆☆ 難しすぎた。。
面白い度:★★☆☆☆ 色々なAIの技術が使われていた。
読みやすい度:★☆☆☆☆ 訳が分からな過ぎた。
ためになる度:★★☆☆☆ ためにはなるのかなあ?
また読みたい度:★☆☆☆☆ 読み直すことはないかなと思う。


PythonはAIの開発や機械学習に強いと言われている言語で、なんでそんなに強いのだろうかを前から気になっていたのと、Pythonとはどんな言語やと思っていたので図書館で見つけて借りてみることにした。オライリー・ジャパンの本。

実際にソフトをインストールして、サンプルプログラムを動かしてくださいという本だったが、そんなコーディングしている時間はないので、どういうことができるんじゃ?という感覚でざっと見ていった。

そしたら、AIの種類にも色々あるんだというのが分かった。教師あり学習、教師なし学習、アンサンブル学習、推薦エンジン、ヒューリスティック検索、自然言語処理、音声認識、物体検出、人口ニューラルネットワーク、強化学習など。
本書は15の章に渡ってそれぞれ違うAIを使ったプログラムが紹介されていた。

でもこのプログラム、かなり難しい統計的な手法や数学的な知識を使っていて、自分はまったくなぜそんなプログラムをするのか?といった所はちんぷんかんぷんだった。
ディープラーニングが界隈で現在ホットな話題になっているが、その分野でちゃんと理解して案件を回したり仕事をしていけるのって一握りの頭いい人しかいないんだろうなと思った。


また、Pythonだが、なぜAIの開発に使われているかというと、やはりライブラリが豊富だからなんだなと思った。上記で紹介した色々な分析をするためのライブラリがPythonには用意されており、本書はそれを色々組合せたりしていた。またグラフでの図示など、一からプログラムしたんじゃまったく時間がかかってしょうがないものもライブラリがあるから簡単にAIを作れるんだなと思った。

とりあえず最初から最後まで本当によくわからない内容や知識の連続だったが、まあAIも色々なものがあるんだなあと学べたのが一応の収穫だった。


そんなんで、訳が分からな過ぎて特に心に刺さったことは特にないので、今回の感想はこんなんで以上☆

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